秀也が苦虫を潰したような顔をしている。
時子は苦笑した。
「あなたにしては珍しいですね。あの恵ちゃんを酷い目に遇わせたことを後悔しているのですか? あそこまでするつもりはなかったと?」
時子はからかうように言った。
秀也は一瞬、時子を睨んだが、すぐに気を取り直したように肩を竦めた。
「なんとでも罵るがいいさ。いまさら、言い訳をするつもりはない。だが、一応は小僧の女が寝取られるようなことだけは回避させていたんだぞ。ただ、思ったよりも、竜崎の小僧がゲスだったというだけさ。いずれにしても、あの小僧が操心術を開花するには、激しい怒りが必要だった。これは、代々の豊藤家の男に引き継がれている秘密の儀式のようなものさ。脳が沸騰するような激しい怒りを覚えたとき、豊藤の男は、一段上の段階に力を覚醒させる……。この俺もそうだったしな」
「あの真夫坊は能力を開花させたの?」
時子は小首を傾げた。
「竜崎を再起不能にした時の映像を見ただろう。間違いねえ。小僧は操心術で竜崎の動きを瞬時に読みながら、なおかつ、求める行動をとらせることによって、竜崎をぶちのめした。しかも、竜崎は完全に脳を壊されている。二度とまともに喋ることもできねえだろう。それをほぼ一瞬でやった。大したものだ」
秀也が首を竦めた。
あの真夫が紛れもなくもなく豊藤家の血を引いていることは、時子は最初に接したときにすぐにわかった。
豊藤の男の血が引き継いでいるのは、操心術ばかりでない。
異常なほどに、女を惹き付ける。
それも、豊藤の男の特徴のはずだ。
そして、その力はむしろ、真夫は秀也よりも遥かに強いのだろう。
いや、むしろ、操心術については、秀也はかなりの能力があるが、その女を惹きつけるという能力については、秀也は低いといっていい。
その証拠に、玲子は、一年ものあいだ秀也の調教を受けたものの、ついに秀也にはなびかなかったのに、真夫に出逢った途端に、真夫の虜になった。
今回、竜崎に酷い目に遇った恵にしても、異常なほどに真夫に執着しているし、真夫に反発を抱いている感じだった白岡家の娘にしても、わずか数日で真夫になびいている。
思わず、女が世話をしてあげたくなる……。
そんな力が真夫にはある。
おそらく、男の秀也には理解はできないのだろうか、それこそが真夫の力なのではないかと思ったりする。
「だが、やっぱり、あの小僧は女に甘いな。大勢の男が集まっているところに、なんの策もなく飛び込んでいくなんざ、愚の骨頂だ。もしかしたら、死んでもおかしくなかった。そんなことをするような甘ちゃんは、やはり、豊藤の総領は務まらねえよ。お前のお気に入りの小僧だけど、これでわかったろう?」
秀也が時子を見た。
「それこそ、あの真夫坊の強さだと、あたしは思いますけどね。これで、あの恵という娘は真夫坊を助けるために死も厭わないわ。あなたのために、死んでくれる部下があなたには何人いるの? 操心術なしでね」
時子は言った。
「お前、誰に向かって口をきいているんだ──」
秀也は眼に見えて、不機嫌になった。
しかし、時子は言ってやらねばならないと思っていた。
秀也は焦っている。
その焦りが、おかしな方に事態を変質させている気がするのだ。
そもそも、真夫の女に罠にかけて、素行の悪い男子生徒に襲わせるなど、まったく秀也らしくない。
もっとも、秀也の焦りの気持ちもわからないでもない。
これまで、豊藤家を支えられるのは、秀也ひとりだった。
豊藤家には子はおらず、後継者問題など起きようもなかった。
だが、そこに真夫という新しい血が出現した。
秀也としては気狂いしても不自然ではない。
だが、その焦りのようなものが、おかしな事態を引き起こしかねない。
「いいから、お聞きなさい、秀也さん。真夫坊の女に手を出すのは、金輪際おやめなさい。真夫坊が女性に優しいのは、短所ではありません。長所です。このあたしも女ですからね。あたしにはわかるんです。そもそも、会いもしないで、真夫坊がどんな人間かを判断するのは早計です。あの子はとてもいい子よ。会えば印象も変わると思うわ」
時子は言った。
実際のところ、秀也が気狂いするほど真夫のことを気にしているのはわかっている。
