真夫は、地の底を歩いているような感覚を覚えていた。
学園地下のシェルター。その最奥部である。
何層もの鋼鉄扉を越え、眼前に広がったその空間には、異質な静寂と熱があった。
以前にもここを訪れたことがある。
そのときは、玲子さんと一緒であり、龍蔵のいる屋敷に無人車で向かい、地階の奥深くのここに通されたのだ。
待っていたのが、豊藤龍蔵──「魔王」の異名もあり、真夫の実の父親だと名乗った男だった。
そのとき、龍蔵の命令により、真夫は後継者になるための条件を突きつけられた。
──十人の女を奴婢にして手に入れる。ハレムを作ること。それができなければ玲子は返してもらう──。もとは龍蔵の専属秘書の玲子は、龍蔵の後継者になるべき者に与えた奴婢なのだからと……。
そして、真夫は、十人を揃えた。
玲子さんを失わないために……。
豊藤の後継者の立場そのものはどうでもよかったが、後継者になるしか彼女たちを守れる手段がないのであれば、そうする。
その覚悟もした。
真夫の集めた十人の奴婢……。
龍蔵から与えられた玲子さん──「工藤玲子」──。
あさひ姉ちゃんこと、真夫よりも三歳年長で、同じ孤児院の幼馴染の「朝比奈恵」──。
全国展開をしている白岡電機の社長令嬢の「白岡かおり」──。
学園の生徒会長で、西園寺財閥のひとり娘の「西園寺絹香」──。
絹香の侍女の「松野梓」と「松野渚」──。
戸籍上は「男子」だが、女性としての身体と心を持つ金城財閥の嫡男家の跡取りの「金城光太郎」にして、ひかりちゃん──。
絹香の親友で「百合遊び」の間柄でもある、学園のスポーツ特待生の「前田明日香」──。
国内外の絵画コンクールの常連の美術部の変わり者「世良七生」──。
一年生で天才的なハッカーの才能を持つ好奇心娘の「立花柚子」──。
女体育教師の「伊達京子」──。
そして、平安時代からの公家の令嬢である「九条あゆみ」──。
このうち、侍女ふたりは、十人のうちに認めてもらえなかったので、最後のあゆみさんをもって、それで十人と龍蔵はみなしたようだ。
あゆみさんを奴婢にした翌々日には、この「継承の儀」のことが命令として指示された。
重厚な扉が背後で閉ざされる音を聞きながら、真夫は前へと歩を進めた。
足元に敷かれたのは、豊藤の家紋が織り込まれた緋色の絨毯。両側には淡い照明が続き、その先にある祭壇が薄く光を放っていた。
真夫に従っているのは、龍蔵が認めなかった、梓と渚の二人を含む八人。
従う九人の女たちの足音は、絨毯に吸い込まれてひとつも響かない。
あさひ姉ちゃん、絹香、あゆみさん、明日香ちゃん、七生、かおりちゃん、そして、梓、渚だ。いないのは、龍蔵に拉致され、いまだ所在の掴めない玲子さんのほかに──京子先生、ひかりちゃん、柚子だ。
いま、真夫と一緒にいる八人は、それぞれが、黒の礼装──巫女を模した儀式衣を纏っていた。肌の大半は露わであり、衣と呼べるのは形だけ。だが、それがこの儀の“正式”であることは知っている。装束のほかには、下着さえも身につけるのは許されずに、薄物の装束からは、彼女たちの裸身が透けて見えている。
龍蔵からあら得られた指示だったが、真夫からすれば、真夫の奴婢たちを見世物のように扱われるのは苛立つことだった。自分でさせるのはいいが、他人から強要されるのはかなり腹がたつ。
女たちは、真夫に反論も問いも向けなかった。
ただ無言で従い、この異様な場の空気をその身に感じ取っていた。
壇上の中央に立つ男の姿が見えた。
豊藤龍蔵──。
暗紫の紋付を纏い、背をすっと伸ばしたまま微動だにせず立っていた。
確かに、まるで魔王のようだった。
荘厳であると同時に、どこか、現実から剥離していた。
