※この作品はR-18です。

淫魔王のいる学園【完結】   作:ドン・ドナシアン

200 / 201
エピローグ
199話『五年後……』


 ホテルの天井が、こんなに高いなんて──。

 

 渚は思わず見上げた。

 普段の生活ではまず目にすることのない、豪奢なシャンデリアが、音もなく空間を照らしていた。

 まるで映画のセットのようだ、とさえ思う。

 

 式場の入り口からして、すでに別世界だった。

 赤い絨毯。生花で組まれたアーチ。大理石の床に響く、グランドピアノの生演奏。

 

「……ここ、本当に、普通の高校の先生の結婚式なの?」

 

 隣で、呆れたように彼が囁いた。

 渚の恋人──大学生になってから知り合った、ある財閥系企業に就職したばかりの青年。

 世間では“将来有望なエリート”と称される立場のはずの彼でさえ、目を丸くしている。

 

「うん、そう。高校の先生なんだけどね。朝比奈恵って言うんだそうだけど……。教職にしては、ちょっと……」

 

「ちょっと、じゃないだろ。じゃあ、新郎はどこかのCEOか何かかい?」

 

「いちおう、新入社員って聞いてるけど……投資系の会社に入ったらしくて」

 

「へえ……。すごいね。ここのホテルって、たしか旧・豊藤系列だったはずだよ。いまは外国資本に吸収されてるけど、業績はむしろ伸びてる。ここの会場を押さえるなんて、お金だけじゃ無理だと思うよ。……で、君の友人って、いったい何者?」

 

 茶化すように笑う彼に、渚は肩をすくめるしかなかった。

 

「いえ、あたしの友人っていうより……お世話になっていた西園寺家のお嬢様のご友人で、そのお嬢様に、あたしの双子の妹が侍女としてお仕えしていて……」

 

「ああ、なるほど。じゃあ、西園寺家のご縁か。それなら納得だね。……じゃあさ、俺たちのときにも、そのコネ、使わせてもらえるかなあ?」

 

「や、やだ……。急にそういうこと言わないでよ。ずるいよ……」

 

 思わず顔が熱くなるのが、自分でもわかった。

 そのままふたりで顔を見合わせ、つい笑い合う。

 

 高校を一緒に入れなかったこと。

 その後、双子で妹の梓や、絹香とは、いつの間にか疎遠になっていたこと。

 いま、こうして招かれているのが不思議なくらいだ。

 

 ──西園寺絹香さまと、梓。

 

 このふたりに会うのも、何年ぶりになるだろう。

 渚にとっては、あくまで「かつてのご縁」に過ぎなかった。

 中学時代、ほんのしばらくだけ、侍女のようにふたりに付き添っていた日々……。

 

 だが、中学卒業後の病気で、渚は一年遅れとなり、二人とは別の都内の寮付き私立高校に入学し、それを境に、ふたりとは自然と離れていった。

 連絡も途絶え、渚自身も「もう今さら」と思っていた。

 だからこそ──梓から届いた結婚式の招待状には、正直言って驚いた。

 

『渚ちゃん、元気? 急でごめんね。実は、絹香お嬢さまのご紹介で、特別にお席をご用意できることになったの。来てくれたらすごく嬉しいな。今お付き合いしてる彼と一緒でいいからね。お祝いはいらないよ。ただの食事でも愉しむつもりで来てくれたら嬉しいから』

 

 そんな文面と共に届いたのは、分厚く封印された封筒だった。

 大学二年の夏のこと。

 しかも──梓が、自分に恋人がいることまで知っていたのことには驚いてしまった。

 

 そして、ホテルマンの案内で、自分たちの席に辿り着いた瞬間、渚は思わず息を呑んだ。

 新郎新婦の正面。まさに会場の中心に位置する円卓──まるでVIP用のような上席に、自分と彼の名前が記されていたのだ。

 

「……ここ? うそ、間違いじゃないよね?」

 

 彼が半ば固まったように呟いた。

 渚も思わず、テーブルの席札を何度も見返したが、間違いはなかった。

 時間が少し早かったせいで、まだこの卓には誰も座っていない。他の席は半分以上が埋まっていたが、その顔ぶれに、彼が言葉を失う。

 

「……なあ渚、あそこにいるのって、たぶん桐原慎一郎議員だ。防衛副大臣やってた人。……ニュースでよく見る」

 

