109話 エロスの手解き
金城光太郎──。
ちゃんと覚えた。
久しぶりに、他人のフルネームをちゃんと記憶した。
それだけ、
まあ、多分だが……。
いずれにせよ、彼は美しい──。
そして、不思議なエロさがある。
十二歳から描き続けている自画像シリーズは、七生がエロスを理解できない不完全な女だったために頓挫してしまったが、彼であれば描ける。
七生は、もう一度、絵画の情熱を思い出すことができる。
絶対に描きたい。
いや、描かなければならない──。
七生には彼が必要なのだ──。
その光太郎から指定されたのは、土曜日の午前中に美術部の部室で待てということだ。それがその金城光太郎が絵のモデルになってくれることの条件だった。
あるいは、七生に、エロスについて教えくれるかだ。
光太郎が言ったのは、土曜日の午前中に美術部の部室を訪ねる男子生徒に指示に従えということだった。
それが誰であるのか、結局、金城は最後まで口にしなかったが、彼がとても信頼している人物だという雰囲気はあった。
そして、その男が七生に、エロスを教えてくれるそうだ。
だが、無理だと思う。
七生は、エロスを理解するために、男子生徒に抱かれてみたし、その中には学園でもっとも人気のある男子生徒である加賀豊も含んでいる。
どの女子生徒も、その加賀のことを好んでいると口にしていたし、彼は男として非常に優秀なのだそうだ。
だから、七生がエロスを学ぶのであれば、彼ほど適任はいないと思ったのだ。
しかし、なにも心に感じなかった。
破瓜は痛かったが、それだけであり、悦びとか愛おしみとか、愛情のようなものはひと欠片も抱くことはできなかった。
もしかしたら、相性がよくないだけかと思って、男子生徒とも試してみた。
結果は同じである。
セックスというのは、口づけをして、胸を触られ、股間を愛撫され、性器に男根を突っ込まれて、男の射精を受ける。結局はそれだけのことだった。
よく言わている快感のようなものは、ほとんど感じなかった。
ただ、生々しいものが膣の中で放出されて、気持ち悪いなと思っただけだ。
五人の男子生徒とのセックスで得るものはなかった。
唯一よかったのは、最初のセックスが加賀豊だったのだが、その後、これからも相手をしてやろうとしつこく迫られていていたものの、立て続けに五人の男子生徒と関係を持ったことで、“ビッチのマグロ女”と彼に罵倒され、その後言い寄られなくなったことだ。
意味のないセックスなど、面倒だし、時間の無駄なので、興味を失ってもらったのはよかった。
ただ、ビッチという言葉の意味は最近やっとわかったが、マグロ女の方については、まだ意味がわからない。
まあ、どうでもいいけど……。
とにかく、多分、自分は女として、なにかが欠けているのだろう。
五人の男子生徒との性交を試して、七生が出した結論がそれだった。
自分にはエロスは理解できない──。
だから、七生はエロスの先にある美しさというのが描けないのだ。
失望した──。
途方に暮れた。
しかし、途方に暮れていたときに見つけたのが、金城光太郎だ。
彼は美しかった──。
エロスを感じた。
心が震えた。
彼を描きたい──。
どうしてもだ、
そして、説得に説得を重ねて、光太郎はついに応じてくれた。
ただし条件があり、まず最初に、光太郎が紹介する男子生徒に、七生は身を委ねろということだった。
光太郎が主張することによれば、その男子生徒に完全に身を委ねれば、七生はエロスを知ることができるらしい。
だが、無理だと思う。
七生が女として欠けているのは、すでにわかっているのだ。
だが、その男子生徒とセックスをして、七生が結局エロスが理解できず、さらに、その男子生徒が光太郎に命じれば、そのときには光太郎はヌードモデルになろうと約束をしてくれた。
光太郎は七生の絵を知っていて、どんな結果になっても、七生が芸術を追求するのを手伝いたいとも、最終的には口にした。
ならばいい。
最終的に、あの不思議な魅力を持つ光太郎という人間を描かせてくれるのであれば、七生をしては満足だ。
言質はとった。
光太郎は、その男が命じればという条件を口にしたが、それは必ず言わせてみせる。
そして、七生はこうやって、土曜日の午前中の美術部室で待っているというわけだ。
ほかに部員はいない。
光太郎は、七生とその男子生徒が会うにあたり、誰もやってこない場所を求め、七生が美術部を提示した。
もともと、週末の土日に美術部としての活動はなく、休日に訪れる部員は七生くらいなのだが、美術部には使用できる部屋が三部屋あり、その中のひとつを七生の専用のアトリエとしてもらっているのである。
