93話 スポーツ特待生徒の困惑
夜闇を貫けとばかりに、力いっぱいに蹴ったシュートは、ゴールポストの枠にも当たることなく、わずかに枠を外れて、ポストの上側を通り過ぎていった。
「ちっ」
明日香は舌打ちした。
行儀は悪いが、グラウンドに立っているのは、明日香ひとりであり、聞く者もいないので問題はない。
学園内の女子サッカー部用の第一グラウンドである。
放課後の練習はすでに終了していて、グラウンドにいるのは明日香ひとりだ。全体練習の後は、こうやってひとりで練習するのを自らに課していて、夜の個人練習は明日香の日課のひとつだ。
グラウンドを灯すライトも消灯させてあるが、女子サッカー部にあてがわれている球技用グラウンドは、学園内の大きな通りに面しているので、通りを灯すための照明がわずかな灯りをくれている。
学園には、こういう球技グラウンドが五個あるが、学舎や寮や厚生センターエリアなどが集まっている利便性の高い第一グラウンドを割り当てられているのは、女子サッカー部である。
この学園は、すべてが身分や功績に応じた格差を歴然とさせて、それで競争意識を育てるというところがあり、女子サッカー部が優遇されているのは、学園内の運動部の中で唯一全国大会の出場の功績をあげたからだ。
もっとも、それは明日香が入部してからのことであり、全国大会出場は明日香が二年生のときだ。
すると、それまで一番環境のいい第一グラウンドは、女子サッカー部の専用とされ、それまで使用としていた男子運動部は第二以下に出された。
口惜しがっていたが、結果がすべてだ。
優遇されて、それを妬まれるのは悪い気持ちではない。
むしろ、努力への評価だと思っている。
二年生の後期になって、三年生が引退すると、明日香は当たり前のように主将となり、冬の大会でも、チームを全国出場に導いた。一回戦で敗退したものの、学園は明日香を高く評価してくれ、明日香の生徒格をB級からA級にあげてくれたのだ。
学園の生徒等級は、保護者の支払う学納金によって区分されるので、明日香のような一般家庭の生徒がA級に昇進するのは破格の待遇といっていい。
なにしろ、別格のS級はともかくして、上流階級や資産家の子弟が属するA級生徒と、一般生徒と称されてるB級生徒とは、学園内の扱いはまったく違うのだ。ただし、A級とB級では、学園に収める学納金の桁が変わってくる。
A級生徒しか使用できない学園施設はたくさんあり、共有設備においてもA級は優遇されていて、学園の備品もA級生徒とB級生徒とでは、まったく質が違っている。
そもそも制服から違う。
A級については茶系統のブレザー、B級生徒は黒地に白の模様のある制服であり、ひと目で区分できるようになっている。
いってみれば、「貴族」と「庶民」というところだ。
この学園は、上流階級の子供が多い。そうやって、学生時代から格差意識を持たせるということなのだ。
「持てる者がそれに応じる支出をする代わりに、優遇を受ける権利を持つ」ということらしい。
明日香は、中学校の時代の運動部の功績で、「スポーツ特別奨学金生徒」、すなわち、「スポーツ特待生」として入学し、授業料を含めて学納金は全額免除されていたが、生徒格は当然にB級だった。
しかし、明日香が入ったことで、全国出場の常連になったことを評価され、まさかのA級生徒昇格が認められたのだ。
しかも、学納金の免除はそのままで……。
だからこそ、明日香は努力を怠らない。
調子が悪くても、いや、調子が乗らないときだからこそ、自らに課している自主練習をするのだ。
しかし、今日の調子は最悪だ。
足元も見えるし、ゴールポストもくっきりと照らしてくれているので、シュートの失敗は、明るさのせいではない。
午後から、なぜかずっと調子の悪い身体のせいだ。
それとも、集中を乱す明日香の悩みのためか……。
明日香は、散ったボールを集めるために、車輪のついたボールの大籠を押してゴールポストに向かって歩いた。
「ふう……」
散らばったボールを集めて、今度はゴールエリアのやや左側の外側に行く。練習用の壁用のダミー人形をボールの位置とゴールポストのあいだに置いて準備をする。
ずっとやってたのは、フリーキックを想定したシュート練習だ。
だが、いつもなら、練習であれば八割は入るのに、今日に限って、成功率は五割を切っている。
どうして……。
午後から急に始まった異常なほどの身体の火照り……。
着替えのときに布が擦れても腰が震えるほどに、身体が敏感になっているのだ。生理が始まった直後は、いまのように肌が感じやすくなることもあるが、今日は違うし、そもそも、そんな生易しい疼きではない。
よくわからずに、午後の最初の授業を休んで医務室に行ったが、特に異常はないということで帰された。常駐医には、休む必要はないと断言をされた。
ただ、そのときに、ビタミン剤だと言って飲まされた丸薬を服用してしばらくすると、余計に身体が熱くなってきた気がした。
とにかく、今日はその身体の火照りが収まらず、放課後の全体練習も散々だった。
明日香は大きく深呼吸した。
フリーキックは、冷静さを保つことが大切だ。心の中で繰り返し自分自身を落ち着かせる。
ボールを置く。
視線をゴールに向ける。
ダミーの壁は完全にシュートコースを塞いでいるので、左側の外を抜けて、大きくシュートさせてゴールポストの左上に入れる……。
頭の中でボールの軌道を決める。
後は蹴るだけ……。
深呼吸を繰り返していると、さっきまで高鳴っていた心臓の鼓動が不思議に静かになる気がした。
「はっ」
助走とともにボールに向かい左足を振り抜いた。
ボールは頭に描いていた軌道のままに、ゴールポストの左上の隅に突き刺さった。
「よし──」
明日香は右の握り拳を胸に掲げてガッツポーズをした。
その瞬間、腕が胸に当たって乳房を揺らした。すると、スポーツブラの中で勃起していた乳首が布に擦れて、鋭い快感が身体を走った。
「あっ」
がくりと脚から力が抜ける。
ずっと襲っていた不可思議な身体の疼きだ。
明日香は思わず、両手で胸を抱いて膝を折る。
だめだ……。
さすがに、これは異常だ……。
しかし、どうして……。
なにかおかしなものを口にした覚えはない……。
普通に学園から支給されている食事をとり、練習中の水分だって、女子サッカー部用に支給されるペットボトルの飲み物だ。
いつもと違うのは、医務室で飲んだビタミン剤だが、まさか、あれが体質に合わなかったとか……?
