182話 継承の儀式の本質
日野
豊藤財閥の総帥にして、“魔王”の異名を持つ豊藤龍蔵の執務室だ。魔王の異名は、龍蔵が形式的な出家をしてもらった戒名である“増応院”から来ているということだ。
そして、いまの龍蔵の居住場所は、この聖マグダレナ学園の敷地内の地下建造物の中にあり、執務室はその一角にある。
龍蔵が目を通しているのは、坂本真夫に関するある報告書であり、正人が龍蔵に少し前に渡したものだ。
豊藤の総帥である龍蔵がどこに居住を構えているのかということは、豊藤の中枢にいる者の中でも数えるほどしか知られてない。
また、必要により知ったところで、立ち去るときには、すぐに記憶は抹消される。
従って、誰であろうと、正確な居場所を覚えることはできないのだ。
その例外が、秀也であり、正人であり、時子というわけだ。あの坂本真夫が現れるまで、龍蔵の秘書として渉外を受け持っていた玲子も例外のひとりだ。ほかにもいるのかもしれないが、少なくとも正人が接する範囲では、龍蔵の近くに侍ることができる者はそれだけである。
そこまでの秘密主義を徹底するのは、豊藤を支えるものが、豊藤家の嫡男だけが一子相伝で受け継ぐ秘術であるらしい“操心術”であるからだ。
豊藤の長は、財閥を自ら動かすことはしない。
グループに富をもたらすのは、豊藤の総帥の操心術に支配された世界中の政治経済の中心にいるリーダーたちなのだ。だが、彼ら彼女たちが必ずしも、豊藤財閥に属するとは限らない。
いや、むしろ、直接的に支配を受けるのは、グループの外の人間であることが多いようだ。敵対する組織の中にいたりもするという。
だが、共通するのは、自分自身が操心術で隷属されていることをほとんどの者が知らないということだ。
もっとも、会わない操り人形たちを龍蔵がどうやって支配を続けているのかということについては、正人にもわからない。
いずれにしても、操心術の影響を受けている彼らは、まったく無意識のうちに、豊藤の利益になるように、自分たちが支配をしているものを動かすのだそうだ。
そうやって、豊藤に利益が世界中から転がり続けるというわけだ。
それが豊藤の秘密であるからこそ、総帥さえ殺せば、操心術を操る者がいなくなり、隷属がなくなる。
それを知っている者は、なんとしても龍蔵を抹殺しようと、全勢力を傾けるのだ。
ただ、いまだかついて、豊藤の総帥の暗殺に成功をした者はいないらしいが……。
そうはいっても、正人が知っている豊藤財閥の総帥の秘密など、限られたものでしかないのだろう。
いや、この記憶そのものが、もしかしたら、作られたものかもしれないとも考えるようになってきた。
そう考えるようになったのは、このところ、記憶の欠如のようなものを自分の中に見つけるようになったからだ。
なぜか、記憶から呼び起こせない時間帯があったり、記憶のない行動をした正人自身の痕跡を発見したりすることがあるからだ。
まあ、それもいいだろう。
豊藤財閥の中枢に属する機会を得たことの代償だ。
正人は気にしてない。
ともかく、いま龍蔵の目の前にいるのは、正人だけだ。
本来であれば、龍蔵に直接に一対一で報告するのは、玲子に代わって龍蔵の直接の秘書となった秀也の役割だ。
だが、詳しいことは教えてもらってないが、ここしばらく、秀也の体調がよくないらしく、報告書というかたちで、龍蔵に書類を渡す役目が正人になっていた。
しかも、正人にそれを渡すのが、秀也の看病についているらしい時子だ。
正人としては、ただ書類を運ぶだけなので、やれと言われれば、それを実行するだけなのだが、本来は秀也専属の付き人の立場である正人が、龍蔵の直属秘書のようなことをするのは変な感じではある。
そして、秀也の体調が悪いのであれば、その世話をするのが正人の役割なのだが、臥せっている秀也がどこにいるのか、そもそも、体調がどう悪いのかも正人は把握してない。
もしかしたら、秀也と正人が接触しないように、あの時子という老婆がなにかを画策しているのかもしれないと思ったりする。
でも、真夫びいきで、正人が以前に真夫にちょっかいを出したことで正人を嫌っているあの老婆が、正人が学園をうろうろさせないようにして真夫に接する機会を極限するのはわかるが、正人を秀也に接触させない理由がわからない。それでいて、龍蔵と一緒にいるのは許すのだから、やっていることに一貫性がない感じがする。
だいたい、あの老婆は、龍蔵の最初の愛人であり、最後の愛人なのだが、正人から見ると、龍蔵よりも秀也と仲がいいようにさえ感じるのだ。
わけがわからない。