人という形をしてはいるが、空間そのものを支配しているような異物感があった。
壇の背後には、式次第を記した巻物と、白布で覆われた台。
その左右には巫女姿の補助者たちらしい十数人の女が並び、香炉の煙が淡く漂っていた。
そして、半円を描くように配置された三十脚の椅子には、すでに「元老」たちが着席していた。
その顔ぶれを見渡して、思わず息を呑んだ。
国内外の政治経済を中心に、もっとも影響力を持つとされる人物ばかりだった。
テレビやネット、新聞の紙面を飾ってきた重鎮たち。現政権の与党幹部も混じっている。
だが、それだけではない。
彼らは、いずれも龍蔵──豊藤の総裁が、自らの支配に必要と判断した人材たちである。
政財界、報道、学術、司法……あらゆる分野に根を張るその「元老」たちは、豊藤の意向に従って動くよう、すでに操心術をかけられている。
厳密に言えば、命令に従うのではない。
ただ、彼らの意思決定のすべてが、結果的に豊藤の利益へと自然に収斂していくように、深層に“選択の方向”を縛る暗示が埋め込まれている。
逆らうという発想自体が、彼らの思考の中には最初から存在しない。
しかも、それだけではない。
必要に応じて、元老たちは龍蔵に、新たな影響力ある人物を紹介する役目も担っている。
紹介された者には、同じように暗示が施され、世界の中枢を形作るネットワークが、水面下で「豊藤の支配下」に置かれていくらしい。
こうした工程は、ごく自然な“繋がり”として実行され、記憶にも残らない。
今夜の「継承の儀」も、その一端である。
この儀式を経た後、ここに集った元老たちの記憶もまた、深層意識の奥に封じられ、認識の上では完全に消える。
このことは、龍蔵から告げられたわけではない。
昨夜、柚子が開いた玲子さんのノートパソコンの中に、その詳細があった。
そこには、「継承の儀」の真の構造と目的が記されていた。
──後継者は、あらかじめ自らが選んだ“奴婢”を伴い、旧総裁と元老の前で、その奴婢たちを披露する。
そして、選ばれた奴婢たちは、旧総裁および元老たちの手によって抱かれる。
この奇怪な儀式の意味は明確ではない。
だが、歴代の総裁交代において、この手順が踏まれてきたこと。
そして、その儀を境に、旧総裁の異能が後継者へと流れ移ると信じられていること。
すべてが玲子さんの調査資料として記録されていた。
龍蔵が、女たちを見下ろすようにして、視線を巡らせた。
次いで、真夫の目を捉えぬまま、低く呟く。
「九人か。……足りぬな」
声には、怒りと苛立ちがこもっていた。
絶対者が“理にそぐわぬ事実”を述べた、その無慈悲な静けさもあった。
そして、次の瞬間──。
「……侍女まで混ざっているとは。あれが神事であることを、理解しているのか」
渚と梓に、明確に不快の視線を向けていた。
女たちの背がわずかにこわばった。
真夫は、一歩だけ前に出た。
「意味を成すのは、数ではありません。……いま、ここに立っている者たちが、すべてです、龍蔵さん」
淡々と、そして明確に、真夫は告げる。
龍蔵は返さなかった。ただ、顔の輪郭に陰が落ち、式場全体が、さらに一段沈んだように感じられた。
壇上に立つ男が、わずかに顎を傾けた。
それだけで、空気が震えたような気がした。
怒気ではない。威圧でもない。
ただ、すべてを呑み込むような──冷たく、深い無関心があった。
「……なるほど」
龍蔵は、しばらく沈黙を置いてから、短く呟いた。
続けて言葉を発することなく、祭壇の前へとゆっくり歩を進めた。
その背に、重い意思が乗っていた。
ひとつ、ふたつ、三つ……。
足音を響かせずに移動しただけなのに、真夫の肺が、じわりと詰まる。
