131話 ロックオン
その夜、
ついに……。
ついに、やってしまったのだ。
だが、後悔はない。
あの金城光太郎にやった行為が、柚子になにをもたらすのは、一切が不明だ。なにしろ、相手はあの金城財閥の御曹司である。
それをあんな風に装着されていた淫具を勝手に動かして、解除できないように細工をしてから追い返したのだ。
きっと、柚子に手酷く仕返しをするのだろう。
学園の双璧の生徒の片割れである彼が、いかなる経緯により、何者かに性的調教を受けるような立場になったのかは知らない。
この学園に管理しているデータバンクに、女生徒たちの破廉恥な映像を隠し撮りしていたということを知ったのも偶然のことだ。大きな組織が裏に潜んでいるというのは間違いないだろう。
どんな背景があるにしろ、その者たちは、金城光太郎ほどの少年を、あんな風に支配できるのだ。
それに敵対するような行為をしたのだ。
当然に、柚子に報復があるのは間違いない。
どんな目に遭わされるのだろう。
考えるだけで怖い……。
しかし、一方で、それを待ち望んでいる柚子もいる。
少なくとも、明日からの日常は、これまでの退屈な日常とはまったく異なるものになるのは間違いない。
それが破滅だとしても、柚子は心からの興奮と充実感を味わうことができるだろう。
寮の自室のベッドに横になっている柚子は、胸のどきどきが収まらず、とてもじゃないが今日は眠れないような気がした。
柚子は物心ついて以来、およそ、なにかに執着するという経験がほとんどなかった。
なにかに興味を持つということもなかったし、興味を持ちたいともあまり思わなかった。
勉強はできる──。
ほかの子が苦労して試験勉強をしている傍ら、一切、学校以外の場所で宿題以外のことをしたこともない。
覚えなければならないことは、一度教科書を読めば全部暗記できるし、試験を受けても、解き方がわからないという経験はない。
もっと勉強をして、必要以上のことを覚えようという気もないし、試験で必要な成績をあげることはまったく苦労なしにできる。
しかし、まったく苦労しないということは、実に退屈なことなのだ。
おそらく、自分には欠陥があるのだろう。
柚子は自分自身について、そう思っていた。
だから、なにか心の底から熱中できることを探したいと思っていた。
色々とやってみた。
例えば、ハッカーだ。
ネットを通じて、官公庁や企業のセキュリティを突破して、内部情報にアクセスする。
最初はうまくいかなかったから、それに挑戦しているあいだは愉しかったが、すぐに柚子は、大抵のセキュリティを簡単に突破できるようになってしまい、ハッキングも柚子の退屈を解消してくれるものではなくなった。
映画──。
音楽──。
小説──。
もちろん、のめり込めるものを探して試した。
その中で、小説は、その文章世界に入ることで、非日常を体験できるという点では、わりかし面白いとは感じた。
柚子の性に合ったのが読書だ。
従って、文学に触れるというのは、柚子が見つけた興味を持てるもののひとつである。
一度読めば、その書物の内容を忘れることがない柚子だったが、新しい作品に触れればまた、その時には愉しめる。
周りの者たちは、柚子のことを無類の読書好きだと評しているとは思うが、実際には、それくらいしか愉しいと思うものがないので、暇があれば読書をして文学に触れているだけのことだ。
消去法の結果であり、少なくとも、柚子は特別に自分が読書好きとは思ってない。
そんな退屈な日常の中で出会ったのが、「SM」という倒錯愛だ。
あれは、『団鬼六』という作者の書いた官能小説だったが、柚子はそれがその手のジャンルだとはまったく思わずに読み始めたのだ。
その結果、柚子はすっかりとのめり込んでしまった。
興奮した──。
こんな「行為」があるのかと思った。
そして、柚子はその手の書物をとにかく大量に読み漁った。
ますます、その淫蕩の沼に嵌った。
やがて、実際にやってみるようになった。
最初はささいなことからだ。
下着を身につけずに、授業に出る──。
自室で自分を拘束──。特殊な電子キーを作って、時間が経たないと解除しないようにセットし、全裸姿で自らを放置して過ごす──。
さらに自縛行為を発展させ、誰もない放課後の教室で同じことをしたりした……。
あれは興奮した。
官能小説のヒロインになったつもりで、自分にイチヂク浣腸をしたりもしてみた。
そして、トイレにはいかずに限界まで我慢するのだ。
信じられなくらいにつらかったが、そんな辱めを受けているのだと想像したら、気がつくと股間はびっしょりになっていた……。
柚子はますます、そんな「セルフSM」に没頭していった。
どんなものにも執着することのできない柚子の退屈は日常は終わった……。
柚子は、そんな自ら変態行為をすることのとりこになった。
そんな秘密の倒錯行為を過ごす中で偶然に知ったのが、金城光太郎という三年生の男子生徒だ。
その発見はまったくの偶然だった。
ぎこちない歩みで暑くもないのに、妙な汗を掻いて学園の廊下を進む彼を見たのだ。
周囲の生徒たちはまったく違和感を覚えなかったみたいだけど、柚子ははっとした。
もしかして、柚子が読み漁っているSM小説のような内容をしているのではないかと思ったのだ。
後をつけて、すぐに彼がSS研というサークルに所属していることを知った。そこには、多くの女生徒が属していて、男子生徒は彼のほかに、少し前に有名になった三年生の編入生の坂本真夫という男子のふたりがいることもわかった。
それだけでなく、集まっているのは学園でも結構有名な生徒ばかりだ。
女子サッカー部主将の前田明日香──。全国的なコンテストで幾度も優秀な評価を受けている美術部の世良七生なんかも、ごく最近に入部したりしている。
柚子は羨ましいと思った。
また、その金城光太郎を探ったことで、遠隔の電波が彼に繰り返し送られ、そのたびに、彼が姿勢を崩す様子も見た。
柚子は光太郎が「調教」されているのだと確信した。
いったい誰がやっているのだろうと探ろうとして、学園の生徒資料にアクセスしているうちに、学園内の破廉恥な映像データも見つけたりもした。
生徒会長の西園寺絹香が双子の侍女を「プレイ」している映像も見た。
その絹香もSS研だ。
「ご主人様」役は、絹香だろうか……。
だったら、柚子も同じような立場になりたい──。
それは、強い願望になった。
そして、すぐに機会は訪れた。
その金城光太郎のサロンに招待をされたのだ。
柚子は光太郎に接触した……。
そして……。
いまは、あのサロンが終わった日の夜である。
寮の消灯時間は過ぎていて、部屋の明かりも豆球だ。
あれだけのことをしたから、すぐに連絡があるかと思ったが、今夜については、なにも接触はなかった。
だが、明日には向こうから来るだろう。
柚子に仕返しをしないというのはありえない。
いずれにしても、学園内でああいうことを愉しんでいる集団がいることを発見したのは幸運だった。
おそらく、SS研そのものが、そういう倒錯する性愛行為の舞台になっていることは間違いない。
少し前から、あのSS研が怪しい行為をしているのではないかという噂はちらほら出ていたのだ。
だったら柚子も参加したい──。
調教して欲しい──。
興奮させて欲しい──。
それにしても、あの光太郎を淫具で調教するなんてことをやっていた主導者は誰なのだろう?