ただ、龍蔵と一緒にいることが多くなったのは、このところ、正人がナスターシャの調教を手伝うことが多くなったからだ。
そのナスターシャの調教を通して、個人的に龍蔵と接近をしているのも事実だ。
豊藤の総帥といえば、得体の知れない魔物のように思っていた正人だったが、接してみれば、ただの嗜虐好きの好色
ナスターシャの調教については、少々頭がおかしいだろうと思うこともあるが、まあ、欲望に忠実な姿は、人間として親しみは感じる。
それはともかく、真夫に関する報告のことだ。
龍蔵が読んでいるのは、龍蔵が真夫を後継者として指名する条件として与えた住人の奴婢のことだ。
半年以内に十人の奴婢を集めなければ、真夫を後継者としないと宣言をした龍蔵の言葉だったが、あれから、まだ一か月半にも関わらず、あいつは十人を集めてしまったのだ。
龍蔵が読んでいるのは、その十人の奴婢の記録である。
1.朝比奈恵 真夫の幼なじみにして初体験の相手。教育大に通う女子大生
2.工藤玲子 龍蔵の前秘書。顧問弁護士のひとり。学園の理事長代理
3.白岡かおり 学園の三年生。白岡電機の社長令嬢
4.西園寺絹香 三年生で生徒会長。西園寺家令嬢。学園の四菩薩のひとり
5.前田明日香 三年生で女子サッカー部の主将。学園の四菩薩のひとり
6.金城光太郎(ひかり) 金城財閥の嫡男。学園の双璧のひとり
7.世良七生 二年生。天才的な高校生画家
8.立花柚子 一年生。一年生の成績トップ
9.伊達京子 女体育教師。学園の四菩薩のひとり
10.九条あゆみ 光太郎の婚約者、女子大生、旧公家の九条家の令嬢
「思ったよりも早かったな。これで十人か。まあ、集めた女たちも、玲子のほかに、名家の令嬢たち、学園の生徒たちが四菩薩と呼んでいる美少女たち、一芸に秀でる才媛などか……。まあ、合格と言わねばならんだろうのう」
龍蔵がテーブルの上に書類を置く。
正人は密かに歯噛みした。
龍蔵が真夫が集めた十人を認めるということは、龍蔵の後継者として、真夫を認めるということだ。
そのときには、秀也はどうなるのだ──。
「……いえ、十人のうち、朝比奈恵は、父親に犯された過去がある孤児でしかありません。十人の中に認めるのは不適切かと……」
「だめだ。時子が煩い。その恵は十人の中に認めねばならん。さもないと、わしが頭の皮を剥がれる」
龍蔵が笑った。
「し、しかし……」
「いや、本当だ。それに、ひとり認めないところで、すぐに新しい奴婢を追加してくるだけだろう。時子によれば、確か、相場まり江という生徒にも唾をつけているらしいぞ」
龍蔵の顔に笑みが浮かぶ。
知っている……。
相場まり江……。
学園の二年生の女生徒だ。日本人離れしたプロポーションですでに世間ではモデルとして有名な少女である。真夫が今週に開催された学園の文化部発表会の準備を通じて、そのまり江に接近していたのも確認していた。
十人目がそのまり江でなく、金城光太郎の許嫁の九条あゆみになったのは、真夫が手を出す機会が遅いか、早いのかの違いだろう。
四菩薩のひとりでもあるまり江なら、豊藤の総帥候補に相応しいと認めざるを得ないし、確かに、朝比奈恵を十人に含めることを認めるかどうかは意味はない。
認めないとしても、まだ四か月以上もある。
操心術も使えば、あっという間にまり江も奴婢入りするのは間違いない。
くそう……。
後継者は、あの真夫に決定か……。
「……それにしても、十人目は公家の令嬢か。驚いたことよのう。なあ、正人」
龍蔵がにやにやしながら言った。
「はあ……」
公家の出だから、なんだといのだろう。
だが、龍蔵は書類をもう一度手に取り、九条あゆみの資料だけを抜き取って眺めだした。
「確かに、公家らしい顔をしておる。同じ女でも気品が違うな」
書類には全員の女について、顔写真と全身の写真もある。
だが、正人も書類には目を通していたが、九条あゆみが別段に、ほかの女に比べて品があるようにも見えなかった。
女は女だとしか感じなかった。
「豊藤家も古いとは言っても、江戸時代の後期までしか遡れん。所詮は数百年の歴史でしかないのだ。それに比べて、九条家は千数百年の歴史だそうじゃのう。本物の貴人だ」
「そうなのですね」
正人には、この龍蔵の関心がまったく理解できなかった。
そもそも、公家の令嬢とはいうが、調べによれば、その娘はSMクラブに出入りもするようなあばずれだ。
そんなことは書類には書いてないが、それを教えれば、その九条あゆみを妙にありがたがることもなくなるのではないかと思った。
「正人、わしは、この九条あゆみが欲しくなった」
はっ?
