※この作品はR-18です。

淫魔王のいる学園【完結】   作:ドン・ドナシアン

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第30話 継承
193話 奴婢たちの決断


 空気が張りつめていた。

 

 学園内のS級寮の一角。かつて三つに分かれていた部屋が壁を抜かれ、ひとつの広い空間に改装されている。寄せられたベッド、中央に据えられたテーブル、窓際の柔らかな照明──あまりに静かなその場所に、十一人の少女たちが集まっていた。

 

 玲子さんを除く、全員──。

 あさひ姉ちゃん、かおりちゃん、絹香、ひかりちゃん、明日香ちゃん、柚子、京子先生、あゆみさん、七生、渚、梓。

 

 説明は終わっていた。

 豊藤龍蔵からの命令。玲子の拉致。継承の儀。

 そして──操心術という異能の存在。

 真夫自身が、その術の担い手であるということも……。

 最初に沈黙を破ったのは、あゆみさんだった。

 

「……操心ねえ……。なるほど、そういうことだったんですね」

 

 周囲が驚いたように彼女を見る。

 あゆみさんは、平然としていた。艶やかな黒髪を指先で一度整え、続けた。

 

「私の家──九条家には、古くから伝わる話がありました。“豊藤に連なる血には、心を縛る技がある”と……。けれど、誰も本気にはしていませんでした。言い伝えのようなもので、そういうものは、ほかにもたくさんあります。でも、全部、眉唾物で……」

 

 そして、目元にわずかな翳りを見せると、あゆみさんは真夫に視線を戻した。

 

「……でも、あなたが説明したことで、ようやく腑に落ちました。現実だったんですね──ずっと、闇の中に隠されていただけで。教えて頂いてありがとうございます」

 

 表情は変わらない。ただ、静かに納得していた。

 

「……だったら」

 

 声を重ねたのはかおりちゃんだった。

 肘をテーブルについて頬杖をつき、不機嫌そうに眉を寄せている。

 

「なんで、わたしたちは、操られてないの? 操心術って、もっと……従わせる力じゃないの? あっ、それとも、操っている?」

 

 「疑ってる」というより、「腑に落ちない」という風情だった。

 

「同感ですね」

 

 低く落ち着いた声で、京子先生も続いた。腕を組み、どこか遠くを見るような視線。

 

「本当に、真夫君に人を操る力があるなら、そもそも“説明”なんて不要です。従わせたいなら、黙って支配すれば済むことでは? いえ、そもそも、信じられません」

 

 言葉に刺はないが、疑念は隠していない。

 明日香ちゃん、ひかりちゃん、絹香たちは──驚きの色を隠してなかった。

 ただ、それでも、拒絶反応はなかった。

 信じがたいとは思いつつも、思い返せば、どこか納得できる記憶があったのかもしれない。

 

「……皆の心に、直接“触れた”ことはないよ」

 

 真夫が口を開いた。ゆっくりと、しかし確かに言葉を選びながら続けた。

 

「そういうことはしていない。感情を鈍らせたり、恐怖を消したり、苦しみを薄めたり……。そういう形で“支える”ことなら、何度か試した。でも、強制的に従わせたことは── 一度もない」

 

 視線が交錯する。

 

「なぜ、そんなことをしないの?」

 

 と、ひかりちゃんが問いかける。

 真夫は、はっきりと答えた。

 

「そんなものに、価値がないからだ。誰かを“従わせる”より──自分の意思で傍にいてくれる方が、はるかに嬉しい」

 

 沈黙が戻る。

 だが、空気は、先ほどよりもやわらいでいた。

 だが、静けさの中で、京子先生が口を開く。

 

「……信じられません、そんな話」

 

 腕を組んだまま、わずかに顎を上げて真夫を見つめている。

 

「そう?」

 

 真夫はわずかに口元をあげた。

 別に信じてくれようが、信じてもらえなかろうが気にはしないが、真面目な京子先生らしいと思ったのだ。

 

「つまりは、催眠術を扱えるということですか?」

 

 声には冷静さがあったが、疑いは明らかだった。

 真夫は短く息を吐いた。

 

