「緊張しないでくださいね、真夫様」
玲子は、無人操縦システムによって動いている車両が速度をあげて進むのを感じながら、隣に腰かけている真夫に言った。
すると、真夫がくすりと笑った。
玲子は、そのことで、自分が同じセリフを三度くらい繰り返していたことを悟った。
「も、申しわけありません。緊張しているのはわたしでした……。それにしても、真夫様は冷静ですね」
「親との対面といっても、実感がわかないんですよ。正直、嬉しいという感じはないですね」
真夫が首を竦めた。
魔王あるいは、
ただし、運転する者はいない。
運転席のない座席だけがあるコンパクトカーであり、すべての窓が真っ黒になっていて、車内から外が見えないようになっている特別仕様車だ。
もちろん、この車で公道を走ることは許されないが、学園地域を含む龍蔵の私有地内なので問題はない。
玲子の秘書時代からそうだったが、龍蔵のところに直接赴くには、こうやって内側から車外が見えないようになっている無人車に乗るしかない。
帰りも同じだ。
龍蔵の居場所を特定されないための処置であり、送迎の無人車を呼び出して乗車し、到着したところで車が停止するシステムになっている。
秘書時代は、学園が建っている丘の麓で呼び出し、この窓のない無人車に乗り換えて、山ひとつ分の敷地のどこかにある、樹木に囲まれた龍蔵屋敷の前に停まるという仕掛けだった。
まだ、同じ場所に住んでいるのだとすれば、そこにこの車は向かうはずだ。
そのあいだ、どこを通過しているのかは乗っていてもわからない。
何度も乗ったことはあるが、その都度、経路はランダムに変えている気もする。
なぜ、そんな手の込んだことをするのかといえば、暗殺対策だ。
世界経済を牛耳る大財閥の総帥だが、その秘密は龍蔵の操心術にある。
それは秘中の秘だが、国際組織の中には、その秘密に気がついているところもあるようだ。
だから、龍蔵を殺すか、誘拐するかすれば豊藤の組織は瓦解する。
そう考えて、龍蔵を狙う暗殺組織は後を絶たない。
だから、龍蔵に接触できる人物も最小限だし、居場所も限られた者しか知らない。玲子も学園の理事長代理になってから、龍蔵のところに向かうのは初めてだ。今回指示のあった場所も、以前とは異なり、特別寮の前だった。
そこから、この車両に乗り込んで進んでいる。
今日は、真夫とともに、この無人車で龍蔵のところに向かうのだ。
「……俺の父はどんな人ですか?」
真夫は何気ない口調で言った。
しかし、玲子は返答に迷った。
怖い人という以外に、玲子には印象はない。
仕えているあいだは、あの龍蔵に好意のようなものを感じていたことを思い出すが、考えてみれば、あれは操心術による影響なのだろう。
いまは、正直、嫌悪感しかない。
だが、仮にも真夫の血の繋がった父親だ。
悪口は言いたくない。
すると、また真夫がくすりと笑った。
「わかりました。そういう人なんですね」
真夫が喉の奥でくっくっと笑った。
玲子は慌てて否定したが、だからといって龍蔵に対する褒め言葉は出てこない。
女を人間として見ない男としかいいようがない。
真夫とは正反対だ。
そのとき、車が不意に停車した。
ドアロックが自動的に外れる。
扉が外から不意に開かれた。
「来たわね、真夫坊」
そこにいたのは時子だ。
玲子は慌てて、外に出て頭をさげた。
夕暮れの赤い空を背景に、アンティークな二階建ての屋敷があった。
玲子が知っている龍蔵の屋敷ではない。どうやら、玲子が去ったことで、居住場所を変えたようだ。相変わらずの暗殺対策のための秘匿の徹底ぶりだ。
「時子婆ちゃん、今回のことはありがとう」
真夫が車から降りるなり言った。
「玲子も言ったかもしれんが、あまり人間味のある男でないからのう。期待するでないぞ」
時子が笑った。
いつも思うのだが、本当に真夫に対する時子の態度は優しい。
まるで、孫に接する祖母だと思う。
そもそも、玲子は時子の笑った顔など、真夫が現われる以前には見たことなどなかった。
鬼のような女調教師というのが、玲子の時子への印象だ。
「時子婆ちゃんも一緒にいてくれるの?」
時子が先導するように歩き出すと、真夫が声をかけた。
「秀也も一緒にな。龍蔵殿の指示じゃ」
秀也が同席するというのは、玲子の事前に聞いていた。
おそらく、龍蔵はこの席で後継者をどうするのか口にするのではないかと思っていた。
