モニターの映像が切り替わり、新たな場面を映し出した。
地下式場の全景──。
緋の絨毯の上に、重厚な椅子が半円状に並び、三十人の男たちがそこに腰掛けていた。
「元老」たち──この国の政財界における最上位の実力者たちだ。無論、名前も顔もよく知っていた。メディアに映らぬ日がない、あの者たちが、いまはひとつの儀式のために沈黙している。
秀也が、真夫にこの豊藤を継承させるために、選んだ者たちだ。
まずは、この三十人を支配させる。
彼らは、すでに異能による深層操作を受けている。自覚はない。だが、潜在意識に刻まれた命令に従い、豊藤の総帥の利益となる行動を無意識に選びとるようになっていた。
それが、秀也の仕掛けた「支配」だった。
人を意のままに動かすのではない。信念そのものを書き換える。選択と判断を根底から操る。
それが「操心術による豊藤の支配」の本質。
だが、その術も、やがて尽きる。
秀也の体は、限界にあった。
動かない足。握力を失った手。いまはもう、時子に車椅子を押してもらわなければ移動もできない。
そして、その終焉の完成と新たな始まりが、目の前で行われようとしている「継承の儀」だ。
モニターの手前にあるスピーカーから、小さく空気を割る音がした。
微かな靴音──。
画面の奥から、少年が姿を現した。
その後ろに、九人の女たちが従っている。
真夫──。
秀也はその名を、口に出さずに呼んだ。
ほんの数か月前まで、顔も知らなかった。
だが、確かに、秀也の血を引いている。
あのとき、最初に気づいたのは玲子だった。学園の弁護士として働いていた彼女が、ある痴漢冤罪事件を調査する中で、偶然に辿り着いたのだ。
報告を受けたとき、すぐには信じられなかった。
だが、調べを重ねるにつれて、真夫の存在が、どこかで避けていた過去の影のように、目前に立ちはだかってきた。
正面から認めざるを得なかった。
大勢の愛人を持った。
名前と顔どころか、人数さえも覚えてない。
しかし、確かに、ひとりだけ逃亡した女がいた。
操心術で縛っているはずなのに、ある日突然にいなくなったのだ。
だが、気にも留めなかった。
ところが、その女は逃亡のときに、妊娠をしていたらしい。そして、名も素性も明かさぬまま、秀也の子を産んで死に、その子は、そのまま施設に預けられた。
いまだに思い出せない女……。
その女がなぜ、操心術の支配から逃れて、逃亡ができたのか……。
もしかしたら、真夫を妊娠したことが関係あるのかもしれない。いまとなっては、その理由を知る機会もないが……。
「来たな……」
独り言のように、モニターに向かって秀也は呟く。
座っているのは車椅子。
外見は十代の少年のように若いが、その身体は年齢相応にぼろぼろだった。
秀也の外見がいつまでも少年のようでしかない理由は、秀也でもわからない。
そういう病気もあるとのことであり、治療する手段はない。ただ、身体の中まで老化がないわけではなく、いまは年齢に応じた多くの病気も持っている。
ただ、見た目の年齢と、実際の年齢が異なるのは、秀也が豊藤の当主であることを隠すには、役に立った。
誰も、まさか十代後半の青年にしか見えない秀也が、豊藤の当主とは思わない。それを利用して、操心術で暗示をかけた傀儡を作り、秀也は影で財閥を動かすということをやっていた。
だが、年齢も重なり、残りの人生も後数年ということになってきて、最後の道楽として、高校生に戻って青春をやり直すということを考えた。
秀也の特異体質だからこそ叶う「遊び」であり、SS研などというものも作って、女子高生を弄ぶというのも新鮮だった。
時子のほかにも大勢の愛人を作ったが、ついに子もできず、豊藤の異能の後継者もおらず、豊藤は秀也の代で消滅するものだと思っていた。
どうでもいい。
どうせ、呪われた血筋だ。
秀也がいなくなれば、あとは、野となるも花と散るも好きにすればいい。
そう思って、余生を愉しむつもりで、高校生としての生活を愉しんでいた……。
そんなときだ。
玲子の調査により、真夫の存在を知ったのは……。
信じられなかった。
同級生として会った。
立派に育っていた。
