47話 特別寮の生徒たち
「大きなテレビねえ。あたし、なにかと思っちゃった」
あさひ姉ちゃんが目を丸くしている。
特別寮の中にある共有のリビングだ。
玄関から入ったところにある広間であり、ここから五個の各居室に繋がっている。
真夫とあさひ姉ちゃんとかおりは、丸二日入り浸った自室からやっと出てきて、ここにやって来た。
充実した二日間であり、まだまだ続けたかった気もするが、もう日曜日の夜だ。
ほかの寮生に、今日のうちに挨拶くらいは済ませたい。
それで、ここで待つことした。
待っているあいだにつけたのが、備え付けのテレビだ。
かおりがチャンネルを選んだが、流れてきたのは歌番組だ。
真夫たちは、なんとなくそれを三人でソファーに並んで座って眺めている。
また、部屋から外に出てきてわかったが、それぞれの五個の扉の居室の上にある光の表示がある。
真夫たちの部屋は赤くなっていて、あの秀也の部屋は光が消えたままだ。ほかにも、西園寺絹香と表示のある部屋と加賀豊の部屋も無点灯だ。
一方で、金城光太郎の部屋は青く光っている。
真夫の勘では、無点灯は室内に人がいないということであり、光がついているのは室内に人がいるということではないかと思った。
だから、金城光太郎という生徒は、もう週末外泊から戻っていると思った。
ほかの者はまだに違いない。
真夫の部屋と金城の色が違うのは、真夫が部屋の外に出ているからだろう。真夫が部屋に戻れば、自動的に光は青に変わる気がした。
ともかく、最初は、真夫の方から部屋をノックして、まずは、その金城光太郎という男子生徒に挨拶をしようと思った。
だが、かおりに制された。
特別寮の部屋は、緊急の用事がない限り、他者が部屋を訪ねてはならない決まりがあるらしい。完全プライベートが保障されているということだ。
もしかしたら、もう部屋の外には出てこないかもしれないが、そうであれば、朝ここで待って挨拶をする方が無難だという。
よくわからないが、上流階級のマナーなどは、かおりに教えてもらうしかない。
真夫は従うことにした。
だが、まだ、残りの三人はここで待っていれば、挨拶のタイミングがある。
もっとも、長く玲子さんの調教係だったという秀也という少年に会うのは複雑な感情ではある。
だが、考えてみれば、真夫はまだ一度も秀也は見ていない。
どんな人物だろうかという興味はある。
「なによ、これくらいのテレビ。普通でしょう。恵ったら大袈裟ねえ」
かおりが呆れたような声を出した。
昨日までは、対立し合いながらも“恵さん”と呼んでいたかおりだったが、今日一日の「遊び」ですっかりと打ち解けて、呼び捨てで呼び合う仲になった。
まあ、よかった。
これも、丸一日の雌犬ごっこのおかげだろう。
あれだけ、お互いの恥部を晒し合えば、打ち解けるなという方が無理がある。
「そういえば、あさひ姉ちゃんのアパートって、テレビなかったね」
真夫は思い出しながら言った。
あの部屋には、結構な電化製品があったが、テレビはなかったように思う。
「テレビなんて、真夫ちゃんと暮らした施設っきりよ。高校の寮にもなかったしね。真夫ちゃんは?」
真夫は同じだと肩を竦めた。
これまでいた真夫の高校の寮にもテレビはない。テレビなんて、もう何年もみてないと応じた。
すると、真夫の隣に腰かけているかおりが目を丸くした。
「テレビがないって? じゃあ、専らネット?」
かおりが言った。
「まさか」
真夫は笑った。
ネットどころか、携帯電話も持っていなかった。
いま持っているのは、玲子さんから渡されたものだ。
かおりがびっくりしたような顔になった。
「だったら、どうやって外の情報を仕入れるの? ファッションとかは?」
「あたしはネットはするわよ。大学のゼミのやつだけどね。なんにも知らないのは真夫ちゃんよ。好きな芸能人とかいないでしょう?」
あさひ姉ちゃんが笑った。
真夫は首を傾げた。
確かに、好きな芸能人とか訊ねられても思いつくものがない。
そもそも、いまどんな芸能人がいるのかも、よくわからない。
「へえ……。本当に貧乏だったのね。同情するわ……」
かおりが笑った。
だが、その笑いには悪意のようなものはなかった。
だから、横のあさひ姉ちゃんもつられて笑っている。