「催眠術……とはちょっと違うかな……。もっと、直接的なもの。人の心を支配できる。架空の記憶を植えつけたり、それとも、記憶を抜いたり。もっといえば、逆らえなくすることもできる。催眠術ではそんなことはできないはずだよ」

 

「でも、本当にできるなら──見せてください。証拠がなければ、納得できません」

 

 京子先生はきっぱりと言った。

 しばしの沈黙。

 真夫は嘆息した。

 

「じゃあ……少しだけ、試してみますか?」

 

「え、ええ……」

 

 京子先生子の視線が、わずかに揺れた。

 

「失礼しますね、京子先生」

 

 操心術をかけるのに触れる必要も、眼を合わせる必要さえない。ただ。思うだけ。ほんの一瞬。これで、十分だった。

 京子先生の瞳がすっと細くなる。

 瞬きの間に、まるで奥の意識が一段階、沈み込んだように見えた。

 

「えっ、真夫君……いま、なにを……?」

 

 言いかけたその言葉は、最後まで出なかった。

 京子先生の動きが止まったまま、虚ろな目が彷徨いはじめる。視線は真夫に向いているようで、焦点が合っていない。

 次の瞬間、ぴくりと肩が震えた。

 

「……暑いわ……」

 

 足元がふらつき、かすかに膝が崩れる。胸元を押さえた指先が、そのままゆっくりと肌に沈んでいく。

 自分でも理解できていないらしく、唇がわずかに開いたまま、息だけが浅く洩れた。

 ゆっくりと、京子の両手がスカートの裾へと伸びる。

 ひとつ、深い呼吸をしてから、静かにスカートのホックに指をかけた。

 

「えっ、えっ、なに?」

 

「なにこれ、どうしたの?」

 

 誰の声かわからなかったが、周りの女たちが騒然となった。

 真面目な京子先生とは思えない、官能的な表情と行動……。

 誰も動けなかった。

 

 だが、周囲に人がいるという認識も、京子先生から消えているはずだ。

 羞恥も、理性も、警戒も……。

 

「……先生……?」

 

 明日香ちゃんの戸惑った声が響いた。

 だが、京子先生は反応しない。

 静かに上着を脱ぎ、ブラウスをほどき、肌をあらわにしていく。

 すでに、下着姿だ。

 真夫の前へと、裸足のまま近づいてくる。

 その眼差しは虚ろなまま、どこか熱を帯びていた。

 

「……ねえ、もう……我慢できないんです……」

 

 京子の手が、真夫の胸元に触れる。

 唇を重ねる動作が、戸惑いもなくなめらかだった。

 押しつけるように、熱く、深く──そのまま舌が絡む。

 背中に腕を回し、肌を押しつけてくる。

 呼吸は浅く、体温は高い。完全に陶酔していた。

 

 ひかりちゃんが顔を伏せ、明日香ちゃんも目を見開く。

 かおりちゃんは「へえ、こいつ、こんな風に迫るの?」とちょっと面白がる感じ。

 あゆみさんは、唖然としている。

 渚と梓は、なにも言わずに真夫を見ていた。

 だが、京子先生だけは、誰の声も視線も届かない場所にいた。

 

「せんせ……を……気持ちよくしてください、まお、くん……。せんせい、なんでも、しますから……」

 

 甘えた声が、真夫の耳元で震える。

 

 頬を寄せ、首筋に口づけを落とす。

 熱っぽい息を吹きかけ、上気した瞳で見上げながら、甘えるように口を開いた。

 

「もっと……もっと、欲しいんです……。わたし……もう……」

 

 その声が、あまりにも切実だった。

 ──だが、そこで真夫が静かに右手を京子の額に当てた。

 操心術の効果を解除したのだ。

 

 京子の身体がぴたりと止まった。

 目の焦点が戻る。

 頬に残っていた紅潮が、引いていく。

 

 ──そして、次の瞬間。

 

「……えっ、な、なにこれ……? いや……いやあああっ……」

 

 悲鳴があがった。

 京子が慌てて胸を両腕で隠し、片手でスカートを拾う。

 身体を丸め、床に崩れるようにして、真夫と、そして室内にいた全員を見上げた。

 

「み、見ないでっ……見ないでよ……っ」

 