そのため、玲子は手足が震えるほどに緊張しているのだが、当の真夫は達観したものだ。
真夫にも真意を確かめたが、真夫には豊藤グループの総帥になる野心はないらしい。
それは、少し寂しく思うが、それが真夫の気持ちなら仕方がない。
玲子は、真夫がどういう立場になろうとも、生涯を支えていこうということだけは決めている。
屋敷の外観も中もはごく普通の建物だ。
むしろ、世界的な富豪の龍蔵の住まいとしては、わびしすぎるだろう。
だが、実はこの屋敷には数層に及ぶ広い地階部分があり、そこが居住空間のほとんどだということを知っている。
外観など、ただの飾りだ。
案の定、屋敷に入るとすぐに地階に降りるエレベーターに案内された。
少しの時間、エレベーターは沈み続けた。
玲子も、龍蔵の居場所がどのくらいの深さの位置にあるのか知らされてはいないが、秀也から核ミサイルが落下してもしばらくは大丈夫だとは教えられたことがある。
エレベーターが停止して扉が開いた。
そこは待合室のような場所になっていた。
「しばらく、そこで待っておくれ、真夫坊。玲子、なにか飲み物でも入れてやれ」
時子はそう言い残して、奥に通じる扉の向こうに消えていった。
玲子は真夫をソファに座らせて、セルフサービスになっている湯茶のある場所に向かった。だが、真夫がなにもいらないというので、戻って来て真夫の隣に座り直す。
「龍蔵殿がお呼びじゃ」
それ程の時間が経たないうちに、時子が戻ってきた。
さっき時子が出ていった扉の向こうに進む。
そこも長い廊下になっていて、やがて両開きの自動ドアが出現した。
三人で入る。
その内側は小さな部屋になっていて、さらに先に扉がある。
「すごいですね。厳重だ」
真夫が感心したように言った。
「この場所で隠し持った武器などがないかどうかをチェックされます。不審物を所持していれば、両方の扉とも開かなくなり、捕らえられます」
「へえ」
真夫はただ驚いているようだった。
入ってきた扉が閉じてから、少しの時間がすぎてから奥側の自動扉が開く。
そこは大きな部屋になっていた。
奥側に、脚の部分の隠れた大きな机があり、和服姿の龍蔵がいた。
その手前に革製のリビングセットがある。
すでに、その一角に秀也が腰かけていた。
「真夫と玲子は秀也の反対側に座れ。これで家族全員が揃ったというわけだ」
玲子と真夫が言われた場所に腰かけると、龍蔵が声をあげて笑った。
一方で時子はソファには腰かけずに、部屋の隅にある椅子に腰をおろした。
「真夫、初めて会うな。わしが龍蔵だ。お前の父になる。元気か?」
「元気です。そのう……、いろいろと感謝します。あさひ姉ちゃんのこと……。それに、玲子さんを俺につけてくれたこと……。かおりちゃんのことも……。助けてくれなければ、俺もそうだし、あさひ姉ちゃんも露頭に迷うところでした。本当にありがとうございます」
真夫が立ちあがって深々とお辞儀をした。
玲子も慌てて、それにならって頭をさげる。
「恨み言のひとつでも言うのかと思ったが、礼を述べるとはな。まあいい。いちいち、礼には及ばん。座れ」
龍蔵は言った。
真夫が座り直す。玲子も腰をおろす。
「お前は、豊藤の血を引いておるのだ。それなりに遇するのは当然だ。ただし、親子の籍は入れん。そんなものに意味があるとも思えんしな。お前を後継者に相応しいと思えば、わしがいまいる席をそのときになれば、お前にくれてやる。実際のところ、お前はわしの血を直接引いている。ほかに子はおらん。豊藤のすべてはお前にくれてやるつもりだ。もっとも、それはすぐにというわけじゃない。少なくとも、学園にいるあいだは、一介の高校生として生活せよ。卒業すれば、本格的にビジネスのことを学んでもらう」
龍蔵が口元に笑みを浮かべたまま言った。
玲子は思わず唾を飲んだ。
「そのことですけど、俺はそのつもりはありません……。というよりは、俺にはそんな大それた立場はとつとまらないと思うんですよね。俺が現われなければ、その秀也君が後継者に決まっていたはずです。そのつもりで秀也君もこれまで学んできたんでしょう? 豊藤の後継者は彼にしてください」
真夫ははっきりと言った。
玲子はちらりと秀也を見た。
秀也は余裕のある態度で、微笑んだままだ。
「豊藤の財はいらんということか?」