壇上の巫女たちが、一斉に頭を垂れる。
その合図のように、場内の照明が一段階落とされた。
闇ではない。だが、世界の彩度がひとつ、奪われたような錯覚。
真夫は、足元を見た。
緋の絨毯が、さっきよりも暗く染まって見える。
心なしか、女たちの呼吸が浅くなった気配がした。
あさひ姉ちゃんも、絹香も、口を結んで前を見つめている。
梓と渚は、無言で真夫の背中を護るように立ち位置をとっていた。
龍蔵が巻物の前に立つと、巫女のひとりが白布を払った。
その下には、祭器と呼ぶにはあまりにも不気味な造作物が置かれていた。
石でできた台座。その中央に、小さな金属板が幾つもはめ込まれ、座椅子の形状をしている。
だが、手摺りのほかにも、足置きと思われるものがあり、それは腰の位置になる場所よりも高い位置に設置され、さらに大きく開いている。そして、革紐は手足部分のほかに胴体部分にも複数あった。座席の部分は左右に割れて中心はない、
禍々しさも、神聖さも皆無であり、女を羞恥の格好に陥れて辱める構造──。真夫も実際に見たことがあるわけでないが、「産婦人科椅子」と呼ばれるものが、おそらくはこうした構造なのだろう。
それだけの造形だった。
これが十脚並んでいる。
真夫の背後にいる、女たちが一斉に鼻白んだのが気配でわかった。
「継承の儀は、あくまで儀式だ」
不意に、龍蔵が口を開いた。
その声は、真夫の耳にだけ響いてくるように思えた。
「この場で、お前がなにを選ぼうと、なにを拒もうと──それでも異能は移る。そう定められている」
真夫は、なにも返さなかった。
ただ、龍蔵の言葉の意味だけが、鋭い針のように胸を刺していく。
異能は、選べない。
異能は、拒めない。
継承とは、そういうものなのか──
だが、それでも……。
真夫は、肩越しに女たちを見た。
あさひ姉ちゃんが、わずかに頷いた。
七生が目を閉じた。
あゆみさんが、真夫の視線に気づき、胸元に両手を添えた。
皆、わかっている。
なにが起きようと、この場に立ち続けるということを──。
祭壇の前で立ち止まった龍蔵は、巻物に目を落とすことなく、低く声を発した。
「第一の女を、祭壇へ……。そうだな。まずは、公家の娘がよかろう」
あゆみさんの指名だった。
しかし、真夫は、その龍蔵の顔が明らかな好色の色で歪むのがわかった。
どうやら、これから始まることに期待して、欲情しているらしい。
ふと見れば、衣装に包まれている股間が大きく膨らんでいた。
真夫は心の中で舌打ちした。
誰かが一歩、前に出ようとした気配があった。
あゆみさんだろう。
真夫は、その気配を、手のひら一枚ぶんの動きで制した。
足音がなくなる。もう誰も動かない。
静寂。
息を呑む音さえ、式場にはない。
ただ、無音のまま、重力だけがゆっくりと増していく。
龍蔵の視線が、ようやく真夫に向けられた。
薄く開いたまぶたの奥で、闇のような光がわずかに揺れていた。
「……命じたはずだぞ、真夫」
その声は、まるで天候の変化のようだった。
誰の意思でもなく、ただ空が陰るように、そこにあった。
「あなたの命令には、従いません。俺も、彼女たちも」
真夫は、まっすぐに言った。
声に震えはなかった。だが、ひとつの選択が、世界の均衡を崩した。
場が、沈む。
重さが変わる。
まるで空間そのものが、龍蔵の感情に引き寄せられるように、式場がぐらりと傾いたような錯覚。
元老たちがざわめく気配はなかった。
彼らは、なにも感じていない。
あるいは、感じたとしても、それを“異常”だと認識できないよう、すでに何かが働いているのだろう。
龍蔵が、一歩だけ前へ出た。
ただそれだけで、壇上の巫女のひとりが、足をもつれさせて膝をついた。
