住まいにしているタワーマンションの部屋に帰宅したあゆみは、歩きながらリビングでワンピースやストッキングを脱ぎ捨てて下着姿になった。そのまま横長のソファーに寝そべり、足先を肘掛けから外に投げ出す。
「疲れた。小萩、足を
床に放り出したものを慣れた手つきで回収していた小萩は、それらをあっという間に片付け、すぐにお湯を洗面器に汲んで布を持ってやってきてくれた。
実家から離れて、このマンションの一室で一人暮らしをするようになってから、大抵のことはひとりでするようになっていたが、この足を拭いてもらうことだけは別だ。
幼少の頃からあゆみの世話をしてくれる九条家の家人である小萩だが、足の指を拭かせると、指の股のあいだまで玉を磨くように綺麗にしてくれて、本当に気持ちいいのだ。
だから、足だけは、いつも小萩に任せている。
また、一人暮らしとは称しているが、完全にあゆみがひとりで生活をしているわけではない。炊事、洗濯、料理など、身の回りをする人間は必要だ。それが小萩である。従って、厳密に言えば、小萩との二人暮らしなのかもしれない。
小萩の部屋も、このマンションの中にあてがっている。
「さっきの会合では、随分とお戯れでしたね」
足の指を拭きながら、小萩が無表情のままで言った。
「玲子のことか?」
豊藤からの使者である工藤玲子と会ったのは、今日で三回目になる。
前二回は、金城家の嫡男の金城光太郎との婚約関係についての話し合いについてであり、それにより、表向きには、金城家の「嫡男」とあゆみの婚約を継続するということで話がついた。
たが、今回は突然の玲子からの緊急の呼び出しであり、何の話かと思えば、あゆみが出入りしていたSMクラブ通いについての苦情だった。
事前に隠し撮りされたらしい映像を送ってきていたので、その話だと認識していたが、歴史ある京都の公家の名家で知られている九条家の令嬢であるあゆみに、目と向かってお説教するとは思わなかった。
いまや京都の実家も、あゆみが稼ぎ出した仕送りをすることによって、すっかりと小言は伝えなくなっていたので、まあ、叱られるのは久しぶりであり新鮮だった。
「だから、申しあげたではないですか。ああいういかがわしい場所に、お通いになるのはよくないと」
小萩が呆れた口調で言う。
そばのテーブルには、小皿に乗せているピーナッツが出しっぱなしになっていたが、それに手を伸ばして口に放り込む、
「まあ、そう言うな。ちゃんと一線は守っておったぞ。ただ、四つん這いになった男の上に跨がって、鞭打って啼かせていただけだ。それで悦ぶのだし、金ももらえる。わたしのストレス解消にもなる。よいアルバイトだったのにな」
会員制のクラブであり、会員料を支払って、お互いにマッチングした相手とSMを愉しむのが、あのクラブのやり方だ。
クラブに所属するプロを指名することもできるが、あゆみは専ら素人の客相手に女王様側で遊ぶということをしていた。
現役の女子大生であり、美女でもあるあゆみであれば、別に性行為をしなくても、男側は十分に満足していたし、相手に苦労しなかった。
場所もあのクラブでしかやらないので、監視もあるので安全も確保できる。
大学に入ってすぐに、興味本位で行ってみたら、すぐにやみつきになってしまった。
悪くない遊びだったのだが、まさか、勝手に会員を脱退させられるとは思わなかった。
「でも、あの工藤様の言うとおりですわ。隠して映像を撮られていたというのは迂闊でしたね。九条家の耳にに入れば、さすがにお咎めなしとはいきませんでしたよ。たちの悪い組織に渡っていれば、果たして幾らで買い取らされたものか」
「確かにのう」
右足が終わったので、入れ替わりに左足を小萩に投げだす。
玲子に対しては、あんなものはなんでもないと、威勢よく啖呵は切ったものの、内心は冷や汗ものだった。
当初は度肝を抜かれたものだ。
あれが、出回ればさすがにやばかった。
どうやら、あの玲子という女が手を回してくれたようなので、ほっと安堵している。
なんだかんだで、あゆみも、自分の「商品」としての価値はわかっている。
千数百年を超える歴史を持つ名家である九条家とはいっても、いまは所領があるわけでもなし、金城家、豊藤家といった財閥あがりの一族たちのように桁外れの富力や権力があるわけではない。
あるのは、公家という貴人の血だけだ。
その宗家に生まれたあゆみは、いわば商品だ。
