※この作品はR-18です。

淫魔王のいる学園【完結】   作:ドン・ドナシアン

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194話 継承の儀・破綻

 真夫は、地の底を歩いているような感覚を覚えていた。

 学園地下のシェルター。その最奥部である。

 何層もの鋼鉄扉を越え、眼前に広がったその空間には、異質な静寂と熱があった。

 

 以前にもここを訪れたことがある。

 そのときは、玲子さんと一緒であり、龍蔵のいる屋敷に無人車で向かい、地階の奥深くのここに通されたのだ。

 待っていたのが、豊藤龍蔵──「魔王」の異名もあり、真夫の実の父親だと名乗った男だった。

 そのとき、龍蔵の命令により、真夫は後継者になるための条件を突きつけられた。

 ──十人の女を奴婢にして手に入れる。ハレムを作ること。それができなければ玲子は返してもらう──。もとは龍蔵の専属秘書の玲子は、龍蔵の後継者になるべき者に与えた奴婢なのだからと……。

 

 そして、真夫は、十人を揃えた。

 玲子さんを失わないために……。

 豊藤の後継者の立場そのものはどうでもよかったが、後継者になるしか彼女たちを守れる手段がないのであれば、そうする。

 その覚悟もした。

 

 真夫の集めた十人の奴婢……。

 

 龍蔵から与えられた玲子さん──「工藤玲子」──。

 あさひ姉ちゃんこと、真夫よりも三歳年長で、同じ孤児院の幼馴染の「朝比奈恵」──。

 全国展開をしている白岡電機の社長令嬢の「白岡かおり」──。

 学園の生徒会長で、西園寺財閥のひとり娘の「西園寺絹香」──。

 絹香の侍女の「松野梓」と「松野渚」──。

 戸籍上は「男子」だが、女性としての身体と心を持つ金城財閥の嫡男家の跡取りの「金城光太郎」にして、ひかりちゃん──。

 絹香の親友で「百合遊び」の間柄でもある、学園のスポーツ特待生の「前田明日香」──。

 国内外の絵画コンクールの常連の美術部の変わり者「世良七生」──。

 一年生で天才的なハッカーの才能を持つ好奇心娘の「立花柚子」──。

 女体育教師の「伊達京子」──。

 そして、平安時代からの公家の令嬢である「九条あゆみ」──。

 

 このうち、侍女ふたりは、十人のうちに認めてもらえなかったので、最後のあゆみさんをもって、それで十人と龍蔵はみなしたようだ。

 あゆみさんを奴婢にした翌々日には、この「継承の儀」のことが命令として指示された。

 

 重厚な扉が背後で閉ざされる音を聞きながら、真夫は前へと歩を進めた。

 足元に敷かれたのは、豊藤の家紋が織り込まれた緋色の絨毯。両側には淡い照明が続き、その先にある祭壇が薄く光を放っていた。

 真夫に従っているのは、龍蔵が認めなかった、梓と渚の二人を含む八人。

 従う九人の女たちの足音は、絨毯に吸い込まれてひとつも響かない。

 あさひ姉ちゃん、絹香、あゆみさん、明日香ちゃん、七生、かおりちゃん、そして、梓、渚だ。いないのは、龍蔵に拉致され、いまだ所在の掴めない玲子さんのほかに──京子先生、ひかりちゃん、柚子だ。

 

 いま、真夫と一緒にいる八人は、それぞれが、黒の礼装──巫女を模した儀式衣を纏っていた。肌の大半は露わであり、衣と呼べるのは形だけ。だが、それがこの儀の“正式”であることは知っている。装束のほかには、下着さえも身につけるのは許されずに、薄物の装束からは、彼女たちの裸身が透けて見えている。

 龍蔵からあら得られた指示だったが、真夫からすれば、真夫の奴婢たちを見世物のように扱われるのは苛立つことだった。自分でさせるのはいいが、他人から強要されるのはかなり腹がたつ。

 女たちは、真夫に反論も問いも向けなかった。

 ただ無言で従い、この異様な場の空気をその身に感じ取っていた。

 

 壇上の中央に立つ男の姿が見えた。

 

 豊藤龍蔵──。

 暗紫の紋付を纏い、背をすっと伸ばしたまま微動だにせず立っていた。

 

 確かに、まるで魔王のようだった。

 荘厳であると同時に、どこか、現実から剥離していた。

 人という形をしてはいるが、空間そのものを支配しているような異物感があった。

 

