ルフィ
ミホーク
ドフラミンゴ
ロー
マルコ
イゾウ
シャンクス
レイリー
クロコダイル
ベックマン
線で区切ってあるだけです。飛んだりは出来ません。予めご了承ください。
【ルフィ】
インクの香りが立ちこめる中、最後の仕上げに取り掛かる。これが終われば、とりあえず今描ける海図は完了になるからと思い手を動かしていた時、突然響いた怒号。
「いい加減にしろっ!!」
その怒号による振動で倒れたインク壺は、完成間近だった海図を黒い泉と川の絵を描く形で台無しにしてしまう。頭が真っ白になり硬直する私に、犯人たるルフィは慌てた様子を見せる。
「あ!悪ィ!!その、ダメにするつもりはなかったんだっ!!いくら呼んでも反応無くて、それで、飯とか寝るのとかして欲しくて……」
分かってる。ルフィに悪気は無くて、でも……今口を開けば何を言うか自分でも分からない。
泣きそうになる自分を自覚して、こんな事で泣きたくないと部屋を飛び出す。背後から呼び止めるような声が聞こえたけど、足を止める事は出来なかった。
そのままの勢いでお風呂場に向かうと、シャワーを浴びる事で気持ちを落ち着かせた。陰鬱な気持ちのまま部屋に戻ってみれば、待っていたルフィに強く抱きしめられてしまう。
倒れたインク壺の中にインクが戻らないように、私の心もきっと1度吐露してしまえば終わってしまうと知っているの。姉として、節度ある距離を保たなければ、この関係性が壊れてしまう。
ルフィの事が、好き。だけど、伝えられない。
私はクルーで、航海士で、仲間の1人でしかないのだから。それでも傍に居られるなら、それだけで良いと思って微笑めば何故か涙を流してしまいそうになる。
その瞬間、重ねられた唇に驚いて反応出来ずにいれば、そのまま深まる口付け。息苦しくて、そして何より混乱してルフィを見詰めれば、そっと離れる唇を無意識で視線が追う。
「いい加減、俺の言葉が届いてもいいと思うんだよ」
「え?」
「何か書いてる時に聞こえないのと同じくらい、こういう意味で好きだって言っても通じないのは……切ないもんだぞ」
言われた言葉の意味を脳内で整理して、直後に赤くなった顔を隠そうとルフィの肩に顔を埋めれば囁かれるのは傲慢なのに甘い言葉。それが少し、揺れてるのが何とも言えない。
「好きだ。俺の女になれよ」
肩口で小さく頷けば、ルフィに抱き上げられてベッドへと沈められてしまう。真剣な眼差しに見下ろされて、私は何も言えなくなる。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
その言葉に答える代わりに、そっと両腕を伸ばした。それが私に出来る、精一杯の返答である。
─────*
【ミホーク】
他の音が聞こえないのは、私が描く事に集中し過ぎているからなのかな。それとも、本当に他に音が無い程に静かなのか。
そんな事、今はどちらでも構わない。後少しで最後の海図が描き上がる。
これの次はこの間寄った島の地図を描こうかな、なんて考えた時机が大きく揺れてインク壺が倒れてしまう。驚きと悲しみで我に返ると、私の肩を掴んでる人がいてどうしたのかなと首を傾げてしまう。
でも、それよりもダメになってしまった海図が気になって視線を向ければ、珍しく謝罪の言葉が降って来た。でも、それが抜けていくような感覚に陥ってしまう位にはショックを受けているみたい。
「海図を駄目にする予定ではなかった。すまぬな」
「ミホーク?」
「いい加減に描くのを中断しろと怒鳴った際、机にぶつかった。……それさえ届いてはいなかったか」
「うん。何も、聞こえなかったわ」
「さもありなん」
困ったように笑うその顔を見て、悪気はなかったのも分かるけど……それでも悲しくて、泣きそうになる自分を自覚してしまう。呼ばれて気付けなかった私が悪いとわかっているからこそ、私は涙を堪えてシャワー室へと逃げ込んだ。
だって、ミホークは悪くないのに、泣きながら責めるなんてしたくないもの。そうして気持ちを落ち着かせた後、瞼が腫れてない事を確認して部屋に戻った。
私から謝るのも可笑しいわよね。でも、このままにしてはおけなっ!?