それでいて、いまだに秀也は隠しカメラ越しに真夫を観察するだけで、直接は会おうとはしない。
その理由もわかっている。
秀也は操心術の達人だ。
つまりは、秀也はこれまでの人生において、操心術の通じない相手と面と向かって向き合ったことはほとんどないのだ。
しかし、操心術は、同じ能力者の者の心を操れない。
それがこの能力の決まりらしい。
そのことも、秀也がなかなか真夫に会わない理由だと、時子は思っている。
実は臆病な男なのだ。
すると、時子の頬で激しく音が鳴り、目の前に火花が飛んだかと思った。
秀也の平手が時子の頬を打ったのだ。
「俺は女に説教されるのは好かん」
秀也が形相を変えている。
時子は、もう一度殴られるのを覚悟したが、秀也はそのまま気分を害したように、部屋を出ていった。
部屋にひとりになると、時子は溜息をついた。
そのとき、突然に電話が鳴った。
果たして、かけてきたのは、龍蔵だった。
「もしもし、そちらから電話をなさるとは、珍しいですね。ナスターシャのことで相談でも?」
時子が電話口に笑いかけた。
ナスターシャというのは、少し前に秀也が見つけてきたフランス女であり、いまは新しい愛人として秀也が龍蔵にあてがっている。
龍蔵の機嫌をとるための、秀也の気遣いのひとつだ。
「ナスターシャは相変わらずだ。ちっともなびかん。それが面白いのだがな……。だが、今日は秀也のことだ。そこに秀也はいるか?」
「たったいま、出ていきました。私室だと思います。呼び出しましょうか?」
「いや、だったら都合がいい。その秀也のことで話をしたいのだ。あなたとな……。すまんが、こっちに来てくれ。迎えの車を寄越す。運転は例のナスターシャだ」
電話口の龍蔵は、言葉遣いこそ明るいが、口調の陰になんだか深刻そうな響きがあった。
時子は首を傾げた。
「……宮田月子さんと言われる女性だったそうです」
玲子さんは語り始めた。
心の中にあった操心術の暗示を解くと、玲子さんは驚くべきことを真夫に話し始めた。
なんと、真夫は、この学園の理事長であるだけじゃなく、世界的な大財閥グループである豊藤家の総帥である
俄かには信じられる話じゃなかった。
だが、玲子さんは冗談を喋っている感じではない。
操心術で覗く限り、玲子さんは至って真剣であり、嘘は言っていない。
少なくとも、玲子さんが真実だと思っていることを喋っている。
また、もう何者かに操られて、真実でないことを真実だと思い込まされている様子もない。
「……月子……」
真夫は繰り返した。
それが、真夫の母親の名前なのだそうだ。
真夫には記憶はないが、真夫の母は真夫を産んですぐに死んだと教えられていた。
まだ、名前も付けられていないときであり、真夫という名は、その母親だという女性が唯一持っていたメモに“まおう”と書かれていたことから取っている。
実際の名付け親は、真夫が引き取られた施設のあった土地の市長さんだ。
「ど、どんな女性だったんですか……?」
とりあえず訊ねた。
だが、正直に言えば、どんな母親だったのか、本当に知りたいと自分が思っているのかどうか疑問だ。
なんとなく頭に思いついたありきたりな質問……。
それを口にしただけだ。
ましてや、父親が大きな財閥の総帥だと言われても、なにかぴんと来ない。
それは本当のことなのだろうか。
だが、そうであるとすれば、突然にこの学園に真夫が引き取られたということには合点がいく。
この学園の理事長がとんでもないスケベ親父であり、真夫が女子生徒を調教している光景をこっそり眺めたいからだという理由よりは、余程に納得できた。
また、母が残した“まおう”というメモも辻褄が合った。
“魔王”というのは、増応院という総帥のあだ名だそうだ。
増応院というのは、龍蔵の戒名なのだが、“まおういん”とも読めるし、大きな力を持つ龍蔵への尊称でもあるそうだ。
しかし、そんな大人物が父親だと言われても、困惑しかない。
そもそも、真夫はまだ一度も龍蔵と会っていない。
一度、電話で話しただけだ。
