Eternal Flame 第一部 作:haruka0311
俺はあの世界では無力だった。
自分の身の回りのことすらままならなかった。
だからせめて、あいつの笑顔を取り戻してやりたかったんだ。
そのままあいつに惹かれていくことを知らずに…。
* * *
馴染みのビリヤード場に足を踏み入れた。薄暗い照明の中、ビリヤード台が所狭しと並んでいる。受付でチェックインを済ませると、キューを持って自分の台へと行った。
元彼との思い出が走馬灯のように蘇ってくる。ビリヤード台に軽く腰をかけて、優しげに微笑む元彼の姿…。
やはり、ビリヤードじゃない方が良かっただろうか。
「Hey, このstickで何をするんだ?」
突如、わくわくしたような政宗の声で現実に引き戻された。隻眼はきらきらと輝き、期待に満ちている。
私は小さく微笑んで、ルールを説明した。
「この棒はね、キューって言うんだよ。この台のボールに数字が書いてあるでしょう?」
「Ah~、そうだな。異国の数字だな」
「読める?」
「独眼竜は伊達じゃねぇ、you see?」
「Alright. この白球をこのキューで突いて、1から順に当てていくの。もし、白球以外の玉がポケットに入ったらプレイ続行。入らなかったり、決められた数字の玉に白球が当たらなかったり、白球がポケットに落ちたら交代ね。先に9のボールをポケットに落とした方が勝ちよ」
「Okay, got it. ルールは簡単だな」
「でしょ?じゃあ、始めようか。政宗は初めてだから、私がブレイクショットを打つね」
ルールはナインボール。
9個の玉を菱形に並べて、白球を台の上に置いてキューを構えた。狙いを定めて勢いよく白球を突く。カーンと小気味よい音を立てて白球が1の球にぶつかり、色とりどりの球がブレイクした。このビリヤード場は台がよく手入れされていて、球がよく転がる。
ぶつかりながら弾けとんだ球はころころと転がり、4番の球がポケットに入った。
「Coolじゃねえか!!球がポケットに入ったってことは、あんたの番か?」
「そういうこと。次は、私が1番の球に白球を当てるの」
「1番か。あの位置だと、右手じゃ打てねぇな」
政宗が軽く眉間に皺を寄せて思案している。政宗は本当に飲み込みが早いと感心して口許に笑みが上る。1番の球と白球は台の右端のかなり奥にあり、前かがみになっても届かない位置にあった。
「ふふっ。そういう時は、こうするの」
私は台の上に腰掛け、片足を床に着け、後ろ手にキューを構えて白球を突いた。白球は紛うことなく1番の球に当たり、しかし、角度が悪かったので、ポケットには入らず、台の縁に当たって跳ね返った。
「It was close(惜しかったな)!!あんた器用だな!It's cool!!」
「道具を使えばもっと狙いやすいんだけど、ビリヤードは見せる遊びだから。片足さえ床についていれば、どんな姿勢で打ってもいいんだよ」
「Okay. じゃあ、次は俺の番だな」
見よう見真似でキューを構える政宗の姿は、とても初めてとは思えないほどに様になっている。狙いを定めるその視線はまるで獲物を狙うしなやかな猫科の肉食獣のようだ。形の良い唇の端は軽く吊り上り、不敵な笑みを浮かべている。やはり、伊達に修羅場を踏んでいないことが窺い知れる。
前かがみになった政宗の胸元でゴシックなネックレスがしゃらりと揺れる。まるで映画の一場面だ。時が止まればいい。ずっと政宗を眺めていたい。それくらい彼は美しかった。
「白球を1番の右側に当てれば、左側に転がって6番に当たりそうだな。上手くいけばポケットに入るかもしれねぇ。そうだろう?」
「その通り」
私は政宗の向かい側へと移動し、しゃがみこんで角度を確認した。
「この辺りを狙えばいいかな」
キューの先で、狙うところを示しながら政宗に視線を移すと、真正面から政宗の鋭い視線とかち合った。私と目が合うと、政宗が挑戦的な視線のままフッと笑う。思わず心臓が飛び跳ねた。今の笑顔は反則じゃない?