「そうは言っていません。ただ、総帥などというものは、血の濃さで決めるものではなく、それに相応しいかどうかで決めるべきだと思うだけです。俺はつい数日前まで、俺に親がいることさえ知りませんでした。ただの高校生です。大きな財閥を動かすやり方も、人の使い方も知りません。俺が後継者の器であるとも思えません。ただ、できれば、その秀也君の下でなにかしらの仕事をもらえればありがたいです。あさひ姉ちゃんのお父さんの作った借金のこともありますし」
「あんなものは、もう存在せん。玲子に聞いていないのか? あの娘の父親も、父親にたかる高利貸しも、お前や、あの娘に接触することなどない」
龍蔵が呆れたように言った。
玲子も小さな声で、その通りですと付け加えた。
恵の父親のことなので意図的に話していなかったが、二度と恵の父親が近づけないように処置をした。おそらく、再び日本の地を踏むことはないはずだ。
「そうですか。安心しました。いずれにしても、俺はその能力はないと思います」
「玲子がいるだろう。その玲子は奴婢としては力不足だったが、ビジネスについては優秀だ。表の仕事でも、裏の仕事でも、その年齢で信じられんほどそつなくこなす。そういうものを支配しろ。お前にはその力があるはずだ。お前自身が経済を動かす能力を身につける必要はない。豊藤の総帥は、能力のある者を支配して、その力をすり減らすまで使うことをすればいい」
龍蔵は操心術のことを言及しているのだと思った。
確かに、真夫もそうだが、龍蔵にも操心術がある。だから、能力のある者を見つけて支配し、その者に経営を任せればいいのだ。
操心術のために裏切ることはないし、能力に限りがあることがわかれば、任せる人間を入れ替えればいい。
なにも自分で経営のようなことをする必要はない。
「その力は秀也君にもありますよ」
「お前にもあると聞いている」
龍蔵がきっぱりと言った。
そのときだった。
龍蔵の机の上にあった小さな器具からアラーム音が鳴ったのだ。
「ちょっと待て。女を一匹調教中でな。時間までに精を出させろと命じたのに、できんかったわ」
龍蔵が不意ににたりと卑猥な笑みを浮かべた。
そして、引き出しから小さな操作具を出して、くいと捻った。
はっとした。
あれは、「クリリング」を操作する器具だ。
あれで、玲子も散々に苦しめられたのだ。
「ほわああっ──。んぐうううっ──、あぐうううっ」
すると、龍蔵の座っている机の下から女の悲鳴が聞こえてきた。
そして、がたんと大きな音がして、その女が机の下からのたうち回って、横に転がった。
びっくりしたが、その女は上半身こそスーツ姿だったが、下半身にはなにも身につけていなかった。
ナスターシャだ──。
フランス語で必死に哀願をしながら、股間を両手で押さえて、涙を流している。
おそらく、電撃を股間に流されているのだと思う。
どうやら、話をしているあいだも、机の下で龍蔵の股間を奉仕させられていたようだ。
横を見ると、真夫が目を丸くしている。
龍蔵は苦しむナスターシャの姿に、嗜虐心が満足されたような酷薄な笑みを浮かべている。
「いつまで経っても、舌遣いがうまくならんわ。今度は寸止めモードにしてやる。しかし、今度も時間以内に精を出せなかったら、電撃の強さを倍にするからな。ほら、さっさと机の下に戻らんか──」
龍蔵が器具を操作した。
ナスターシャはがくりと一度脱力し、次いで、腰をくねらせて悶えだす。
すぐに、隠れるように机の下に潜った。
龍蔵の言いつけ通りに、フェラ奉仕を再開したのだろう。
玲子は呆気にとられた。
また、真夫がぽかんとしているのに対して、秀也はにやにやしていた。
なんとなくだが、秀也は、龍蔵の足元でナスターシャが調教を受けているのを知っていた気配だ。
「すまんな。だが、躾も大事だからな……。さて、なんの話だったか……。おう、後継者の話だったな。それで、真夫、お前には野心がないのか? 豊藤の総帥になる野心は? その気になれば、すべてのものを支配できる力が手に入るぞ」
龍蔵が真夫を睨んだ。
だが、その目線には強いものはない。
なんだか、状況を面白がっている様子だ。
「……後継者の地位に興味はありません。俺は俺の家族を守るだけの力と財があれば、それ以上のものは望みません」
「家族とは?」
「ここにいる玲子さんです。そして、あさひ姉ちゃん。それから、いまはかおりちゃんも家族だと思っています」
真夫はきっぱりと言った。
玲子は自分の顔がかっと熱くなり、頬がみるみると赤くなるのがわかった。