「かおりちゃんの好きな芸能人は?」
訊ねてみた。
すると、かおりは、アイドルグループだという歌手の中のなんとかという男が大好きだと答えた。教えてもらったものの、まったく真夫には聞き覚えのない名前だ。聞いたそばから忘れてしまった。
知らないと応じると、かおりがショックを受けた顔になった。
「……まあいいわ。じゃあ、恵も同じようなもの? 芸能人とかには興味なし?」
かおりがあさひ姉ちゃんに視線を向ける。
「あたしは、真夫ちゃん一筋よ」
あさひ姉ちゃんがきっぱりと言った。
真夫はこっちが恥ずかしくなった。
「なによそれ」
かおりがぷっと噴き出した。
真夫も苦笑した。
「いずれにしても、世間には疎いということね。じゃあ、わからないことがあれば、なんでも訊いて。教えるから」
かおりが言った。
真夫はよろしく頼むと言って、かおりを抱き寄せて、額に軽くキスをした。
「う、うわっ、そんなの卑怯よ」
すると、かおりの顔が真っ赤になる。
だが、なにが卑怯なのかよくわからない。
「……そういえば、真夫君って、なんで、あさひ姉ちゃんって呼んでいるの? 恵じゃないの?」
すると、かおりが急に話題を変えるように訊ねた。
「あたしの名前よ。朝比奈恵……。最初に会ったときに、名字で呼んじゃったのが癖になったのよね」
あさひ姉ちゃんが言った。
「朝比奈? あんたって、そんな苗字だったの?」
すると、かおりが首を傾げた。
これには、真夫もちょっと驚いた。
「あたしの苗字、知らなかったの?」
あさひ姉ちゃんもびっくりしている。
「あの玲子も、恵としか言わなかったしね。恵なのに、真夫君が“あさひ姉ちゃん”と呼ぶのが変だと思ってたのよね」
かおりが屈託のない感じで笑った。
真夫もあさひ姉ちゃんも、つい噴き出してしまった。
「あれっ、新しい人ね?」
そのとき、寮の入口が開いて、数名の女生徒が入って来た。
やって来たのは、三人の女生徒だ。
一番前を長い黒髪をした美貌の女生徒は白と紺を基調とした清楚な制服だ。
すでに真夫も支給されているがS級生徒を表す制服だ。また、後ろで荷を持っているふたりは、灰色の制服だ。
これは従者生徒の制服のはずだ。
いまは、真夫の従者生徒になったかおりも、同じものを着ている。
相変わらず、制服の下はなにも身につけていない。
二日間のセックス三昧で、売店棟に行く暇がなかったのだ。
可哀想だが、明日の登校まではそのままで、教場棟に向かう前に、立ち寄るつもりだ。
いずれにせよ、彼女たちは、生徒会長の西園寺絹香と従者生徒に間違いない。
絹香の従者生徒は、可愛らしい顔をした小柄なふたりだ。
前髪の分け目が左右で違うだけで、同じ顔をしている。
双子のようだ。
「西園寺さんですね。坂本真夫です。こっちは、一緒に暮らすことになった朝比奈恵と白岡かおりです。よろしくお願いします」
真夫は立ちあがった。
すると、ふっと彼女の顔が不自然に緩んだ気がした。
そして、ぱっと紅が差すように、頬が赤くなる。
「えっ?」
真夫は思わず声を出してしまった。
絹香の外面の変化ではない。
外からはわからない内面の心の不自然な変化が、真夫に急激に入り込んできたのだ。
いや、入ってきたというよりは、あまりにも不自然な心の動きだったので、真夫に芽生え始めている特殊な能力が勝手に絹香の感情を読んでしまった感じだった。
最初に存在したのは、真夫たちに対する純粋な好奇心のようなものだったと思う。それは自然な感情だったので、真夫自身も心を読んでいるというつもりもなかった。
しかし、すぐに、それが急激に真夫に対する好感情に置き換わったのを感じた。
だんだんと変化するのではなく、なにかの巨大な力によって、無理矢理に変化した感じだった。
一方で、絹香の心に、あさひ姉ちゃんとかおりに対する悪感情も沸き起こっている。
それは非常に危険なもののように思った。
だから、真夫は、その不自然さにすぐに反応してしまった。
「どうかした、真夫ちゃん?」
あさひ姉ちゃんが心配そうに声をかけてきた。
真夫が急に黙りこくったためだろう。
しかし、真夫は目の前の絹香に集中している。
「どうかした? そんなに見ないでよ……。恥ずかしいわ……」