 壇の背後には、式次第を記した巻物と、白布で覆われた台。

 その左右には巫女姿の補助者たちらしい十数人の女が並び、香炉の煙が淡く漂っていた。

 そして、半円を描くように配置された三十脚の椅子には、すでに「元老」たちが着席していた。

 

 その顔ぶれを見渡して、思わず息を呑んだ。

 国内外の政治経済を中心に、もっとも影響力を持つとされる人物ばかりだった。

 テレビやネット、新聞の紙面を飾ってきた重鎮たち。現政権の与党幹部も混じっている。

 だが、それだけではない。

 彼らは、いずれも龍蔵──豊藤の総裁が、自らの支配に必要と判断した人材たちである。

 政財界、報道、学術、司法……あらゆる分野に根を張るその「元老」たちは、豊藤の意向に従って動くよう、すでに操心術をかけられている。

 

 厳密に言えば、命令に従うのではない。

 ただ、彼らの意思決定のすべてが、結果的に豊藤の利益へと自然に収斂していくように、深層に“選択の方向”を縛る暗示が埋め込まれている。

 逆らうという発想自体が、彼らの思考の中には最初から存在しない。

 しかも、それだけではない。

 必要に応じて、元老たちは龍蔵に、新たな影響力ある人物を紹介する役目も担っている。

 紹介された者には、同じように暗示が施され、世界の中枢を形作るネットワークが、水面下で「豊藤の支配下」に置かれていくらしい。

 こうした工程は、ごく自然な“繋がり”として実行され、記憶にも残らない。

 

 今夜の「継承の儀」も、その一端である。

 この儀式を経た後、ここに集った元老たちの記憶もまた、深層意識の奥に封じられ、認識の上では完全に消える。

 このことは、龍蔵から告げられたわけではない。

 昨夜、柚子が開いた玲子さんのノートパソコンの中に、その詳細があった。

 そこには、「継承の儀」の真の構造と目的が記されていた。

 

 ──後継者は、あらかじめ自らが選んだ“奴婢”を伴い、旧総裁と元老の前で、その奴婢たちを披露する。

 そして、選ばれた奴婢たちは、旧総裁および元老たちの手によって抱かれる。

 

 この奇怪な儀式の意味は明確ではない。

 だが、歴代の総裁交代において、この手順が踏まれてきたこと。

 そして、その儀を境に、旧総裁の異能が後継者へと流れ移ると信じられていること。

 すべてが玲子さんの調査資料として記録されていた。

 龍蔵が、女たちを見下ろすようにして、視線を巡らせた。

 次いで、真夫の目を捉えぬまま、低く呟く。

 

「九人か。……足りぬな」

 

 声には、怒りと苛立ちがこもっていた。

 絶対者が“理にそぐわぬ事実”を述べた、その無慈悲な静けさもあった。

 そして、次の瞬間──。

 

「……侍女まで混ざっているとは。あれが神事であることを、理解しているのか」

 

 渚と梓に、明確に不快の視線を向けていた。

 女たちの背がわずかにこわばった。

 真夫は、一歩だけ前に出た。

 

「意味を成すのは、数ではありません。……いま、ここに立っている者たちが、すべてです、龍蔵さん」

 

 淡々と、そして明確に、真夫は告げる。

 龍蔵は返さなかった。ただ、顔の輪郭に陰が落ち、式場全体が、さらに一段沈んだように感じられた。

 壇上に立つ男が、わずかに顎を傾けた。

 それだけで、空気が震えたような気がした。

 怒気ではない。威圧でもない。

 ただ、すべてを呑み込むような──冷たく、深い無関心があった。

 

「……なるほど」

 

 龍蔵は、しばらく沈黙を置いてから、短く呟いた。

 続けて言葉を発することなく、祭壇の前へとゆっくり歩を進めた。

 その背に、重い意思が乗っていた。

 ひとつ、ふたつ、三つ……。

 足音を響かせずに移動しただけなのに、真夫の肺が、じわりと詰まる。

 

 壇上の巫女たちが、一斉に頭を垂れる。

 その合図のように、場内の照明が一段階落とされた。

 闇ではない。だが、世界の彩度がひとつ、奪われたような錯覚。

 

 真夫は、足元を見た。

 緋の絨毯が、さっきよりも暗く染まって見える。

 心なしか、女たちの呼吸が浅くなった気配がした。

 