でも、身体の不調はその前からだったし……。
我慢できなくて、手で覆っている乳房をユニホームの上からぎゅっと強く握る。
「あんっ」
途端に身体に甘い痺れが駆け抜け、明日香は思わず声をあげてしまった。
慌てて手を離そうとしたが、手は離れなかった。さらにぎゅっと手に力を入れていく。
快感が全身を走る……。
「見事なシュートね。さすがは、明日香だわ」
そのとき、突然に拍手が聞こえた。
飛び跳ねそうになるほどに驚いて、手を胸から離して振り返る。
西園寺絹香が彼女のふたりの侍女とともにそこにいた──。
生徒会長である彼女は、それを理由にS級格をもらっており、S級生徒を示す紺と紫と白を基調とした制服を身にまとっている。
また、絹香の後ろには、いつものように、従者生徒のC級用の灰色の制服を身に着けた梓と渚の双子が大人しく控えていた、
とにかく、明日香は仰天した。
しかし、すぐに平静を装う。
西園寺絹香は、明日香の親友であり、恋人で……。
いや、恋人だと思っていた……。
女同士ではあるが、明日香は本気だったし、絹香もそれに応えてくれていると思い込んでいた。
愛し合っていると思っていた……。
お互いに身体を慰め合ったのは、十や二十ではきかない……。
絹香の全てを支配し……、絹香もまた明日香を支配した。
裸体を触れ合わせて愛し合い……。
欲情をぶつけ合い……。
そういう関係だったのだ……。
もちろん、人に言える関係ではないが、明日香は本気だった。彼女となら人生を一緒に過ごせると……。
だが、突然に破局はやって来た。
絹香の男の恋人ができたのだ……。
いや、恋人なのかどうかもわからない。
坂本真夫……。
一か月ほど前に学園に、三年生として入ってきた編入生だ。彼はなにかと話題を集める生徒だった。
女子大生の美人の恋人を堂々と侍女として連れてきたところから始まり、また、孤児だという噂がたったにも拘わらず、待遇は特別待遇生徒のS級生徒になったのだ。それは、入ってくる前から話題だった。
それだけでも注目された人物だったが、彼がS級になることで、それまでのS級からA級に降格になったあの竜崎に逆恨みされ、恋人を拉致されてレイプされそうになると、その現場に乗り込んで竜崎を再起不能にしたのである。
しかも、どういうやり取りがあったのかはわからないが、学園も竜崎家も、まったく坂本真夫を咎めることはなかった。
そして、彼には女性に人気がある。
恋人だという女子大生だけでなく、A級生徒でありながら侍女生徒のC級になって、彼を世話をすることになった白岡かおりなども、彼の世話をかいがいしくやっている。
白岡かおりが坂本真夫と男女の関係があるのは明らかであり、淫情に呆けたような色っぽい表情を隠すことなく見せたりもしている。
しかも、孤児だという出生にもかかわらず、意外にも女生徒には、彼に魅了される者が少なくないのだ。
女子サッカー部の中でも、最近は彼の話題が結構頻繁に出るようになってきた。
もっとも、それだけなら、不思議な存在ではあるものの、坂本真夫という男子生徒など、明日香とは無関係のはずだった。
ところが、その彼の取り巻きに、西園寺絹香が加わったのだ。
明日香はショックだった。
しかも、それから絹香は、あれほど頻繁にしていたSNSをなかなか返してくれなくなり、放課後や休み時間に明日香と付き合ってくれることもなくなった。
身体の異常な火照りのこともあり、苛立って、今日など坂本真夫と図書館でぴったりとくっついている絹香のところに乗り込みさえした。
ところが、絹香は明確に真夫を庇い……。
明日香の目の前で口づけをされて、怒るどころかうっとりと坂本真夫を見つめ……。
まるで、明日香などいないかのように……。
そもそも、彼は、事もあろうに絹香を命令して従わせ──。
それなのに、絹香はそれを否定もせず……。
明日香はショックだった。
絹香が坂本真夫の愛人になるのであれば、じゃあ、これまでの明日香との関係はどうなるのか──?