私が取り繕うように立ち上がろうとすると、政宗がそれを引き止める。
「おっと、動くんじゃねぇ。あんたのcuteな顔を目印に打つからな」
Cuteな顔って…。どうして恥ずかしげもなくそんなことが言えるのだろう。
私は呆れつつ、同時に恥ずかしさに逃げ出したくなりつつ、しかし、低いハスキーな声は至極楽しそうで、私は仕方なしにそのまま政宗の視線の先に佇んだ。
再び視線が交錯し、時間が止まったかのような感覚に陥る。政宗はその綺麗な顔立ちと同じくらい綺麗な所作で、白球をキューで突いた。狙い通り、白球は1番の右端をかすめるように当たり、1番の球は6番の球に当たり、6番がポケットに入った。
「Get it!!このgame、楽しいじゃねぇか!」
唇の端を吊り上げて笑いながら喜ぶ政宗の瞳は、少年のように輝いている。
まだ少年と言ってもいいくらいの年だけれども、奥州筆頭という地位のせいか、政宗の雰囲気は老成していた。それが本来の年齢に戻ったかのように実に生き生きとしている。私もつられて微笑んだ。
「Okay、次いくぜ。次は2番だな?」
声はうきうきと弾んでいるのに、チョークでキューに滑り止めを施しながら次の球を狙う政宗の一連の動作は洗練されていて、薄暗いビリヤード場に相応しく、そう、正しくcoolとしか表現出来なかった。
「Damn…2番の球に当てるには、8番が邪魔だぜ」
綺麗な発音で悪態をつきながら、政宗が8番の球を睨み付けている。
「ああ、それはまともには狙えないね。一旦、台の縁に当てて、跳ね返して狙うの。入射角と反射角は同じだから。ただ、強く打つと鋭角になるから気を付けてね」
私はキューを寝かせて、球の軌道を示した。
「この角度で打てばこういう風に跳ね返ってうまく2番に当たるはず。後は政宗がどれくらいの強さで打つかによるかな」
「Alright. 大体の理屈は分かったぜ」
私がキューを下ろすと、政宗はまた、すっと構えた。また時が止まったかのような、心地よい緊張感に包まれる。
何て絵になる人だろう。
当然か、ゲームのキャラなのだから。
それでも、私は政宗に見蕩れずにはいられなかった。
すっとキューを引いて、そして勢いよく政宗は白球を突いた。それは、狙い通りの軌道だったけれど、勢いが良すぎて鋭角に反射し、白球は2番の球に当たることはなく、他の球に当たって動きを止めた。
「Damn!!結構難しいな」
「仕方がないよ、初めてなんだから」
「当たらなかったらどうするんだ?」
「次のプレイヤーが白球を好きなところに置いてプレイするんだよ」
「あんたにとってluckyってことだな」
「そうでもないかな。2番の球とポケットの間に3番があるから。真っ直ぐは狙えない」
私は思案しながら、前かがみになりキューを構えた。その狙う角度を参考にするためか、政宗が私のすぐ後ろから覆いかぶさるように立ち、じっと私の視線の先を見る。
微かな吐息が私の首筋を掠め、私はびくりと身を震わせた。
「政宗、くすぐったいってば」
「Sorry. じゃあ、向こう側から見せてもらうぜ」
政宗は私の向かい側にしゃがみこみ、私の視線の先を探った。
また政宗と視線が交錯する。
球の軌道を読もうとするのに、政宗の綺麗な顔に思わず視線が釘付けになってしまってなかなか集中できない。
私の視線に気付いて政宗は人の悪い笑みを浮かべた。私は不思議に思って首を傾げた。
「あんた俺を誘ってるのか?あんたの熱烈な視線、その格好、随分とsexyだぜ?」
ホルターネックの背中は広く開いていて、肩甲骨から上はむき出しになっている。加えて、Vネックになった胸元は、かがむと、谷間がくっきりと見える。
私はさっと頬を赤らめた。
「もう、からかわないでよ」
「ビリヤードは見せる遊びなんだろう?今のあんた、それにぴったりだぜ」
