※この作品はR-18です。

淫魔王のいる学園【完結】   作:ドン・ドナシアン

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192話【継承の儀・前々夜】

 深夜の駅前公園は、街灯が切れかけている。誰も寄りつかないベンチの陰に、自分と、いつものふたりが腰を下ろしていた。

 酔って道に迷った女、風俗上がりで足元のおぼつかない女──そんなのが、時折ふらついてくる。

 ひとりが声をかけ、ひとりが薬を仕込み、あとは順番だった。

 意識を飛ばして、撮る。売る。終わったら、どこかへ流す。

 そんなやり口を、何度も繰り返してきた。

 

「今日は、空振りかあ……」

 

 翔がタバコを吸いながら言った。煙の輪が、街灯の光をかすめて漂う。

 

「どうする? もうちょっと待っているか?」

 

「それとも、あれ……呼び出すか。この前、仕込んだの。あれ、どうしたっけ?」

 

「ばーか、あれは、もう兄貴のところに流しちまっただろうが。覚えてもねえのかよ」

 

 翔が火のついた煙草を放り捨てながら、けらけらと笑う。

 

「いちいち、覚えてられるかよ。まあいいや、だったら、どっかクラブで飲み直すか。そこで捕まるかもしれねえし」

 

 立ちあがって、場所を変えようとしている矢先だった。

 ヒールの音が響いた。コツ、コツ、と乾いた音が近づいてくる。

 女が現れた。金髪──だが、あれは明らかにウィッグだ。色味の浮いた合成繊維。露出の多いノースリーブ。下には何もつけていないのがわかる。スカートは異様に短く、下着の白が公園の灯りでちらついている。

 

「なんだ、あれ?」

 

「ストガ?」

 

 両脇で仲間は首を捻っている。

 確かに、あからさまだった。まるで男を誘うような扇情的な格好、だが、どこか、どこかの嬢様が道を間違えたような、場違いな品もある。

 しかも、こっちに真っ直ぐに向かってくる。

 三人でちょっと唖然となってしまった。

 女がさらに近づき、はっきりと顔がわかる。

 顔立ちは整っていた。二十歳前後か。いや、化粧でわからなくしているが、もっと若いだろう。まるで、高校生……。もしかしたら、さらに若いかも……。

 女は小さなバッグひとつを手に、まっすぐに歩いてきた。

 

「……ねえ、あんたたち、なにしているの?」

 

 女……いや、少女が声をかける。よくわからないが、酒の匂いもないし、薬の香りもない。どういう了見かわからないが、こうなれば、いつものように処置するだけだ。

 三人で目配せをして、少女を囲むようにする。

 

「まあ、なにって言われてもね。ちょっとな。そういう嬢ちゃんは?」

 

 声をかける。

 少女の喋り方には、わざと崩している風があるが、育ちのよさのようなものを感じる。

 こんなことで、なにをしているのか、なにをしに来たのか。

 わからないが、ちょっとだけ大人の振りをして背伸びしたいというところか?

 

「わたしも、ちょっと……。ねえ、一緒に遊ばない?」

 

「遊ぶって、俺たちとか?」

 

「いいぜ。俺たちって、すっげえ、おもしれえからよう。絶対に、愉しい夜になるぜ。一緒に行こうか」

 

 少女の腕を掴む。まったく嫌がらない。そのまま、少女を囲んだまま、街灯の届かぬ細い路地に連れていく。

 とりあえず、そこだ。

 いつもの場所。どこでもない路地裏というだけの場所。三人で最初に輪すのは、こういうところと決めていた。

 仲間と顔を見合わせて笑みを浮かる。

 空振りだと思っていた夜に、とんでもない獲物を見つけた。絶対にこれは金になる。三人で眼で笑い合う。

 

 路地に入ると、女が立ち止まった。後ろ姿のまま動かない。

 仲間ふたりが同時に動いた。腕を取り壁際に押しつける。抵抗はなかった。

 

「尻をあげな。怪我はしたくねえだろう?」

 

 体勢を変え、膝立ちでうつ伏せにさせる。両側で仲間が肩を押さえつけている。

 少女の腰を掴んで、スカートがめくった。すぐに、下着を膝まで引き下ろす。

 

「なんだ、濡れてるぜ?」

 

 びっくりした。

 夜の街灯でもわかる濡れ方だ。

 下着は水を吸ったみたいに重かったし、尻側からでも、少女がべっとりと股を濡らしているのがわかる。

 もしかして、とんでもない淫乱?

 いや、これは異常だ。

 やばい媚薬でも使っている?