本命は、西園寺絹香だ。
彼女が侍女に性的悪戯をしている映像があったからだ。
あんな真面目な生徒会長が、裏で男子生徒にSMプレイを強要しているというのは意外でしかないが、あの映像が証拠だ。
しかし、別の者だという可能性もある。
たとえば、絹香を継いでSS研の部長になった坂本真夫とか……。
まあ、誰でもいい……。
柚子に淫らな命令を与えてくれるのであれば……。
「……ああ、ダメ……」
とてもじゃないが寝れないことを悟って柚子は起きあがった。
時間はそろそろ深夜と呼べる時間である。
柚子がいるのは、A級生徒の女子寮であり、当然にひとり部屋だ。全室にシャワー室とトイレが完備されているが、柚子が向かおうとしているのは、廊下に面する共有トイレだ。
今夜のように、どうしても身体が火照って休めないときには、部屋を出てその共有トイレの個室で自慰をするのが最近の柚子に日課だった。
そういえば、その姿を隠し撮りされていたんだっけ……。
あんな淫らでエッチなことをしていたのを誰かに見られて、撮影までされていた……。
それを思い出すと、異常に神経が昂ってくる。
いつものように裸になる。
今夜はどんな格好で行こうか……。
こんな時間に廊下を歩く者は皆無だ。個室にトイレがあるのに、わざわざ部屋を出て廊下のトイレに行く者がいるわけがない。
だったら、このまま全裸で挑戦するのはどうだろう……?
もしも、警備員にでも見つけられたら……。
危険が少ないとはいえ、わざわざ自ら全裸になって、廊下を歩こうとしている自分が怖くなる。
でも、身体が動いていた。
廊下に出る……。
音が鳴らないように扉を閉めた。
自動で鍵がかかるが、指紋がキーになっていて、ロックは解除できる。なにも持たなくても戻って来れるのだ。
廊下を全裸のまま歩く……。
いつものように人の気配はない。
静まり返っている廊下を進むのは心臓が爆発しそうだ。
誰かに見つけられて、それをネタに脅迫される……。
想像する……。
すると、あっという間に柚子の股間がべとべとになるのがわかる。
そうだ……。
今日は、ここじゃなくて、一階上のトイレまで行こう……。
柚子は階段に差し掛かった。
そのときだった──。
真っ暗だった廊下が突然に明るくなる。
「きゃっ」
思わず声をあげてしまい、慌てて口をつぐむ。
すぐに股間と胸を手で隠して、身体を縮める。
だが、人の気配はない。
すぐに、部屋に向かって戻る。
廊下にも人はいない。
指をロック解除のためのセンサーに置く。
「えっ?」
だが開かない──。
部屋番号を確かめる。
自室に間違いない。
もう一度、指をセンサ―に当てる。
やはり、開かない。
「えっ、どうして……?」
困惑した。
どうしよう……。
すると、足音が聞こえてきた。
さっきの階段だ──。
誰かがあがってくる……。
周りを見回す。
隠れる場所は、トイレくらいしかない。
柚子は足音を立てないように、急いでトイレの中に逃げ込んだ。
個室のひとつに身を隠す。
あえて、鍵もかけないし、扉も閉めない。ただ隠れるだけだ。もしも、警備員がトイレに入ってくれば、こんな時間に個室に入っている生徒を見つけたときには、かなりの確率で確認する。
それよりは、こうやってやり過ごしてくれる可能性を待つ方がいい。
しかし、どうして、自室の扉が開かなかったのか……?
まさか……。
そのときだった。
柚子は足元から、なにかの気体が噴出されていることに気がついた。エアが漏れるような音が聞こえたのだ。
なに──?
驚いて、どこからその音が聞こえるのか探ろうとした。
だが、突然に身体の力が抜けた。
「あっ」
トイレの床に尻もちをついてしまった。
さらに身体が弛緩していく……。
気がつくと、柚子は床に身体を預けて、微睡みの中に意識を吸い取られてしまった。