すると、絹香が妖艶に微笑んだ。
だが、これは、絹香であって、絹香ではない。
真夫は確信した。
「変な人……。でも、悪くないわ……。ねえ……」
絹香がすっと真夫に寄ってきた。
そして、いきなり真夫の唇に唇を重ねてくる……。
これには、真夫も度肝を抜かれた。
「ええっ?」
「な、なにっ?」
大きな声は、あさひ姉ちゃんとかおりの悲鳴だ。
背後の双子も驚愕している。
しかし、真夫は口づけよりも、あの不可解で、かつ、不愉快なものを排除したい……。
それを強く思った。
絹香の心にある、得体の知れない黒い影──。
あれを消してしまおう……。
ほとんど無意識によるものだったが、真夫でも絹香でもない、ほかの誰かに、目の前の女生徒の心が関与されようとしているのが不快だったのだ。
それに、特に苦労せずにできそうでもあった。
真夫は、絹香の口づけを受けながら、念を強くした。
「えっ?」
すると、絹香の身体がぐらりと崩れた。
「絹香様」
「お嬢様」
後ろの双子が手を伸ばそうとした。
だが、真夫の方が対応が早い。
倒れかけた絹香をしっかりと真夫は両手で抱いていた。
すでに、絹香の心にあった黒いなにかの影は消滅している。
真夫が念じることで、やはり、それは容易にかき消すことができた。
「わっ、な、なに?」
絹香が当惑している。
そして、まじまじと真夫を凝視した。
「は、離して──」
絹香が動揺したように、真夫の胸をどんと押した。
真夫は大人しく絹香から離れた。
すると、絹香がぱっと顔を赤らめた。
「あっ、ごめん。とっさに……。で、でも、わたし、どうしたのかしら……。あれっ? 一瞬、記憶が跳んで……」
絹香は混乱している感じだった。
真夫は首を傾げた。
「倒れかけたんですよ、大丈夫?」
真夫は言った。
「いきなり、真夫君にキスしたのよ」
かおりが不機嫌そうに言った。
「キス……?」
絹香は首を傾げている。
そして、顔がまたみるみる赤くなった。
「覚えてないの?」
あさひ姉ちゃんが口を挟んだ。
「お、覚えている……。で、でも、なんで、あんなことしたのか……。ご、ごめんなさい……」
「いいえ、光栄ですよ。あなたのような美人にキスされて嬉しいですね」
真夫は笑顔で言った。
だが、一方で、笑顔の下では、さっきのことを考えていた。
あれは、おそらく、催眠術のような心の操りだろう……。
絹香は何者かによって、なにかの暗示を刷り込まれていた?
それが、真夫に会うことで発動した……。
整理すると、そういうことになるのだろう……。
しかし、誰が……?
つまりは、真夫に芽生え始めた、他人の心に触れる力を持つ者がほかにいるということだが……。
真夫は、なんとなく秀也という少年の影を感じた。
考えてみれば、玲子さんは奇妙なくらいに、秀也のことも、龍蔵という人のことも語らない気もする。
それは、玲子さんと真夫との関係を考えれば、奇妙なことでもあった。
もちろん、玲子さんの心を疑うわけではないが……。
つまり、ふうん……。
絹香は当惑している感じだったが、すぐに乱れていた呼吸を整え直して、動揺を隠すような仕草をした。
「だ、大丈夫……と思う。よくわからないけど……。まあ、で、でも大丈夫……。改めてよろしく、坂本君」
絹香がすっと手を出した。
「よろしくお願いします、西園寺さん。また、不意打ちでキスをしてもらっていいですよ。いつでも、大歓迎です」
真夫は絹香に握手を返しながら言った。
「……バカね……」
絹香が吹き出した。
今度こそ、濁りのない本物の感情だ。
真夫はほっとした。
「……それと、“さん”付けはやめてよ。あなたとわたしは同じクラスよ。クラスメートになるんだから、もっと打ち解けた感じで呼んで欲しいわね」
絹香が笑った。
笑うとすごく可愛い顔になる。
真夫も頬をほころばせてしまった。
「じゃあ、呼び捨てで。俺のことは、真夫と呼んで欲しいね、絹香。坂本と呼ばれるのは好きじゃないんだ」
真夫は絹香から手を離して言った。
「どうして?」
絹香が首を傾げた。
「坂本という名は、本当の名じゃないんだ。市長さんが適当につけただけの苗字でね。だけど、真夫というのは、俺の母さんからもらった名前らしいんだ。だからだよ」
真夫は言ったが、絹香がよくわからなかったようだ。