そこなら、ほかの者が来るはずはないと説明した。
文化部の集まる文化部棟とは異なる移動教場の集まる建物であり、授業のない休日は、七生を除き、建物自体が無人になる。
そう説明すると光太郎は了承した。
部屋には暗幕がしてある。
その男子生徒というのがいつ現れるのかわからないが、それまで暇にするのももったいないので、七生は準備したキャンパスにクロッキーで王太郎を描いている。
昨日の茶会で接した彼の不思議なエロスを思い出しながら……。
すると、部室の前に人の気配がしたので、七生は鉛筆を置いた。
話し声がする。
「玲子さん」、「監視している」、「連絡」……。そんな単語が聞こえた。そして、複数あった人の気配がひとりに減り、廊下を遠ざかっていく足音がした。
開き戸の扉が外から叩かれ、七生が返事をする前に扉が開いて、ひとりの男子生徒が入ってきた。
七生は眼を見張った。
その男子生徒のことを知っていたからだ。
「坂本真夫……。もしかして、光太郎様が身を委ねろと告げたのは、あなたなのか?」
七生は言った。
すると、向こうも驚いたような表情になった。
「ひかりちゃんから、あなたはほとんど他人の名前を憶えてないと言っていたけどね。俺の名前を知っていたのはびっくりした。逆に、俺はあなたのことを知らなかったから」
「あなたは目立つからな。それに、わたしだって、興味を抱いた対象の名は覚えている。あなたの名はなんとなく覚えていた。ところで、ひかりちゃんというのは誰だ?」
「七生さんを……いや、七生を俺に紹介した相手だよ。金城光太郎……。俺たちはひかりちゃんと呼んでるんだ」
真夫が扉を閉め、さらに内側から鍵を掛けた。
そして、近くまでやってくる。
七生は、やってくる何者かのために、七生がキャンバスに向かっている正面に、折り畳み椅子を一脚準備していたが、真夫はそれには座らずに、七生のそばに立った。
「俺たちとは?」
「仲間だね」
「仲間か。ふうん……」
どういう仲間なのだろうと思ったが、すぐに、どうでもいいことだと思って訊ねるのはやめた。
だが、光太郎が七生に紹介しようとしたのが、この真夫だというのは意外だ。
金城光太郎以外にも、七生が創作意欲を沸かせた相手が幾人かいる。そのひとりが目の前の真夫だったのだ。
すぐにモデルにしたいと思ったという点では、光太郎に対するほどのものはなかったが、エロスを感じる生徒として、なぜか七生の記憶に残っていた。
「ねえ、真夫と呼んでもいいだろうか? それとも、ちゃんと敬語を使った方がいいか? あまり畏まった物言いはしたことがないので面倒なのだけれど、やろうと思えば敬語も使うことができる」
「言葉はどうでもいい。好きなように喋ればいいよ」
「それはありがたい……。ところで、最初に言っておくが、わたしは会話が苦手だ。だから、他人からすると、ちょっと唐突な物言いに感じることがあるようだ。それを踏まえて、聞いて欲しいけど、真夫にヌードモデルになってもらえないだろうか」
七生は言った。
真夫が面食らった顔になる。
「ひかりちゃんには、七生がモデルにしたいのは、ひかりちゃんだと教えられたけど?」
「そうだけど、君でもいい。いや、君もいい──。君には不思議なエロスを感じる。金城様……、わたしも、ひかりちゃんと呼んでもいいかな……。もちろん、ひかりちゃんも描きたい。しかし、いま、君も描きたくなった。君にはエロスを感じる」
「エロスねえ……」
真夫は笑ったような顔になった。
なんとなくだが、機嫌がいい気がする。
もしかしたら、了承してくれそうだ。
「まあいいか。ただし、ひかりちゃんには、君にエロスを教えてやってくれと言われている。俺に七生を愛させてくれたら、モデルにでもなんでもなってやろう」
「ああ、それは無理だ」
「無理?」
「無理だ。すまない。わたしは誰かを愛したり、愛おしむというような感情に欠けているようなのだ。実際、五人試した。わたしには、どうしても愛というのがわからなかったよ」
「だから、駄目だと?」
「そういうことだな」
「なら、仕方ない。同意がなくても、無理矢理に愛することできるしね。どちらかいというと、正直、そっちの方が趣味かもしれない。俺は支配して抱く。縛って拘束し、苛めながら愛でる。それが俺の好きな愛し方でね」
気がつかなかったが、真夫はスポーツバッグを持ってきていたようだ。
いまは床に置かれていたが、彼がそのバッグの中から、どす黒く変色したたくさんの縄束を取り出す。
縄──?