自分の息子だとすぐにわかった。
理由などない。
見ただけでわかった。
孤児として苦労したらしいが、すれてもおらず、とても優しい子だった。だからこそ、心配にもなった。
操心術という異能を持っているのかどうかは、そのときにはわからなかった。
真夫をどうするかも決めてなかった。
ただ、いずれにしても、後々は、生涯にわたって、苦労などしなくて済みようにしてやらなければならない。
だからこそ、厳しく接した。
あの真夫は優しすぎる。特に、女に対してだ。だが、それは苦労するだろう。
それだけは、直してやらなければと思った。
とりあえず、退学になったという真夫を学園に呼び寄せて、玲子をつけた。あの女は優秀だ。真夫を導き、助けてくれるだろうと考えた。
まあ、いくら調教してやっても、まったく男など寄せ付けないような頑なな抵抗心を示していた玲子が、あっという間に真夫に心酔してしまったのはびっくりしたが……。
そして、真夫は覚醒した。
異能を……。
覚醒してしまった。
最初は、あの幼馴染の娘の父親から娘を守るとき……。
次には、その幼馴染を学園の男子生徒が襲ったとき……。
自分の息子であることがわかっただけでなく、操心術という異能までも継いでくれていた。
秀也は心が震えたのを覚えている。
だが、操心術に目覚めたのであれば、秀也を継がねばならない。
それは運命なのだ。
豊藤家の血の掟──。
だが、秀也ができることは少ない。
時間もない。
無理をして同級生として会っていたが、病状は急速に悪化し、数日前には歩けなくなった。いまは車椅子に乗っている。膝の上にはブランケット。時子が載せてくれたものだ。
そして、いま秀也の隣には、時子がいる。
立ったまま、黙って画面を見つめていた。
声をかけなかった。なにを思っているかは、わかっていたからだ。
時子は真夫に情を寄せていた。
初めて、真夫を見たときから、どこか、孫を見るような眼差しを向けていた。
だから、この真夫への試練のような「継承の儀」に反対しているのだ。
だがそれ以上に、秀也のことを気にかけてくれている。
秀也の命が残りわずかでしかない。だから、この異能の継承を少しでも早く完成させなければならない。その秀也の思いも理解し、黙って受け入れている。
だが、実際には、内心には複雑なものを抱えているはずだった。
モニターの向こうの真夫は、壇上の正面に立った。
整った顔立ち。だが、そこにあるのは少年らしい無垢ではない。
なにかを知ってしまった者の、翳りを帯びた眼差しだった。
重い沈黙のなかで、彼の唇が動いた。
スピーカーが声を拾う。
『意味を成すのは、数ではありません。……いま、ここに立っている者たちが、すべてです、龍蔵さん』
それだけの言葉だった。
だが、その場の空気が変わった。
秀也は、腕のなかにわずかな痛みを感じながら、車椅子の肘掛けを握りしめた。
心臓の鼓動が、ゆっくりと高まっていく。
これから、すべてが始まる──。
モニターの龍蔵と真夫が揉め始めた。
秀也は肩を竦めた。
龍蔵は、真夫が全員を連れてこなかったのが気に入らないらしい。
支配とはいっても、人形のように操るわけではないので、感情もあれば、意思も明晰だ。特に龍蔵には、自分が豊藤の総帥であるという強力な暗示を与えている。
その暗示が、自分に逆らう真夫に対する激怒に繋がっているのだろう。
しかし、継承の儀は必ず実施されるように、強い暗示を重ねている。どんな状況でも、最終的には開始される。
傍らの時子が口を開いた。
黙ったままモニターを見ていたが、その眼差しには憂いが滲んでいた。
「本当に……意味があるの、これ?」
唐突な問いだった。だが、その内には抑えきれぬ苛立ちが含まれていた。
「意味がないと言いたそうだな」
「だって、こんな儀式、ただの迷信じゃないの……?」
秀也は視線を外さなかったが、口元に微かな笑みを浮かべた。
「もし、迷信じゃなかったら?」
その声は静かだったが、確信の冷たさを帯びていた。
「……俺は、親父を心の底から憎んでいたよ。静子が……あいつが毀された、あの日からだ。あの継承の儀の直後から、俺の操心術は飛躍的に成長した」