突然背後から抱き締められて、驚きの余り硬直してしまう。だって、倒れたインク壺にインクが戻らないように、私の恋心も1度溢れ出したら取り返しなんかつかなくなると知っているから。
だから、私は蓋をする。この感情を知られる訳にはいかないもの。
「ミホーク、さっきはごめんなさい。でも、次からは海図を」
微笑みながら紡いだ言葉は、最後まで紡げなかった。だって、ミホークの唇が私の唇を塞いでいたから。
それに対し、当然だけど嫌悪感なんて無いから、私はただそれを受け入れてしまう。その唇が静かに離れた時、動く唇から視線を逸らせなくなっていた。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まぬのならば、貰ってもよいな」
なんて言葉を返せば良いのかも分からなくて、でも拒むなんて選択肢は無いから、私は無言のままそれに頷く事で応えた。そして、身体から力を抜いて身を預けてしまえば、その後どうなったかはご想像の通りだろう。
─────☆
【ドフラミンゴ】
集中していれば時の経過なんて忘れてしまう。インクの匂いが、心を落ち着かせてくれる。
何も無かった白紙の世界に、生命を吹き込むようなこの行為が私は好き。さて仕上げだとインク壺にペン先を向けた時、机が叩かれたらしい衝撃で倒れてしまうそれ。
完成間近だった海図は、その瞬間ただの黒い水たまりができた物質に変わった。放心する私に向けられたのは、焦った声。
「悪気は無かったんだ。悪かった。……だが!もう3日だ。飯も食わずに描き続け「ごめん、今……話せない」」
涙を見せたくなくて駆け出した私を、ドフィは追い掛けては来なかった。そのまま私を気にしてくれてるベビー5の視線を振り切って、飛び込んだお風呂場。
その勢いのままシャワーを浴びれば気持ちは落ち着いたし、脱衣所にある着替えを見れば後でベビー5には謝らなきゃと思う。思い足取りのまま部屋に戻れば、突然延びてきた腕に捕らえられ腕の中に閉じ込められてしまった。
倒れたインク壺の中に、溢れたインクが戻る事はない。それと同じように、私の気持ちも溢れだしたら戻る事は無いだろうと自覚してるから、だから……こんなに優しく抱き締めないで。
「ドフィ……さっきは、ごめんなさい」
言ってから笑顔を向けた筈なのに、降ってくるのは甘い口付け。驚き硬直する私に、唇の隙間でドフィは言う。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
拒むなんて選択肢は初めからない。それを伝える為に、静かに頷いて身体を預けた。
新たな二人を描き出すインクは、こうして生み出されるのかも知れない。零れたのならば、新たに作り直せば良いのだと言うかのように。
─────*
【ロー】
紙の上を踊るように滑るペン先。充満するインクの匂い。
さて後は仕上げだと思えば、集中力が上がるのも当然。自分で言うのもなんだけど、結構いい出来栄えだわ。
「いい加減にしろっ!!」
突然声が聞こえたと思ったのは、目の前でインク壺が倒れたからだろうか。目の前でもうどう足掻いても修正のできなくなった海図だった物が、インクを恐ろしい速度で吸収していく。
何が起きたのかも分からないまま、呆然と顔を上げれば焦った顔してるのが見える。必死になって言葉を紡いでくれてるのは分かるけど、それを脳がその言葉を理解しきれてない。
今何かを言えば喧嘩になるのはわかってるので、泣きそうになるのを堪えて無言で私は部屋を飛び出した。その勢いのままシャワーを浴びれば、気持ちは落ち着いて……今度は申し訳なさが込み上げる。
自分も書類仕事とかするから、ダメになった時の苛立ちとかわかるのもあって、ローが気にしてないとは思えない。部屋に戻りながら、どうやって謝罪したら良いかなと考えていたらいつの間にか部屋に戻っていた。
インクの片付けが終わったその場所を見て、つい頬を緩めた時背後から伸びてきた腕に捕らえられてしまう。優しいその温もりに、ここで想いを溢れさせてしまえば、零れたインクが壺に返らないように、その想いも返る事は無いと知っているから口を噤んでしまう。