 あさひ姉ちゃんも、絹香も、口を結んで前を見つめている。

 梓と渚は、無言で真夫の背中を護るように立ち位置をとっていた。

 

 龍蔵が巻物の前に立つと、巫女のひとりが白布を払った。

 その下には、祭器と呼ぶにはあまりにも不気味な造作物が置かれていた。

 石でできた台座。その中央に、小さな金属板が幾つもはめ込まれ、座椅子の形状をしている。

 だが、手摺りのほかにも、足置きと思われるものがあり、それは腰の位置になる場所よりも高い位置に設置され、さらに大きく開いている。そして、革紐は手足部分のほかに胴体部分にも複数あった。座席の部分は左右に割れて中心はない、

 禍々しさも、神聖さも皆無であり、女を羞恥の格好に陥れて辱める構造──。真夫も実際に見たことがあるわけでないが、「産婦人科椅子」と呼ばれるものが、おそらくはこうした構造なのだろう。

 それだけの造形だった。

 これが十脚並んでいる。

 真夫の背後にいる、女たちが一斉に鼻白んだのが気配でわかった。

 

「継承の儀は、あくまで儀式だ」

 

 不意に、龍蔵が口を開いた。

 その声は、真夫の耳にだけ響いてくるように思えた。

 

「この場で、お前がなにを選ぼうと、なにを拒もうと──それでも異能は移る。そう定められている」

 

 真夫は、なにも返さなかった。

 ただ、龍蔵の言葉の意味だけが、鋭い針のように胸を刺していく。

 

 異能は、選べない。

 異能は、拒めない。

 継承とは、そういうものなのか──

 

 だが、それでも……。

 

 真夫は、肩越しに女たちを見た。

 あさひ姉ちゃんが、わずかに頷いた。

 七生が目を閉じた。

 あゆみさんが、真夫の視線に気づき、胸元に両手を添えた。

 皆、わかっている。

 なにが起きようと、この場に立ち続けるということを──。

 

 祭壇の前で立ち止まった龍蔵は、巻物に目を落とすことなく、低く声を発した。

 

「第一の女を、祭壇へ……。そうだな。まずは、公家の娘がよかろう」

 

 あゆみさんの指名だった。

 しかし、真夫は、その龍蔵の顔が明らかな好色の色で歪むのがわかった。

 どうやら、これから始まることに期待して、欲情しているらしい。

 ふと見れば、衣装に包まれている股間が大きく膨らんでいた。

 真夫は心の中で舌打ちした。

 

 誰かが一歩、前に出ようとした気配があった。

 あゆみさんだろう。

 真夫は、その気配を、手のひら一枚ぶんの動きで制した。

 足音がなくなる。もう誰も動かない。

 

 静寂。

 息を呑む音さえ、式場にはない。

 ただ、無音のまま、重力だけがゆっくりと増していく。

 龍蔵の視線が、ようやく真夫に向けられた。

 薄く開いたまぶたの奥で、闇のような光がわずかに揺れていた。

 

「……命じたはずだぞ、真夫」

 

 その声は、まるで天候の変化のようだった。

 誰の意思でもなく、ただ空が陰るように、そこにあった。

 

「あなたの命令には、従いません。俺も、彼女たちも」

 

 真夫は、まっすぐに言った。

 声に震えはなかった。だが、ひとつの選択が、世界の均衡を崩した。

 

 場が、沈む。

 重さが変わる。

 まるで空間そのものが、龍蔵の感情に引き寄せられるように、式場がぐらりと傾いたような錯覚。

 

 元老たちがざわめく気配はなかった。

 彼らは、なにも感じていない。

 あるいは、感じたとしても、それを“異常”だと認識できないよう、すでに何かが働いているのだろう。

 

 龍蔵が、一歩だけ前へ出た。

 ただそれだけで、壇上の巫女のひとりが、足をもつれさせて膝をついた。

 

「儀式は、かたちだ」

 

 龍蔵の声が、ゆっくりと式場全体に染みていく。

 

「この場で、おまえが従おうが拒もうが──すでに“継承”は始まっている。おまえの“核”が、それを拒むことはできない」

 

「それでも、俺の意思は、俺のものです」

 

 真夫は言った。

 それが、宣戦布告だった。

 まだ、なにも起きていない。

 だが、空気が質を変えた。

 舞台に立つふたりのあいだに、見えないものが動きはじめていた。

 