真夫は、取り出した縄束のうちのひとつを手に取ると、残りを無造作に床に置いた。
七生は面食らった。
「縄でなにをするのだ? あっ、いや、多分、わたしを縛るのだということは、なんとなくわかるのだけど、意味がわからなくて……。君に従うというのは、ひかりちゃんと約束したので、逆らうつもりはないが、できれば納得させて欲しい」
「さっき言ったとおりだよ。縛って支配する……。支配して、無理矢理に愛する……。サディストという言葉を耳にしたことは?」
「サディスト……? ない──。ただ、ちょっとわかってきたけど、もしかしたら、真夫は愛するという言葉をセックスの意味で使っているか?」
七生は訊ねた。
すると、ちょっと儀式めいたように威圧的な態度を振るまっていた真夫は、一瞬きょとんとなった。
そして、噴き出した。
「確かに……。なるほど、ちょっとちぐはぐな感じだったのは、そういうわけか……。なら、言い方を変えないとね。縛ってセックスをする。それが俺の愛し方……。いや、セックスのやり方だ」
「そういうことなら、縛らなくてもいい。セックスは問題ない。だけど、さっきも言ったが、わたしは、セックスに快感を覚える方ではないらしいので、君に申し訳ないと思うだけだ……。とにかく、セックスだったな。服を脱ごう」
七生は制服のスカートのホックに手をかけた。
だが、真夫の手がそれを阻んだ。
「どうかしたか? セックスではないのか?」
七生は、手首をつかんだ真夫に視線を向ける。
真夫は、縄束を掴んだままだ。
すると、そのまま手首を力任せに背中に持っていかれた。
「わっ」
体勢を崩してしまい、七生はその場に跪いてしまった。
すると、真夫の両脚で腰の両側を挟むように押えられ、反対の手の手首も掴まれて背中に回される。
あっという間に、両手首が背中でひとまとめに縛りあげられた。
「な、なんで……? 別に縛らなくても、セックスは応じるのに……」
「だけど、七生はセックスの先にあるエロスを知りたいのだろう? そういえば、ひかりちゃんによれば、七生は、裸とは芸術であり、エロスであると言ったらしいね」
真夫が言った。
そのあいだにも、どんどんと上半身に縄がかかっていく。手首を縛りあげた縄が前にまわって、制服のシャツの上から胸の膨らみを二重三重と縄で締めあげられる。季節的にジャケットは着ていない。シャツの下はブラジャーだけだが、乳房を絞り出すように縄が掛けられていく。
二の腕にも縄がかかった。
七生は完全に両腕を縄で胴体に密着させられてしまった。
肌を圧迫され、身体を締めつけられる感触に、不思議な緊張感が走った気がした。
なぜ、縛られただけで、こんなに落ち着かない気持ちになってくるのか、七生は自分のことながら、ちょっと不思議に思ってしまった。
「七生、聞いているか?」
真夫が七生の耳元で問いかけてきた。
はっとした。
一瞬、ぼうっとしていたみたいだ。
「な、なんだい、真夫? すまない。もう一度訊ねてくれないか」
「裸とは芸術であり、エロスであると言ったのかと訊ねたよ」
真夫が笑った。
そして、七生は跪いていた身体を引き起こされて立たされた。
真夫が縄を掴んで、部屋の真ん中くらいに引っ張っていく。
とりあえず、七生は、真夫に移動させられながら頷いた。
「言った。だけど、わたしにはエロスがわからない……。残念ながら、わからなかった」
「なら、教えてあげるよ。エロスをね……。まずは、縄の味を覚えてもらう……。ところで、縛られて不安を感じているみたいだね……。どうやら、感じやすい身体をしているみたいだ」
真夫はまた、くすくすと笑った。
「い、いや、わたしは感じない性質らしくて……。その男子生徒にも、それで呆れられて……」
