174話 深窓の令嬢の正体
煮ても焼いても喰えぬもの──。
それが公家というものだと、玲子は思っている。
民主主義の拡がりというこの国の歴史の流れの中で、確かに、表向きには公家も、華族も消えてしまったが、実際には厳然として存在を続けている。
財閥といわれている存在もそうだ。
これもまた、表向きには解体されたことになっているが、豊藤財閥は国際社会を操る巨大経済組織として存在しているし、ひかりの実家の金城家のように、はっきりと財閥を名乗る旧財閥もある。
いずれにしても、公家というものは、従来権威だけはあるが、武力もなければ、富力もない。だが、気位の高さと情報操作を武器に、力を持っているものを操ったり、操られたりして、長い歴史を生き抜いてきた。
それが公家だ。
九条あゆみは、真夫や金城光太郎よりも二歳年上であるが、まだ二十歳にすぎない。
それでも、彼女は、曲がりなりにも、そういう魑魅魍魎が当たり前の世界で育った女性には違いないのだろう。
だから、ねじ曲がっている。
それが、玲子のあゆみに対する印象だ。
いずれにしても、いま、玲子がいるのは、その九条あゆみが指定した都市部にある平屋の建物の中である。
九条家の本宅は京都になるので、こちら側には本宅はないのだが、便利なので家として、こういう家屋を数件構えているそうだ。まあ、都心部にある別荘という感じだろう。
ちなみに、首都の大学に通うあゆみは、タワーマンションの一室を借りてひとり暮らしの住居としているようだ。
名家とはいえ、いまの九条家には、都心部のタワーマンションを娘のために借りてやる財力などないのだが、それを工面しているのは、あゆみの個人的な私財によるものだ。
経済学部の学生でもある彼女は、やり手のデイトレーダーでもあるらしく、玲子の調べたところ、彼女の個人資産はすでにかなりの額になっている。
まあ、だからこそ、小うるさい実家から離れて、ああやって、ひとり暮らしをして独立するということができるのだろう。
「お待たせしたな、玲子殿」
九条あゆみが現れた。
以前に会ったときには和装をしていたが、今日は清楚な雰囲気の品のいいワンピース姿である。
また、和装の三十代と思われる女性を侍女のように連れている。
玲子が待っていたのは、畳の上に置かれた椅子とテーブルの部屋だ。立ちあがった玲子に座るように手で促し、あゆみについては当然のように上座側に腰掛ける。
「それほどでもありません」
待たされたのは三十分くらいだろう。
金城家でもそうだったが、貴人というものは、待たせることで自分たちの矜持を確保する。招いた場所に訪問してきた客ではあるものの、たった三十分しか待たせないというのは、十分な対応には違いない。
ただ、この面談に先立ち、玲子は、ある映像を事前にあゆみに送りつけていた。
それを見ているはずだが、平気で待たせるし、いまも少しも動じた気配はない。
なかなかの女だとは思う。
「お送りした映像はご覧になりましたか?」
玲子は単刀直入に言った。
彼女と会うのは、これが三回目だ。最初の一回目は、金城光太郎との婚約についての話であり、彼女と会うというよりは、彼女を含めた九条家の代表者と話をするというかたちである。
それで決まったのは、表向きには、九条家と金城家の婚約、つまりは、金城光太郎と九条あゆみの婚約を継続し、おそらく、ひかりが大学を卒業後になると思うが、婚姻の形式を踏むということだ。
実際には、ほぼ女性であるひかりだが、戸籍では男性だ。
かたちだけなら、婚姻に問題はない。
だが、実際には、金城光太郎については、ひかりとして、真夫の愛人になる。
ひかり自身は、婚約の解消を願い、金城家として償いをするつもりだったのだが、それを留めたのは、九条家側のあゆみ自身だ。
彼女は、もともと、婚約者の光太郎が、幾人愛人を作ろうと構わなかったし、それが男性であっても、まったく問題とは感じないと断言した。
だから、そのまま、婚約を継続するということを申し出たのである。
彼女のその言葉により、そういう方向で落ち着かせることになった。
これが最初の会合だ。
無論、そのために、かなりの財を九条家にも、金城家にも流している。
金城家はともかく、九条家は旧公家という高貴さがあるだけで、土地や建物はそれなりに保有しているが、財力はない。
九条家としては、大いに満足してくれ、真夫の懸念になりそうな大きな問題は片付いた。