「えっ?」

 

「あっちは……あの芸能事務所“エクリプス・プロ”の会長だよ。信じられないな。……この人たち、みんな“旧豊藤系”の人間だと思う」

 

 彼の顔が、真剣なものに変わっていた。

 

「……旧豊藤系?」

 

 渚が問い返すと、彼は低く説明を続けた。

 

「五年くらい前に、豊藤財閥っていう超巨大グループが事実上解体されたんだ。経営的にはいろいろあったらしいけど、分割された企業の一つ一つは今でもトップクラスの業績を維持してる。だから業界内では、まとめて“旧豊藤系”って呼ぶんだよ。バラバラになっても、それぞれは存在感があるからね」

 

 その名前の重さを、渚は初めて実感した。

 そんな人々の前で、こんな上席に、自分たちが座っていていいのだろうか──。

 戸惑っているところへ、ふいに声がかかった。

 

「渚ちゃん、久しぶりっ」

 

 振り返ると、そこに立っていたのは梓だった。

 

「梓……」

 

 懐かしさと、驚きが同時に押し寄せてくる。

 けれど──次の瞬間、渚は言葉を失った。

 

 梓は、白いドレスを着ていた。

 そして、その隣にいた西園寺絹香も、同じく純白のドレス姿だった。

 

 思わず、目を疑う。

 

 ……えっ……? 白? ふたりとも?

 

 常識的に考えれば、白は花嫁だけの色のはずだ。

 列席者が白いドレスを着ることは、基本的にはマナー違反とされている。

 それなのに──梓も、絹香も、まるで当たり前のように、白。

 

「……どうしたの、渚ちゃん?」

 

 梓は明るく微笑みながら、問いかけた。

 でも、梓のドレスは、柔らかな光沢をもつシルクサテンで仕立てられていて、肩から胸元にかけては繊細なレースがあしらわれ、淡い銀糸の刺繍が施されている。

 膝下までの丈は控えめながらも、ドレープの流れがまるで舞うように美しく、動くたびに生地のきらめきが変化する。

 背中は大胆に開いており、そこに通されたパールのチェーンが、白い肌の上でなめらかな曲線を描いていた。

 耳元には、ダイヤが散りばめられた小さなイヤリング。首元のネックレスは、そのデザインの繊細さから、一目で高級品とわかる。

 ──まるで、披露宴の主役と並ぶような存在感だった。

 

 そして、隣に立つ絹香の装いは、さらに衝撃的だった。

 絹香のドレスは、まさしく“もうひとつの花嫁衣装”と呼ぶにふさわしい風格があった。

 全体は純白のシルクオーガンジー。その内側に、厚みのあるサテン生地を重ね、ドレス全体に気品あるボリュームがあった。

 オフショルダーのカッティングは、鎖骨の美しさを際立たせ、胸元には薄く透けるチュールの重なりが繊細な陰影を描き出す。

 腰には、パールを連ねた帯飾り。そこから流れるように広がるスカートの裾には、手刺繍の花模様が浮かぶように縫い込まれていた。

 

 さらに驚かされたのは、彼女が身につけていた装飾品だった。

 ティアラに似たヘッドアクセサリーは、白金にダイヤとサファイアを埋め込んだもの。

 髪はゆるく巻かれたアップスタイルでまとめられ、うなじにかけて淡い香りを漂わせている。

 イヤリング、ネックレス、ブレスレット……いずれも、ただのアクセサリーではない。

 それらが放つ光は、式場のシャンデリアに負けないほどの存在感を帯びていた。

 

 渚は、言葉を失った。

 白のドレスがいけないという話ではない。

 けれど、ここまで“花嫁に迫る白”を、揃って纏って現れるなど──まるで、花嫁と並ぶ者としての登場に思えてしまう。

 しかも、それが自然に受け入れられていることが、さらに現実感を揺らがせた。

 

 ──どうして、誰も咎めないの?

