187話 婚約破棄の謝罪
九条あゆみは、聖マグダレナ学園の厚生センター棟と呼ばれる場所にあるひとつの喫茶店のテラス席に腰掛けた。
ひとりである。
この学園内に誘拐同然に連れ込まれたのは、一昨日の日曜日の夜であり、昨日一日はあの坂本真夫という少年が部長ということになっているSS研の地下施設で丸一日を過ごした。
紛れもなく、人生を変える一日だった。
思い出すと、いまでも落ち着かなくなる。激しく心臓が鳴り出し、かっと身体が熱くなる気がするのだ。
恥辱と被虐を快感にするマゾ女……。
それに仕立て上げられたのだと思うしかない。
まあ、真夫に言わせれば、元々のあゆみの素質だそうだが、それもどうでもいい。
いまや、すっかりとあゆみが坂本真夫という少年の性癖を完全に受け入れていることには間違いないのだ。
とにかく、拘束を解かれて、監禁されていた部屋からひとりで外に出ることを許されたのが、やっと今朝ということだ。
自宅のマンションに帰ることも考えたが、あゆみはそれよりも、もう少し学園内ですごすことに決め、午前中は学園内を走っている無人シャトルバスを利用して、あちこちを探索した。
そして、昼食前の時間に近くなり、約束の時間が迫ったので、ここにやって来たということである。
「……まあ、すっかりと開き直れたのは間違いないわね……」
あゆみはテラス席から見える厚生棟前の庭園を眺めながら、知らず大きく息を吐いた。
そして、いつの間にか、ワンピースの上から胸と股間をぎゅっと手で押すように刺激していた自分に気がつき、慌てて手を身体から離す。
周囲を急いで見るが、まだ授業中の時間でもあることで、テラス席にいる客はあゆみくらいのものだ。喫茶店の従業員もいるが、まだテラス席側には来ていない。
とりあえず、ほっとする。
だが、改めて、たった数日で、やはり淫らな身体にされたのだなと思った。
日曜日から昨日にかけて、あゆみは真夫や真夫の「奴婢」の少女たちから、ありとあらゆる「調教」を受けた。
辱めを悦ぶ身体になり、被虐の快感に身体を疼かせるマゾに仕立てられたのである。
たった二日余りでの自分の心の変質には、自分でも驚くほどだし、もしかしたら、あの少年には人の心を変える魔術のようなものがあるのではないかと思うほどだ。
わからない。
いずれにしても、あゆみの意思に反して、いまでも身体は真夫たちから与えられる刺激を求めて狂っている。ワンピースのスカートの下の下着の中は、これまでに感じたことがないほどの熱い疼きを沸き立たせ、すっかりと愛液で汚れているのを知っている。
真夫の奴婢……。
あゆみの手首にも足首にも、細い銀細工のリングが嵌まっている。真夫の女であることの印ということだ。同じものが首にもある。
手でそっと触れる。
真夫の「奴婢」として集まっている十二人の女の全員に嵌められているものであり、内側には、ラテン語で “ Ego sum servus Mao.” と刻まれてる。
《私は真夫の奴隷である。》
という意味だ。
その少年の奴婢か……。
あゆみは自嘲して微笑んだ。
まさか、自分が誰かに支配され、奴隷であることを自ら認め、そして、それに心からの幸福感を覚えるようになるとは、夢にも思わなかった。
それはともかく、テラス席から見える目の前は、手入れのされた花園と芝生の公園のようになっていて、ここが高等学校の敷地内とは忘れそうになる。もう七月ではあるがテラス席には突き出ている屋根で日差しは遮られており、しかも、壁に取り付けられた送風機により、テラス席全体に心地よい風が流れていて、夏の暑さの不快感は皆無だ。送風機はほぼ無音であり、たかが学園内の設備に似つかわしくない高性能のものだとわかる。
さすがは、富裕層しか通えないというエリート学校であるし、世界経済を裏で牛耳るといわれている豊藤財閥の経営する学園だと思った。
平安時代すら遡る名家中の名家の九条家だが、目の前の庭園ひとつとっても、豊藤の贅には、遙かに及ばない。まあ、九条家など、公家とはいえ、歴史と格式しかない所詮は、中流よりも少し高い程度の財力でしかないし……。
あゆみは苦笑するしかなかった。
若い男が注文を取りに来たので、フレンチトースとコーピーのランチセットを頼む。約束の時刻は、午前中の授業が終わった後なので、まだ一時間近くはあるのだ。