 

「……早くしねえかよ、お前」

 

 ひとりが小馬鹿にしたように言った。

 もうひとりも舌打ちする。

 

「黙ってろよ、いま始めるとこじゃねえかよ」

 

 舌打ちする。

 自分のズボンを下着ごとおろして、男根を露出した。

 そして、少女の剥き出しの腰を両手で掴んだ。

 そのとき、女の身体がわずかに揺れた。

 

 カチリ、と音がした。

 続いて、くぐもったような破裂音。

 両脇で肉が裂けるような感触が響く。

 押さえつけていた仲間が血を眉間から噴き出しながら声もなく崩れた。もうひとりも、同じように額を撃ち抜かれて沈む。

 

「えっ?」

 

 なにが起きたかわからなかった。

 だが、少女は素早く体勢を整えて、立ちあがっていた。下着は膝までさげたまま。

 横には明らかに死んでいる仲間がふたり。自分は尻餅をついている。口が何かを言おうとするが声が出ない。

 少女は、抜かれた拳銃を握っていた。目に光はなかった。

 バッグに拳銃が入っていた? 少女がまだ肩にかけているバッグは口が開いている。

 

「ま、待ってくれ──」

 

 やっと声が出た。

 しかし、銃口は真っ直ぐに向いていて。眉間に向いている。

 最後に見えたのは、金属の輪郭だけだった。

 衝撃で頭が揺れ、そして、なにもわからなくなった。

 

 


 

 

 暗い路地に、血の匂いが残っていた。

 三人の死体が、倒れている。ひとりは壁にもたれたまま動かず、もうひとりはうつ伏せのまま。最後のひとりは地面に仰向けになっていた。ズボンと下着が足首までさがっていて、性器が露出している。まだ股間は勃起したまま。共通するのは、三人の眉間に銃傷があること。

 渚が撃ち殺した。

 

 眺めていた。

 殺したのは、そういう命令だったからだ。だから、路地に誘って殺した。

 理由はない。目的も知らない。命じられたからやった……。それだけ。

 

 肩にバッグがある。開いたままだった。

 そこへ拳銃を戻す。熱さも重さも、なにも感じない。

 

 そのとき、ふと動きが止まる。

 膝に何かが引っかかっていた。視線を落とす。下着だった。先ほど下ろされたままの状態で、脚の動きを邪魔している。

 どうするか、という判断はすぐには出なかった。指示にないことだからだ。

 脱ぐか、はきなおすかは、どちらでもよかった。だが、はきなおした。そうするように筋肉が動いただけのことで、渚には特に理由はない。

 

 路地を抜けて、通りへ出る。

 黒いバンが路肩に停まっていた。音はない。気配だけがあった。

 

 後部の扉が開く。迷わず乗り込む。

 運転席に正人がいた。

 その顔は覚えている。忘れないように命じられている。従え、と。逆らうな、と。

 命令したのは誰だったか──思い出せない。巨大な乳房の裸の女。そんな像だけが、頭の奥に残っている。だが、輪郭は溶けている。その場所もぼんやりとしている。横に正人がいた気もする。巨乳の女は拘束されていたような……。

 

「人殺しに慣れたようだな、渚」

 

 正人の声──。

 意味は理解できた。だが、返す言葉は浮かばなかった。

 慣れる。慣れない。そういう感覚が存在しない。

 やれと言われたからやった。ただそれだけ。

 渚は黙っていた。

 

「着替えろ」

 

 正人が言った。

 足元を見る。座席の横には、脱ぎ散らかされた衣服が置かれていた。

 公園に向かう前に、渚自身が脱ぎ捨てたものだ。

 手が動く。無言のまま衣服に触れる。

 “これに着替える──。”

 正人から与えられた、次にすべき動作だけが、頭の中で繰り返されていた。

 

 その場で全裸になり、下着もすべて着替え直す。灰色のジャケット──聖マグダレナ学園の制服。灰色は、従者生徒用の制服だ。

 あの学園は、納める学納金で使用できる学園施設が区別されており、従者生徒の灰色は、主人生徒の許可がないと、ほとんど学園の施設は利用できない。渚と梓の双子は、西園寺絹香の侍女生徒なので、S級生徒の絹香の生徒カードを使って、施設利用や買い物をするという仕組みだ。

 もっとも、最近は、真夫によって、本来は「主人」である絹香の調教係に、梓が指名されたことで、梓が絹香からカードを取りあげて、やりたい放題をしている

 でも、渚は、梓のようには振る舞えない。

 