 

 ──まるで……“ふたりも主役”みたいじゃない──。

 

 そんな想いが、胸の奥にじわじわと広がっていく。

 招待客が花嫁衣裳と重なる白を選ぶのは、通常ご法度だ。だが、二人の装いは、あまりにも堂々としていた。それだけで周囲の空気を変えてしまうような迫力があった。

 

「ようこそ、渚」

 

 すると、絹香の声が明るく響いた。

 久しぶりの再会に、渚の胸の奥で何かが小さく震える。

 

「……絹香様も……ご無沙汰しております。梓も……」

 

 そう言いながら、自然に背筋を伸ばしていた。目の前の絹香もまた、かすかに頬を染めて、控えめな微笑を浮かべる。

 

「お招きに預かり、ありがとうございます。こちら、私の……」

 

 渚が紹介しようとすると、彼が一歩前に出て丁寧に頭を下げた。

 

「西園寺家のお嬢様にお目にかかれるとは光栄です。私、三原と申す者で……」

 

 彼が絹香に挨拶を始める。

 そのときだった。

 ふと、絹香の身体がわずかに揺れたのだ。

 

「つっ……」

 

 びくりと肩を震わせたかと思うと、絹香はほんの一瞬だけ膝を折りかけた。

 その動きがあまりに唐突だったため、渚は思わず息を呑む。まるで、急に何かに耐えるような、抑えるような仕草。少しうつむいて、唇を噛むような表情。

 

 ……え? いまの……。

 しかし、梓には、いまの動作に、ある想像をしてしまった。

 まさか……。

 

 一方で、戸惑う渚の横で彼の挨拶は続いている。

 

「──業界の末席ながら、西園寺グループのご活躍は常々拝見しております」

 

「きょ、恐縮です……。わたしはまだ、いくつかの子会社で……ほんの事業の真似事をしているだけで……」

 

 絹香がそう答えたときだった。

 ふと、梓が渚にだけわかるようにウインクをして、バッグから何か小さなリモコンのようなものを取り出して見せた。

 

 ええ……?

 

 ほんの一瞬の動作。だが、渚の中で古い記憶がよみがえる。

 ──中学時代。絹香様が、まだまだ精神的に幼かったころ、好奇心で妙なことをしていた。

 たとえば、渚や梓に対して「変な玩具」を見せびらかしてみたり、からかうような振る舞いをしたこともあった。

 淫具を装着させて、ほかの家人の前に連れ出され、ひそかに動かされるということもされた。

 そのときの仕草にうりふたつだ。

 しかも、絶対に、梓が持っていたのは、淫具の操作具だと思う……。

 

 ……まさか……。まさか、あの頃とは、立場が……逆……?

 

「──ひんっ……」

 

 そして、絹香の口元が小さく開き、小さく悲鳴をあげて、そのまま椅子に尻もちをついてしまった。。

 だが、すぐに梓がにっこりと笑いながら、なに食わぬ顔でリモコンらしきものをバッグにしまったのが見えた。

 絹香ががくりと脱力する。

 

「あら、大丈夫ですか、お嬢様。……どうかされました?」

 

 その声音は、どこまでも丁寧だった。

 けれど、渚には感じ取れていた。そこに込められた、わずかな皮肉のようなものを……。

 

「……なんでもありません。少し、緊張してしまって……。あのう、申し訳ありませんわ」

 

 絹香は、浅く腰を下ろしたまま、梓の恋人にも謝罪する。

 でも、その頬には、ほんのりと紅が差している。

 渚は、なにも言えなかった。

 ただ、全身が鼓動のようにどくどくと高鳴っていた。

 

 けれど、渚の思考はそこで中断された。

 絹香の隣の空いた椅子に、すっと誰かが腰を下ろしたのだ。

 

 振り返ると、そこにいたのは──真っ白なスーツに身を包んだ、ひとりの若い女性。

 鋭い眼差し、日焼けした頬、切り揃えられたショートカット。

 

「……前田明日香……さん?」

 

 その姿を見た瞬間、渚の隣の彼が声を漏らした。

 えっ、と目を丸くする梓。

 

「知り合い?」

 

「いや、そっちこそ……え? あの前田明日香さんだよね? 女子サッカー選手の──」

 

 渚は、「ああっ」と思わず声をあげた。

 そうだ──女子サッカー日本代表の、エースストライカーだ。

 高校三年からの五年間、ずっと背番号10を背負ってきた超有名人な人……。

 

 渚が唖然としていると、その前田明日香が、もうひとりの女性と連れ立っていたことに気づく。

 その女性は、白のロングドレスに身を包み、巻いた髪を後ろに流した女優のような佇まい。

 

「……相場まり江じゃないかよ」

 

 彼が小さく呟いた名──それは、現在最も注目されている若手女優の名前だった。

 ふたりとも自然に席につき、にこやかに言葉を交わし始めた。

 