「それは、ただ、彼らが七生の快感をうまく引き出さなかっただけだよ……。君は拘束され、縛られて犯されることで感じるようだ……。そういう性癖を持っている……。だから、普通に抱かれて感じなかったんだ。まあ、ざっくばらんに言えば、そいつらが下手だったからと言い換えられるかも」
「下手って……。あ、あのう……。つまりは、もしかして、真夫はわたしにセックスの快感を教えてくれることができるのか? セックスの向こうにあるエロスを……」
七生は後ろ側にいる真夫に顔を向けた。
もしもそうであれば、いままで行き詰っていたものが解決できるかもしれない。
諦めていたエロスを知ることができる……。
七生は、もっと一段階上の高みに進むことができるかもしれない……。
そもそも、真夫がさっき口にしたことは、七生には思い当たるものがある。
縄で縛られて、いまなぜかすごく不安な気持ちになっていた。
ひどく喉が渇く気分だし、身体が熱い気もするのだ。
でも、それがなにかわからない……。
「セックスはエロスだ。それは間違いない……。でも、エロスはそれだけじゃない……。縄で縛られる……。それだけでエロスを感じるはずだ……。それを教えてあげるよ……」
真夫が解いた別の縄束を持っていて、それを解いて天井に向かって投げた。
この美術室には、天井側に梁の横材があり、それに縄を掛けたのだ。しかも、いつの間にか、後手に縛った縄に梁に投げた縄の縄尻が繋げてあり、真夫が梁を通しておりてきた縄を思い切り引っ張ると、七生の身体がぐいと持ちあげられた。
さらに引っ張られて、靴が爪先立ちになる。
その状態で固定された。
「な、なにを……」
もう七生はほとんど動けない。
身体を揺することはできるが、前後にも左右にも足を踏み出すことは不可能になった。
さらに不安感が大きくなる。
「どんな気分になった、七生?」
真夫は七生の前に立った。
また、別の縄束を持っている。
それを解いていく。
「わ、わからない……。とても、不安だ」
「その不安が快感に変わっていく……」
真夫の手が制服の腰のホックにかかった。
あっという間に外されて、スカートが足元におちる。
スカートの下には下着以外には身に着けてない。
真夫が解いたばかりの縄を二重にして、七生の腰の括れに巻きつけ、身体の前側で結んだ。
その縄尻を持って屈み込む。
いつの間にか、二重にした縄に三個の縄瘤が作ってあった。
「か、変わるって……?」
七生は自分の声が震えていることに気がついた。
こんなことは初めてだ。
そもそも、いったいなにをされるのか……。
真夫が七生の股間に腰から落とした縄を通す。
すると、後ろに回った真夫がその縦縄を思い切り引き絞った。
「あっ──」
襲ってきた感触で、七生は無意識に両脚を捩り合わせていた。
だが、すでに縄が股間に強く喰い込んでいる。
しかも、さっき見えた縄瘤だ。
それが七生の気持ちのいい場所を強く圧迫して、不可思議な感覚を生み出した。
「な、なに、これは──? なに──?」
七生は、襲ってきた痛みとも痺れともつかない感覚に、腰の力が一瞬にして抜けてしまった。
だが、その途端に股間に襲う疼きが一気に拡大する。
慌てて、爪先に力を入れて腰を上にあげる。
「股縄を味わって、まずは女であることを思い知ってもらう……。エロスを教えるのはそれからだ」
真夫が再び前に回ってきた。
持ってきたスポーツバッグを引き寄せる。
取り出したのは、黒いアイマスクとヘッドフォンだ。
「まずは、目隠し……」
真夫がまず、七生から眼鏡を外して横の台に置き、アイマスクをさせる。
視界が消滅する。
「あっ」
一気に不安感が拡大する。
「……次に、このヘッドフォンをつける……。すると、一切の音が完全に遮断される。視覚と聴覚を奪われると、人間は極度に触感が敏感になる。股縄をゆっくりと味わうといい……。まずは、君が本当は、とても感じやすい女であることを認識するんだ」
真夫が七生の耳にそのヘッドフォンを嵌める。
その途端に、七生から一切の音が消滅した。