財のある名家にできるだけ高く売り、その代わりに相応の富を九条家に入れてもらう……。
そのために育てられたのである。
つまりは、あゆみの価値は、九条家という旧公家の名門に育った深窓の令嬢ということにある。もちろん、もって生まれた美貌もそうである。
たまたま、デイトレや投資の才能があったらしく、やってみればあっという間に巨額な利益を生み、周りからは「天才」とまで言われてはいるが、九条家として望むのは、そんな一時的な利益ではなく、財力のある家と縁を結び、あゆみやその子供を媒体として、二世代、三世代にまで及んで九条家に利益を送り続けることである。
九条家のあゆみという娘が、実はSMクラブに出入りするようなあばずれだと世間にわかれば、無価値になるとはいわないが、かなりの価格落ちになったのは間違いない。
だったら、そんなところに通うなと、玲子のみならず、目の前の小萩も説教はしていたが、そうはいかない。
愉しいのだ。
大の男が、あゆみのような小娘にかしずき、泣き叫び、哀願をする姿を見ていると、子宮が熱くなって、大きな性的興奮を覚えた。
どうしても、やめられなかった。
まあ、今回のことで、さすがに自重しようとは思ってはいるが……。
そういう意味では、金城家の嫡男の金城光太郎という少年との婚約は、九条家としても、あゆみとしても、望みうる最高の買い手であるのは間違いない。
彼が十三歳、あゆみが十五歳のときに婚約し、婚約期間は五年間と、それなりにあったものの、結局、両手で余るくらいの回数しか会うことはなかった。
でも、彼がなにかの秘密を抱えているようだというのは、すぐにわかった。
そして、婚約して以降、もともと中性的な見た目だった二歳年下の彼が、会うごとに、女性らしくなっていくことに不思議な想いも抱いていた。
まあ、もしかして、女性を愛せない体質なのかとは思ったが、それでもいいと思っていた。
彼の成長とともに、あゆみもまた大人に近づくにつれ、どうやら多淫の癖があり、男を侍らせて奉仕させるのを悦ぶ自分の性癖も認識をしてきたからだ。
もしも、光太郎という少年が、女を愛せない性癖であれば、あゆみの性欲の発散にも口出ししないと思ったのである。
これは、思った以上のいい「夫婦」関係を結べるのかと、ずっと悦んでいた。
だから、突然の婚約破棄の申し出には、驚くとともに失望した。
そして、まさか、金城家の嫡男である金城光太郎が、女性を愛せない性質どころか、女性そのものであるとは唖然としてしまった、
しかも、戸籍上は男性なのだという。
介入してきた豊藤を通して、大金の支払う代わりに、正式に婚約破棄が成立しかけたが、あゆみは慌てて、それを阻止した。
光太郎が実際には、男性よりも女性に近い身体であるという秘密を知ったのも、そのときだ。
あの決断は、いまにしても、最高のものだと自負している。
おかげで、九条家と金城家は縁が離れることなく、望んだとおりに次世代まで縁を繋ぐことが叶った。
しかも、あの豊藤の後継者と縁ができるというおまけまでついた。
いや、おまけといういはおこがましい。
神秘のベールに包まれた国際的な巨大財閥の豊藤との縁であれば、愛人でも妾でも、買い手としては十分だ。
これ以上、望むべくものはないと思う。
「いずれにしても、工藤様の様子を見れば、まだ豊藤家に愛想を尽かされてないようで安堵いたしました。これを機に、もう羽目を外すのはおやめください。京都の主家も豊藤との縁を絶対に離すなという思し召しです」
足の指を拭き終わった小萩が布を片付け出す。
あゆみは、ソファの上に脚を戻して、下着姿のまま胡座をかく。
「みっともない。普段から気をつけてないと、殿方の前で出てしまいますよ」
小萩が呆れたように言った。
あゆみは顔を綻ばせた。
「もう無駄だ。光太郎殿のときには滅多に会わなかったから、猫も被り通せたが、今回は初っ端から、嵌め外しがばれてしまった。あの玲子を通じて、わたしのお転婆は話が漏れるだろう。いまさら、令嬢らしくふるまっても無駄だろう」
「そんなことをおっしゃって……。まだ一度もお会いしてないのに。見限られたらどうするのです」
「見限るものか。これだけの美人で、スタイルもいい。SMクラブに数回出入りしたが、ちゃんとした処女だ。性器を晒すような破廉恥もしてないぞ。あんなのは、ただのごっこ遊びだ」
「それが通用すればよいですけどね」