 奔放に、自在に、まるで子犬を苛めるように絹香を扱うことなどできなかった。

 下着をとりあげ、床におとした食べ物を食べさせ、梓の脚を浸した洗面器の水をすすらせる。トイレも制限する。浣腸をして無理矢理に排便させるときもあれば、逆にアナル栓をして数日出させないということもする。媚薬を塗って欲情させて無理矢理に連続絶頂させたり、逆に放置したりとか……。

 

 とにかく、梓のようには到底なれない。

 梓が絹香にしていることを、渚はただ傍で見ているだけ……。なにも言わず、なにもせず、ただ傍観している。

 

 だが──それに対して、絹香が嫌がっているふうもないのが、さらに理解できない。

 調教と称し、肌をさらし、身体を貪られているというのに、むしろ陶然とした表情を浮かべ、悦びに満ちた声を洩らす。

 なぜ、そんな反応になるのか。渚にはまるでわからなかった。

 

 けれど、いまの関係になる以前に、理不尽に強要される側だった頃の記憶──。

 あの絹香から与えられていた破廉恥な命令の数々を思えば、あれが終わったことは、とてもありがたい。

 

 もっとも、そういう記憶すら、いまの渚には実感がない。

 ただ、そうだったと、どこか遠くから聞かされたような曖昧な感覚で、ぼんやりと胸の奥に沈んでいる。

 まるで、窓の向こうにある劇の一幕を眺めているようなものだった。

 しかし、それでも忘れてはいけない。

 

 もうひとりの渚が、どう振る舞ったか。なにをしたか。

 それを記憶していなければ、次に何をすればいいかがわからなくなる。行動に齟齬が出る。それでは任務に支障が出る。

 だから、覚える。それもまた、命令だった。

 

 真夫の前では、いまの渚は表に出ない。

 表に出るのは、もうひとりの渚。感情を持ち、言葉を交わし、笑顔を作る渚。

 いまの渚は、ただそれを背後から見つめるだけ。

 

 表に出なければ、いまここにいる渚は操られずにすむ。

 心の奥まで覗かれずにすむ。

 この切り分けこそが絶対の命令として、脳の奥にすり込まれている。

 

 もし、それを破れば──あの拷問が待っている。

 感情など持たないはずの渚の内部に、ただひとつだけ残されているものがあるとすれば、それはその恐怖の記憶だった。

 あの瞬間だけは──皮膚の奥が、まだ覚えている。

 焼けた鉄と薬液と、笑っていた女の声。

 その記憶にふれたときだけは、いまの渚の全身がかすかに震えた。

 

 記憶が戻ったのは──ほんの数週間前のことだった。

 それまで、そんなものがあったということすら知らなかった。

 だが、あの言葉を聞いた瞬間、全てが蘇った。

 

 あの国の言葉だった。

 ごく短い、誰にも意味のわからない言葉。

 けれど、それを耳にした瞬間、渚の身体は震え、視界の奥で開かれた扉があった。

 開けてはならなかった記憶。閉じられていた人格。それらすべてが、一斉に目を覚ました。

 

 

 

 

 中学三年生の修学旅行──。

 渚と梓は、絹香から離れて異国への一週間ほどの修学旅行に参加をしていた。

 そのとき、梓が交通事故に遭い、修学旅行の期間が終わっても、一箇月ほど異国の病院に残るということがあった。事故に遭ったのは梓だが、まさか、梓だけを置いていくわけにもいかず、当然に渚も残った。

 だが、あれは、偶然の交通事故ではなかった。

 渚の意識は、ずっと曖昧だったが、いまははっきりとわかる。

 

 すべて、仕組まれていた。

 

 日本有数の名家・西園寺家に、諜報員を送り込む。

 そのための“接点”として、渚は選ばれていた。

 事故に見せかけて病院に運ばれ、そこに「偶然」残った渚が対象とされた。

 梓の看病のために残っている──。それは口実だった。渚の孤立こそが、彼らの狙いだった。

 

 そして、始まった。

 

 最初は拘束。

 気がつけば、目も、口も、声も奪われていた。

 

 次に、電撃。神経を逆撫でする、焼けるような電流。

 続けて、薬物。意識を混濁させ、記憶を壊す。

 

 さらに──媚薬。

 理解不能なまでの快楽が、連続で与えられた。

 

 気を失えば、冷水で叩き起こされた。死のうとすれば、蘇生された。

 

 臨死状態を何度もくぐらされた。

 死ねない拷問。逃げられない快楽。理解できない命令。

 

 すべては、「壊すため」だった。

 一度、心を完全に砕いてから、新たな人格を「造る」ために。

 

 それが、いまの渚だ。

 命令にだけ従い、思考を制限され、感情を持たない──もうひとつの器。

 