 声は震えていた。

 羞恥と混乱が、彼女の表情を引き裂いていた。

 その場にいた誰もが、息を飲んだまま動けずにいた。

 ただひとり、真夫だけが、静かにその姿を見つめていた。

 

「先生、理解できましたか? これが操心術です」

 

 真夫はにっこりと微笑んだ。

 京子先生はしばらく床にうずくまったまま、肩を震わせていた。

 手にしたスカートをなんとか身体に巻きつけながら、それでも膝が止まらない。

 頬は蒼ざめ、唇だけが赤い。

 その様子を見ていた誰もが、言葉を失っていた。

 ──だが、その沈黙を破ったのは、七生だった。

 

「……なあ、先生。いまのって……どうだったんだ? 記憶、ないのか?」

 

 その声に、京子がわずかに顔を上げる。

 引きつったままの表情で、乾いた声を搾り出すように言った。

 

「……あるわよ。全部。なにもかも……っ。やったことも、言ったことも、ぜんぶ……」

 

 言葉の端が震えた。

 だが、嘘ではなかった。その目には、はっきりとした羞恥と自己嫌悪が宿っていた。

 室内が、静まり返る。

 その沈黙を、今度はあさひ姉ちゃんが破った。

 

「なるほどねえ……。だから、真夫ちゃんにさわられたら、びりびりってなるのね」

 

 納得したように頷きながら言うその顔は、妙に明るかった。

 

「……びりびり? なによ、それ」

 

 かおりが眉をひそめて聞き返す。

 あさひ姉ちゃんは笑って答えた。

 

「だって、そうでしょ? 触られると、身体がね、びりびりって痺れるの。奥のほうまで。じわーって……。あれが操心術だったのねえ」

 

「なにそれ?」

 

 かおりちゃんが呆れた顔であさひ姉ちゃんを見る。

 一方で、真夫は苦笑した。

 

「いや……それ、ちょっと違うと思うよ。操心術って、もう少し……」

 

 言いかけて、肩をすくめた。

 説明しても、あさひ姉ちゃんはたぶん、聞かない。

 場の空気が、少しだけ緩んだ。

 京子も、まだ頬を赤らめながら、なんとか上体を起こし、スカートをはき直していた。

 

 すると、再び、あゆみが口を開く。

 

「……ならば、真夫さんが後継者になるのは、当然のことだと思います」

 

 淡々とした口調だった。

 その目は、まっすぐに未来を見据えている。

 

「当たり前でしょう。こいつに豊藤を次いでもらわないとどうするのよ。折角、大逆転で勝ち組になれたと思ってたのに」

 

 かおりちゃんだ。

 

「あんた、なんか言った?」

 

 あさひ姉ちゃんがかおりちゃんを睨む。

 かおりちゃんは、肩を竦める。

 

「いえ、わたしの言いたいのは、心を縛る力を持ちながら、使わずにいられる人間は、数えるほどしかないということよ。操れる者より、操らずにいられる者の方が何倍も強い。その意味で、あなた以外には、継承者としてふさわしい人はいないと思うわ」

 

 その言葉に、誰も異論を挟まなかった。

 重く沈んでいた空気が、わずかに揺らいだ。

 そして、沈黙を破ったのは──絹香だった。

 

「いずれにしても……」

 

 絹香は真夫に視線を向けた。

 

「その継承の儀に行かなければ、玲子さんは戻らず、真夫さんの継承も成らない──。そういうことですね?」

 

 真夫は、短く頷いた。

 

「……ああ。そういうことになる……と思う」

 

 真夫の答えに、室内の空気がまたひとつ重くなった。

 それでも、今度は誰も黙ってはいなかった。

 

「はああ……。だったら、行くしかないわね。だけど、継承の儀──? あんた以外に抱かれろってこと──。ちゃんとやるけど、責任とりなさいよね。約束よ」

 

 かおりが最初に口を開いた。頬杖をついたまま、どこか開き直ったような口調だった。

 

「責任って……」

 

 真夫はかおりちゃんを見る。

 

「わたしたちが、他の男に抱かれたからって、捨てるなってことよ。わかってんでしょうねえ」

 

「いや、そんなことはしない」

 

