鬼滅奇譚・外章 夢幻の刃 作:夢の呼吸
唐突に過去編(回想)です。
たいへん申し訳ないが、今回はエロはなし。後編まで待ってくれ。
春先の、ある晴れた日のことだった。
「ごめんください。炭十郎さんはご在宅でしょうか」
昼下がり。竈門家の玄関先に響いたその声に、いち早く気が付いたのは炭治郎だった。
家の裏にて薪を割っていた彼は(誰だろう……)とその手を止めた。声は非常に若く、子供のものに思えた。
炭十郎とは父のことである。病気がちで体の弱い彼は今、居間の奥にて幼い弟たちの面倒を見ている。
町へ炭を売りに行った際に声をかけられることは数あれど、わざわざ父を訪ねてくる人は炭治郎が記憶するかぎり初めてのことだった。――しかも子供。
好奇心をくすぐられた彼は、仕事を放ると家の正面へと回るべく歩き出した。
そんな中、今度は家から声。
「はいはい、どなたでしょう」
母の声だ。続いて、玄関を開ける引き戸の音。
それらを聞き流しながら、炭治郎は家の角を曲がって……
ざあぁ――と、春風が吹いた。
「お初にお目にかかります。坂田銀太郎と申します。この度は私の父、坂田
春の香りが吹き荒れるなか、背筋を伸ばして静かに語る少年。後ろで括られた黒髪は肩口に揺れて、その口元を隠している。
すん、と鼻へ漂ってくるのは、清廉でいて、どこか甘い匂い……。
そこで、少年の瞳がふとこちらを向き、家の陰からのぞく炭治郎と目がかち合った。
「あ、わ……」
蒼い*1綺麗な瞳だった。なぜか炭治郎は口があわあわして、そして、
「か、竈門炭治郎ですッ!!」
なぜか勢いよく頭を下げていた。
その耳に、これまたどういうわけか玄関先からも同様の切羽詰まった声が追従するのが聞こえる。
「か、竈門禰豆子ですっ!!」
ざあっ……と、また風が吹き、後には初対面の少年少女に頭を下げられる少年と、頬に手を当て、それらを驚いたように眺める女性だけが残った。
小さく眉を寄せ、幼いながらも端正な顔をはっきりとした困惑に彩った少年は、やや置いてから、
「……えぇ、ええと、改めまして。坂田銀太郎です」
――炭治郎九歳。禰豆子八歳。銀太郎十一歳。
それが彼ら三人の、初めて出会った日の記憶である。
□■□■□
それ以来、竈門家の兄妹にとてもよく懐かれた銀太郎は、年に何度か、手土産を持って訪れるようになった。
炭十郎や葵枝もそれを微笑ましそうに眺め、炭十郎にいたっては亡き友の面影を追うかのように銀太郎へと接した。
ある日のこと、鬼ごっこで疲れた炭治郎が、同じく肩で息をする禰豆子と共に銀太郎へと詰め寄った。その周りには、他の弟妹たちが地に転がって荒い息をしている。
「なんで銀太郎さんは疲れないんだ?」
それに、と彼の目がその腰へと移る。
「そんな重そうなの提げてるのに」
初めて出会った日からずっと気になっていたことではあった。銀太郎の腰には、いつも本物の刀が提げられていた。
「うぅん、それは……」
珍しく言いよどむ銀太郎に、禰豆子が抱き着くようにして抗議する。
「というか、なんで刀なんて持ってるんですか! 危ないですよ? それに、捕まっちゃいますよ?」
見上げる彼女の目は心配の色で濡れている。銀太郎がお縄になってしまった場合のことを、言いながらにしてはやくも想像してしまったらしい。
「いやいや、大丈夫だよ……」
銀太郎は彼女の髪を撫でて、にこりと笑う。
「そのときは、ちゃんと逃げるから」
「……そういうことじゃないんです!」
うがーっと怒りを表現する禰豆子と、それをなだめる銀太郎。それらを眺めながら、炭治郎は今の銀太郎の発言に
「まあ、冗談はともかく」
仕切りなおす銀太郎に、(いや本気だったじゃん)と炭治郎は思った。
「この刀はね、僕に必要なものなんだ」
腰の柄を優し気に撫ぜて、銀太郎は目を細めた。
「必要? なんで?」