時子が、息を呑む気配を見せた。
「静子……お姉さま……。随分と懐かしい名前を出しましたね……」
「忘れたことはないさ……。静子が自殺をしたとき、俺は親父を心から殺したいと思った……。そのときだったな。気づいたんだ……。俺が異常な異能を覚醒していることに……。それまでの力とは違う。本物の操心術だ」
操心術は、孤独を代償にして得る異能──。
それは絶望の果てに芽吹く。
秀也が目覚めたのも、静子を犠牲にした「継承の儀」が切っ掛けだ。
「操心術という異能を駆使する豊藤の当主には、強靱な意志がいる。冷酷さも……。他人を切り捨てる覚悟がなければ、この異能は維持できない……。俺の切っ掛けは、継承の儀……。そして、静子の自殺だった……。妬いたか?」
秀也は時子を見た。
時子は、秀也の初恋の相手にして、最初の奴婢の静子の妹だ。
覚醒前、秀也は静子しか奴婢にしなかった。そして、なにも知らずに迎えた「継承の儀」……。
ひとりしかいなかったことで、静子は数十人の家臣たちの性愛の相手をたったひとりですることになった。
秀也にはなにもできなかった。
父親に操心術で抵抗できなくされ、静子が大勢の男たちに犯されて、毀れていくのをただ見るだけだった。
その継承の儀の半月後──静子は発作的に自殺した。
当時の秀也の弱い操心術では、それを阻止することはできなかった。
父を越える操心術を発揮できることに気がついたのは、その直後だった……。
時子は、姉の静子の死後、姉の復讐のために、秀也に近づいてきた女だ。
秀也は、時子を受け入れ、それを果たした。
あれから、もう七十年以上──。
大勢の女を持ったが、いつの間にか、唯一にして、最後の愛人に時子がなっていた。
その時子が、真夫の顔が映るモニターを見つめながら、ぽつりとこぼす。
「でも……あの真夫坊には、あなたのような孤独はないわ。女の子たちがそばにいる。わたしが、あなたにしてあげたように……寄り添ってくれている」
時子が言った。
だが、いま、秀也は遠くを見つめたままだ。
あの冬のことだったな……。
静子は明るくて、気高くて、誰よりも強いと信じていた。
だが、その静子が──秀也の父親によって、多くの男たちに売られた。
もはや、記憶の中の彼女も笑っていない。
心を失い、気が触れて裸で歩く幻影だけが残っている。
その当時のことは、もう時子しか知らない。
誰にも明かさなかった、秀也の復讐の記憶……。
彼の父は、死んだ。
操心術で無力化し、徹底的に毀してやった。
醜く、哀れに……。最後は牢の中で発狂して死んでいった。
そのとき、秀也は思い知った。
復讐のために、力を得たのではない。
人を守るためには、力が必要なのだと。
もしも、あの継承の儀のときに、操心術を満足に遣えれば、静子が死ななくてすんだ。
「真夫は、俺とは違うのだろう……。それはわかっている。けれど、この異能を継いだ以上、優しさだけでは護れない。譲らなければならない。そのために強さが必要だ」
「それは理解できるわ。でも、それと、継承の儀という儀式が関係あるの?」
「わからん。でも、俺が継承の儀を境に覚醒したのも事実だ。歴代の当主の言い伝えにもある。多分、必要なんだろうさ。無駄だとしても、やっておくことに越したことはねえよ」
「静子姉さんをその儀式で毀された、貴方が言うの?」
「だから、十人準備するように強要しただろう。静子はひとりだった。真夫にはもっといる。だから、問題ない……」
「問題ないって……。奴婢の人数を増やすことを龍蔵を使って強要したのは、もしかして、そういうこと? まさか、それが免罪符になるとでも?」
「なんとでもいえ。真夫に憎まれようと、殺されようと、やれることは全部やってやりたい。継承の儀は、歴代の当主が越えてきた試練なんだ」
時子は、もう黙った。
だが、目元でわかる。
多分、まだ不満を抱いている。
一方で、しばらく揉めたようになっていたが、ついに「継承の儀」は始まった。
壇上に準備されていたのは、女の股を大きく開かせて固定する椅子だった。
「あの下品な椅子も、儀式に必要なの?」
時子が不快さを隠さずに吐き捨てる。