「儀式は、かたちだ」
龍蔵の声が、ゆっくりと式場全体に染みていく。
「この場で、おまえが従おうが拒もうが──すでに“継承”は始まっている。おまえの“核”が、それを拒むことはできない」
「それでも、俺の意思は、俺のものです」
真夫は言った。
それが、宣戦布告だった。
まだ、なにも起きていない。
だが、空気が質を変えた。
舞台に立つふたりのあいだに、見えないものが動きはじめていた。
沈黙を引き裂いたのは、壇上の動きだった。
白布の袖の奥から、巫女たちが一斉に取り出したのは──銃だった。
同じ型の拳銃が、左右から女たちに向けられる。
その光景は異様で、滑稽ですらあるはずだった。
だが、そこには遊戯の気配はなかった。
巫女たちの動きに、迷いはない。
狙いは、はっきりとしていた。
奴婢たちの胸、頭、そして──心臓。
真夫の背後で、女たちがわずかに息を呑んだのがわかった。
あさひ姉ちゃんが、かすかに片腕を上げかけた。
だが、誰も、声を出さない。
壇上の中央で、龍蔵が言った。
「お前は、ここで拒絶を選ぶか? お前が命じなければ、お前でなく、お前の奴婢たちが死ぬ。そうだな。最初は不要であるのに連れてきた侍女にするか……。その次は、孤児院出身の女だな。あれも認めはしたが無価値だ。その次はお前次第だ。順番に殺すが、何人目で命じるかな? もう一度言う。公家の娘を、そこに座らせろ」
その声には、怒りも苛立ちもない。
ただ、結果だけを告げるような無機質さがあった。
「真夫さん……」
あゆみさんが小さくささやいた。
その声が気の強いあゆみさんらしくなく、恐怖で震えているのがわかった。ふだんは凛とした声で論を述べる彼女が、こんなにも脆い声を出すとは
真夫は静止を指示した手のまま動かさない。
さらに、静寂が流れる。
「……忘れるな。玲子は、わしが監禁させておる」
その名を聞いた瞬間、背後の気配が強く揺れた。
明日香ちゃんがわずかに首を振り、絹香の指が震えた。
真夫は振り返らない。
ただ、龍蔵の言葉を飲み込む。
「この場に彼女を出せば、お前がどう動くかはわかっていた。だから、ここには、連れてきてはいない。だが、彼女の命は、いまこの瞬間、わしの意思ひとつでどうにでもなる。お前の後ろの女たちもな」
言葉に、なんの誇張もなかった。
事実として突きつける、それだけの冷酷さ。
「この“儀”を乱せば──女たちの行く末に光はない」
言い終えたとき、壇上の巫女のひとりが、銃を構えたままわずかに前へ出た。
指は、トリガーにかかっている。
誰に向けられているのか。
その意味は、誰にもわかっていた。
沈黙が、刺すように続いた。
壇上の巫女が、一歩だけ前に出る。
トリガーにかけた指が、小さく震えた。
それでも、引き金は落ちない。
龍蔵が、再び口を開く。
「命じろ、真夫。これはお前の責任だ。継承の儀を拒むのは、お前の自由だが──」
声が淡々としていた。
「その結果を、彼女たちに背負わせるのか?」
真夫は動かない。
その場に立ち尽くし、ゆっくりと目を閉じた。
静寂のなかで、自身の“核”に意識を沈めていく。
だが、彼女たちは、立っていた。
真夫の意思を信じ、従い、屈しなかった。
ならば──自分のすべきことは、ただひとつ。
まぶたの裏に、光が射したように思えた。
その瞬間、真夫の右手が、そっと持ち上げられた。
巫女たちの銃口が一斉に動く。
ほんのわずかな動きでも、殺意に転じる緊張が、空間をひりつかせる。
すでに、準備は終わっている。
この場所に入った瞬間から、始まっていた。
三十人の「元老」と呼ばれる存在たち──。檀上の巫女たち──。正面の龍蔵さえも……。