いま、なんと言った?
正人は驚いた。
九条あゆみは、真夫が奴婢にした娘だ。今日、手を出したばかりのはずだが、おそらく、すでに犯してはいるだろう。
真夫が自分の奴婢の証しにしている銀製のチョーカーとブレスレッドも装着したはずだ。
それを奪うのか?
「なにを驚いておる。それが豊藤の後を継ぐということよ。自分が集めた奴婢を父親に献上し、耳目口たちに道具のように抱かせる。それが継承の儀というものだ。わしも、最初に時子を奴婢として選んだとき、継承の義で奪われて、それから一年のあいだ、時子をわしの父親が抱くのを見させられた。そうやって、女に対する情を抜く。それで、やっと女を道具として扱えるようになるのだ」
「はああっ……? あっ、いえ、申しわけありません……」
正人は思わず、変な声を出してしまって、慌てて口を閉ざした。
だが、なんだ、その継承の儀は?
耳目口というのがなんのことなのかはともかくとして、もしかして、わざわざ真夫に女を集めさせたのは、それを取りあげるためなのか?
「真夫から女を奪うわけじゃないぞ。ただ、しばらくのあいだ、わしを始め耳目口たちに抱かせる。それだけだ。それが継承なのだ。総帥になるために邪魔な情を抜く。その始まりが継承の儀じゃ」
正人の心の中を読んだような言葉を龍蔵が口にする。
もしかしたら、実際に読んだのかもしれないが……。
「まあ、そういうものですか……。わかりました。でも、あの坊やは怒るでしょうねえ」
「怒れば、豊藤の総帥になる資格を失うだけだ。それだけでなく、抹殺する。それだけのことよ」
龍蔵が笑う。
だが、抹殺とは本気か?
真夫は龍蔵の血を引いている息子だ。しかも、操心術の能力開眼の兆しもある。それをここで処分する可能性もあると?
「早いほうがいいだろう。三日後の今度の水曜日の夜に、継承の儀をここでする。真夫に連絡せよ。奴婢全員とともに来いとな。玲子に伝えればいい。継承の儀とだけいえば、それだけで玲子は察する。もっとも、継承の儀が前回行われたのは、数十年前だから、その中身までは知らんだろうがのう。もちろん、儀式の本質まで伝えるなよ」
龍蔵だ。
「わ、わかりました。秀也さんと時子さんにも連絡をします」
なにを考えているのかわからないが、まあ言われたことをするだけだ。
それにしても、随分と悪趣味な儀式でもある。
あの真夫がなんだかんだで、集めた奴婢たちに愛情を持って接しているのはわかる。
それを龍蔵をはじめ集まった中枢の者たちで目の前で取りあげて抱くということをするようだ。
もっとも、考えてみれば、それで女を道具として扱えるようになるなら、理にはかなっているのかもしれない。
豊藤の総帥に必要な帝王学は、人を支配する技量や知識ではない。
操心術だけなのだ。
技量や知識は皆無でもいい。それは操っている者が勝手にする。必要なのはただただ、そいつらを人形のように支配する操心術だけだ。
確かに、情など無用かもしれない。
「ならん──」
すると、突然に龍蔵が強い口調で怒鳴った。
「えっ?」
なにが?
「秀也にも時子に伝える必要はない。真夫と十人の奴婢、そして、わしとわしが集める耳目口さえ揃えば、継承の儀の場は整う。余計なことをするな」
龍蔵が言った。
秀也にも時子にも知らせないのか?
まあ、ふたりともここにはいないし、知らせまいとすれば伝わらないかもしれないが、時子は真夫が生活をしているS級寮の寮母でもある。
真夫が玲子が伝えれば、知られてしまうんじゃないだろうか。
まあいいか。
正人は言われたことをするだけだ。
「承知しました。言われたことだけをします。玲子に継承の儀の期日が決まったことを伝えます」
「それでいい」
龍蔵が大きく頷いた。