 沈黙を引き裂いたのは、壇上の動きだった。

 白布の袖の奥から、巫女たちが一斉に取り出したのは──銃だった。

 

 同じ型の拳銃が、左右から女たちに向けられる。

 その光景は異様で、滑稽ですらあるはずだった。

 だが、そこには遊戯の気配はなかった。

 

 巫女たちの動きに、迷いはない。

 狙いは、はっきりとしていた。

 奴婢たちの胸、頭、そして──心臓。

 

 真夫の背後で、女たちがわずかに息を呑んだのがわかった。

 あさひ姉ちゃんが、かすかに片腕を上げかけた。

 だが、誰も、声を出さない。

 壇上の中央で、龍蔵が言った。

 

「お前は、ここで拒絶を選ぶか? お前が命じなければ、お前でなく、お前の奴婢たちが死ぬ。そうだな。最初は不要であるのに連れてきた侍女にするか……。その次は、孤児院出身の女だな。あれも認めはしたが無価値だ。その次はお前次第だ。順番に殺すが、何人目で命じるかな? もう一度言う。公家の娘を、そこに座らせろ」

 

 その声には、怒りも苛立ちもない。

 ただ、結果だけを告げるような無機質さがあった。

 

「真夫さん……」

 

 あゆみさんが小さくささやいた。

 その声が気の強いあゆみさんらしくなく、恐怖で震えているのがわかった。ふだんは凛とした声で論を述べる彼女が、こんなにも脆い声を出すとは

 真夫は静止を指示した手のまま動かさない。

 さらに、静寂が流れる。

 

「……忘れるな。玲子は、わしが監禁させておる」

 

 その名を聞いた瞬間、背後の気配が強く揺れた。

 明日香ちゃんがわずかに首を振り、絹香の指が震えた。

 真夫は振り返らない。

 ただ、龍蔵の言葉を飲み込む。

 

「この場に彼女を出せば、お前がどう動くかはわかっていた。だから、ここには、連れてきてはいない。だが、彼女の命は、いまこの瞬間、わしの意思ひとつでどうにでもなる。お前の後ろの女たちもな」

 

 言葉に、なんの誇張もなかった。

 事実として突きつける、それだけの冷酷さ。

 

「この“儀”を乱せば──女たちの行く末に光はない」

 

 言い終えたとき、壇上の巫女のひとりが、銃を構えたままわずかに前へ出た。

 指は、トリガーにかかっている。

 誰に向けられているのか。

 その意味は、誰にもわかっていた。

 

 沈黙が、刺すように続いた。

 

 壇上の巫女が、一歩だけ前に出る。

 トリガーにかけた指が、小さく震えた。

 それでも、引き金は落ちない。

 

 龍蔵が、再び口を開く。

 

「命じろ、真夫。これはお前の責任だ。継承の儀を拒むのは、お前の自由だが──」

 

 声が淡々としていた。

 

「その結果を、彼女たちに背負わせるのか?」

 

 真夫は動かない。

 その場に立ち尽くし、ゆっくりと目を閉じた。

 静寂のなかで、自身の“核”に意識を沈めていく。

 

 だが、彼女たちは、立っていた。

 真夫の意思を信じ、従い、屈しなかった。

 ならば──自分のすべきことは、ただひとつ。

 

 まぶたの裏に、光が射したように思えた。

 その瞬間、真夫の右手が、そっと持ち上げられた。

 

 巫女たちの銃口が一斉に動く。

 ほんのわずかな動きでも、殺意に転じる緊張が、空間をひりつかせる。

 

 すでに、準備は終わっている。

 この場所に入った瞬間から、始まっていた。

 三十人の「元老」と呼ばれる存在たち──。檀上の巫女たち──。正面の龍蔵さえも……。

 

「……始めようか」

 

 真夫の声は、驚くほど静かだった。

 次の瞬間、巫女たちの身体がぴたりと止まった。

 

 全員の両肩が微かに痙攣し、銃が静かにその場に置かれていく。

 眼球が震え、口元が泡立つように開く。

 そして──崩れ落ちた。

 いや、静かに全員が割り込み、膝を崩してしゃがむ。頭をさげて。すでに全員の意識はない。

 

 「操心術」──。

 

 真夫の異能が、静かに、しかし確実に巫女全員の精神を呑み込んだ。

 式場に、異様な静寂が満ちていく。

 立ちあがり、騒ごうとした元老たちも、静かにする。

 次の瞬間、彼らもまた、一斉に、ものを言わぬ石像のように硬直する。意識も刈り取る。

 