「……始めようか」
真夫の声は、驚くほど静かだった。
次の瞬間、巫女たちの身体がぴたりと止まった。
全員の両肩が微かに痙攣し、銃が静かにその場に置かれていく。
眼球が震え、口元が泡立つように開く。
そして──崩れ落ちた。
いや、静かに全員が割り込み、膝を崩してしゃがむ。頭をさげて。すでに全員の意識はない。
「操心術」──。
真夫の異能が、静かに、しかし確実に巫女全員の精神を呑み込んだ。
式場に、異様な静寂が満ちていく。
立ちあがり、騒ごうとした元老たちも、静かにする。
次の瞬間、彼らもまた、一斉に、ものを言わぬ石像のように硬直する。意識も刈り取る。
そして、壇上の巫女たち、継いで元老たちが、沈黙のまま崩れ落ち、意識を失ったその瞬間、龍蔵の身体が震えた。
その場に立ち続けることができなかった。
膝を突き、手のひらで床を支える。肩が跳ねるように揺れ、頭を抱えるようにして、低く呻いた。
「や、やめろ……っ、なにをした……っ」
かつての総帥の姿は、そこになかった。
背筋は曲がり、汗が滲んだ顔は蒼白。指先はこわばり、言葉はしどろもどろに乱れていた。
──みっともなかった。
だが、それが現実だった。あの龍蔵が、異能に屈し、哀れなまでに取り乱していた。
「怯えてるね……」
真夫は冷ややかに呟き、ゆっくりと壇の階段を上る。
「玲子さんが、この学園のどこかにいることは、わかってる。でも、ここじゃない。それも確かだ。でも、そこから先が柚子でもわからなかった。──だから、最終的には、あんたから聞き出すしかないと思った。だから、訊くよ。玲子さんは、どこだ?」
「や……やめてくれ、こっちに来るな──」
龍蔵が、這うようにして後ずさった。背後には祭壇。逃げ道はない。
真夫は構わず、さらに歩み寄る。
その意識を深く沈め、操心術の“線”を、龍蔵の核に延ばしていく。
怯え。虚栄。怒り。疑念──。
それらが、複雑に絡みついている。
真夫は、恐怖心を増幅させる線を、ぐいと引いて活性化させた。
「ひいっ……ああああ……っ、やめろ、やめてくれええっ」
龍蔵が叫んだ。
声にならない叫びが、壇上に木霊した。かつての魔王の面影は、どこにもなかった。
その心の深奥にあった“異物”──誰かに植えつけられたような粘着質の精神の泥──を、真夫は強引に剥がし取る。怒りの感情を削ぎ、口を閉ざそうとする制止の意思を、根ごと潰す。
抵抗は、なかった。
ただ、悲鳴だけがあった。
「玲子さんの監禁場所だよ」
「ひいいいっ、言うっ、言うからあっ……」
龍蔵の顔が、涙と汗で濡れていた。
歯の隙間から呻きのような声が漏れる。
「南区画っ……学園第二地下の、隔離ブロック……。あれはそこだ、玲子はそこにいるっ──」
真夫の背後で、あゆみが素早く動いた。
巫女衣装の胸元──乳房と乳房のあいだから、小型の通信具を取り出す。
「ひかりさん──聞こえますか? 学園の第二地下、南区画の隔離ブロックです。至急、確保を……」
応答はない。だが、女たちの間に漂う空気が、確かに変わっていた。
戦いの主導権は、完全に──真夫の側にあった。
龍蔵の意識の奥へ、真夫の“線”が深く入り込んでいく。
そこには、異様な違和感があった。
数週間前──初めて会ったときから、真夫の心には、どこか腑に落ちない感触が残っていた。
父と名乗り、異能を語り、絶対者として振る舞う男。
だが、その心には、異能を持つ者ならではの“核の色”が──なかった。
あのときは気づかなかった。
だが、そのあとで秀也と対面したときに覚えた、底の知れない暗さと比べると──この龍蔵には、それがない。
空っぽなのだ。
もしかして、誰かに「そう思い込まされている」ではないか?