しばらくすると、プレートに載ったランチセットが運ばれてきた。
口にすると、本当に美味しかった。
ここにいる限り、これだけのレベルの料理を味わい続けられるのだとすれば、本気でここで暮らすことを考えてもいいかもしれない。
そんなことを思った。
食事が終わり、プレートをさげさせると、コーヒーのお代わりをもらった。
そして、ショルダーバッグから取り出して文庫本を読み始める。ウイリアム・H・マクニール著の世界史を俯瞰的に記した読み物だ。大学の講義の課題としてレポートを提出しなければならないので読んだものだ。わかりにくいとか、固有名詞が多くて頭に入らないと不満を口にする他の学生が多かったが、あゆみは純粋に読み物として面白かった。まるで小説のようだなというのが感想だ。
だから、すでに書き終えたレポートだが、三度目の通読をしている。
読めば読むほど、新しい発見があり、歴史というものを考えさせられる。
特に愉快に思ったのは、日本の明治期以降の時期の記述だ。
豊藤財閥が世界を裏で支配するようになったのは、その時代以降であるが、もちろん、豊藤の存在は完全に内容からは抹消されている。だが、抹消されていることを前提として読むと、行間から厳然とした豊藤財閥による国際社会の支配を感じる部分があるのだ。
実に面白い。
やがて、周囲が賑やかになってきたので、あゆみは文庫本から顔をあげて周りを見回す。
午前中の授業が終わり,昼休憩に入ったらしく、いつの間にか周囲の席や庭園のベンチなどに生徒の姿が大勢見られるようになっていた。
やがて、女生徒たちのざわめきや歓声が大きくなったので、そっちに視線を向けると、シャトルバスから降りた金城光太郎、いや、ひかりがこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
もちろん、男子生徒としての制服姿だが、相変わらずの美少年ぶりだ。
また、その金城光太郎としての「彼」には、従者生徒である一年生の立花柚子が一緒にいる。小柄で童顔であり、中学生どころか小学生にしか見えないが、あの玲子によれば、厳重な豊藤グループのホストデータへの潜入に成功したほどの天才少女ハッカーであり、またそれでいて自虐趣味の変態であって、強引に押しかけるようにして真夫の奴婢になったのだそうだ。
昨日は、その柚子やこの学校の女教師の伊達京子という、あゆみ同様に真夫の奴婢としては新参者として一緒に調教を受けた。
だから、あゆみとしては、柚子や京子には奴婢の同期生のような不思議な連帯感もある。
「お、お待たせ、九条さん」
ちょっと戸惑った雰囲気の金城光太郎こと、ひかりが目の前に立つ。
「彼」の婚約者になって、すでに五年になるが、会うのは両手で足りるほどの回数でしかない。また、会っても会話らしい会話もしないし、パーティなどでのエスコートも必要最小限だ。あゆみとの婚約に余程に興味がないのか、根っからの女嫌いなのかと思っていた。男性としては非常に女性的な外見だったし、あるいは、男色趣味なのかと疑っていたくらいだ。
まあ、ある意味、正鵠を射ていたようだが……。
「彼」こと、金城ひかりとしての「彼女」は、男としての自分の存在に悩んでいたのであろう。だから、それを最たるものである女性のあゆみとの婚約に忌避を抱き続けていたのだと思う。
ひかりは、自分が男になれないのを知っており、だが、男としてあゆみと結婚をしなければならない金城家「嫡男」としての立場も理解していた。
そして、どうしていいのかわからない葛藤が婚約者であるあゆみを避け続けるという行動になっていったのだろう。
まあ、それもまた、過去のことだ。
いまは、同じ少年を「主人」とする奴婢同士でもある。
わだかまりも、遠慮もあゆみには、もうない。
「座ってください、婚約者様」
あゆみはお道化た口調で言った。
ひかりが困ったような顔になった。
「やめてよ。揶揄うのは」
ひかりがあゆみの正面の椅子に腰掛ける。
口調も、仕草も、完全に女性のものだ。わざと胸の膨らみがわかりにくいゆったりとした上衣を身につけているが、改めて見れば、どこからどう見ても、ひかりは女性そのものだ。
これだけの華人がこの学園内では男子生徒として通用しているということに感心する。