 真夫は困惑して言った。

 

「真夫さんのご命令であれば、覚悟はします。かおりさんと一緒です」

 

 絹香だ。

 だが、顔色は蒼い、

 悲痛な表情をしている。

 

「絹香が行くなら、あたしも覚悟するよ。必要ってことだよね」

 

 明日香が静かに言った。短く、だが力強い声だった。

 

「……あのう。念のために訊ねるけど……。ぼくも数に入るん……だよねえ?」

 

 続けて、ひかりちゃんが顔をあげる。

 

「あったり前でしょう──。全員参加じゃないと、こいつが豊藤を継げないんだからねえ。縛ってでも連れていくわよ」

 

 かおりちゃんが怒鳴ったような声をあげた。

 

「よくわからないけど、依存はないよ。真夫にはお世話になっているしね。玲子にもね」

 

 七生も頷いた。

 それぞれが、ごく自然に口を開いていく。

 反論もなければ、ためらいもなかった。

 真夫は、半分呆気にとられていた。

 

「……わたしも行きます」

 

 京子先生が、かすかに頷いた。

 誰もが視線を真夫に向ける。

 

「……わかった。ぼくも行く。でも、できれば、さっきの操心術というやつで、終わったら記憶を抜いて欲しいな。あっ、それと、できれば、そのときにも楽になるように……。だめかい?」

 

 ひかりちゃんも頷く。

 すると、かおりちゃんが横から口を開く。

 

「あっ、それいいわね。ねえ、真夫、操心術を使いなさいよ。言っておくけど、あんたに抱かれたとき、処女じゃなかったけど、でも、全員、本当は嫌なんだからね。終わったら、ちゃんとしてよ」

 

「大丈夫よ。みんな。真夫ちゃんに任せれば、なにもかもうまくいくのよ。だから、なにも考えない。真夫ちゃんに任せる。それでいいよね……。ねえ、真夫ちゃん。大丈夫だよ。好きなように命令して。真夫ちゃんのことみんな信じてるから」

 

 あさひ姉ちゃんだ。

 真夫を元気づけるように、真夫を後ろから抱きしめるような仕草をした。

 

「……ふうん、あんたたち、意外と頼もしいのね」

 

 あゆみさんだ。

 そのひと言が、なんとなく少し空気をやわらげた。

 

 そのとき、不意に声が上がった。

 

「──あたしも、行きます」

 

 それは、渚だった。

 真夫が振り返る。渚はわずかに眉を寄せていたが、その目にはいつになく強い光が宿っていた。

 

「……渚?」

 

 梓が渚の横で驚いたような顔になっている。

 真夫は、言い淀んだ。だが、すぐにゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、渚と梓は大丈夫。俺は、ふたりについても同じ“奴婢”で、ファミリィだと思っているけど……龍蔵さんは、ふたりを十人の奴婢の中に含めてないんだ。だから、今回は……」

 

「──それが嫌なんです!」

 

 遮るように、渚の声が強くなった。

 

「十人に入ってないから行かなくていい? それって、ファミリィじゃないって言われてるのと同じです!」

 

「ちょ、ちょっと渚……」

 

 梓が隣から低く声をかけたが、渚は一歩、ずいと床に座ったまま、真夫に向かって前へと進む。

 

「継承の儀に参加しないと、玲子さんは助からないし、真夫さんも継承できないんですよね? だったら、あたしが行かない理由なんて、どこにもないです──」

 

「でも、龍蔵さんについては……」

 

 真夫は滅多にない渚の興奮した様子に困惑した。

 

「……だったら、あたしが十人目になればいいんです──。もう数の問題なら、誰かが抜けてもいいんでしょう? あたしも行きます。順番でも、年齢でも、血液型でも、なんでもいい──。どうやったって、あたしは……絶対に、行きます──」

 

 室内の空気が一気に揺れた。

 あゆみが目を見張り、京子先生が驚いたように口をつぐむ。

 絹香は戸惑いを隠しきれず、ひかりと明日香が視線を交わす。

 

「あんた、なに言ってんの? 全然、意味がわかんないんだけど」

 

 かおりがと肩を竦めて呆れたように息をついた。

 

「渚、どうしたの?」

 

 ぼそりと漏らしたのは絹香だった。

 真夫は渚を見つめた。

 そこには、普段のような従順さも、曖昧さもなかった。

 押し殺していたなにかが、いま吹き出している。

 いや、これは──“渚”なのか?

