「おいしいね、真夫ちゃん」
目の前のあさひ姉ちゃんがにこにこしながら、テーブルに準備されているトムヤムクンを頬張る。
上品さには欠けるかもしれないが、本当に美味しそうな満面の笑みには、こっちまで愉しくなる。真夫は思わず、もらい笑みを浮かべた。
豊藤グループの系列のホテル内に入っている東南アジア各国のエスニック料理を味わえるレストランであり、真夫はあさひ姉ちゃんとふたりだけでやって来たのだ。
そもそも、このホテルは、真夫とあさひ姉ちゃんが初めて玲子さんと会った場所でもあり、真夫たちの人生を変えた場所でもある。あのときは、数日後にはあさひ姉ちゃんが父親の作った借金のかたに連れて行かれることが決まっていて、心の底からの絶望とともにこのホテルにやって来た。
考えてみれば、あれからまだ三箇月余りしか過ぎていないのだ。それなのに、こんなに幸せな気持ちで、同じ場所で食事ができるなど、本当に信じられない。
だが、いまはこのホテルの最上階を真夫たちの「プレイルーム」として占有しており、あのときにはコーヒー一杯の値段に度肝を抜かれてここで食事をするということなど思いも寄らなかったのに、いまは値段を気にせずに,ホテル内のレストランで食事をしている。
目の前にあるトムヤムクンだって、本来は大衆料理らしいが、素人の真夫にもかなり高額な材料を使っているくらいはわかるし、このホテルに出店が許されているくらいだから、シェフも超一流の人なのだと思う。おそらくかなり値段も高額のはずだが、玲子さんからもらっているカードで支払うので、値段は気にしないようになった。
いや、そもそも、料理代を請求されることもなくなり、支払い行為そのものがない。またいつ訪れても、こうやって一番奥の個室に案内される。
おそらく、玲子さんが手配しているのだろう。
「おいしいものだというのはわかるかな……。だけど、正直にいえば、玲子さんから言われているようにはならないね。このホテルのレストランの食事はおいしいけど、それは、一杯五百円以下のチェーン店の牛丼も同じだしねえ。同じくらいにおいしいとしか思わないかも」
真夫は言った。
すると、あさひ姉ちゃんが思いきり頷く。
「うん、そうそう」
玲子さんに言われているのは、食事の善し悪しを舌で区別できるようになった方がいいということだ。
彼女に言わせれば、真夫もあさひ姉ちゃんも、これから超一流の人間たちと付き合わなければならなくなるだろうし、本当に質のいいものと、「本物」に似せているだけでの偽物を見極められる眼力が必要だそうだ。
それは食事ひとつにしてもそうであり、舌を肥えさせるには、とにかくひたすらに一流のものに触れることが重要らしい。
だから、時折、こうやってあさひ姉ちゃんと「勉強」として外で食事をしたりするのが、真夫たちの最近の日常のひとつだ。ほかにも、一流の品物の区別するための「勉強」はさせられているが、いまのところ、この食事ひとつとっても、自分たちが成長している感覚はない。
所詮は、養護施設出身の貧乏育ちだ。
超一流レストランの食事どころか、一杯五百円以下のチェーン店の牛丼がとびきりの贅沢だった。
そんな環境で育ったのである。
「でも、真夫ちゃんは大丈夫よね。真夫ちゃんを偽物で騙そうとしている人がいればわかるんだものね。心が読めるから……」
すると、あさひ姉ちゃんがちょっと声を潜めて、真夫に向かって身を乗り出すようにしながらくすくすと笑う。
おそらく、内緒話だからそうしたのだろうが、まだ口の中に食べ物も入ったままだし、玲子さんに時折特訓されている「上流階級」のマナーというのは、まだ身についていないみたいだ。
まあ、真夫もあさひ姉ちゃんは、あさひ姉ちゃんだから大好きなのであり、殊更、一流の品格など望んでいないが……。
それはともかく、あさひ姉ちゃんが口にしたのは、真夫の能力である「操心術」のことだ。
一時期は、真夫が人の心を操れる「操心術」に開花したことは、必要最小限の範囲にしか喋っていなかったが、いまは少しずつ教えるようにしている。
もっとも、操心術の秘密を完全に教えているのは、玲子さんとあさひ姉ちゃんくらいであり、ほかの女性たちは、強い催眠術のようなものと考えていると思う。
だが、実際には、一瞬で相手の人格さえも変質させるほどができるほどの神がかりな能力である。
どのくらいのことができるのだろうと試せば試すほど、その力の凄まじさと可能性に、真夫自身が怖くなるほどだ。
しかし、それをあさひ姉ちゃんに教えたときにも、あさひ姉ちゃんはあっけらかんとしたものであり、「すごいね、真夫ちゃん」と褒めまくっただけだった。
