「おう、坂本──」
突然に声を掛けてきたのは、あの加賀豊だ。
しかも、通り一本隔てて向こう側だが、どうやらこっちにやって来る気配だ。
光太郎は慌てて顔を俯かせる。
同じS級生徒として、何度も顔を合わせているし、光太郎はこの加賀とともに、学園の双璧と呼ばれている立場である。
この状況で身バレするのはまずいと思った。
しかも、いつものように、この加賀はぞろぞろと取り巻きを七人ほど連れている。光太郎は自分の身体つきや声がほとんど女性に近いことを自覚しているから、できるだけほかの生徒と必要以上に接しないようにしているが、彼は逆に大勢いつも一緒にいるのが常だ。
「ま、まずい……。真夫君、さすがに顔でばれるよ」
光太郎は俯いたまま、真夫にささやいた。
加賀が気づけば、当然に取り巻き伝わる。
そうなれば、週明けには、あっという間に光太郎が「女装」をしていたという醜聞は、学園中に広まるだろう。
光太郎個人はともかく、金城家全体に迷惑がかかる。
まあ、本当は女装ではなく、光太郎としてはこっちが素に近いのだが、どっちにしても大変な騒ぎになるのは間違いない。
すると、真夫が光太郎の腰に手を回して、ぐっと引き寄せる。
「あっ」
しかも、光太郎の耳元に口を近づけてきた。
顔が密着してしまい、かっと顔が熱くなる。
もっと奥手で大人しいのかと思っていたが、まるで正反対だ。圧倒されてしまう。
強姦同然……いや、強姦そのものだったとはいえ、なんだかんだで、光太郎を女にしてくれた男なのだ。
どうしても、男性として意識してしまう。
とにかく、いまの表情を見られたくなくて、さらに顔を伏せる。
「……心配ないよ。怖がらなくていい……。それよりも、自分が女であることを片時も忘れられないようにしてあげるね」
「えっ?」
嫌な予感がして顔をあげると、なにかを企んだような微笑みを浮かべている真夫がそっとズボンのポケットに手を入れたのが横目にちらりと見えた。
「ひあっ、あっ」
光太郎の身体がびくりと震え、悲鳴が吹きこぼれそうになった。
歩きながら悪戯をされたときほど激しい振動ではなかったが、前側のディルドとペニスを包んでいる革袋を動かされたのである。
しかも、ペニスについては、これまでのようにただ振動されたのではなく、根元から先端にかけて押しあげる波のような動きをされた。
これだけ感じてしまうのは、単に振動だけのことじゃなく、ディルドに塗られた媚薬入りの怪しげなローションのせいもあるのだろう。
「ああっ、だ、だめだ……。とめて」
腰の力が抜けるような快感に、光太郎は制服のスカートの上から手を押さえて、その場にしゃがみ込みかけた。
しかし、光太郎の腕ががっしりと掴まれて、強引に真っ直ぐに立たされる。
「……いまは我慢しなさい」
鋭く叱咤の声を掛けたのはかおりだった。
腕を掴んだのも彼女だ。
一方で、真夫は光太郎とかおりの前に立つ位置に移動していた。
「こんばんわ、加賀君。君たちも食事?」
加賀がすぐ前にやってきて、真夫がその加賀に声を掛けた。
「ああ、終わったところだ。お前らは?」
「これからかな……」
ふたりは、それぞれ連れている者を背にして、向かい合って立ち話をする態勢だ。
だが、加賀とのあいだには真夫が立っているものの、これだけの近距離だ。さすがにばれるかと思って、懸命に顔を伏せ続ける。
それにしても、本当に真夫は意地悪だ。
ここで、股間に悪戯をするなど……。
「んふっ」
そして、光太郎は噴き出しそうになった悲鳴に、慌てて口を押さえた。
よりにもよって、真夫がさらに新しい振動を加えてきたのだ。
今度はお尻に埋まっているディルドだ。
それがゆっくりと蠕動運動を開始する。
かおりが握っていくれている腕に力が入る。