 

「……わかったよ。じゃあ、一緒に来てくれ」

 

 そう言ったとき、真夫は、ほんのわずかに胸の奥にざらつくような感覚を覚えていた。

 ──なにかが、微かに、ずれている。

 だが、それがなんなのかは、まだはっきりとはわからなかった。

 

「あっ、なら、あたしも行きますからね」

 

 すると、梓が慌てたように言った。

 

「まあ、とにかく、これで決まったよね。じゃあ、真夫、命令しなさいよ……。あれっ、そういえば、意思表示してないのが、まだいたか……。ねえ、あんた、さっきから、なにしてんのよ。話は聞いてたんでしょうねえ。言っておくけど、お前に拒否権ないわよ。こいつの継承権がかかってんだから……。ああ、ついでに、玲子のことも」

 

 かおりちゃんが怒鳴ったのは、ずっと机に向かって、ノートパソコンに向かっている柚子だ。

 一台のノートパソコンを前に、さらに両脇に一台ずつのパソコン。スマホを三個。ほかに、多分、なにかのハードディスクだろう機器を二台。これを全部繋げて一心不乱にさっきから、なにかを取り組んでいる。

 真夫も、なにをしているのか知らない。

 

「聞いてます──。ご主人様のご命令には従います」

 

 パソコンに向かっていた柚子がこっちを向くことなく、口を開いた。

 

「だから──。なにをやってんのよ──?」

 

 かおりちゃんが大声をあげた。

 でも、柚子は端末を立ち上げ、小さな指が、忙しなくキーボードを叩き続けている。

 

「玲子さんの端末です。……あたし、開いてみようと思ってるんです」

 

 顔を上げた柚子の眼には、かすかに集中の熱があった。

 

「えっ、どういうことですか……? それは、玲子さんの……?」

 

 絹香が問いかける。

 

「うん。置いてあったやつ……。玲子さんがいつも持ってたノートです。起動したら、ログイン画面で止まってたんです。でも、置いていってたんです。なにかの手がかりがあるかもしれないし……」

 

 柚子の指が止まらない。

 

「えっ、なにかわかったことがあるのか?」

 

 真夫は柚子のところに寄っていく。

 ほかの女たちも集まってくる。

 

「うーん……。でも、簡単に開けないように、三重のセキュリティがかかってるです。解除に失敗したら、内部データが全部消される設定になってて……。だから──慎重にやってるんです……。だけど、もうすぐ開けますよ」

 

「もしかして、玲子さんの居場所が……それに?」

 

 明日香ちゃんが息を呑む。

 

「いいえ、多分、直接の位置情報は入ってないかもしれません。でも、通信記録とか、アクセス履歴とか……手がかりはあるかもしれない。あの人のことですし……。あっ、行けました。ロック解除です──」

 

 そのとき、画面が変わった。

 柚子の手が止まる。

 

「……えええ──? また、ロック? 四段階目?」

 

 柚子が悲鳴をあげた。

 その言葉に、全員の視線が画面に集中した。

 

「これ……どういう意味なの?」

 

 絹香が小さく声を漏らす。

 画面には、十個のイラストが並んでいた。

 蝶、手錠、鍵、時計、蛇、ハート、花束、ナイフ、ワイン、そして──エレベーター。

 

 中央には黒い蜘蛛のアイコンが浮かんでいる。

 

「なんでしょう……。もしかしたら、この蜘蛛に、正しい“イラスト”を重ねるんだと思います。でも、これはちょっと解析できません」

 

 柚子が小さく息を吐いた。

 

「解析できないとは?」

 

 あゆみさんが訊ねた。

 

「間違えたら、全部アウトということです。おそらく、玲子さんにとっては間違えないようなことなんでしょう。でも、違うイラストを選んだから、全データーが消去すると思います」

 

 柚子が大きく息を吐いた。

 