そう考えると、しっくりくる心の空洞だった。
「やめろおっ、なにもするな──。なにもしてないだろうが──」
龍蔵は悲鳴をあげ続けている。
真夫は、龍蔵の心にこびりついていた、薄く、だが粘ついた“膜”に意識を向けた。
それは、怒りや誇り、恐怖などの感情を矯めて、本来の意思を封じていた。
誰かが、龍蔵の心を閉じ込めるように塗り固めていた。
真夫は、その“膜”を、容赦なく剥がし取っていく。
操心術という異能の力で。
龍蔵の顔が変わった。
しばらくは、蒼白のまま震えていた。
だが、次第に、その表情から“作られた威厳”が消え、代わりに──素顔が覗いた。
「……わし、じゃない……」
龍蔵は、唇を噛み、呆けたように呟いた。
「わしじゃないんだ……やつのせいだ……。全部、あの方が……」
手を伸ばし、真夫に縋るような格好になった。
情けないその姿に、壇下の女たちは言葉を失っていた。
「頼む……助けてくれ……殺さないでくれ……心を壊すつもりだろう……わかる……もう耐えられん……もう、いやだ……」
真夫は無言だった。
その目に、龍蔵の存在が“敵”としてではなく、“被害者”として映っていた。
そのとき、あゆみさんが持っている通信具が鳴った。
『真夫君──』
声は、京子先生だった。
息が荒く、いままさに激しい行動の直後だとわかった。
『学園第二地下、南区画の隔離ブロック……たったいま、制圧しました──。金城家の護衛が先行して、監禁者を確保。……玲子さん、無事です。拷問の痕はありますが、意識はあります』
通信具の向こうから、もうひとつの声が微かに漏れた。
『……ま……お……様……申し訳……ありません……』
かすれた声だった。
血に濡れた喉から絞り出すような、玲子さんの声。
よかった……。とりあえず、無事か──。
真夫の目が細められる。
龍蔵を睨みつけた。
「ひいいっ、違う、違うんだ」
操心術で恐怖心を増幅している龍蔵は、見ているだけで情けない哀れな老人に成り果てていた。
「……秀也様だ──。秀也様なんだ──。わしじゃないんだ──」
秀也──。
龍蔵が叫んだのは、あの秀也の名だった。
その瞬間──。
部屋の側面にある壁のモニターがひとりでに点灯した。
白いノイズ。
そして、そこに現れたのは──秀也の顔だった。
笑っていた。
『煩いやつだな、龍蔵。そんなに震えやがって。真夫にしてやられたかよ。……ほら、こっちを見な』
その声を聞いたとたん、龍蔵が叫んだ。
「ひっ……ひいいっ……」
目を見開き、絶叫しながら、床を転がった。
しかし、次の瞬間、彼の意識は、すうっと抜けるように落ちた。
まるで、魂が抜けたかのように、目を開いたまま倒れ込む。
その静寂のなか──。
『……思った通りに、龍蔵を制圧したな。だが、いまの感じだと、本物じゃねえことに気がついてたか』
モニターの秀也が笑いながら言った。
真夫は肩を竦める。
「操心術の遣い手だと自分で言うのに、なにも感じないんだ。そりゃあ、おかしいと思うさ。それに、考えてみたら難しい事じゃなかったですよ」
『んっ、そうか?』
「ええ、操心術は、豊藤家の嫡子のみに伝わる異能……。そうだとすれば、そもそも親族だという秀也さんは何者なんだろうと。嫡子しか能力は開眼しないのに、操心術を使える秀也さんって、なに……ってね」
『なんだ。いつの間にか、ばれてたのか。まあいい。いずれにしても、継承の儀は続けてもらうぞ。俺の目を見な、真夫』
モニターの向こうの秀也が言った。
そのときだった。
「なるほど、やっぱり、木下秀也──。お前がもうひとり……。つまり、現総裁か」
声があった。
式場の隅──。
そこに──いつからいたのか、誰も気づかなかった全裸の女が立っていた。
乳房は肥大化し、形も左右不揃いに歪んでいた。
鞭の痕があちこちに走り、背には細かい裂傷のような痕もある。
まるで、見世物にされた異形。
「えっ、なに、あれ?」
「誰?」
女たちの誰の声か……。
どの口からも名は出なかった。
だが、その女が異常な存在であることだけは、一目で知れた。
その女が、口を開いた。
「コード=ゼロ」
言葉の意味もわからない。
しかし、その直後、女たちのあいだから一斉に悲鳴が走った。
振り返る。
渚だった。
拳銃を構えていた。
瞳は虚ろ。だが、その手は微塵も震えていなかった。
一瞬の間。
「真夫ちゃん──」
あさひ姉ちゃんが真夫の前に飛び込む。
だが──その前に銃声──。
真夫に向かって、渚の構える拳銃から数発の弾丸が続けざまに放たれた。