「Shut up!!」
私は、焦点を白球と2番、3番の球に合わせて、極力政宗を見ないようにした。少しずつずれて並んだその二つの球がどのようにぶつかれば3番がポケットに入るか計算する。
目測を定めると、白球だけを見つめ、そして、私はそっと白球をついた。緩やかに転がった2番の球は、3番の球の中心よりやや右にずれたところに当たり、3番の球はころころと転がってポケットに入った。
「Wow…打つ強さによって転がり方をcontrolするんだな。さっきの俺の挑発に動じないなんてな。あんた、やるじゃねぇか」
「動揺させようなんて、姑息よ。奥州筆頭がそんなことするなんて、信じられない」
「戦は騙し合いだぜ?」
「もう、知らない!」
頬を膨らませてプイと私が顔を背けると、政宗が慌てて私に近寄り、ぐいと肩を抱き寄せた。
「Sorry, come around. I was just kidding.(悪かった。機嫌直せよ。ただの冗談だ)」
また、元彼と同じ台詞。同じ仕草。
心臓がどくんと一際大きく鼓動し、内側から熱いものがこみ上げてくる。
私は唇を噛み締めて堪えようとした。
震える私に気付き、政宗は宥めるように正面から私を抱き締め、あやすように背中をぽんぽんと叩く。
「Sorry, don't cry. 参ったな。そんなに傷付くとは思わなかったぜ」
私はふるふると首を振った。
「違うの、そうじゃないの。ちょっと思い出して…」
頭上で政宗が舌打ちをする。
「前の男のことか?」
「うん。彼もね、よく私のことをからかって、その後、政宗が言ったのと同じ台詞を言って肩を抱いてくれたんだ…」
私の耳元で政宗は軽く溜息をついて、低い声で囁いた。
「いいか、あんたを抱き締めているこの俺は、独眼竜政宗だ。あんたと別れた男じゃねぇ、you see?」
「うん…」
「あんたが俺の女だったら、俺は絶対に別れたりしねぇ。こんな顔させるわけにいかねぇからな」
「政宗…」
政宗はぎゅっと私を抱き締めると、身体を離して私の顔を覗き込んだ。
「少し休むか?」
「うん」
私達は、壁際の小さなテーブルへと向かった。小さな椅子が2脚あるが、隣の台の客に、1脚占領されていた。
何食わぬ顔で政宗は椅子に座り、自分の膝を叩いた。
「Hey, 遙, come here. On my lap(こっちに来い。膝の上だ)」
そんなところまで、彼と一緒だなんて…。
泣きたい気持ちになって複雑な表情をしていると、政宗がぐいと私を引き寄せた。自然、政宗にしなだれかかり、膝の上に座る形になってしまう。足を大きく広げて座った政宗の片腿の上に私は座り、力強い腕が腰に巻きついた。
「…政宗、lady firstって言葉は知らないかな?」
「Ha!!俺は一国一城の主だぜ?あんた、俺を立たせる気か?」
「だからって、こんな…。膝の上に座るなんて…」
「あんただから特別だ。感謝しろよ?」
「もう、呆れた…」
やれやれと溜息を吐く。それでも、Tシャツ越しに伝わる政宗の温もりが心地良くて、恥ずかしいのにこうして触れ合うことに途方もなく安堵してしまう。政宗と出会ってまだ一日も経っていないのに。
「煙草でも吸って一服すれば落ち着くだろ?…shit、俺のはなかったな」
「いいよ、どうせ安物だし」
私はポケットから煙草とライターを出した。一本差し出すと、政宗がそれを咥える。政宗の煙草に火をつけると、私も煙草を咥えた。火を点けようとすると、政宗が私の手からライターを奪い取った。
「I wanted to try it since yesterday. Let me do it!(これ昨日からやってみたかったんだ。やらせてくれ!)」
そんな子供っぽい言い分も彼そっくりだ。
I wanna do it!
I wanna try it!