その代わりにと向けた笑顔は、多分いつものそれだろう。そうであって欲しいと願っている。
その刹那触れた唇。それを無意識の内に僅かな隙間を作り受け入れてしまった私に、ローは遠慮なく深めてしまう。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
唇が離れると同時に告げられた言葉に、私は無言で頷いて静かに身体を預けた。その後二人が部屋から出てこない事にクルーが気が付いたのは、いつになったのか……それは定かではない。
─────☆
【マルコ】
ペンが踊る。ミスするって意味じゃなくて、楽しく滑って行くって意味で。
この海図もしっかりと形になった時、皆に喜ばれるだろう。生まれた瞬間に喜んでもらえる存在を生み出せる幸福は、言葉にし尽くせない。
望まれて、生まれてくるのだ。必要とされて、生み出される存在は、本当に羨ましくも微笑ましい。
インクを求めてペン先を浮かせたその瞬間を狙ったかのように、物凄い振動が机に走る。それはインク壺を倒して、完成間近だった海図をただの紙屑に変えてしまう。
呆然としたのは、その犯人が謝ってくれたからだと思う。でも、同時に自分の感情が大きく乱れるのを感じてしまう。
「悪かったよぃ。台無しにするつもりは無かったんだが……」
ここで口を開いたら喧嘩になる。いくらマルコが優しくても、泣きながらつのられれば言い返したくもなるだろう。
それが分かるから、涙を見せない為に無言で立ち上がり駆け出す。そんな私を呼び止める声はなくて、気持ちを落ち着かせるのとインクで汚れた自分をどうにかする為に、お風呂へと駆け込んだ。
お風呂を出て髪を絞りながら部屋に戻るけど、その足取りは重たい。気持ちが落ち着いたら、罪悪感が半端ないのだ。
嫌われちゃったかな。怒ってないかなぁ……。
多分自分が声掛けられのに、気付いてなかったんだろうと今なら分かる。だから、切ない。
倒れたインク壺の中にインクが戻らないように、私の気持ちも1度溢れてしまえば止められない。だから、壁を作って来たのに、こんな形で脆さを見せてしまうなん……!?
部屋に入るのと同時に抱き締められて、兄としてのそれならば触らないでと言いたいのを我慢して微笑みかける。そんな私を見たマルコの唇が降ってくるのを確認して、なのに抵抗するなんて概念もなく受け入れてしまう。
そのまま貪られて居たけど、僅かに離れた唇の隙間で、マルコは言う。妙に色気のある声で。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにねェよぃ。拒まないなら、貰っていいな」
私は何も考えられずに、小さく頷いて身体を預けた。マルコも同じ気持ちだと言うなら、貰って欲しいと祈るように願うから。
─────*
【イゾウ】
脳内で数字が踊る。なのに実際目の前に描かれるのは、曲線なのだから不思議なものだと思う。
最後に寄った島の地図は描きごたえがあったけど、そこからここに至る迄の海図は更に楽しい。これがラストの海図。
残る仕上げを済ませる為にとペン先を紙に置いた瞬間、机が壊れそうな振動によりペン先がブレて変な線が入った。それと同時に倒れたインク壺から溢れてしまったそれは、完成間近だった海図を無価値な物に変えてしまう。
振動と同時に叱られたのは分かったけど、言語として認識できなかった。今、いつもは余裕の態度を崩さない彼が慌てて謝罪してくれてるけど、右から左へと抜けて行く。
「悪かった。……その、台無しにするつもりはなかったんだ」
今何かを言えば確実に喧嘩になる。今の私には、イゾウを気遣う余裕なんて無い。
何も言わずに立ち上がり駆け出した私を、イゾウは追っては来なかった。追われても何も対応出来なかったから、助かるんだけどさ。
シャワーを浴びて気持ちを落ち着けつつ、涙もお湯の中に溶かしてしまう。そうなれば残るのは、現実問題だけ。