「なら、手錠よ。マゾのあいつなら、間違いないわね。蜘蛛も、拘束の意味なんでしょう。あいつは、真夫に束縛されたがっているのよ」

 

 かおりちゃんが笑った。

 真夫は、ひと呼吸置いて手を伸ばす。

 "正しい”イラストがわかったのだ。

 

「──エレベーターだよ」

 

 画面上のエレベーターをクリックする。

 一瞬の間。

 次の瞬間、画面が切り替わった。

 解除成功の表示が、静かに浮かび上がる。

 

「……開いた」

 

 柚子のつぶやきが、静けさを破った。

 

「……ほう、ひとつ、訊いていいか、真夫?」

 

 七生が、ふと声を上げた。

 

「ん、なに?」

 

 真夫は七生に顔をむける。

 

「なんで、エレベーターだったんだ? 蜘蛛に合うのは、もっとほかのもののあると思ってね。一番、蜘蛛に合いそうにない。わたしは、エレベータで蜘蛛を見たことはなくてね。もっとも、蜘蛛が拘束の象徴だというのは、この先輩に賛同だけど」

 

 真夫は、わずかに目を伏せた。

 

「……玲子さんを最初に責めたのが、エレベーターだったからだよ」

 

 その場が、少しだけ静まり返った。

 

「……ああ、そういうこと。むっつりスケベのくせに、あいつ……そういうとこだけ記念に残すのよね」

 

 かおりちゃんが、笑いをこらえるように肩を揺らすと、ひとこと。

 

「まあ、納得です」

 

 柚子は無言で操作を続けている。

 画面が、静かに切り替わる。

 

「……なにかわかれば、ご報告します」

 

 柚子がまた、ノートパソコンに集中する気配を示す。

 真夫は頷いた。

 

 すべての説明を終え、覚悟も確認された。

 真夫は、全員の視線を真正面から受け止めた。

 

「……ありがとう。本当に……ありがとう」

 

 そう言って、深く頭を下げた。

 額が床につくほどの、深い礼だった。

 誰も声を上げなかった。

 だが、そこにあったのは、沈黙ではない。

 全員が、その背中を見つめていた。

 誰も、立ち上がろうとしなかったのは──その思いを受け取ったからだった。

 しばらくして、あゆみさんが小さく口を開いた。

 

「……じゃあ、明日。やるべきこと、きちんとやりましょう」

 

「そうね。文句はないわ」

 

「ええ。がんばろうね」

 

 絹香、かおりちゃん、ひかりちゃん、あさひ姉ちゃん……順に、短く応じる声が続いた。ほかのみんなも頷く。

 自然に、空気がほどけるように和らいでいく。

 窓の外には、夜の帳がすっかり降りていた。

 

「今日は、もう遅いし……解散しましょうか。明日に備えて、少しでも休んだ方がいい」

 

 京子先生の言葉に、皆がゆっくりと立ち上がった。

 いつもなら、寄り添って雑魚寝するのがこの部屋の当たり前だった。

 だが、今夜ばかりは、それぞれが自分の時間を必要としているようだった。

 

「……じゃあ、また朝にね」

 

「おやすみ」

 

「なにかあったら、呼んでね」

 

 誰ともなく、ひとり、またひとりとあてがわれている私室や、それそれの寮に戻っていく。柚子はまだ、ノートパソコンに向かったままだ。

 

 全員がそれぞれの私室へと戻り、S級寮の共有スペースは、静けさだけを残していた。

 少し遅れて廊下に出た真夫は、深くひと息ついた。

 

「……ちょっと、トイレに行ってくる」

 

 呟くように、あさひ姉ちゃんたちに言って、部屋を出て、トイレに向かう。

 だが、ドアの前で立ち止まり、ノブに手をかけたときだった。

 背後に、かすかな足音がした。

 

「……真夫様」

 

 振り向くと、そこには梓がいた。

 静かに立ち尽くしている。

 だが、その表情には、いつもの無表情とは違う、わずかな緊張と、決意のようなものがあった。

 

「……すみません。いま、少しだけ……いいですか」

 

「どうかした?」

 

 真夫は、頷いた。

 廊下の静けさのなか、扉はまだ開かれていないまま、ふたりの影が並んでいた──。

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