じわりと涙が滲みそうになって私は瞳を伏せた。
政宗がかちりとライターに火を点ける。私は煙を肺いっぱいに吸い込むとゆっくりと吐き出した。身体が軽い浮遊感に包まれる。
政宗は相変わらず私の腰に手を回したまま、ゆっくりと煙草を吸っている。煙を吐き出す時の表情がアンニュイでどきりとしてしまうほど艶っぽい。
こうして近くで見ると、彼と全然似ていないのに。仕草や物言いが似ている…。私はまた泣いてしまいそうで、政宗から離れようとした。
「政宗、もう、いいよ。私、立つから」
「Rejection. (却下だ。)俺が吸い終わるまで、あんたはこのままだ」
政宗は私を抱く腕に力を込めた。
久し振りの温もり。よく彼とじゃれあうようにして、こういう風に座り、彼の首に腕を回して頬に口付けていた。
どうしよう…。すごく政宗に抱きつきたい…。
彼と重ねて見てはいけないのに。政宗は政宗なのに。
どうしようもなく、懐かしくて。愛しさがこみ上げてきて。この思いは錯覚なのに。
それでも私は止められなかった。おずおずと政宗の首に腕を回す。
政宗が気付き、私をじっと見る。その眼差しはとても優しかった。
「いいぜ、前の男の代わりでも。今だけはな。そのうちそいつの記憶は俺で塗り替えられる。I told you. If you wanna cry, you can cry in my arms.(言っただろ?泣きたかったら俺の腕の中で泣いていいって)」
政宗は私の頬にそっと口付けた。柔らかい唇の感触に、心の箍が外れた。私は政宗の首に抱きつき、肩に顔を埋めて、声を殺して泣いた。
顔を埋めると分かる。彼と違う香り。政宗が彼とは別人だという証。
政宗なら私を傷付けない…?
政宗は私をずっと抱き締めて背中を撫でていてくれた。その温もりが、酷く嬉しかった。
いつまでも、いつまでも、こうして抱かれていたい。
しばらく泣いている間、政宗は私をずっと抱き締めていてくれた。温もりに安堵して、ホッととしているのに、涙が止まらない。もう、悲しくて泣いているのか、緊張が解けて泣いているのかわからない。ただ、この温もりを手放したくなかった。
「Honey、あんまり泣くと、あんたのcuteな目が腫れちまうぜ」
耳元で政宗が囁いて、私をそっと引き離し、親指で涙を拭ってくれた。そっと目を閉じると、すぐに柔らかい唇が目蓋に降ってきた。くすぐったいような、酷く甘い感触に私は酔いしれた。少しずつ涙が止まっていく。
唇はやがて、頬に落ち、そして、私の唇に優しく重なって、私はびくりと身体を震わせ、ハッと目を見開いた。政宗と目が合うと、政宗もハッとしたような表情になり、視線を彷徨わせた後、私の頭をくしゃりと撫で、私を立ち上がらせた。
「遙、どうする?このままgameを続けるか?それとも止めるか?」
私は涙を拭きながら答えた。
「折角政宗と来られたから、最後まで続けるよ。終わったら、映画借りて、食材買って帰ろう?」
「映画?」
「寸劇みたいなものだよ。見ればわかるよ」
「Okay, 楽しみにしてるぜ」
フッと笑った政宗の笑顔は優しくて、眩しくて。またドキドキと胸が高鳴った。
キューを持つ手が震えたけど、政宗がさり気なく肩に触れたり、髪に触れたり、冗談を言ったりするたびに、くすぐったい気持ちと懐かしさが溢れ出し、次第に私の心は解れていった。まるで、以前からの恋人同士のように、政宗に触れられると甘酸っぱい気持ちで心が満たされていった。
私はすっかり調子を取り戻し、次々と球をポケットに落としていった。
休憩の間、思わず政宗と指を絡めるようにして自ら手を繋いでしまう。それに応えるように、頬に軽くキスを落とされると、嬉しくて何だか安心して、口許が綻んでしまう。