 その記憶は、封じられていた。

 術式による封印。外側からのトリガーがなければ、渚自身でも決して思い出せなかった。

 けれど、それが解かれたある言葉──“定められたキーワード”によって、人形としての人格が現れる仕組みだ。

 

 その瞬間、記憶と人格が蘇り、同時に理解が下された。

 真夫に仕えるという、絶対の使命。

 従わなければならない。

 命令に逆らってはならない。

 それが存在の理由であり、造られた意味だった。

 

 逃げるという発想はない。

 抵抗もない。

 ただ、命令を待つ。

 それだけが、いまの渚の正しさだった。

 

 

 

 

 そして──今夜のことだった。

 何のためにやらされているのかは、わからない。理由を知ろうとも思わない。

 ただ、正人に連れ出され、深夜に人を殺すのは、これで三度目になる。

 

 正人の言葉では、「慣れろ」ということらしい。

 実際、そのとおりだった。

 一度目よりも、二度目──そして今夜は、感情の起伏がまったくなかった。

 心は波立たず、手は濡れることを躊躇わなかった。

 本来、いまの渚には感情などない。それが当然であり、設計された通りだった。

 

 けれど──内側に潜むもうひとりの渚。

 あの人格のわずかな震えが、時に影響を及ぼす。

 かすかな揺れが、言葉にできない形で伝わってくる。

 

 それでも、今夜は違った。

 動揺はなかった。痛みもなかった。

 いまの渚は、完全に沈黙していた。

 ──そう、慣れたのだ。

 

 車は、ゆるやかな坂道を登っていた。

 舗装された山道。両脇には等間隔に立つ監視灯。一定距離ごとに、赤外線センサーと暗視カメラの警告標識が並んでいる。

 

 すでに、聖マグダレナ学園の敷地内だった。

 ここは、いくつものゲートに分かれた監視区域で構成されている。最初のゲートを越え、しばらく進むと、もうひとつ中間の関門が現れる。そこを抜けて、ようやく校舎群や研究棟、寮区を備えた学園の中核区域へと至る構造だ。

 

 だが、渚がいま向かっているのは、S級生徒の居住する本館の寮ではない。

 真夫、絹香、そして梓──彼らが暮らすその場所ではなかった。

 渚はS級寮には、不在ということになっている。

 いまは、進学を前提とした特別合宿に参加しており、一週間の予定で専用の合宿場に宿泊していた。

 ──少なくとも、外見上はそうなっている。

 

 その申請は、渚──いまここにいる渚が、正人の指示で整えたものだった。

 いつもの“渚”ではない。

 表には出ないこの人格が動き、真夫と絹香の了承を得て、梓を数日間、ここから遠ざけるよう調整していた。

 

 山道がわずかに開ける。

 黒いバンが静かに停止したのは、学園内の一角──合宿場の裏口だった。

 灯りはない。カメラの死角になるよう計算された場所だった。

 運転席から正人の声がした。

 

「……着いたぞ、渚」

 

 正人が運転席から声を掛ける。

 しかし、扉はまだ開かない。

 自分では、扉の開け閉めをしないように徹底されていた。渚はバンの扉が開くのを待っていた。

 

「あと数日で──《コード=ゼロ》が発動になる」

 

 すると、正人が言った。

 その声に、渚の身体がはぴくりと反応した。

 

 《コード=ゼロ》──。

 

 瞬間、頭の奥でなにかが回り始める。

 過去に何度も繰り返された「命令」の響きが、耳元でよみがえった。

 《コード=ゼロ》──それは、真夫の暗殺。いや、全てを終わらせる全員の抹殺作戦──。

 

 思い出す。

 そうだ、自分はそのために動いてきた。

 あの夜の訓練。最初の殺人。二度目の刺殺。そして、今夜の銃殺──。

 すべては、“慣れ”のためだった。殺人に動揺しないように。任務を実行するために。

 

「……では、もうすぐ継承の儀が?」

 

 口をついて出たのは、記憶の中の“命令”にあった儀式の名だった。いまのいままで、記憶にはなかったが、いまはある。繰り返されている暗殺実行の構想だ。

 

 豊藤の術者──その継承には、必ず儀式が伴うらしい。

 継承を受ける者が、継承者のもとを訪れ、自らの“奴婢”を連れていく。

 奴婢は、家臣となるべき者に差し与えられ、それによって操心が交わされる。

 古くから伝えられる、その“儀”の名の下で──命令はくだされた。

 