光太郎がまたしても腰を崩しかけたからだろう。
「新しい従者生徒か? 見かけない顔だ。それと、白岡──。お前もすっかりとC級が様になってきたな」
加賀が真夫の身体越しに光太郎たちを覗き込むような動きをしたのがわかった。
はっとしたが、真夫がすっと動いて、それを阻止する。
「おっ、お前……」
加賀が不機嫌そうな声をあげたのが聞こえた。
同時に加賀の取り巻きたちもざわりとなる。
この加賀はプライドの高い男だ。しかも、かなり面倒な部類だ。友達ひとり作らない光太郎とは異なり、彼に協力するものも多い。
生徒どころか、多くの教員も彼を特別視している。
加賀にそんな態度をとる者などいないから、ちょっとむっとしたようだ。
そのとき、股間の中の淫具の振動が一斉に停止した。
ほっとして、それでまた、力が抜けそうになる。
「……しっかり……」
光太郎の腕を持っているかおりが耳元でささやく。
「俺の侍女だからね。用事があるときには、俺を通してね。それがルールだと聞いたよ」
真夫だ。
「お前、加賀さんに向かって……」
「そもそも、ポケットから手を出せよ」
声をあげたのは、加賀の取り巻きだ。
だが、加賀が手をすっとあげて、彼らを黙らせた。
「最初に挨拶してきたときには、借りてきた猫みたいに大人しかったのに、随分と態度が大きくなったな」
加賀が言った。
光太郎はそろそろと顔をあげた。加賀の表情は笑っているが、かなりむっとしているようだ。ちょっとまずいかなと感じた。
「猫に見えても、虎だったってことじゃないの」
喋ったのは、光太郎の腕を持って支えてくれているかおりだ。
光太郎はちょっと驚いた。
ここで、彼女が口を挟むとは思わなかったのだ。
「虎? こいつがか? おっと、直接に会話をしちゃいけないんだっけな」
加賀だ。
笑っているが、やっぱり、かなり苛ついている。
光太郎は確信した。
面倒になる前に、離れさせないと……。
「虎じゃなければ、龍かもね」
しかし、さらにかおりがあおるような物言いをした。
光太郎は、加賀が反応をする前に口を開いて、あいだに入る。
「真夫く……、いや、真夫様、そろそろ、行きませんか……」
いまは従者生徒の設定だ。それらしい言葉使いをする。
まあ、そんな話し合いはしてないが、光太郎が身につけているのが従者生徒のC級生徒の制服なので、そう思わせるのがいいだろう。
「ああ、そうだね……。じゃあ、加賀君」
真夫が加賀に向かって手をあげて、こっちに振り返る。
光太郎はほっとした。
「待て、坂本──。話がある」
しかし、加賀が引き留めた。
「なに?」
真夫がもう一度、加賀に身体を向け直す。
「だから、話があるから声をかけた。最近、お前の話をよく耳にするぞ」
「俺の話?」
表情は見えないが、いつものように惚けた表情をしているのかもしれないな。光太郎はちょっとおかしくなった。
「女にもてる。俺のサロンに集まる女たちも、最近はお前の話がよく出る」
「へえ……」
「それに、実際、お前の周りには美人が多い。四菩薩の一角の西園寺が、最近、お前の部屋をよく出入りしているのは知っているぜ」
加賀が意味ありげに微笑んだ。
四菩薩というのは、学園の美人番付のようなものであり、生徒で勝手に作っているだけだが、現在の四菩薩は、三年生で生徒会長の「西園寺絹香」、同じく三年生で女子サッカー部の主将の「前田明日香」、学生でありながらモデルとして活躍している二年生の「加賀まり江」、そして、体育教師の「伊達京子」だ。
加賀が言う、一角というのは。西園寺絹香のことだろう。
光太郎も、最近の西園寺が妙に真夫と距離が近いのには気がついている。
「まあ、仲良くしているよ。同じSS研だしね」