秀也は肩を竦めた。
「いや、あれは、龍蔵の趣味だろう。歴代の龍蔵でも、あれは一番の好色男だからな」
秀也は笑った。
当主の傀儡として準備している「龍蔵」は、あれで三人目になる。異能を持つ豊藤の総帥は、常に暗殺の対象だ。
だからこそ、身を隠し、身代わりの傀儡を立てる。
操心術を使って、自分が当主だと認識させ、内外に接しさせる。
その代わりに、好きなことはできる限りさせてやる。
それが報酬だ。
いまの龍蔵は、本来は秀也の主治医だが、かなりの好色だ。趣味が悪いとは思ったが、あの毛頭の女を、豊乳に整形した異様な姿に作り替えて嗜虐的に扱うという趣味も見逃してやった。
『第一の女を、祭壇へ……。そうだな。まずは、公家の娘がよかろう』
モニターの龍蔵が、興奮を隠さず真夫に告げていた。
どうやら、あの公家の娘を抱きたいらしい。
「あの馬鹿が……勃起してやがる」
秀也は思わず吹き出した。だが──。
すぐに空気が変わった。
壇上の左右に控えていた巫女たち、十人ほどの女たちが、龍蔵のわずかな合図で同時に動いたのだ。
長衣の裾をたくし上げ、そこから取り出したのは、黒銀色の金属──自動拳銃だった。
唖然とした。
「……おい、なにを……」
秀也が、思わず声を漏らした。
「秀也さん──」
時子も、焦った調子で声を上げる。
「馬鹿な……そんな命令、俺はしていない……っ」
モニター越しの光景に、秀也の手が震えた。
真夫に向けて? いや、違う。女たちの方に──。
これは、明らかに暴走だ。
龍蔵が……逸脱した。
「龍蔵……なにをしてる……」
舌打ちと共に、声を漏らす。
だが、どんなに叫んでも、モニターの中には届かない。
『お前は、ここで拒絶を選ぶか? 命じなければ──お前ではなく、お前の奴婢たちが死ぬ。最初は、不要とされた侍女にするか。次は孤児院育ちの娘だ。あれも認めはしたが、無価値だ。……順番に殺す。何人目で命じるかは、お前次第だ。もう一度言う──公家の娘を、そこに座らせろ』
モニター越しに響く龍蔵の声は、凍りつくような冷たさだった。
秀也は唇を噛んだ。
銃口は真夫ではなく、女たちに向いている。
……そうか。龍蔵には「真夫に危害を加えない」という強い暗示をかけていた。だから、女を脅しているのか──。
まだ、かろうじて操心術の支配下にはある。
だが、暴走はしている。
「秀也さん、止めてください」
時子が、強い声で訴えた。
はっとした。
秀也は反射的に手を動かした。モニターを操作し、正面のカメラに自分の顔を映し出すつもりだった。
このままでは危うい。自ら前に出て龍蔵の暴走を静止するしかない。
秀也の操心術の異能は、距離を問わない。直接対面せずとも、声と視線が届けば十分だ。モニター越し、電話越し──その程度でいい。それだけあれば、相手の意識を捉えるのに苦労しない。
だが──。
『始めようか』
真夫がそう言った。
その声に、わずかな揺れもなかった。
画面の中の真夫の顔に、秀也は息を呑んだ。
恐怖がない。驚きもない。まるで、すべてを予期していたような平然さ──。
その静けさに、逆に秀也の動きが止まった。
「……なんだ、あれは……?」
目の奥に、寒気のような感覚が走った。
もう止める必要はないのではないか……。そう思った。
「秀也さん──」
時子がもう一度、叫ぶ。
だが、秀也は応えなかった。
モニターのなかで、真夫がゆっくりと片手を掲げた。
次の瞬間だった。
巫女たちが、一斉に崩れた。誰かに糸を断ち切られた操り人形のように、その場に崩れ落ち、二度と動かなかった。
続いて、背後の半円形の椅子列──三十人の元老たちが、揃って前のめりに倒れる。意識を、刈り取られたのだ。
その中央にいた龍蔵だけが、立ち尽くしていた。
だが──その顔が、みるみる歪んでいく。
眼球が見開かれ、唇が震え、銃を握る手が痙攣していた。
見えない力に締め上げられるように、膝が折れ、悲鳴もなく床に崩れ落ちる。
龍蔵は、しゃがみ込み、両手で頭を抱えていた。
真夫の操心術で恐怖そのものを増幅されているのだとわかる。
しかし、操心術を──あれほど正確に、深く──。しかも、同時に……?
