その晩、病院は空調設備の不調のせいか特に冷え込んでいたという。病院の夕飯には暖かいスープと煮込みハンバーグが出たそうだ。阿部は元来食べるのが早い人間であったが、その日は一口一口を噛み締めるように食べていたそうだ。やけにそれからも大人しく、看護婦や当直医への感謝の言葉はいつも以上に多かったらしい。寝る前には珍しく読書をしており、これまた珍しく書き物もしていたと言う。
その後、二時間おきの看護婦の巡回の表には全て「異常なし」と書かれた。つまり阿部が行為に及んだのは午前四時頃であった筈だ。
彼は自殺をした。部屋の窓は俺が一度開けたおかげで張り付いていた氷がなくなっていた為かすっかり貧弱になっていた阿部の腕でも再び開けられたようだ。カーテンレールに病人服をとめる為の紐を輪っかにしたものが括りつけてあった。だが、阿部が見つかったのはその真下の地面。地上五階からの落下した衝撃は積もった雪程度では緩和されなかったようだ。
「壮絶な最期だったな」
俺は阿部の墓に最後の別れを告げに来た。辞令が下り、新潟支社での働きが評価され晴れて東京の本社へ帰ることとなったからだ。
「結局、君は俺をどうしたかったんだ。頼むから答えてくれ」
勿論、返事などあるわけがない。
阿部の遺書はたった一通。しかもそれは俺宛だった。しかし、その内容は感情的な別れの言葉ではなくただ事務的な自身の葬式や財産の処分についてのことであった。
俺は阿部の遺言の通りに病院の関係者と共に慎ましい葬式を挙げ、墓地に土地を買って小さな墓を建てた。
あくまでこれは考察に過ぎないのだが、俺が彼に求めていたものは「愛」ではなく醜い独占欲だったのではなかろうか。時に愛情と性欲というものは同一視される場合がある。これはどちらの言葉も一言で言い表せることの出来るものではないから、という要因が大きい。しかし、このふたつに共通することはやはり対象を自分のモノにしたいという独占欲ではなかろうか。俺は阿部に対し、おそらく人生で初めてであろう優しさを感じ、恋をしてしまった。つまるところ俺は彼との間に「愛」が存在すると思っていた。だからあくまで妄想の中では阿部と俺は相思相愛であった。しかし、現実には阿部は俺に対して向けていたのはハッテン場で出会った、ただの友人としての愛情であったのであろう。彼は何人もの男とそのような関係を築いていたのでそれは彼にとってはそれは普通のことである。
俺はそれを勘違いしてしまっていた。故に駆け落ちを知った時に阿部を探し回った。しかし、これは彼を心配したからでなく彼と駆け落ちした者、つまり道下正樹を盗人と思い込み復讐せんと憎んだからであろう。ヤツを狩った時に阿部の居場所を聞かなかったのはこれが原因だ。
さらに、俺は性欲というものを彼と出会うまで殆ど思うように発散していなかった。幼少期に性的なものから遠ざけられた人間は性に対し異常な執着や趣向を示す場合がある。これは長い歴史の間に確かに証明された事実。これと似たような現象が俺にも起きた。結果俺は阿部を俺の性欲を発散出来る唯一の存在として占拠しようとした。
これらのふたつの要因が俺が阿部に対し独占欲を感じさせる原因となり、結果的に俺を「狩人」たらしめた。
「結果的にお前は自分自身が望んだ 優しい存在 になったことで俺と道下正樹を苦しめたと言いたかったのか?」
俺を狂わしたのは紛れのない阿部との出会いであり、それが巡り巡って彼が恋人として愛した道下正樹へ間接的に被害を及ぼした。つまり阿部は俺、日高良司の「狩り」の諸悪の根源は自分だ。という思考にたどり着いたのであろう。
「そのことへの贖罪としてお前は自らの命を断ち、俺と道下正樹を新たな正しい道へと進ませようとしたのか?」
阿部は答えない。
近くの墓に家族連れが参りに来た。母と父、子供が二人。どこから見ても一般的、ごく一般的な正しい愛が導いたありふれたごく一般的な答えだ。
もし、阿部がゲイではなければ彼は愛情をセックスで振りまくということはなかった筈だ。おそらく純粋な優しさとして振りまいていたであろう。そうなれば阿部は俺のようなヤツに出会わず、健全な恋愛をしこのような答えに辿り着いたに違いない。
もし、俺がゲイではなかったら大きなイチモツに引け目を感じず堂々と振る舞え、普通の女性と見合いでもしてやはり、このような答えに辿り着いたに違いない。
もし、道下正樹がゲイではなかったら彼は経済的に支えてくれるパートナーができず駆け落ちが実行できない為、親の要望を受け入れ結果的にこのような答えに辿り着いたに違いない。
これが正しい解答だ。阿部は我々の間違った途中式が最後の答えを導き出す前に自らの答案を採点にかけた。我々が間違っていると気づかせる為に。そして今からでも正しい解答を導けるように。
頭の中ではわかっていた。だが、俺はそれを受け入れることが出来なかった。東京に戻った俺はふと阿部が語った理想像を思い出した。黒のレザー、そしてモヒカン。俺がそれを身につけた時、俺の中にまだ存在した狩りへの欲求が再び芽生えた。
俺はノンケを襲おうと決心した。こいつらはまともな道を歩もうとしている。だから俺のように間違った道を歩ませようと思ったのだ。
東京で初めて「狩り」をした時の獲物は案外すぐに仕留めれた。そして簡単にあっさりと刈り取ってしまった。しばらく腰を振ったあと気づいた時には冷たくなっていた。不思議と罪を冒した後ろめたさは感じず、ただ高揚感と達成感が身体を支配した。
それからあとは知っての通りである。俺は何人もの男を狩り、最後の狩りで漢に敗れた。