「まさか、男女の関係というわけじゃねえよなあ? あの堅物女がよりにもよって、お前程度に堕とされたというなら面白い話だが、それはないんだろう。これは忠告だが、仲良くなったしても、憧れる程度にしておけ。あれは資産家で旧華族の西園寺家のひとり娘だ。お前の素性で手を出したりすれば大変なことになるぜ」
「忠告はどうも」
真夫は素っ気ない。
だが、光太郎は加賀の言葉に逆に首を傾げた。
加賀は、西園寺絹香と真夫が男女の関係になるはずがないという前提で会話をしているが、光太郎の勘では、西園寺絹香と真夫は男女の関係だと思う。しかも、西園寺の方が真夫にのめり込んでいると思う。
ただの勘だが、その勘が外れているとは思っていない。
「それだけじゃなく、そっちの白岡も、なんだかんだで、新四菩薩の候補にあがるくらいの美人だしな。まあ外見だけだが……。俺に言わせりゃあ、A級のときには見向きもされなかったのに、C級に落ちてからの方が人気が出るというのは不思議だけどな」
加賀が声をあげて笑う。
新四菩薩──。
これは、工藤玲子という新しい理事長代理が学園を頻繁に出入りするようになったことを切っ掛けに、広まっているものらしく、「四菩薩」に新たに「美人番付」を追加しようという動きらしい。
新四菩薩はまだ決まっていないが、候補者は、さっきの工藤玲子を始め、様々な女生徒や女性教師の名があがっているそうだ。
そういえば、その候補の中には、竜崎事件で有名になった真夫の恋人の朝比奈恵もいたはずだ。
また、加賀が口にしたように、横の白岡かおりも新四菩薩候補だそうだ。彼女が真夫の従者生徒になってから、光太郎の目にもぐっと色香が増したと思う。
「四菩薩」とは異なり、「新四菩薩」は家柄などではなく、純粋な美人番付の傾向があり、それで従者でありながら、白岡かおりや、真夫の恋人が入ってきたりするみたいだ。
「放っておいてよ」
かおりが文句を言った。
加賀が嘲笑するように、さらに声をあげて笑う。
「そういえば、そっちの従者生徒も、そこそこの美人だなあ。顔は見たことがある気がするが、お前がそれを連れているのは初めて見る。新四菩薩の候補には間違いなくあがるだろうな。誰だ──?」
ぎくりとした。
絶対にばれる──。
光太郎は、背中にどっと冷たいものを感じた。
「彼女は、ひかりちゃんだ」
真夫が事も無げに言った。
「ひかりちゃんだと?」
「
「よろしくって……。お前の従者ということは、そいつもS級寮でお前の部屋に一緒に住むということか?」
「まあ、そういうことになるね。学園の許可はもうもらっているから」
学園の許可はともかく、どうやら、真夫は光太郎が女の格好をしたときの姿を“小椋ひかり”という女生徒として、周りに触れ込むつもりみたいだ。
逆にいえば、真夫がこう言った以上、光太郎はこれからは、真夫の従者生徒としてのひかりの姿も、時折周囲に見せないとならないということだろうか。
だけど、それを光太郎を見張っている花江は許さないに違いない。
そもそも、今日に限って、あの花江が光太郎の見張りを放棄したことが異常なのだ。彼女は光太郎ではなく、祖父に従っている。
それはともかく、どうやら、光太郎であることはばれなかったみたいだ。
ほっとしたが、そんなにわからないものなのだろうか。
加賀の取り巻きにも、いまのところ、不審な視線を向ける者はいない。
「どっちにしても、お前がかなりの女たらしだというのはわかった。しばらく様子を見るつもりだったが、合格だ──」
「合格?」
「ああ、だから、お前を俺のサロンへの参加を許してやろうと思ってな──。次は月曜日の放課後だ。月、木でやっている。出席しろ」
サロン──?
加賀が真夫を自分のサロンに──?