すると、突然に秀也が横で大笑いした。
なにがおかしいのか知らないが、けらけらと笑い続ける。
「伯父貴、言った通りでしょう。こいつには野心などない。豊藤の総帥の器じゃありません。残念ながらね。だけど、俺はこいつを可愛いと思う。女がいれば、なにもいらないなどと、ぬけぬけと言えるセリフじゃありませんよ」
やがて、笑うのをやめた秀也が初めて口を開いた。
「確かにな」
龍蔵も苦笑している。
「まあいい。地位よりも女だというのであれば、それもいいだろう……。ところで、玲子。会うのは久しぶりだが、しばらく見ないあいだに、また女ぶりがあがったのではないか? いまさらだが、惜しくなったな。その真夫は豊藤の後継者には興味はないようだ。だが、お前の才能はわしは買っておる。どうだ。一度、わしのところに戻るか……。お前は、後継者となる側につけたいのだ」
龍蔵が引き出しから、ナスターシャに使ったのと、同じ器具を取り出した。
くいと手でダイヤルを捻るのが見えた。
「あ、ああっ」
玲子は叫んで、ソファの下に崩れ落ちてしまった。
股間のクリリングが突如として激しく振動をし始めたのだ。
そのとき、真横で大きな音がした。
ふと見ると、ものすごい怒りの形相で真夫が立ちあがっている。
大きな音は、真夫が机を蹴り飛ばした音のようだ。
「ま、待って──」
玲子はびっくりした。
こんな態度を龍蔵に向けるなど……。
股間の刺激のことも一瞬忘れて、玲子は真夫の脚にしがみついた。
「だ、大丈夫です、ま、真夫様──。す、座って、座ってください」
玲子は必死に叫んだ。
すると、またもや不意にクリリングの振動がとまった。
がくりと脱力してしまった。
「伯父貴、悪戯がすぎるぜ。玲子は真夫にくれてやったんだろう」
そのとき、秀也がたしなめるような口調で言った。
玲子は、秀也が玲子を庇うような物言いをしたことに驚ていてしまった。
「そうだったな……。真夫、これが玲子のクリリングを操る最後の操作具だ。お前にくれてやる。好きにしろ」
龍蔵がさっきの器具を床に放った。
玲子は慌てて、それを拾って真夫に手渡した。
「そうですか。ありがとうございます、龍蔵さん」
真夫は龍蔵を睨みながら言った。
玲子はまだ真夫が怒っているということに気がついた。
その証拠に、“お父さん”という呼びかけでなく、まるで他人を呼ぶような“龍蔵さん”と呼びかけた。
玲子は、龍蔵の顔を思わず見た。
だが、その顔にある感情は玲子は読めなかった。
「……真夫、だったら、お前の望み通り玲子はくれてやる。ただし、わしの条件を飲め。それができなければ、玲子は取りあげる。さっきも言ったが、玲子は優秀だ。わしは後継者になる気概もないような男に、玲子をやるのは勿体ないと思っている」
龍蔵が真夫を見た。
「条件とはなんですか?」
「秀也が学園で運営していた『SS研』というクラブがあるはずだ。その部長になれ。そして、十人以上の愛人を作れ。このあいだ時子を通じて送った十個の金属の首輪があるはずだ。それを十人の女にしろ。レイプでも、合意のもとでも、操心術で無理矢理にでもなんでもいい。そのSS研で女を集めてハレムを作れ。それが条件だ。少なくとも十人。期限は半年。それができなければ、本当に玲子は戻す」
「えっ?」
真夫が驚いている。
玲子も意外な言葉に当惑した。
首輪というのは、拘束具でもある銀色の金属の首輪のことだろう。
いまは、玲子、恵、かおりの三人がしている。
女子生徒を集めてハレムを作れというなら、残りは七人だ。
だが、思い出した。
龍蔵は帝王学について特殊な思想を持っていて、女をたくさん作って支配することが、人を支配することを学ばせるために非常に効果的だと考えているのだ。
龍蔵は、真夫に自分の独特の帝王学を強引にやらせるつもりだ。
つまりは、龍蔵は真夫を後継者にする可能性を捨ててはいないということだと思う。
「なんのためにですか?」
真夫が言った。
「終わりだ──。期限は半年──。わかったな」
「でも……」
真夫は当惑したままだ。
「終わりだと言っただろう……。そして、玲子、真夫と別れたくなければ、条件を達成するように真夫を焚き付けろ。さもなければ、真夫についての記憶を消して、お前を真夫から離す」
龍蔵が強い口調で言った。
それで終わりだった。
玲子は真夫とともに退出した。
時子と秀也は、まだ話があると龍蔵に言われて、一緒には出て来なかった。