 そして、壇上の巫女たち、継いで元老たちが、沈黙のまま崩れ落ち、意識を失ったその瞬間、龍蔵の身体が震えた。

 その場に立ち続けることができなかった。

 膝を突き、手のひらで床を支える。肩が跳ねるように揺れ、頭を抱えるようにして、低く呻いた。

 

「や、やめろ……っ、なにをした……っ」

 

 かつての総帥の姿は、そこになかった。

 背筋は曲がり、汗が滲んだ顔は蒼白。指先はこわばり、言葉はしどろもどろに乱れていた。

 ──みっともなかった。

 だが、それが現実だった。あの龍蔵が、異能に屈し、哀れなまでに取り乱していた。

 

「怯えてるね……」

 

 真夫は冷ややかに呟き、ゆっくりと壇の階段を上る。

 

「玲子さんが、この学園のどこかにいることは、わかってる。でも、ここじゃない。それも確かだ。でも、そこから先が柚子でもわからなかった。──だから、最終的には、あんたから聞き出すしかないと思った。だから、訊くよ。玲子さんは、どこだ?」

 

「や……やめてくれ、こっちに来るな──」

 

 龍蔵が、這うようにして後ずさった。背後には祭壇。逃げ道はない。

 真夫は構わず、さらに歩み寄る。

 その意識を深く沈め、操心術の“線”を、龍蔵の核に延ばしていく。

 

 怯え。虚栄。怒り。疑念──。

 それらが、複雑に絡みついている。

 真夫は、恐怖心を増幅させる線を、ぐいと引いて活性化させた。

 

「ひいっ……ああああ……っ、やめろ、やめてくれええっ」

 

 龍蔵が叫んだ。

 声にならない叫びが、壇上に木霊した。かつての魔王の面影は、どこにもなかった。

 その心の深奥にあった“異物”──誰かに植えつけられたような粘着質の精神の泥──を、真夫は強引に剥がし取る。怒りの感情を削ぎ、口を閉ざそうとする制止の意思を、根ごと潰す。

 

 抵抗は、なかった。

 ただ、悲鳴だけがあった。

 

「玲子さんの監禁場所だよ」

 

「ひいいいっ、言うっ、言うからあっ……」

 

 龍蔵の顔が、涙と汗で濡れていた。

 歯の隙間から呻きのような声が漏れる。

 

「南区画っ……学園第二地下の、隔離ブロック……。あれはそこだ、玲子はそこにいるっ──」

 

 真夫の背後で、あゆみが素早く動いた。

 巫女衣装の胸元──乳房と乳房のあいだから、小型の通信具を取り出す。

 

「ひかりさん──聞こえますか? 学園の第二地下、南区画の隔離ブロックです。至急、確保を……」

 

 応答はない。だが、女たちの間に漂う空気が、確かに変わっていた。

 戦いの主導権は、完全に──真夫の側にあった。

 

 龍蔵の意識の奥へ、真夫の“線”が深く入り込んでいく。

 

 そこには、異様な違和感があった。

 数週間前──初めて会ったときから、真夫の心には、どこか腑に落ちない感触が残っていた。

 父と名乗り、異能を語り、絶対者として振る舞う男。

 だが、その心には、異能を持つ者ならではの“核の色”が──なかった。

 

 あのときは気づかなかった。

 だが、そのあとで秀也と対面したときに覚えた、底の知れない暗さと比べると──この龍蔵には、それがない。

 空っぽなのだ。

 もしかして、誰かに「そう思い込まされている」ではないか?

 そう考えると、しっくりくる心の空洞だった。

 

「やめろおっ、なにもするな──。なにもしてないだろうが──」

 

 龍蔵は悲鳴をあげ続けている。

 真夫は、龍蔵の心にこびりついていた、薄く、だが粘ついた“膜”に意識を向けた。

 それは、怒りや誇り、恐怖などの感情を矯めて、本来の意思を封じていた。

 誰かが、龍蔵の心を閉じ込めるように塗り固めていた。

 

 真夫は、その“膜”を、容赦なく剥がし取っていく。

 操心術という異能の力で。

 龍蔵の顔が変わった。

 しばらくは、蒼白のまま震えていた。

 だが、次第に、その表情から“作られた威厳”が消え、代わりに──素顔が覗いた。

 

「……わし、じゃない……」

 

 龍蔵は、唇を噛み、呆けたように呟いた。

 