その変わらない態度には、真夫もほっとした。
「心は読めないよ。まあ、悪意の感情については、なんとなくわかるけどね。それも、まだまだ経験が足りない気がするよ。読める感情は表層までで、意図的に隠した感情はわかりにくい。操ってしまう方が簡単なくらいだね」
「十分すごいわ。やっぱり、真夫ちゃんは無敵ね」
あさひ姉ちゃんが嬉しそうに笑みを浮かべた。
そして、食事が終わる。
給仕の女性が入ってきて皿を片付け、コーヒーが運ばれてきた。
玲子さんと最初に会ったとき、一杯二千円に近いコーヒーの値段に、あさひ姉ちゃんとふたりで目を丸くしたのも懐かしい思い出だ。
あさひ姉ちゃんはミルクだけを入れ、真夫はなにも入れずに口にする。
一流の味を見分ける舌には覚醒しないが、最近になってコーヒーの味だけは区別ができるようになったかもしれない。
このホテルのレストランで飲めるコーヒーは本当に美味しい。
「ふふふ、それで真夫ちゃん、これからどうするの? もう戻らないとだめ?」
そのとき、あさひ姉ちゃんがちょっと誘うような上目遣いで真夫に視線を向けてきた。
実のところ、今日は完全な平日であり、普通の火曜日だ。
真夫たち三年生は、自由課題時間というのがあり、秋に発表する個人研究発表のための準備時間という科目があり、同じくして、あさひ姉ちゃんも今日は大学の授業がなかったので、ふたりで学園の外に出て食事に来たのである。
本来は、週末以外には特別外出許可がなければ、学園の敷地内には出れないのであるが、それくらいは玲子さんに告げれば一発で許可が出る。
「なに、あさひ姉ちゃん? とてもエッチな顔になったよ。もしかして、遊んで欲しい?」
真夫は揶揄うように言った。
すると、あさひ姉ちゃんの顔が真っ赤になる。
「ううん、真夫ちゃんの意地悪。今日は一日自習時間なんでしょう? 操心術を使っていいから」
あさひ姉ちゃんがちょっと拗ねたような物言いをする。
確かに、今日は真夫は授業のない一日にはなっている。
マゾでエッチなあさひ姉ちゃんだから、こうやってふたりきりで外出したことで期待もしてたのだろう。
真夫は、手を伸ばしてあさひ姉ちゃんの前にある水の入ったグラスをテーブルから手に取って引き寄せた。
「ほら、このグラスから目を離さないでよ」
「うん?」
あさひ姉ちゃんが小首を傾げた。
だが、ちゃんと目を真夫が持つあさひ姉ちゃんの前にあったグラスに向けている。
真夫は、指をグラスの中にちょっとだけ入れて、軽く水を回す。
「ひんっ」
あさひ姉ちゃんがびくんと身体を震わせて、両手を股間にやる。
これも操心術だ。
感情を操るだけでなく、感覚を操るのも、真夫は最近になってできるようになった。
そして、真夫が操心術のことをあさひ姉ちゃんに告白すると、あさひ姉ちゃんは、その操心術を使って、身体を操られながら苛められことがお気に入りになってしまったみたいだ。
最近では、たびたびこうやって、お強請りをされる
「どうしたの、あさひ姉ちゃん? いきなりびくんとなっちゃって」
真夫はくすくすと笑いながら、今度は指先で軽くグラスの真ん中付近を弾いた。
「んぎいっ、ま、真夫ちゃん──」
あさひ姉ちゃんは今度は上半身をテーブルに突っ伏さんばかりに身体を倒して、悲鳴のような声をあげた。
実のところ、いまこのグラスとあさひ姉ちゃんのクリトリスは、操心術で感覚を直結させている。いま、真夫グラスの中心を叩いたことで、あさひ姉ちゃんは下腹部のクリトリスを叩かれたのと同じ衝撃を味わったのである。
女性のクリトリスはほんの先端の部分が股間に露出しているだけであり、もっと鋭敏な全体のほとんどは体内にあるらしい。だけど、いまあさひ姉ちゃんは軽くだけどそれを指で弾かれたのと同じなのだ。
悶絶するような声をあげたのも仕方ないだろう。
「だめだよ、あさひ姉ちゃん、平気な顔をしてないと」
真夫はテーブルの隅にある呼び出し用のボタンを押して、給仕を呼び出す。
だが、いまだにあさひ姉ちゃんの股間と結びついた水入りのグラスを手に持ったままだ。
「ま、真夫ちゃん……」
あさひ姉ちゃんが股間を手で押さえながら、涙目で真夫を見た。
だが、真夫は素知らぬふりをする。
すぐに、個室に給仕の女性が入ってきた。
「デザートを追加でお願いします。お任せで」
真夫は言った。
グラスの縁を優しく濡れた指で擦りながら……。
「んんっ、んっ」
あさひ姉ちゃんが椅子から転げ落ちそうになるくらいに、身体を大きく震わせた