どう考えても、私が声掛けられたりし続けて、なのに気付かなくて怒らせたんだわ。その時に事故が起きたのに、泣きながら逃げて来るとか……どんな顔で会えばいいんだろう。
お風呂を出て、どうしようと頭を悩ませながら部屋に戻る。するとドアを開けた瞬間に誰かの腕が私を捕らえて、離さない。
姿なんて見なくても分かる。ずっと、片想いしてる相手だもの。
でも、だからこそ駄目よ。インク壺と同じで、この想いも1度溢れたらもう止められない。
だから、私は微笑みを向ける。この想いは教えられない。
けれども何故か突然重ねられた唇。何が起きてるのかと困惑してるのに、拒むなんて選択肢を私は持ち合わせていなくて……。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
唇の隙間で囁くように言われて、私は何も考えずに頷いてしまった。そのまま身体を預けてしまえば、その先どうなるかなんてものは……火を見るより明らかである。
─────☆
【シャンクス】
鼻腔を掠める慣れ親しんだ香りは、良質なインクの物。使命感とか、義務感とか、そんなものは意識の中に無くて……ただ、真っ白だった紙に描き出されるそれが愛しい。
無から有へと変じる過程が、その為にある緊張感が心地好いの。必ず誰かに必要とされると分かりきっていて、求められて産み出されるそれは少しばかり羨望に近いものを抱かせる。
仕上げの為にインク壷へとペン先を向けた時、頑丈さがウリと言えるような机にヒビが入る。当然それは大きく机を揺らした訳で、インク壷が倒れてしまえばその結果は考えるまでも無い。
完成間近だった紙の上に広がる黒いシミ。湖のように湧き出るようにして広がるそれは、既に修正不可能だと誰の目にも明らか。
「あ、悪い。熱くなっちまって。……頼むから、少しでも水分補給だけでもし」
私は、言葉を最後まで聞く事も出来ずに部屋を飛び出す。他の誰かに会うかも知れない事を考えたら逃げ込める先なんて、ベックの部屋にあるシャワー室しか無いんだけど。
勝手に部屋に飛び込んでそのままシャワーを浴び始める私に、ベックは何も言わないのだから甘やかされてると思う。そうしてシャワーを浴びていれば、シャンクスへの罪悪感と自分への嫌悪感でいっぱいになる。
十中八九どころか、ほぼ間違いなく私が呼びかけられて気が付かないで居たんだろうと思う。そして、私を殴れないから机を壊しちゃったんだろう事も理解できるから、深い溜息と共にシャワー室を出る。
シャワーを浴び終えて出ると着替えが用意されていて、自己嫌悪に拍車をかけながらシャンクスの部屋に戻れば、謝罪の言葉が決まらない内に抱き締められてしまう。そうなればもう、言葉なんて何も出ない。
倒れたインク壺の中にインクが戻らないように、自分の心も1度溢れたら戻らないだろうと自覚しているから。でも、せめてと思い、嫌われたくなくて向けた笑顔。
その瞬間降って来たキスは、妙に甘い。それに動揺している隙に離れた唇は、美声を響かせるのだから狡いとしか言えないと思う。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
ここで謝罪したりしない所が、シャンクスらしい。そう思えたら笑えて来て、無言のまま頷いてそっと身を預けてしまう。
そうなればもう、その腕が私を離す事は無い。インクは戻らなくても、新たな世界はいくらでも描けると教えられた気がした。
─────*
【レイリー】
誰も居ない事を寂しいと感じる事はない。寧ろ……心を穏やかにしてくれている。
インクの香りが充満して、自分の手の動きに合わせたペンの奏でる音楽だけが響く。片想いの相手には、自分では太刀打ちできないような女性がいて、その人の事も大好きな自分にはそこへ割り込むなんて事は想像すらもできない。
けれども……こっそりと、ひっそりと、ただ想うだけなら、許されないかな。そんな秘めた想いの代わりに、表に描かれるのはレイさんが来た時に連れ出して貰った場所へと続く海図。