「ロビーで偶然お会いして──ご一緒させていただいたんです」

 

 相場まり江がそう微笑むと、明日香も頷く。

 

「梓ちゃんとは初めましてだけど、絹香さんから噂は聞いてたよ」

 

「うん。今日の主役の方とも、昔からちょっとしたご縁があって」

 

 そして、どちらも白。

 前田明日香はシャープな白スーツ、相場まり江はクラシカルなシルエットのドレス。

 

 ──また、白……。

 その白の連鎖は、ここで終わらなかった。

 

「すみません、ちょっと遅れちゃって」

 

 次に現れたのは、伊達京子だった。

 最近、よくテレビはイベントなどてよく見る有名なスポーツインストラクターだ。美貌なうえに、運動のときの妖艶さが話題になって、一気に脚光を浴びている。

 テレビで見るよりも華やかで、スポーツウェアとは無縁の優雅なドレス姿。

 その隣には、透き通るような肌の清楚な美女が寄り添っていた。

 挨拶を交わす。

 伊達が手を添えるように紹介する。

 

「はじめまして、伊達京子です。こちらの彼女は、工藤玲子って言います。ちょっと前までわたしは高校教師をしてたんですけど、縁があって、いま、わたしと一緒にちょっとしたプロジェクトをやっていて……」

 

「はじめまして、松野渚様。今日は、ご参加ありがとうございました」

 

 玲子と名乗った女性が、静かに微笑んだ。

 

「えっ?」

 

「今日の披露宴の仕切りも、この人なんです……。でも、玲子、いまは、同じ招待客なんだから、ありがとうはないんじゃないの?」

 

 伊達京子さんが明るく笑っている。

 

「それもそうね」

 

 工藤玲子さんもくすくと笑う。とても仲がよさそうだ。いや、この人たちだけでなく、全身の距離感が近い。

 渚と恋人だけが場違い感がある。

 

 しかも、このふたりの服装も、また白だった。

 淡いレースをあしらった、上品なオフホワイトのドレス。

 

 ……知らない人ばかり。でも、みんなが渚に目を留め、声をかけてくる。

 

「渚ちゃん、って、梓から聞いてたよ」

 

「ご縁って不思議よね」

 

「来てくれてよかったわ」

 

 声は優しいのに、渚にはどこか異質に思えてならなかった。

 ──この人たちは、いったい、何者なの?

 さらにそこへ、またもや、華やかな声が弾んだ。

 

「あれっ、三原さん?」

 

「ああっ、ご無沙汰してます、白岡さん」

 

 彼の顔がぱっと驚いたように明るくなる。

 やってきたのは、明るそうな可愛らしい女性。やっぱり白いドレスを身につけている。

 

「知り合い?」

 

 渚は、恋人にささやく。

 

「うん……。パーティとかで何度か……。ほら、あの、白岡電器の社長令嬢さんだよ」

 

 白岡電機──。

 全国的に有名な家電チェーン店だ。

 その社長令嬢──?

 

「白岡かおりよ。社長令嬢なのは確かだけど、いまは、新郎と同じ会社に入った新入社員よ。よろしくね、渚」

 

 彼の言葉を制するように、そのかおりという女性が笑顔を浮かべて名乗る。

 けれど、その笑みにはどこか含みがあった。

 しかも、いきなり、呼び捨て──。

 渚は面食らった。

 

 続けて、まるで子供のような華奢な美少女が現れた。この人は知らない。立花柚子だと名乗った。その彼女も、膝丈の純白ドレスに、銀の靴。まるで人形のようだった。

 

 そして、さらに現れたのは──世良七生。

 

 その名を告げられるまでもなく、渚は思い出していた。

 国際芸術コンクールで連続受賞を果たした、あの七生。

 目元に柔らかな気品を湛え、白のドレスに身を包んだ彼女が微笑むと、まるで空気が静かになるようだった。

 その瞬間、渚がぽつりと呟いた。

 

「……あたしだけ、白くない……」

 

 たしかに。渚のドレスは淡いピンク。

 それだけが、むしろ場の中で際立っているようにさえ見えた。

 渚は、胸の奥にまた違った鼓動を感じた。

 

 白──それはたった一色のはずなのに、ドレスの質感もスタイルも、どれも異なり、それぞれが華やかに咲き誇っているようだった。

 けれど、その“統一感”は、否応なしに視線を引きつけた。

 