このまま、なにもなく清算されるのか……?
まったく、存在しなかった日々のように扱われるのか──。
それから、ずっと明日香の腹は煮えたぎっている。
今日調子が悪いもうひとつの要因が、身体の不調とともに、絹香に裏切られたという激しい苛つきだ。
「な、なによ……。いつから、いたのよ、絹香?」
胸を自分で揉むというような自慰の真似事を見られはしなかっただろうかという動揺を隠して、明日香は言った。
だから、かなりぶっきらぼうな物言いになってしまった。
「ついさっきね。練習をしているあなたが見えたから、ちょっと寄ってみたのよ。再来週から地区のリーグ戦よね。頑張ってね」
絹香が言った。
「なによ。ご主人様のお相手はいいの? あたしの相手なんか、どうでもよくなるくらいに、ご主人様に可愛がってもらっているんじゃないの?」
明日香は言った。
だが、言葉を口に出した瞬間、自分の発言を後悔した。
いや、こんな嫌味など言うつもりはなかったのだ。
急に絹香が連絡を寄越さなくなって、こうやって会話をするのも久しぶりだ。
嬉しい──。
だって、絹香が自分から来てくれたのだ。
本当は嬉しい……。
でも、どうしても怒りが収まらない……。
「ふふ、可愛いわね、明日香……。ちょっと相手をしなかったから拗ねているの?」
「す、拗ねてなんかないわ──。き、絹香こそ、なんの気紛れよ──。あたしの相手なんてしたくなくなったんでしょう──。もう、どっか行ってよ──」
違う──。
こんなこというつもりはない──。
本当は一緒にいて欲しい……。
どこにもいかないで、明日香のそばにいて欲しいのだ──。
「まあまあ……。でも、このところちょっと冷たくなっていたのは謝るわ。わたしも、それどころじゃなかったのよ……。昼間のことで、もうわかっていると思うけど、わたしは彼の奴婢になったの。性奴隷ね。彼の調教を受けていたのよ。だから、あなたの相手ができなかったのよ」
絹香があっけらかんと言った。
「奴婢? 調教──?」
明日香は唖然とした。
だが、そういえば、図書館で明日香が怒鳴り込んだとき、そんなことを真夫は口にしてた。
なにかの言葉の綾だと思っていたが……。
「ね、ねえ、もしかして、あなた、まさか、彼に脅されてないわよねえ……?」
急に心配になり訊ねた。
しかし、考えてみれば、そもそも孤児出身の真夫という男子生徒が、西園寺家の令嬢である絹香を言いなりにするということが不自然なのだ。
もしも、そうなら……。
「それは否定しないわね。そもそも、脅迫だったかしら、突然にわたしの映像がメールで送られたわ。ちょっと他人には見せられない映像……。もしも、これを公開されたくなかったら、命令に従えってね」
絹香が笑った。
なんで、そんなに明るく笑えるのかわからないが、その言葉には衝撃を受けた。
絹香は脅されていたのか──?
「そ、それなら……。い、いえ、どうして早く言ってくれなかったのよ──。そんなこと許せない──。絶対に──。と、とにかく、学園に訴えて……」
明日香は絹香の肩を掴んだ。
許せない──。
明日香は思った。
しかし、肩を掴んでいた絹香は、明日香の手にそっと触れて、自分の身体から離す。
「それはいいのよ……。それに無理──」
「いや、無理ってなによ。意味がわからないんだけど……」
「離れるつもりはないってこと」
「えっ、なんでよ。だって……」
「いいの──。もう終わったことで、わたしは満足してるの……。それよりも、今日来たのは、あなたを誘いに来たのよ……」
絹香が言った。
「誘い?」
「SS研に入って……。いえ、正確にはもう部員なんだから、わたしたちの活動に参加しなさい。真夫さんの奴婢……つまり、性奴隷になってくれない。わたしと一緒に……」
「はあ?」
「また、わたしとまた、百合遊びをしましょうよ」
「百合遊び?」
「そうよ。もう忘れたわけじゃないんでしょう? わたしのことを……」
絹香は誘うように口角をあげる。
この女は……。
むっとした。
忘れたかですって……?
それはこっちのセリフだ──。
だったら……。
「いいわよ」
明日香は言った。
「本当に?」
絹香は眼を丸くした。
明日香があっさりと応じるとは思わなかったのかもしれない。
「ええ──。その代わりに、彼と別れて」
明日香はきっぱりと言った。
答えはわかっているが、どう絹香が答えるか……。
でも、それによっては、二度と仲良くなんてしてやるものか──。
絹香なんて、大嫌いだ──。
「いいわ」
絹香は言った。
「えっ?」
今度は明日香が驚く番だった。
「でも、条件があるわ」
しかし、絹香はすぐに言葉を続けた。
「条件?」
「わたしと、賭け勝負をしましょう」
絹香が微笑んだ。