ぷくぅと両頬を膨らませた禰豆子が、抱き着く腕に力を籠める。自分ではなく刀風情が撫でられることが癪に障ったらしい。炭治郎は今度は無機物にまで嫉妬する妹に戦慄した。
「それは……」
なにか言いかけてから、そこで銀太郎は腰をかがめて禰豆子と視線を合わせた。彼女の小さな両肩に手を置いて、
「みんなを守るために、必要なんだ」
そう語るその顔は、二人が今まで見たことがないほどに真剣な表情だった。
「守るため……」
反芻した炭治郎にも視線を向けて、銀太郎はうなずく。
「そう、守るため。だから、別に誰かを傷つけるために持っているんじゃないよ。危なくないさ。守るためのものなんだから……」
彼の蒼い瞳には揺るぎない光が宿っていた。炭治郎がそれに見とれていると、横から大きな声が割り込んでくる。
「じゃ、じゃあっ!」
見れば、禰豆子だった。彼女は両手を胸の前で握りしめ、頬を赤く上気させて、
「あの、私もっ! 銀太郎さんは私も守ってくれますか!」
銀太郎は優しく笑んで、「もちろん」と答えた。禰豆子の瞳が円く広がり、これ以上ないほどに輝いた。
そしてそれを聞いて、周囲で転がっていた竹雄たちも飛び上がるようにしてわらわら寄ってくる。
「姉ちゃんずりぃー! 俺も!」
「僕も!」
「私も!」
銀太郎は破顔して声を上げた。
「それこそだよ! 禰豆子も、竹雄も、茂も、花子も! もちろん炭治郎も! そのときは、みんな必ず僕が守ってみせるよ!」
わーい、と声を上げる弟たちに、炭治郎も思わず声を上げていた。
「いや、銀太郎さん! 大丈夫だ!」
きょとん、とこちらを向く皆に、炭治郎は胸を張って、
「みんな俺が守る! 長男だから!」
一拍置いて、その場に笑い声があふれた。
「そりゃ、そうだな! さすがは炭治郎だ!」
銀太郎は炭治郎の頭に手をやって、「期待してる!」と掻きまわした。
「うわっ……」
頭をぐわんぐわん揺らされる炭治郎の耳に、「でも、私はやっぱり銀太郎さんのほうが……」とつぶやく禰豆子の声が入る。
「え!?」
と炭治郎が声を上げれば、
「たしかに、兄ちゃんよりも銀太郎さんのほうが強そうだよなー」
という竹雄のからかい混じりな追い打ち。
「そんなぁ……」
と肩を落とせば、また皆から笑い声がこぼれた。
炭治郎も顔を上げて笑った。
陽だまりのように、暖かい時間だった。
皆が笑んでいた。炭治郎も、禰豆子も、竹雄も、茂も、花子も、銀太郎も……。
このあとに帰宅して話をすれば、炭十郎も葵枝も声を上げて笑ったし、彼女の腹の中の六太だってきっと笑っていた。
こんな優しい時間が、ずっと続いていく。そんなことを、このとき皆がかたく信じて疑っていなかった。
……それが幻想であったことを知るのは。
……この日の約束を果たせなかったことを彼らが知るのは。
それからそう多くない月日が経ってのことだった――。
□■□■□
(――なんで、なんでこんなことに……)
仰いだ曇天から、次々に雪が降ってくる様子が目に入る。
炭治郎は両手を前に掲げ、握りこんだ斧の柄で以て覆いかぶさってくる存在の牙から逃れていた。
「ウゥ……ウガァァァゥッッ!!」
猛々しい唸りを上げ、怪力で以て炭治郎へ喰いつこうと押し倒している存在は――変わり果てた禰豆子だった。
肉体は増してゆく力と共に巨大化し、額には血管が浮き上がり、瞳孔は縦に割れ、牙や爪が伸びていた。
――「鬼」だった。
人喰い鬼だ。
昨夜に聞いた三郎爺さんの話を思い出す。
(禰豆子……なんで、なんで鬼に……)
炭治郎は抑え込みながらも考える。しかし思考は一向にまとまることがなく、次々に浮かんでは散り散りになっていく。
ふと暖かい記憶が脳裏を過ぎって――
(俺は、約束を守れなかった……)
視界がにじむ。
突き出した腕が重い。かじかんだ指に力が入らない。凍てついた空気が肺を焼く。
「いや――」