「通用させるのだ。豊藤には巨万の富がある。絶対に逃がしてやるものか。そもそも、なんだかんだ言っても、相手はまだ十八の高校生の少年だぞ。なんとしても惚れさせてみせる。このわたしの性の手管と駆け引きでな」
あゆみは笑った。
「……十八の少年って……。そういうあゆみ様も、まだ二十歳の小娘ではありませんか。しかも、処女でしょう。性の手管なども、お持ちではないでしょうに」
「そういうお前も、歳こそ三十代だが、亡夫に操を立てて、知っている男はひとりだけだろう? 変わるものか。それになあ……。あのクラブ通いも満更無駄ではなかったぞ。知っているか? 男というものはなあ、なんだかんだいっても、みんなマゾなのだ。支配されたがっている。そういうものなのだぞ」
「なにをあほうなことを……。お嬢様って、頭はよいのに、やっぱり、あほうですか?」
小萩が呆れたように嘆息する。
「このわたしに面と向かって、あほうというのはお前だけだな。だが、これは本当だぞ。確かに、男にはエスの面がある。でも、エムの部分もあるのだ。しかも、地位のある男や、普段威張っていたり、強がったりしている者こそ、実は隠れエムだ。だから、徹底的にそれをついてやれば、絶対に男は最終的にはひれ伏す」
「お嬢様がSMクラブにお通いしたのは、たったの三回でしょう。それでなにがわかるのです」
「一度も行っていない、お前よりはわかる──。とにかく、小萩、豊藤の少年との最初の逢瀬が勝負だ。調べによれば、好色であることにかけては、あの光太郎殿とは比ぶべくもない。光太郎殿は草食どころか、わたしに会うたびに、怯えるウサギのようだったが、真夫という少年はとんでもない肉食のようだ。色仕掛けで迫れば、絶対にわたしに手を出す。これだけの美女なのだ。賭けてもよい。わたしの情報調査に間違いない」
「お会いしてもないのに、わかるのですか?」
「わかる。その少年はウサギどころか、肉食も肉食──。龍だ。あの全寮制の学園に編入して、まだ二か月程にしかならないのに、女生徒を喰いまくって、十人も恋人がいるそうだぞ。さっきの玲子のそのひとりだし、光太郎殿も、真夫という少年の性奴隷だそうだ。なっ、龍だろう?」
「龍って……。まあ、そうかもしれませんが、だから、なんなのですか? だったら、大人しく食べられればよいではありませんか。それで京都の主家は満足します」
「それじゃあ、わたしがつまらんではないか。わたしは食べられたいわけじゃない、喰らうのはわたしだ。惚れるのではなく、惚れさせるのだ。あのSMクラブで得た手管で、その少年を初っ端から堕とす──。だから、手伝えと言っているのだ」
「手伝えって……。まさか、あほうなことをお考えではないでしょうねえ?」
小萩が訝しむように睨む。
「なにがあほうなことなものか。これは勝負だ。豊藤の少年をわたしの虜にするな」
「虜になりますか? そもそも、なにをするつもりなのです?」
「今度の土曜日に、あの学園で文化部発表会とやらがある。そこで、その真夫という少年と初対面になる」
「知ってますよ。さっきの玲子さんとの話でそうなりましたもの。あたしも聞いておりましたよ。後ろにいたのですから。明後日ですね」
「うん、そのとき、わたしは、真夫という少年に抱かれるつもりだ。でも、学園の中ではだめだ。あそこはセキュリティが高い。だから、なんとか外に連れ出す。でも、あの玲子が真夫をひとりにはしないかもしれない。だから、玲子を出し抜くのに協力せよ。なんとしても、完全にふたりきりになりたいのだ。そうなってしまえば、あとはわたしのものだ」
「やっぱり、あほうなことをお考えですね。忠告しますがおやめになった方がいいですよ。ふたりきりになりたいなら、直接、その真夫様にお言いになればよいではないですか」
「それじゃあ、うまくいかんのだ。わたしが少年を手錠で拘束したり、鞭で叩いたりしたとき、玲子が近くにいたら、強引に阻止されそうではないか。玲子は、その少年の愛人でもあるのだぞ」
「本当にあほうなことをお考えですね。ごめん被ります。いやです──。そもそも、色々とお喋りになりましたが、それは、結局はお嬢様のご趣味だけのことでしょう。年下の少年をいたぶりたいだけですよね」
小萩は呆れ顔だ。
「特別ボーナスを出すぞ、小萩」
あゆみはにやりと微笑んだ。
すると、小萩が目を細めて、ちょっと考える素振りになった。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「幾らです?」