「わしじゃないんだ……やつのせいだ……。全部、あの方が……」

 

 手を伸ばし、真夫に縋るような格好になった。

 情けないその姿に、壇下の女たちは言葉を失っていた。

 

「頼む……助けてくれ……殺さないでくれ……心を壊すつもりだろう……わかる……もう耐えられん……もう、いやだ……」

 

 真夫は無言だった。

 その目に、龍蔵の存在が“敵”としてではなく、“被害者”として映っていた。

 そのとき、あゆみさんが持っている通信具が鳴った。

 

『真夫君──』

 

 声は、京子先生だった。

 息が荒く、いままさに激しい行動の直後だとわかった。

 

『学園第二地下、南区画の隔離ブロック……たったいま、制圧しました──。金城家の護衛が先行して、監禁者を確保。……玲子さん、無事です。拷問の痕はありますが、意識はあります』

 

 通信具の向こうから、もうひとつの声が微かに漏れた。

 

『……ま……お……様……申し訳……ありません……』

 

 かすれた声だった。

 血に濡れた喉から絞り出すような、玲子さんの声。

 

 よかった……。とりあえず、無事か──。

 真夫の目が細められる。

 龍蔵を睨みつけた。

 

「ひいいっ、違う、違うんだ」

 

 操心術で恐怖心を増幅している龍蔵は、見ているだけで情けない哀れな老人に成り果てていた。

 

「……秀也様だ──。秀也様なんだ──。わしじゃないんだ──」

 

 秀也──。

 龍蔵が叫んだのは、あの秀也の名だった。

 

 その瞬間──。

 部屋の側面にある壁のモニターがひとりでに点灯した。

 

 白いノイズ。

 そして、そこに現れたのは──秀也の顔だった。

 笑っていた。

 

『煩いやつだな、龍蔵。そんなに震えやがって。真夫にしてやられたかよ。……ほら、こっちを見な』

 

 その声を聞いたとたん、龍蔵が叫んだ。

 

「ひっ……ひいいっ……」

 

 目を見開き、絶叫しながら、床を転がった。

 

 しかし、次の瞬間、彼の意識は、すうっと抜けるように落ちた。

 まるで、魂が抜けたかのように、目を開いたまま倒れ込む。

 その静寂のなか──。

 

『……思った通りに、龍蔵を制圧したな。だが、いまの感じだと、本物じゃねえことに気がついてたか』

 

 モニターの秀也が笑いながら言った。

 真夫は肩を竦める。

 

「操心術の遣い手だと自分で言うのに、なにも感じないんだ。そりゃあ、おかしいと思うさ。それに、考えてみたら難しい事じゃなかったですよ」

 

『んっ、そうか?』

 

「ええ、操心術は、豊藤家の嫡子のみに伝わる異能……。そうだとすれば、そもそも親族だという秀也さんは何者なんだろうと。嫡子しか能力は開眼しないのに、操心術を使える秀也さんって、なに……ってね」

 

『なんだ。いつの間にか、ばれてたのか。まあいい。いずれにしても、継承の儀は続けてもらうぞ。俺の目を見な、真夫』

 

 モニターの向こうの秀也が言った。

 そのときだった。

 

「なるほど、やっぱり、木下秀也──。お前がもうひとり……。つまり、現総裁か」

 

 声があった。

 式場の隅──。

 そこに──いつからいたのか、誰も気づかなかった全裸の女が立っていた。

 

 乳房は肥大化し、形も左右不揃いに歪んでいた。

 鞭の痕があちこちに走り、背には細かい裂傷のような痕もある。

 まるで、見世物にされた異形。

 

「えっ、なに、あれ?」

 

「誰?」

 

 女たちの誰の声か……。

 どの口からも名は出なかった。

 だが、その女が異常な存在であることだけは、一目で知れた。

 その女が、口を開いた。

 

「コード=ゼロ」

 

 言葉の意味もわからない。

 しかし、その直後、女たちのあいだから一斉に悲鳴が走った。

 振り返る。

 

 渚だった。

 

 拳銃を構えていた。

 瞳は虚ろ。だが、その手は微塵も震えていなかった。

 

 一瞬の間。

 

「真夫ちゃん──」

 

 あさひ姉ちゃんが真夫の前に飛び込む。

 だが──その前に銃声──。

 

 真夫に向かって、渚の構える拳銃から数発の弾丸が続けざまに放たれた。

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