小さく、声を絞り出す。
(……それでも、せめて禰豆子だけは――)
気づくと、炭治郎は叫んでいた。
「大丈夫だッ! 禰豆子、がんばれッ!!」
あふれだした涙が次から次へと頬を流れ落ちる。
「こらえろ、禰豆子ッ! 負けるなッ! がんばれッ!!」
こちらを見下ろす獣のような瞳を見つめ返して、精一杯訴えかける。
(大丈夫だ、禰豆子なら、まだ大丈夫だ――)
根拠なき思考。信頼か、あるいは願望にすがりついて、きっと想いが届くはずだと信じて。炭治郎は叫ぶ。
「禰豆子、鬼になんてなるなッ! がんばってくれぇッ――」
そして、想いが――
「ウゥゥ……ゥゥ……」
――通じた。
斧にかかっていた圧力がぴたりと雲散し、静かになった禰豆子の瞳からは涙がこぼれ出る。そこにはきちんと炭治郎の姿が映っていた。
「ね、禰豆子……」
炭治郎は安堵の息を吐く。そして――
禰豆子の肩の向こうで、誰かが刀を振りかざすのが見えた。
「禰豆子ッ!!」
咄嗟に禰豆子を抱きかかえて、転がるも、振り下ろされた刀が齎したすさまじい風圧にそのまま二人そろって吹き飛ばされる。
木の幹にぶつかって止まった。炭治郎の腕の中で、禰豆子も元の大きさへと収縮する。
「ぐ、ぅ……」
呻きながら、雪の舞う中心へと目を向ける。
果たして、そこにいたのは――
はためく羽織。黒い詰襟の洋服に……瞳と同じ蒼色の刀。
静かに立ち上がる青年の肩口で、ひとつにまとめられた黒髪がふわりと揺れた。
「――ぇ、銀太郎、さん……?」
呆然とした声が、炭治郎から漏れる。
坂田銀太郎。数年来の歳上の友人。頼れる兄貴分。数か月ぶりではあるが、その姿は見間違えようがない。
つい今しがたに斬りかかってきた謎の人物の正体に、炭治郎は思考が追い付かなかった。
対して、馴染み深い声は記憶と変わらぬ調子で返ってくる。
「……やはり、炭治郎か。襲われていたのに、なぜ、鬼を――」
そこで、ようやく振り向いた男の瞳が見開かれた。
その視線は、炭治郎の腕の中、「ウゥ、ウゥ……」と唸りながら抜け出そうとする鬼に向けられている。
そして、
「……禰豆子、か……?」
彼から絞り出されるようにして漏れたその声は、先ほどとは違って、あまりにも重く――
いつの間にか、炭治郎の腕のなかの禰豆子もまた動きをぴたりと止めていた。彼女の瞳は、目の前で呆然とこちらを見やる青年へと向けられている。
「――なぜ」
銀太郎がこぼした問いに、炭治郎は堰を切ったように話しかけた。
一から全部を説明する。
昨夜、帰らなかったこと。三郎爺さんに聞いた鬼のこと。今朝に帰ったら皆が殺されていたこと。そして、禰豆子だけが息をしていたこと。彼女を医者に見せるため、山を下りているところだったこと。
炭治郎自身もまったく事情を理解しきれていなかったが、それでも銀太郎なら、きっと代わりに説明してくれる。そして解決をしてくれる。……そんな信頼が彼の中にはあった。
しかし。
「それで――ッ」
唐突に気が付いたその匂いのあまりの濃さに、炭治郎は開きかけた口を閉じた。
目の前で、静かにたたずむ男から漂ってくる、それは……
(――すごく苦しんでる。深い後悔と、悲しみの、匂い……)
炭治郎が息をのんでいると、ようやく銀太郎が口を開いた。
「――そうか」
そしてその言葉から匂ったのは、悲しみと決意――。
「え……?」
気が付いたとき、炭治郎の腕の中には誰もいなかった。
慌てて見渡せば、離れたところに立つ銀太郎と、彼に腕を拘束されている禰豆子の姿。
掴まれている腕が痛いのか小さく呻く禰豆子だが、それを見下ろす彼の瞳は氷のようで、右手の刀を強く握りなおす様子が目に映る。
「――なんでっ……!」
銀太郎の思考を察した炭治郎は、すがるようにして声を出す。
なぜ――。なんで――。
裏切られたような感情が胸中に吹き荒れる。