サロンというのは単純な加賀派の生徒の集まりなのだが、それに呼ばれるということは特別な意味を持つ……。
光太郎は口を挟むべきか迷った。
「サロン?」
一方で、こちらから背中が見えている真夫は首を傾げている。
「お前を紹介して欲しいという女たちがいる。ちょっと顔を出せよ。まあ悪いようにはしないぜ。その代わり、西園寺を連れてきて俺に紹介してもらう。お前が説得しろ。そっちのC級のふたりも時別に連れてきていい」
光太郎は加賀の表情を観察した。
特に、なにかを企んでいるという雰囲気ではない。どうやら、最近、この真夫が妙に不思議な人気があるので、興味本位をいうところだろうか。
現段階で悪意のようなものは感じない。
ただ、サロンというのは特別な意味があって、サロンに“招待”ではなく、毎回参加ということになれば、真夫が加賀の傘下に入ったという意味になるのだ。
加賀のような学園の権力者に取り込まれるのは本来は悪い意味ではないのだが、真夫が実は豊藤の後継者候補ということであれば、迂闊に加賀の下についたとみなされるのは、後々都合が悪いかもしれない。
やはり、教えるべきだ。
光太郎は口を開こうとした。
「いや、申し訳ないけど忙しくてね。文化発表会の準備で手が離せないんだ」
だが、それよりも前に真夫が断った。
光太郎はほっとした。
ただ、加賀は明らかにむっとなっている。
まさか、断られるとは思っていなかったのだろう。
「お前、加賀さんの誘いを断るのか──?」
「わざわざ、お前に声を掛けてくださったんだぞ」
声を荒げたのは、後ろにいる加賀の取り巻きたちだ。
しかし、またしても、加賀がそれを手で制した。
「例の拷問の歴史展か。うちの女たちの中にも興味を持っている者のが何人かいたな。だったら、それに関する話をしてくれればいい。俺のサロンに集まる者だから、それなりの歴史通だ。あいつらの意見も、展示の企画を練るのに参考になると思うぜ」
「誘ってくれたことには感謝するよ。だけど、返事は同じだ。忙しいんだ。悪いね」
真夫は、またしてもあっさりと断った。
「てめえ──」
「調子に乗るなよ──」
すると、またしても加賀の取り巻きが激昂した。
しかし、加賀が大きく嘆息したので、すぐに彼らは口を閉ざした。
「わかった。じゃあ、はっきり言おう。お前を俺の傘下に入れてやろう。竜崎のことといい、お前に集まる女たちの質といい、ずっとお前を観察してきたが、十分に見込みがある。学園の温情でS級扱いといえども、所詮は孤児で後ろ盾のないお前だが、俺が一目置いているということになれば、周りの見る目も全く変わるだろう。お前には損のない話だ。警戒する必要はない」
「しつこいわねえ。こいつは嫌だって言ってるでしょう──。まあ、真夫に目をつけたのは、さすがの加賀財閥の宗家の息子で、人を見る目を持っているとは思うけど、諦めなさい。こいつは誰かの下につくような男じゃないの」
口を挟んだのはかおりだ。
光太郎はちょっと唖然となった。
「C級に落ちぶれた元A級が一人前に喋るんじゃないぜ。坂本、従者生徒の躾も上に立つ者の責務だ」
「わきまえているよ。じゃあ、話がそれだけなら、これで……」
真夫が今度こそ本気で立ち去る感じでこっちを向く。
しかし、加賀がその真夫の肩に向かって乱暴に手を伸ばしたのがわかった。
「ちょっと──」
光太郎は咄嗟にそれを手で払いのけた。
咄嗟だったので、かなり強く払ってしまった。
加賀が叩かれた手を押さえて、真っ赤になっている。
しまった……。
「加賀さん、大丈夫ですか──?」
「なにするんだ、お前──」
「こいつ──?」
加賀もむっとなった感じだったが、それ以上にさっきから真夫の態度に苛ついている感じだった取り巻きたちが一斉に光太郎に寄ってきた。
まずい──と思ったが、もう遅い──。
せめて、顔を隠そうと片手で目元を覆う。
しかし、その光太郎の前に、真夫がすっと立って、彼らから守る感じになった。
その真夫に、加賀が詰め寄った。
「どう落とし前をつけるんだ、坂本──?」
加賀が真夫を睨んでいる。
一方で、光太郎は、激しい後悔に陥った。
思わず……。
失敗した……。
取り巻きたちも騒然となっている。
「落とし前?」
だが、真夫はひるんだ様子もなく、暢気そうに笑った。
*
【作者より】
長いので切りましたが、後半部分は、明日(11日)0時に予約投稿してます。