小さな想い出を積み重ねるように描き続け、残るは仕上げだけとなった時突然の振動が海図を襲う。それと同時に聞こえて来た怒りを爆発させたような声が私の身を竦ませて、その結果目の前で倒れるインク壺を見ている事しか出来なかった。
完成を目前にしたそれは、即座に何が描かれていたのかさえ分からない物へと変貌する。それを見て、泣きそうになる自分を自覚するのと同時に向けられた謝罪の言葉。
けれども、口を開けば泣いてしまいそうで……。私は無言のままに駆け出して、お風呂場へと逃げ込んだ。
頭からシャワーを浴びた瞬間、気持ちが落ち着いて全てを理解できてきた。1人だと思っていたから、驚いたのも多大にあった事実。
それよりも、まず先に脳裏を過ぎるのはやるせない現実問題。……レイさんが来てたのに、気付かないで海図を描き続けて、それにより叱られたのに謝罪も挨拶もせずに飛び出して来たのよね。
本格的に捨てられる予感に怯えつつ、どう謝れば良いのかと無い知恵絞って風呂場を出れば、涙の代わりに雫が落ちる。そっと出て来た筈の私を抱き締める、力強い腕。
その温もりに、縋りたくなってしまう。叶ってはいけない恋なのに、どうして……!
もしも1度でもこの想いが溢れたならば、倒れたインク壷にインクが戻らないのと同じように、黒い染みを作って人を不快にさせるだけ。元になんて、戻せなくなるわ。
そう思うからこそ、微笑みを浮かべる。全てを隠す為に。
その刹那、重なる唇。それを拒むなんて選択肢を、私は持ち合わせていなくて……自然と離れるその時まで、ただ、受け入れてしまった。
唇が静かに離れる時、僅かな隙間でレイさんが言う。その言葉は、魔力を持っているように、私には思える程。
「紙に滲んだインクと同じで、私の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいね」
拒まなければ、断らなければ。そう思うのに、シャッキーの顔が浮かぶのに、私は拒む言葉を口にできず、ただ俯いてしまう。
誘惑に……勝てない。私は、なんて、弱いのか。
「今は何も考えず、私に身を預けなさい」
その言葉は悪魔の囁き。けれども誘惑に負けた私は愚かにも頷き、レイさんに身体を預けてしまった。
─────☆
【クロコダイル】
海軍からの贈答品だと言われて渡されたインクは、最高級品だったと思う。クロコダイルに品質の悪い物を渡すわけも無いと分かってはいても、こうして実感すると違う事もある。
ペンが良い意味で滑る。踊るように、思い描いている通りの物が描けることにより、楽しくて……後少しで海図が描き上がるわと浮かれていた。
そんな時に、突然襲って来た振動。慌てて手を伸ばしてインク壺の転倒を防ごうにも、同時に聞こえてきた怒号により身が竦んでしまった。
「いい加減にしろ!」
大切な人だからこそ、嫌われたくなくて……。滅多に怒らない人だからこそ、その怒りが怖い。
そんな事を思ってる間に倒れたインク壺からは、当然中身が溢れ出てしまう。その結果は当然ながら、誰の目にも明らかなゴミの完成である。
それを見たクロコダイルは眉を寄せて、1見すると不機嫌そうに、けれども実際はなんと言っていいのかと困惑してるのは分かる。その位の付き合いはあるもの。
「……その、悪気は、無かった。……悪かった」
その言葉を受けても尚、思考の停止しかけてる私は現実を受け入れられず、泣くまいと努力しつつも駆け出していた。クロコダイルから逃げられる場所は多くないから、結果的に風呂場に逃げ込んだけど。
頭からシャワーを浴びれば冷静になる。謝る事なんて奇跡に近いクロコダイルのそれを無視して逃げて来た現実に、嫌われて捨てられる自分の未来が鮮明に浮き彫りになるばかり。
涙の代わりに髪から雫を落としつつお風呂場から出れば、濡れてるのを厭わずに抱き締めてくる腕があって、再び泣きそうになる。だって、私の想いが知られたら、面倒そうに顔を顰めて追い出そうとするでしょう?