そんな炭治郎を見やって、銀太郎は平淡な声音で語りだした。
「炭治郎。僕は――鬼狩りだ」
固まる彼に、銀太郎は手元の刀を見せびらかすように振るった。キラリ――と場違いなほどに美しい光が漏れた。
「鬼を狩るのが仕事なんだ」
「でもっ!」
声を荒げる炭治郎を見つめて、銀太郎はなおも静かに続ける。その冷淡な様子は、今まで見知ってきた彼からは想像もできない姿で――そんな彼は、彼を慕ってきた妹に刀を向けていて――炭治郎の頭は破裂しそうなほどに混乱していた。
「鬼は、必ず人を喰らう」
銀太郎は左手で拘束している禰豆子へと視線を移した。いつの間にか静かになっていた彼女は、その顔をただ見上げている。
「鬼は飢餓状態なら、たとえ家族であっても躊躇いなく食べてしまう」
銀太郎はゆっくりと持ち上げた刀身を、彼女の首元へと近づけた。
「鬼は――殺さなくてはならない」
「――禰豆子はッ! 人を食べたりしないッ!」
冷たい空気が喉を刺し、口の中には血の味がする。しかしそれでも、なんとかして炭治郎は大声を張り上げていた。
「俺が、させない! なんとかするッ!! だから――ッ」
炭治郎の叫びに、銀太郎は目を伏せた。その声が、初めて震える。
「炭治郎。……禰豆子も。約束を守れなくて、すまない――」
聞いた炭治郎の脳裏にも、あの暖かい記憶がよぎる。
そしてその追憶を、銀太郎の悲愴な叫びが一瞬にして切り捨てた。
「――おまえたち家族を、守ってやれなくて、すまない……ッ!!」
「やめっ――」
炭治郎の叫びもむなしく、銀太郎の右手が高く振り上げられる。
刀は美しい、青い孤を描いて振るわれて――
――そして、首を斬ることなく、その手前で停止した。
「……ゥ、ゥゥ……」
禰豆子は、泣いていた。ぎゅっと閉じた目尻からぽろぽろと涙を流して、小さく体を震わしながら――それでいて、しかし逃げようとしていなかった。
ずっと前からそうだった。昔から彼女は、心から銀太郎を信じていた。その彼が、鬼は必ず人を喰らう、何があっても殺さなくてはいけないのだと――そう言うのなら、きっとそうなのだ。
死ぬのは、とても怖い。
しかし、人間を――家族を。いつか、炭治郎や銀太郎を食べてしまうというのなら、そちらのほうが何十倍も怖かった。
現実として、実際に空腹感もひどいのだ。さっきだってもう少しで実の兄を――。
だから。
彼女は震えながらも、刃を受け入れようとしていた。
「禰豆、子……」
震える声が炭治郎から漏れる。気づいたときには、走り出していた。
「禰豆子ぉ!」
固まっている銀太郎の手から奪い取るようにして妹へと抱き着く。
ぽろぽろと涙がこぼれだして、止まらない。
「うぅ、うあ……」
なにか話そうとして、しかし喉からは嗚咽だけがこぼれてゆく。
禰豆子もまた、抱き返して、涙を流していた。
牙の伸びた、人外の口を大きく開けて、――噛みつくのではなく、嗚咽をこぼす。
「ゥゥ……ゥアァァ……」
そしてそんな中、炭治郎の耳に、ぼとり……という音が飛び込んだ。
なんだと思う間もなく、彼を――胸の中の禰豆子ごと抱きしめる大きな腕があった。先ほどの音は、銀太郎が刀を雪に落とした音だった。
暖かい、逞しい腕。
それが強く、強く二人を抱きしめている。
彼らが見上げれば、銀太郎の瞳からも大粒の涙がこぼれてゆく。
「――くそっ……なぜだ、なんで……」
銀太郎は震える口からそれだけこぼして、それきり無言で抱きしめ続けた。
雪が、森のなか変わらず静かに降り積もってゆく。
三人は抱き合ったまま、しばらく泣き続けた――。
基本的に書きたくなったときにだけ書いて、書けたら晒す人なので、定期更新とかは期待しないでくださいね()
●オリ主の日輪刀について
色は青みがかった深い緑色。(浅葱色……?)
適正を示す性質は、風と水。
そして、オリ主の扱う「夢の呼吸」は水の呼吸の派生です。