二度目の会合は、あゆみから求められたものだ。
一回目の家を介する会合のすぐ直後であり、玲子はその会合の場で、ほとんど交流がなかったとはいえ、幼少時から婚約者だった光太郎が自分以外の存在と恋愛をすることを認める代わりに、あゆみ自身を真夫の愛人にすることを求められたのである。
これには、玲子も驚いた。
まあ、本人の言い分としては、表向きに、ひかりである金城光太郎と婚姻をするということは、あゆみ自身は、生涯を男性を知らずに生きるということになる。
自分も、生まれたときから、家のために婚姻をすることを言い聞かされて育ったので、政略結婚というのはそういうものだとは認識しているが、処女のまま死ぬというのには納得できない。
だから、光太郎が心の伴侶に選んだ坂本真夫という少年と、自分も身体の関係を結びたいと、まあ、そんな感じのことを申し出てきたのだ。
困惑した令子は、真夫は複数の女性を伴侶とする男であり、すでに多くの愛人候補がいること。
光太郎は、真夫の前ではひかりという女性として扱われており、あゆみが真夫の愛人になれば、夫婦でひとりの男性と深い関係になるということになるなどと、くどくどとを説明した。
この頃までは、玲子はあゆみを公家出身の深層の令嬢のように思っていたので、ひかりと一緒に、真夫の愛人になるということについて理解していないのではないかと心配したのである。
しかし、あゆみは笑って、なんに問題もないと応じた。
それだけなく、どこで調べたのか、真夫の嗜虐癖のことも知っていて、ひかりと一緒に並んで愛されるのも悪くないと微笑んだ。
玲子は唖然としたのを覚えている。
とにかく、その話を持ち帰った玲子は、真夫にあゆみの申し出を伝え、真夫が二つ返事で承知したことから、あゆみが真夫の愛人となることについては決まった。
もっとも、真夫は承知したが、ひかりにはまだ話してない。
あゆみ自身も、それについて、ひかりに話した気配はなく、そもそも、ひかりとあゆみは、ほとんど話をすることもないみたいであり、一度、ひかりから連絡があり、そのときは婚約の継続についてだけ伝えたということのようだ。
そして、今回は玲子が呼び出した。
あゆみの身辺調査を継続する過程で、ある映像を入手したからだ。
まったく、とんでもない女だと、ちょっと呆れてしまった。
「映像か。まあ、見たな。面白いものだった」
あゆみが破顔する。
映像の話をすれば、一緒に連れてきた侍女のような女は人払いするのかと思ったが、その気配はない。
玲子は内心で舌打ちした。
「あのような場所には出入りされませんように。これは忠告ではありません。真夫様の愛人になる女性に対する命令です。よろしいですね──」
玲子は強く言った。
偶然に入手ししてしまったその映像は、若い女性が三人出てきて、その彼女たちが黒いガーターストッキングを身に着け、鞭で全裸の男たちに跨り、鞭を振るっている映像だ。内容は隠し撮りをされた感じだが、女性たちの顔ははっきりと映っている。
そのひとりが、九条あゆみだったのだ。
とにかく、玲子も呆れてしまった。
「そんなに怒るな、玲子殿」
あゆみは声をあげて笑った。
玲子はかっとなった。
この女は、事の重大さがわかってないのだと思ったのだ。
「笑い事ではありませんよ。あれは、九条家のような立場の存在からすれば、とんでもない醜態となります。もしかしたら、脅迫の材料にでもされたかもしれません。すでに、処置はしましたが」
「怖いな、玲子殿は、まあ、問題ない。九条家をあのようなつまらない映像ひとつで脅せるものなら、脅してみればよい。そもそも、別に痛くも、痒くもない」
「なにを言っているのです──」
玲子は声をあげた。
ちらりと同行の女に視線をやる。
いまの会話で、おおよそのことは検討もつくとは思うが、小さく諦めたように嘆息しただけで、大きく動じる様子もない。
「ほら見よ、小萩も、九条あゆみの悪癖は知っておるので、SMクラブに出入りしたことくらいでは驚きも、動じもせぬよ。また、九条家のお転婆が羽目を外したかと呆れるだけだ」
玲子の視線の動きに気がついたのだろう。
あゆみが笑いながら言った。
小萩というのは、連れてきた女性のことのようだ。
「……小萩さんというのですか?」
とりあえず、玲子は訊ねた。
「実家がつけているわたしのお目付け役だ。まあ、お目付けだけで、実害はないけどな」
「実害がないとは?」
言っていることがわからず、玲子は訊ねた。