「すげえ……」
秀也は、呟いた。
真夫が操心術に覚醒していたのは知っていた。
だが、これほどとは思わなかった。
数十人を一度に沈め、特定の個体には恐怖を送り込む。
その正確さ。範囲。力──。
もはや、いまの自分よりも上かもしれない。
秀也は横を向いた。
「……真夫がここまで覚醒していると、知っていたか?」
時子は、少しだけ肩をすくめた。
「操心術のことは、わたしにはよくわかりません。ただ……女の子たちと遊ぶときに、周囲に異能をかけて羞恥責めにするって話は、耳にしましたけど」
「なんだ、そりゃあ……。そんなことに、異能を使ってたのかよ……」
「秀也さんも……似たようなことしてたじゃないですか」
「そうだったか……?」
二人の会話の前で、モニターでは事態がさらに動いていた。
真夫が、龍蔵に詰め寄っている。
力ではない。言葉もない。ただ、視線を交わしただけで、心の底から怯えている様子の龍蔵が口を開いた。
『南区画……学園第二地下の、隔離ブロック……。あれはそこだ、玲子は、そこにいるっ──』
問われるがままに、龍蔵は監禁場所を口にしていた。
それを確認するように、真夫は頷いた。そして、傍に控える女に視線を送った。
その女──胸の谷間から通信端末を取り出して手にしていた。すぐに救出の指示が飛ぶ。
秀也は悟った。
「あいつ……最初から、継承の儀に参加する気なんてなかったのか……」
小さく吐き捨てるように呟いた。
「なるほどね。玲子を助けるために」
時子も呟いている。
「……龍蔵に面と向かって、操心術で玲子の居場所を聞き出す……。それが目的だったんだな……」
秀也の顔に、かすかな笑みが浮かんだ。
──あいつ、やりやがった。
『ひいいっ、違う、違うんだ──、……秀也様だ──。秀也様なんだ──。わしじゃないんだ──』
そして、龍蔵が、秀也の名を出した。
……その一言で、すべてが決定した。
秀也の暗示は、龍蔵の深層から消えた。もはや傀儡ではなくなったのだ──。
龍蔵こそが豊藤の当主であり、秀也はただの縁者にすぎないと強力な暗示をかけていた。それがなくなったということは、ついに、秀也の操心術が完全に龍蔵から離れてしまったということだ。
「凄い子ね、真夫坊は」
時子が嬉しそうに言った。
「確かにな」
秀也は呟くと、目の前のカメラをオンにして、向こうのモニターを出した。
真夫たちのいるシェルターに、秀也の顔が表示されたのがわかった。
モニターのなかで、まだしゃがみ込んでいた龍蔵を見る。秀也は小さく息を吐いた。
「煩いやつだな、龍蔵。そんなに震えやがって。真夫にしてやられたかよ……。ほら、こっちを見な」
その声音には、すでにかつての主従の情はなかった。
モニター越しの操心術だ。
かつて自分が築いた方法で、いまは継承者が世界を支配しようとしている──。
次に、モニター越しだが、真夫と眼が合った。
真夫が見ているのは、秀也が写っているモニター。
一方で、秀也は、真夫を正面から捉えている向こうの映像を見ている。
「……思った通りに、龍蔵を制圧したな。だが、いまの感じだと、本物じゃねえことに気がついてたか?」
やけに抵抗なく、自分の女を差し出すことに合意したなとは思っていたが、真夫はそのつもりはなかったのだとはわかった。
しかし、それは、最初から操心術で龍蔵を圧倒できるという絶対の自信がないと、とれない手段だ。
つまりは、真夫は龍蔵が傀儡だと、最初から悟っていたことになる。