「そこまではわかりません。ただ、龍蔵様の大勢いた妾のひとりだったということしかわたしには……。あるいは、時子さんならもう少し詳しく知っているかもしれません。ともかく、真夫様を身ごもってすぐに、龍蔵様のもとから逃亡をされたそうです。その理由も不明です。真夫様の存在がわかったのは、本当に偶然のことです。あの白岡かおりのことがあって、たまたま調査にあたったわたしが、真夫様と月子様の関係に気がついただけです。月子様がお産みになったお子様なら、龍蔵様のお子様に間違いありません」
「わかりませんよ。ほかの男の人の子を身ごもったから逃げたのかも」
真夫は軽口を言った。
しかし、玲子さんは首を横に振った。
「失礼ながら、遺伝子鑑定をこっそりとしました。龍蔵様の血が繋がっている可能性は約九十パーセントです。なによりも、動かしがたい証拠があります。あなたが豊藤家の一員であることは、もはや百パーセントになりました」
「なんですか?」
「操心術です。他人の心を操る力……。これこそが豊藤の秘密であり、その力を引き継いでいることが豊藤の男の証なのです」
「ああ、あの不思議な力……」
真夫は頷いた。
そして、ふと思った。
「もしかして、秀也という人も?」
「豊藤家の男です。しかし、龍蔵様のお子様ではありません。わたしには、実際のところ秀也さんがどいういう豊藤の血を引いているのかは、教えられていないのです。豊藤家の
「なるほど……」
真夫は納得のいくものがあった。
まだ、会ったことはないが、この学園にやってきて以来、いつも秀也の存在を感じていた。
秀也の施した操心術の影を通じてだ。
今回のことも、秀也の仕業の匂いがぷんぷんしている。
その理由もこれでわかった。
真夫がいなければ、秀也はその龍蔵という人の後継者に目されていたのだろう。
だが、それが真夫の出現により危うくなった。
秀也としては面白くなかったに違いない。
「……申し訳ありません。もっと早くお教えするべきでした。でも……」
「わかっています」
真夫は玲子さんの言葉を遮った。
玲子さんは、単に龍蔵という人に口止めされていただけでなく、操心術によってその知識を伝えることを封印されていたのだ。
玲子さんに口止めの操心術を施したのが、秀也なのか、あるいは、龍蔵という人なのかは知らない。
だが、豊藤家の男の能力が操心術だというのであれば、龍蔵という総帥もまた、操心術の操り手に違いない。
「こうなった以上、すぐにでも、真夫様と龍蔵様の対面の場を作ります」
玲子さんが頭をさげた。
だが、真夫は首を横に振った。
玲子さんは怪訝な表情になった。
「それよりも、秀也という人に会わせてもらえませんか。父親だという人に会う前に話したいことがあるんです」
真夫は言った。
真夫の呼び出しを受けたのは夕方になってからであり、場所は生徒たちの集まる厚生棟のファーストフード店だった。
かおりは、意気消沈して指定された店の隅の席で待っていた。
自分のやったことははっきりと覚えている。
恵を陥れるために、自動車を運転して外出から戻る恵を途中で呼び止め、竜崎たちが恵を襲うのに任せたのだ。
いまにして考えても、なぜあんなことをしたのかまったくわからない。そそのかされたのは覚えているが、はっきりと断った。
恵を恨みに思うような気持ちなど、もうまったくなかった。
それよりも、恵とは、なんとなく同じ男に仕える奴婢としての仲間意識のようなものさえ生まれかけていた。
それなのに、かおりは竜崎たちに恵が連れていかれれば、どんな目に逢うかということの予想がついていながら、恵が連中に誘拐されるのに協力した。
どうして、そんなことをしたのか、まったくわからない。
その前後の記憶がないのだ。
しかし、はっきりと恵を……、そして、真夫を裏切ったのだということだけはわかっている。
それで起こったことも承知している。
恵を助けようとして、真夫は竜崎たちが恵を拉致した場所にひとりで飛び込み、竜崎をこっぴどくぶちのめしたらしい。
ただ、真夫も怪我をしたそうだ。
いまや、学園はその小気味のいい話題で持ちきりだ。
もともと、竜崎たちのグループは粗野な者が多くて、学園内ではよくは思われていなかった。
だが、身体が大きく乱暴者の竜崎に面と向かって逆らう者はいなかった。
また、なによりも、竜崎家はこの学園に通う名門の家柄のうちでも、有数の名家であり、その実家には大きな権力があったのだ。
それが竜崎という男をのさばらせていた。