それなら寧ろ、渇きを与えられた方がマシなのに……。そう思っても言える筈もないから、精一杯の笑顔を向けた。
その瞬間、落とされた唇。それに驚きはあっても、拒むなんて選択肢は持ち合わせてなくて……。
そっと唇が離れた瞬間に、唇の隙間で囁くように言葉を向けられる。それは、あまりにも予想外なもの。
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
「私の全ては、拾われたその時からずっと変わらずに……」
「もう、黙れ」
言葉とは裏腹に、少し耳を赤くしてる姿が愛しくて、私は静かに身体を預けた。その後の事は、推して知るべしだろう。
────*
【ベックマン】
今、自分の神経が全て目の前にある物へと集約されているのがわかる。良い意味でペンが滑り、舞うように、踊るように、新たな線が描き出されていく。
楽しい、嬉しいと心が歌うのを自覚して、だからこそ描かれる海図が美しい。思い描いている通りに描ける幸せに、心が踊る。
ペンが紙の上を走る音と、インクの匂い、風が髪を揺らす感触しか感じない。そんな中突然割って入った感覚は振動で、驚いた私の耳に飛び込んできたのは怒号だった。
「いい加減にしろ!」
その声に、肩が揺れる。ビクリと震える身体は、何とも情けない。
でもそれは、大切な人に嫌われたくないと言う防衛本能。そんな事を考えている間に倒れていたインク壺が中身を放出させてしまえば、完成まで秒読みだったそれは儚くも消える。
それを見て眉間に皺を寄せる顔は、慣れない人には不愉快そうに見えるのも分かっていて、けど本当は動揺して思考を巡らせている顔。それから細く吐き出された息は、理性を取り戻そうとしてくれてる証拠。
「悪かった。台無しにするつもりはなかったんだ。……もうかれこ」
言葉の途中なのは分かっていて、なのに最後まで聞いていたら泣き出すと分かるから駆け出した。逃げるように……と言うより、完全に逃げの1手。
そのまま逃げ込める先なんてそんなになくて、結局お風呂場に到着したからとシャワーを頭から被る。お湯じゃなくて水を出した事で、頭が冷えて正気に返った私は、自分の愚かさに絶望して泣きたくなって来た。
とりあえず風邪ひいたりしたら、それこそ目も当てられないからとお湯を出し直して自分を磨き上げながら、ベックにどう謝罪したら良いかなと考える。ベックがあれ程怒ったからには、多分数日は経過してるだろう事も分かってしまったから。
部屋に戻り溜息を落としつつベッドに向かえば、突然伸びて来た腕に抱き締められてしまう。それだけで、隠していると決めた感情が溢れそうになる自分を自覚してしまうの。
倒れたインク壺に、インクが戻る事が無いのと同じように、私の想いも1度溢れてしまえば二度と戻りはしないと分かっている。だからこそ、私はそれを隠して微笑みを浮かべた。
その刹那、重ねられた唇。それを突き放すなんてできなくて、でも、受け入れてしまえば全てがバレてしまう。
「そんな泣きそうな顔で笑われて、いつまでも知らないフリができるような紳士じゃねェんだよ、俺はな」
「ベック……?」
「紙に滲んだインクと同じで、俺の想いは消せそうにない。拒まないなら、貰っていいな」
唇の隙間で言われた言葉。それに返事をする事なんてできなくて、ただ、小さく頷いて身体を預ける。
その後抱き上げられたと思ったら、運ばれるのは先程1人で行こうとしたベッドで。その意味が分からない程、私も子供ではない為に全身が茹だるのを自覚しながらも、身を硬くする他には何も出来なかった。