ただ、じゃあ、真夫と呼ぶとだけ言った。
そして、恵に挨拶をし、さらにかおりに視線を向けた。
「一昨日は随分と不満そうだったけど、今日は機嫌がよさそうね、かおり。真夫君の従者生徒になったあなたも転級よ。わたしと同じクラス。よろしくね」
絹香が言った。
その物言いには、心なしかからかうような響きがあるように思った。
「よろしく、会長。真夫君の奴婢生徒の白岡かおりよ」
かおりがにんまりと微笑んだ。
奴婢生徒というのは、従者生徒の蔑称だ。
その言葉で堂々と自己紹介したかおりに、絹香が気圧されたように眉をひそめた。
そのとき、別の喧噪が入口から起きた。
真夫は視線をあげた。
やって来たのは、長身で明らかに髪を茶色く染めているとわかる男子生徒だ。五人ほどのほかの男子生徒が続けて入って来たが、その長身の男子生徒だけがS級生徒の制服を着ている。
ほかの男子生徒は取り巻きだろう。
飲み物や菓子類を包んでいるとわかるレジ袋を持っている。
「あっ、加賀君。こっちは新しくこの寮にS級でやって来た坂本真夫君よ。真夫君、こっちは加賀豊──。ほかの人は……。いつもの取り巻き。ああやって、いつも、周りに人を集めてるわ」
絹香が肩を竦めた。
「坂本真夫といいます。よろしく」
真夫は手を出した。
しかし、加賀は立ち止まって、首を傾げる仕草をしただけだ。
握手を返そうとする気配はない。
真夫は手を引っ込めた。
「ああ、例の……」
やがて、加賀はぽつりと言った。
そして、しばらく値踏みをするように真夫のことをじっと見続けたあと、口を開いた。
「お前、どこの家だ?」
「家?」
「実家だよ、実家。結局、どうなってんだよ。この時期に突然、S級に割り込んできて、本当に孤児院出身ってことはねえだろ。本当はどこの家なんだよ?」
加賀は苛立った口調だ。
だが、不機嫌そうな外面に対して、真夫はこの加賀という男子生徒の心にある密かな恐れのようなものを感じた。
なんてことはない。
怒ったような外見の裏は、正体のわからない真夫に対する恐怖心があるようだ。
そう考えると、ちょっとおかしくなった。
真夫はわざとらしく首を竦めてみせた。
「孤児というのは本当だよ。ただ、新しい理事長は俺の女でね。それで、特別待遇になったということさ」
真夫は言った。
「えっ?」
横で小さな声をあげたのは、あさひ姉ちゃんだ。
真夫があっさりそれを白状するとは思わなかったのだろう。
だが、加賀がそれを信じるわけがない。
真夫には確信がある。
案の定、加賀がけたたましく爆笑した。
そして、取り巻きたちも続いて笑う。
「愉快なやつだな。まあ、あのゴリラよりも余程いい。あいつのおかげで、S級も格が下がっていたが、替わりにお前が入るんなら、S級の品もあがるというものさ。よろしくな」
加賀が手を差し出す。
真夫はしっかりと手を握り返した。
そのとき、背後で扉ががちゃりと開く音がした。
真夫は視線を向けた。
扉が開いたのは、特別寮の生徒である金城光太郎の部屋だ。
しかし、現れたのは、男のような軽装をした可愛らしい顔立ちをした女の子だった。
光太郎の従者生徒?
「おう、光太郎、新入りだ。なかなか愉快な男だぜ」
加賀が言った。
光太郎?
真夫は驚いた。
だが、てっきり、女の子だと思ってしまったが、そう言われれば、胸は平らで膨らんでない。
しかし、そう思っても不自然でないくらいの女の子のような顔立ちだ。
「ああ、あのゴリラの入れ替わりか。歓迎するよ」
光太郎が破顔した。
笑うと、ますます女の子に見える。声も太くなく高い。
真夫は複雑な気持ちになった。
「とりあえず、これでS級全員か。だが、こうやって一堂に会すのも珍しいことだな。なら、折角だ。たまたま、色々と買ってきたから、ここにいるみんなで歓迎会といこうぜ」
加賀が陽気に言った。
絹香と光太郎が頷く。
これには、真夫は驚いてしまった。
「秀也という人は?」
真夫は言った。
「秀也?」
「ああ、そうか」
「えっ?」
三人を含め、他の者もきょとんとした顔になった。
まるで、存在はしているのは承知しているが、秀也に対する印象そのものがない感じだ。
真夫は唖然とした。
そして、すぐに納得もした。
つまり、ふうん……。