 継承の儀の場で、真夫を射殺する。

 それが渚の役割。

 操心術の遣い手の暗殺は難しい。もしも、暗殺者が接近しても、相手が近づくだけで操心術の支配下になるからだ。気配を殺して接近することも簡単ではない。その気配そのものを、術者が読むらしい。

 だから、真夫が警戒なく接近する人材が準備された。

 渚である。

 

「継承の儀は、明日か、明後日……。おそらく、明日には龍蔵様があの坊やに伝えるだろう」

 

 正人の声が、冷たく車内に落ちた。

 

「あの坊やが拒まぬよう、明日、玲子を拉致する計画も進んでいる。玲子がいれば、坊やは断れねえ。あの女には弱いからな。おまけに、あの女には股間にクリリングを埋めているから、抵抗なく捕まえられる」

 

 正人がくすくすと笑った、笑っているのに虚ろな声。ちょっと不気味ささえある。

 渚は静かに頷いた。

 とにかく、齟齬があってはならない──すべての動きが、完全に一致していなければならない。

 それが作戦にすり込まれた鉄則だった。

 

「真夫の暗殺は、すべてを同時に行う。ひとつでもズレたら、意味をなさない」

 

 渚は徹底されていることを言葉にする、

 コード=ゼロの実行において、一番重要だと教えられていること。単なる「道具」では、臨機応変に対応できない。作戦概要をこうやって詳細に教えられているのは、コード=ゼロの執行を梓自身にも判断させる必要があるかもしれないからだ。

 

「……そのとおり。全ては同時に。継承の日は、術者たちが必ず集う。その瞬間を狙う。──俺と、お前で」

 

 そう言った正人を、渚は見た。

 その顔に、感情の色はなかった。

 人形のようだ──と、思った。

 おそらく彼も、命じられている。渚への指示を徹底するよう、誰かから。

 正人の声には従うが、そこに判断はなかった。ただ命令を運ぶ管にすぎない──そう見えていた。

 

 だが、それでいい。

 渚は、従うだけだった。

 

 任務の条件は明確だった。

 継承の儀に出席し、そこで“誰が術者か”を見極める。

 真夫のほかに、操心をかけようとする者、護る者、まだ表に出ていない術者がいるならば、それを把握する。

 その上で、発動する。

 条件が整わなければ、作戦は延期される。それも命令だ。

 

「あの坊やが、従者でしかないお前と梓を同行させるかは、わからない。だが──絶対に同行しろ」

 

「……絶対に同行する。わかった」

 

 渚は応じた。

 口に出すことで、その命令が、さらに深く脳に刻まれていく。

 

「銃の隠し場所も、覚えているな?」

 

 渚は頷く。

 受け取るべき場所は、儀式の場にある。

 手順も、動線も、標的の位置もすべて頭の中にある。

 それを乱さぬよう、繰り返す。

 満足したように、正人が唐突に口を開いた。

 

「イワン王には──紅茶でもなく、コーヒーでもなく。あの男の好みは、喉を焼くような酒。燻製の鹿肉と、生のサーモンと……」

 

 その言葉に、渚の意識がゆらぎ始めた。

 視界の奥がかすむ。

 輪郭が曖昧になっていく。

 

 ──気づけば、車外に立っていた。

 

 エンジン音は、もう遠ざかっている。

 バンは、立ち去った後だった。

 

 

 

 

「……え?」

 

 渚は自分の立つ場所を見回す。

 合宿寮の裏手。通用口の前。

 

 ──なぜ、外にいるのだろう?

 

 たしか、自分は合宿に参加していたはずだった。

 講義のあと、すぐに部屋に戻って……。

 

 だが、記憶は曖昧だった。

 その空白を埋めるように、「夜風にあたりたかったから外に出てきた」という記憶が、ふっと頭の中に浮かんできた。

 

 ……そんなはずはない。

 

 そう思いながらも、“そうかもしれない”という感覚もある。

 ──いまは、戻ろう。

 

 渚は、なにもなかったように寮の通用口から中へ入っていった。

 

 


 

 

 真夫から全員集合の緊急の指示があったのは、翌日の夕方だった。

 詳しいことは集まってから伝えるという内容だったが、端末に届いた指示によれば、その日の昼間──豊藤財閥の総帥・龍蔵から真夫に連絡があり、「継承の儀」についての命令があったという。そして、玲子もまた、その龍蔵により、すでに“拉致”されているらしかった。

 

 短い文面だけだったが、それでも、真夫の狼狽は行間から滲み出ていた。

 

 継承の儀──

 玲子の拉致──

 

 胸の奥がざわついた。

 なにか、思い出せそうな気がした。

 だが、いまの渚には、それがなんなのか、やはりわからなかった。

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