『操心術の遣い手だと自分で言うのに、なにも感じないんだ。そりゃあ、おかしいと思うさ。それに、考えてみたら難しい事じゃなかったですよ』
真夫が笑っている。
秀也は肩を竦めた。
「んっ、そうか?」
『ええ、操心術は、豊藤家の嫡子のみに伝わる異能……。そうだとすれば、そもそも親族だという秀也さんは何者なんだろうと。嫡子しか能力は開眼しないのに、操心術を使える秀也さんって、なに……ってね』
「なんだ。いつの間にか、ばれてたのか。まあいい。いずれにしても、継承の儀は続けてもらうぞ。俺の目を見な、真夫」
だが、いずれにしても、継承の儀は進める。
すでに不要かもしれない。
だが、それでも──自らに残された異能のすべてを息子に託す。それだけは、父として果たさねばならない。
モニター越しに操心術を送ろうとした。
そのときだった。
『なるほど、やっぱり、木下秀也──。お前がもうひとり……。つまり、現総裁か』
声があった。
どこだ──?
真夫がいる場所の中のようだ。
ただ、秀也が確認しているモニターでは、声の主は映ってない。
「ナスターシャ──? なんで、ここに?」
横にいる時子だ。声でわかったようだ。
ナスターシャ……?
記憶があやふやだったが、すぐに龍蔵が飼育していた毛頭の女だと思い出す。
そうか、龍蔵はそこであの女を飼育していたのだったな。
だが、監禁場所から逃げ出してきたということか?
『コード=ゼロ』
その女の声だ。
コード=ゼロ?
なんだ、それは?
そのとき──。
真夫の背中側で、娘が銃を裾から出したのがはっきりと映った。
明確に、真夫の背中に銃を向けている。
「真夫──」
「真夫坊──」
秀也と時子は同時に叫んでいた。
「コード=ゼロ、執行する……」
その声と同時だった。
背後で──。
正人が立っていた。
拳銃を片手に、迷いなく秀也に銃口を向けていた。
秀也は、目を見開いた。
正人には、確かに操心術をかけていたはずだった。忠誠心の芯まで深層に命令を埋めていた。それが──なぜ。
「……正人……?」
疑念が、一瞬、秀也の動きを遅らせた。
その隙に──銃声が鳴った。
だが、鳴ったのは、正人の銃ではなかった。
時子だった。
正確な一撃だった。
時子の放った銃弾が、真っ直ぐに正人の眉間を貫いた。
正人の体が、糸を断たれたように崩れ落ちる。
時子は、ゆっくりと歩み寄ると、すでに床に倒れている正人の胸を狙って数発──。
銃弾が正人の身体に当たるたびに、身体が反動で跳ねあがる。
そして、最後にもう一発──頭部に、留めの弾を撃ち込んだ。
「……秀也さん。正人は……支配済みでは?」
銃を下ろしたまま、時子が静かに訊いた。
「そう……だ。あいつも……ナスターシャもだ……。たとえ、拘束がなくなったとしても、逃げ出せないように操心術で縛っていた……。なのに……なにが起きて……」
そこで、言葉が途切れた。
はっとした。
真夫──。
真夫はどうなった──?
秀也は、モニターに急いで視線を戻す。
そこに映っていたのは──
真夫だった。
床に倒れて血の海に沈んでいた。
頭と胸に、明確な銃創。
血の色が、画面越しにも異様な深さで映えていた。
動きはない。
呼吸もない。
──死んでいる。
見れば、わかる。
「……真夫おおおお──っ」
秀也の声が、乾いた音で漏れた。
それは絶叫ではなく、呻きでもなかった。
すべてを奪われた者の、どうしようもない喪失の声だった。