 そうして、残る二席。

 その空いた椅子に、最後に現れたのは──

 

 美女ふたり、と見紛うほどだった。

 けれど、ひとりは細身のタキシードを着こなした、まるで舞台から抜け出たような美青年。

 もうひとりは、銀の髪飾りを光らせた、気品溢れるドレス姿の令嬢。

 

 ふたりは腕を組みながらテーブルへ向かい、すでに集っている誰に対しても、自然に、親しげに挨拶を交わしていった。

 

「──やあ、遅れてごめん」

 

「お待たせしてごめんなさい。ロビーで写真を頼まれてしまって……」

 

 渚の恋人が目を瞬かせた。

 

「……あのう、そちらは、どなた……?」

 

 彼が訝しげに小声で問いかけてきたが、すぐに聞き慣れた名が、誰かの口から漏れた。

 

「ひかりちゃん、今日は一段と華やかねえ」

 

「やっぱり、九条さんが一緒だと輝いて見えるわ」

 

 そして、続く彼女たちの会話から、ふたりが、金城光太郎、そして──九条あゆみとう名だとわかる。

 その名を聞いた瞬間、恋人の身体がぴくりと跳ねた。

 

「……金城光太郎さんって……まさか……っ。金城財閥の──? もしかして、そちらは、婚約者の九条あゆみさんですか──。お会いできて光栄です」

 

 椅子が音を立てて後ろへ引かれ、彼は勢いよく立ち上がった。

 

「お、おふたりのお名前は、いつも……本当に……」

 

 明らかに動揺していた。

 彼が財閥系の新興企業に属しているとはいえ、その頂点ともいえる“金城財閥”の名は、桁が違う。

 それに九条あゆみといえば、わずか二十代にして資産運用のカリスマとまで呼ばれている投資家だ。

 

「ふふ、そんなに堅くならなくていいわよ」

 

 あゆみが笑い、彼女の言葉に光太郎が肩をすくめた。

 

「今日は祝福に来ただけだからね。仕事は忘れよう」

 

 椅子に腰を落ち着けると、ふたりともテーブルに自然と馴染んでいった。

 その場の空気が、また少し変わる。

 

「でも……」

 

 彼が戸惑い混じりに口を開いた。

 

「ここにいらっしゃる皆さん……ご関係は、どういった……?」

 

 確かに……。

 スポーツ界の顔、芸能界のスター、財閥関係者、そして女優や芸術家……。上流階級の御曹司に令嬢……。

 偶然で集まるには、あまりに揃いすぎている。

 

 その問いに、応じたのは──白岡かおりだった。

 くすくすと笑いながら、グラスを軽く揺らして言った。

 

「ねえ、そろそろ気づいてるでしょ? 全員──新郎の愛人よ」

 

 グラス越しに、涼しげな瞳を細める。

 

「えっ?」

 

 恋人が戸惑いの声をあげた。

 渚も驚く。

 

「なんとなく、わかるでしょう。さもないと、全員そろって白い服なんて着ないわよ」

 

 けらけらと笑い声を立てるかおりに、渚は言葉を失った。

 けれど、周囲の女性たちは、誰もそれを否定しなかった。

 むしろ──穏やかに、笑ってさえいた。

 

 渚の戸惑いが続くなか、場内が、ふっと暗くなった。

 ざわめきが静まる。

 天井のシャンデリアの灯りが落とされ、代わりに、スポットライトが壇上を照らす。

 ピアノの旋律が、ゆっくりと変調した。

 ──どこか懐かしくて、温かくて、でも、胸の奥に触れてくるような旋律。

 

 彼女の隣で、恋人がささやいた。

 

「……はじまるね」

 

 渚は、自然と背筋を伸ばした。

 全員が、静かに視線を前へ向ける。

 壇上に、光が差す。

 そこに──現れたのは、新郎新婦だった。

 けれど、渚の胸に浮かんだのは、“美しい”というような言葉ではなかった。

 それは──“風格”だった。

 

 新郎の青年は、黒のタキシードに身を包みながらも、どこかそれを纏っていないような気配があった。顔立ちは絶世の美男子というわけでもない……。むしろ、平凡。

 でも、なぜか、不思議な威圧感がある。

 招待状によれば、坂本真夫──。

 面識はない……。

 

 でも、なぜか、懐かしいと思う。

 どうしてだろう……。

 

 また、堂々とした佇まい──。

 けれど、その眼差しは、柔らかく、優しく──そして、すべてを見透かすようだった。

 どうして……?