もっとも、一時期まではあゆみも、ひかりのことを女性のように綺麗な顔をした美少年だと疑ってなかった。
まあ、あの真夫は、ひかりに接して、一発で、彼の中の「女性」に気がついたようだが……。
「揶揄っていないわよ。婚約者には変わりないじゃない。括弧“仮”という感じだけどね。あなたが、わたしにひと言の連絡もなしに、事実上の婚約破棄をしたことについては、なにも思うことはないわよ。結局、こうやって、対外的には婚約を続けることになったしね。いずれは結婚もするんでしょうね。そのときには、あなたが旦那様になるわけじゃない。あら、それとも、わたしが夫になってもいいかもね」
あゆみは笑った。
テラス席にはすでに多くの生徒が座っているが、あゆみたちの声が届く範囲については全部空席になっている。事前に玲子を通じて処置してもらっていたことであり、だから、こうやって遠慮のない会話ができるということだ。
また、柚子については、同じテーブルではなく、少し離れたテーブルに座る。あらかじめ頼んでいたのだ。
頼んでいたといえば、すぐに注文を取りに来るはずのボーイも合図をするまで、やってこないように告げている。
近くに柚子がいるといえ、やっとふたりきりということだ。
「九条さんには……」
ひかりが居住まいを正す。
さらに、頭をさげる気配を示したので、それを制する。
実のところ、婚約破棄騒動の後でこうやってふたりで話しをするのは初めてだ。
「……あゆみよ。あゆみと呼びなさい。婚約者様」
あゆみはにっこりと微笑んだ。
「なら、あゆみさん……。あなたには申しわけないと思っている」
ひかりが座ったまま頭をさげる。
あゆみは満足した。
それこそが、今回の目的だったのだ。
「そうね。光太郎さんには、光太郎さんの思いがあるのでしょうけど、せめて、婚約破棄については、まずはあなたの口から聞きたかったわ。それが誠意というものと思うけど」
あゆみはわざと、ひかりを糾弾するような物言いをした。
実際には婚約破棄というかたちにはならなかったが、それはあゆみが豊藤の後継者候補だとい坂本真夫の存在を知り、戸籍上は男性ということになっている金城光太郎との婚姻を隠れ蓑にしながら、彼の愛人になることを望んだからだ。
金城光太郎としてのひかりとの婚約破棄の申し出は、玲子を通じて一方的になされた。
そのときに、ひかりの身体のことを知ったので納得はしているが、いまはあえて彼女が罪悪感を抱くようにしている、
「そ、それは……」
ひかりが顔をあげて、申しわけなさそうな顔をする。
あゆみはほくそ笑んだ。
「だから、贖罪が必要と思うけど?」
あゆみは、離れたテーブルにいる柚子に視線を向ける。
柚子が立ちあがり、あゆみのそばまでやって来た。
制服のポケットから取り出した物を、あゆみに手渡す。
実際のところ、これからすることについては、真夫の許可も受けている。そのための準備も終わっている。
ひかりは報されていないだろうが……。
「申しわけありませんね、光太郎先輩」
柚子がひかりに顔を向けて言った。
「えっ?」
ひかりが首を傾げた。
あゆみはそれを見ながら、柚子から渡された「操作具」のスイッチを入れる。
「ひんっ」
座っているひかりが制服のズボンを両手で押さえて、全身を硬直させた。
「……だから、謝罪が必要と思うわ。心からのね」
「くっ、ひいっ、や、やめて──」
ひかりが真っ赤な顔になって、股間を押さえて身体を曲げる。
柚子から渡されたのは、ひかりの股間にあるペニスの根元にある金属環の操作具だ。
今日のために、真夫は事前にひかりにそれを装着することを強要し、授業に出させていたということだ。
その操作具は、事前に柚子に渡されており、いま、あゆみは受け取ったものがそれの操作具である。
これは、あゆみが真夫の奴婢になるご褒美として要求したことであり、意外なくらいにあっさりと真夫は応じてくれたのだ。
いま、そのペニス環は、ひかりの股間で小さな振動を開始しているはずだ。しかも、微弱な電流を流しながら……。
「じっとしてなさいよ、光太郎。そんなに目立つ仕草をすると、不審に思われるわよ」
あゆみは操作具でさらに振動と電流を強くしてやった。
「ひぐうっ」
ひかりが悶絶するような悲鳴をあげた。