その竜崎を完膚なきまでに殴り倒したのだ。
真夫という転校生の名は一日にして知らぬ者のない存在になった。
しかし、その騒ぎの中で、かおりはまるで置き去りにされた幼女のような気分になっている。
すべての原因を作ったのは、ほかでもない自分なのだ。
真夫と恵を裏切った。
そればかりが、頭の中で繰り返している。
「やあ、かおりちゃん」
「かおり」
声がかけられた。
はっとした。
真夫と恵だ。
かおりは立ちあがって、まずは頭をさげて謝ろうとした。
許してもらえるようなことではないということは、さすがにかおりもわかっている。
だが、謝るしかない。
しかし、かおりが立ちあがるいとまもなく、真夫と恵が両側からかおりの肩を押さえつけて、立ちあがるのを邪魔をした。
そして、ふたりが両側からかおりを挟むように密着して腰かけた。
「あ、あの……恵……さん……」
とりあえず、謝るのは恵だろう。
かおりは恵を見た。
しかし、なんだかにこにこしている。
さっきあんな目に逢ったとは思えないような朗らかさだ。
恵が竜崎に拉致されたとき、あの小屋で犯されたという専らの噂だったし、そうでないとしても、ひどい目に逢ったことだけは確かだろう。
それにしては、恵は随分と上機嫌だ。
かおりは不思議に思った。
「なにも言わなくていい。先に言っておくけど、あさひ姉ちゃんは怒ってないそうだよ。もう許すって。そして、俺としても、かおりちゃんをどうにかしようという気持ちはない。かおりちゃんは、俺の奴婢だ。これからも奴婢として一緒に生活してもらう。なにも変わらない。いいね」
真夫が言った。
かおりはびっくりしてしまった。
真夫の奴婢としての生活は終わりだろうと思っていたのだ。
A級生徒から奴婢に落とされたことがあんなに屈辱だと思っていたのが信じられないくらいに、かおりは真夫の奴婢という立場が気に入りかけていた。
それがもう終わるのかと思っていたことも、かおりの暗い気持ちに拍車をかけていた。
しかし、真夫はかおりを追い出すつもりはないようだ。
ほっとしたものの、驚いてしまった。
「だ、だって、わたしは……」
「真夫ちゃんが許すと言ったから、あたしも許してあげるわ。だから、こうして迎えに来たのよ。なぜだがわからないけど、真夫ちゃんだけじゃなく、あたしもあなたのことを少しも恨んでないし、怒ってもいない。また、一緒に頑張ろうね。真夫ちゃんはエッチだからね。あたしだけじゃあ、身体がもたないわ」
恵がお道化た口調で笑った。
屈託のない恵の笑顔に、かおりは目を丸くしてしまった。
「……とはいえ、なにもなく許してしまったら、けじめというものもないしね。だから、罰を与えることにするよ。いまから、かおりちゃんは、“はい”という言葉しか言っちゃいけない。なにを言われても絶対服従。それが罰だ。いいね──」
真夫が言った。
かおりは身体がぶるぶると震えるのがわかった。
たったいままで、かおりは恐怖に包まれていた。
なにをそんなに恐れていたのかわからなかったが、いまわかった。
かおりは、真夫に捨てられることを恐れていたのだ。
しかし、いま、真夫はかおりを捨てるつもりがないということを明言した。
それがかおりを歓喜に包んだ。
そのことで、かおりは、自分が本当に真夫に奴婢として仕えることを望んでいたのだということを悟った。
「というわけで、これよ。さあ、中に十枚ほどのカードが入っているわ。引いて」
恵が札入れを差し出した。
呆気にとられたが、とりあえず、言われるままに中から一枚のカードを引いた。
“オナニー”──。
そこにはそう書いてあった。
「な、なに、これ?」
かおりは首を傾げた。
「おお、さっそく、それかあ……。じゃあ、頑張ってな。ここでオナニーしてよ。もちろん、いくまで続けるんだよ」
真夫が笑いながら言った。
かおりはびっくりした。
店の隅のボックスのような席とはいえ、店の中には三十人くらいの生徒がいる。
こんなところで、オナニーを──?
「え、ええっ?」
かおりは声をあげてしまった。
「返事は“はい”──。たったいま、真夫ちゃんに命令されたばかりでしょう。ほら、始めて──」
恵がくすくすと笑いながら、かおりの右手を取って、スカートの裾に押しつけた。