 年齢は、そんなに渚と変わらないだろう。

 隣の恋人と比べれば、彼が年下かもしれない。

 

 また、隣に立つ新婦──彼女は朝比奈恵……。白のドレス姿ながら、ただの“花嫁”ではなかった。

 華やかすぎるドレスではない。けれど、その立ち姿に、誰もが目を奪われていた。

 真っ直ぐに前を見据える瞳。

 その手は、新郎の腕に自然に添えられている。

 なにも語らずとも、このふたりが“選ばれた者”であると、誰もが理解してしまう。

 

 静寂──。

 

 誰も、声を出さない。

 ただ、拍手が──自然と湧き上がっていった。

 大きな音ではない。

 けれど、それは、誰ひとりとして強制されたものではなかった。

 

 ──この人のために、手を叩きたい。

 

 そう、心が思ったから。

 だから、音が揃った。

 

 渚は、不思議な感覚に包まれていた。

 

 壇上のふたり。

 あれが、新郎と新婦──。

 

 ──いや、違う。

 

 あれは、“王”と“正妃”だ。

 

 そんな言葉が、頭の奥に浮かんだ。

 自分でも、なぜそんなふうに感じたのか、わからない。

 けれど、あのふたりを見ていると、そうとしか思えなかった。

 

 拍手が広がる中、新郎が、壇上でゆっくりと深く、頭を下げた。

 

 ──そのとき、渚は見た。

 

 同じテーブルに座っていたふたりのあいだを囲むように、白い衣をまとった女たちが、ひとり、またひとりと、ゆっくりと立ち上がり、静かに礼をした。

 

 まるで──新郎に向かって、忠誠を誓うように。

 

 その姿に、場内の誰もが言葉を失った。

 

 白。白。白──。

 

 ただのドレスではない。

 それは、彼女たちが“誰の女であるか”を、示す証だった。

 

 さらに、彼女たちは新郎と新婦の立つ、中央の席の左右の前に立ち、ずらりと横に並ぶ。丸テーブに残っているのは、いつの間にか、渚と恋人だけである。

 

 渚は、ただ、息を呑んだ。

 

 この構図──。

 

 さっきの白岡かおりという女性が口にしたのは、冗談でもなんでもないのだ。これは、本当に彼女たち全員の結婚式でもあるのだと思った。

 

 その瞬間、拍手がひときわ大きくなった。

 そして、司会の声が響く。

 

「それでは──坂本真夫様、朝比奈恵様の披露宴を開宴いたします─」

 

 照明が戻り、音楽がふたたび柔らかく流れ始めた。

 拍手が静まったあとも、渚の心はまだ波打っていた。

 壇上のふたりが席に座ると、先ほどまで立ち並んでいた女性たちも、自然と自分たちの椅子へと戻ってきた。

 誰もが何事もなかったかのように、上品に、気高く、微笑を浮かべながら。

 

 ──この人たちは、なにを知っていて、なにを守っているのだろう。

 

 渚は、自分の胸に、ひとつだけ残された答えを抱きしめるように思った。

 

 誰もがこの空間の意味を知っていた。

 そして──祝福していた。

 

 席についた女性たちは、それぞれにグラスを手に取り、乾杯の準備を整えていた。

 司会者から指名を受けたのは、白岡かおりだった。

 

「それでは──」

 

 彼女が高らかにグラスを掲げた。

 

「新郎・坂本真夫さまと、新婦・朝比奈恵さまと、さらにわたしたちの門出を、心より祝すとともに──」

 

 そして、視線を巡らせた先で、にこやかに微笑んだ。

 

「……さらに、わたしたち全員からの、永遠の愛を込めて──乾杯──」

 

「乾杯──」

 

 声が重なり、グラスの音が、静かに会場を満たす。

 ふたりの愛人──いや、“臣下”たちが奏でる音のようでもあった。

 

 壇上で、坂本真夫が杯を掲げる。

 朝比奈恵が隣で微笑み、軽く頷く。

 

 その瞬間、照明が中央の天蓋に集まり、シャンデリアが眩い光を放った。

 

 宴が、始まる──。





 明日、最終話です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。