「小言くらいは言うが、わたしをどうこうすることはないということだ。あまりうるさく言えば、わたしが仕送りを止めることがわかっているしな。九条家とは言っても、実態は借金だらけの張りぼてにすぎん。最近ではわたしの稼ぐ仕送りが頼りなくらいの貧乏旧家だ。まあ、そなたがとりもってくれた豊藤からの見舞金については、本当にありがたがったようだがな」
あゆみだ。
玲子は呆れてしまった。
ただ、だんだんと、この九条あゆみと実家との関係もわかってきた。
彼女が大学生ながら、デイトレーダーでかなりの額を稼ぎ出しているのはわかっていたが、すでに実家を牛耳るほどの稼ぎもあるようだ。
だから、好き勝手もしているのかもしれない。
しかし、よりにもよって、SMクラブとは……。
「とにかく、もうああいう場所には出入りはされませんように。真夫様は、自分の愛人がそういうことをされることは嫌悪されると思います」
玲子は嘆息しながら言った。
だが、あゆみはにやりと微笑む。
「そうか? なかなかに趣味の深い少年のようではないか。むしろ、気が合うのかと思ったがな」
「あり得ません」
玲子はぴしゃりと言った。
すると、あゆみが苦笑する。
「わかった。もう行かぬ。というよりは、ああいう場所に言ったのは、あれが最初で最後だ。興味があったのでね。そんなにいらつくな。それと、少年には黙っておいてくれよ。少年の前では、光太郎様のときと同様に、猫を被るつもりだから」
「猫を被っても、すぐに見破られます。真夫様はひかりさんとは違いますよ……。それと、ちゃんと真夫様とお呼びください。よろしいですね」
「真夫様だな。わかった。ちゃんとする。これでも世間では、清楚で大人しい令嬢で通っておるのだ。その気になれば、ちゃんとした話し方もできる」
「はあ……」
確かに、玲子と話すときには、最初から砕けた感じだったが、事前の調査では大人しいお嬢さんとなっていたので、その違いに驚いたものだった。
もっとも、まさか、SMクラブに興味本位で出入りするほどの破天荒とは想像もしなかったが……。
見た目も、いかにも深窓の令嬢という感じの美女なので、あの隠し映像を見たときには、開いた口が塞がらなくなった。
だから、こうやって、急遽呼び出したのだ。
「心配しないでくれ。ちゃんと処女だ。操は守っておる。光太郎殿に捧げるつもりだったが、真夫様にちゃんと捧げる。あれは、本当に単純な好奇心だ。それだけのことだ」
「それだけのことの割には、あれが唯一ではないですよね。三回行ってますね。確かに身体の関係はしてないみたいですが」
「ほう、そんなことまでばれておるのか。これは参ったな」
あゆみが笑う。
玲子はあゆみを睨んだ。
「笑い事ではありません。勝手ながら、すでに退会の手続きはしましたので。次に行っても、あなたのことは門前払いをするように、申し伝えてます」
「ほう、手回しのよいことだな」
あゆみは驚いた顔になる。
「とにかく、わたしからの話はこれで終わりです。二度と、SMクラブなど行かれませんように。いいですね──」
玲子は立ちあがろうとした。
だが、あゆみがそれを制した。
玲子は座り直して、あゆみを見る。
「わかった。反省する。反省するから、わたしからの申し出を聞いてくれ。お願いがある」
ずっと笑い顔だったあゆみがちょっとだけ真面目な顔になった。
「お願い……ですか?」
「少年……いや、真夫様に会わせて欲しい。奴婢になることを条件に、ひとつ、かなえて欲しいことがある。それを頼んでみたい」
「奴婢の意味がわかっていますか? 奴婢とは、なにもかも支配をされるということです。心の身体も、自分が持つもののすべてをです、その奴婢から条件を出すなど……」
「まあまあ、そう言うな。頼みというのは、奴婢になる代わりに、あの光太郎殿を苛めさせて欲しいということだ。できれば、貞操帯などを嵌めて、貞操管理とかいうものをやってみたい。駄目だろうか?」
「はああ?」
「実のところ、あのお坊ちゃんは、ずっとそうやって可愛がってやりたいと思っていたのだ。婚姻するまでは隠しておいて、婚姻さえしたら是非とも、一度調教というのをやってみたいとね。今回、事実上、破断のようにはなったが、真夫様が取り持ってくれれば、望みもかなうというものだ。それを真夫様に頼みたいのだ」
「なんてことを言うのです──。いい加減にしてください」
玲子は思わず怒鳴ってしまった。