この想いは錯覚なのに、ただただ溺れてしまいたかった。政宗はずっと優しげに、時に悪戯っぽく微笑んでいた。
「そろそろ時間だね。ここを出て、映画借りてから、夕飯の食材買いに行こう」
「ああ、いいぜ」
会計を済ませると、私達は渋谷の街に出た。
手を繋ぎ、ゆっくりと街を歩く。まるで彼が戻ってきたように、私の欲しかった温もりがここにある。
繋いだ手の温もりが尊くて、愛しくて。そのせいだろうか、レンタルビデオショップに着いた私は無性に恋愛映画が見たくなった。アメリカ映画を、そして何より恋愛映画を私はここのところずっと避けていたのに。
DVDを手に取り、政宗に作品概要を説明すると「別にあんたが見たいものなら何でも構わねぇ」と言って、笑ってくれた。
そのままほわほわと幸せな気持ちでデパ地下に入ると、隣を歩いていた政宗が声を上げた。どうやら見たこともない食材がずらりと並んでいることに興味を引かれたようだ。
私の手を引き、あれこれと質問して回る。隻眼はキラキラと輝き、少年のようで、少し可愛らしかった。
特に、鮮魚が政宗の目を引いたようだった。確かに仙台は、海からそう遠くないとは言え、浜辺から鮮度を保った状態で青葉城まで送り届けるには限度がある。
夏場に氷があるわけでもない。夏場に生きのいい魚が所狭しと並んでいる様子に、政宗は感嘆の溜息を漏らし、私達は1時間ほど悩んだ挙句、鯛と生鰹と野菜を買った。
「ここ、すごく楽しいな。また来ようぜ」
「いいよ。毎日でも来てあげる。私も料理するの好きだから」
「Sweet!!」
政宗は満面の笑みを浮かべ、軽く私の頬にキスをした。
マンションに帰るとすぐに食事の仕度にとりかかった。とは言え、刺身と、水菜と大根のサラダと味噌汁だけだから至極簡単だ。ご飯は朝の残りだ。
私が味噌汁を作っている間に、政宗が器用に大根を桂剥きにして、細く千切りにしていく。
史実の政宗様は料理が上手かったらしいけれど、BASARAの政宗もそうなんだ…。
水菜もざっくりと切って、大根と混ぜ合わせてガラスの器に盛る。鯛と鰹の刺身も政宗が手際よく切っていく。鰹を切り終わったところで、私が、鰹の下味をつけるために交代した。
ボウルの中に鰹の切り身を入れ、おろししょうがとニンニクと醤油、少量の酒とポン酢、万能ねぎに絡ませる。水菜と大根のサラダにもポン酢をかける。
二人で盛り付けて、テーブルに料理を運んで、私達は向かい合わせになって座った。
政宗は胡坐をかいて背筋をぴんと伸ばして座って、手を合わせてから料理に箸をつけた。
鰹を食べた政宗の顔が綻ぶ。
確か鰹は南の方で獲れるんだっけ?
ニンニクもまだ普及していなかったかな。南蛮貿易でやっと日本に入ってくるようになったばかりだろうか。
きっと食べたことのないものばかりだろうけれど、気に入ってもらえたか気になって私は政宗の表情を窺った。
「あんた、料理上手いな。俺も自信がある方だが、これは食べたことのない味だぜ」
「そう?気に入ってくれてよかった。流通が発達しているから、新鮮な魚が食べられるんだよ」
「やっぱり異世界ってすごいな。これ、京の野菜だろ?」
「水菜?うん、そう。最近流行ってるみたい。おいしいよね」
政宗は始終感心しながら、嬉しそうに食事をする。私はそんな政宗を見ているだけで、心が幸せな気持ちで満たされていった。
くるくると変わる表情は見ていて飽きない。どんな表情も、格好良くて、思わず見蕩れてしまう。胸が再びドキドキしてくる。
私は自分に言い聞かせた。政宗はゲームの中のキャラクターだから格好いいのは当たり前。現実にはこんなに素敵な人はいない。そう、これは現実にはあり得ないんだから。この整った顔立ちも。人を魅了する甘い声も。フッと口許に浮かべるニヒルな笑みも。全てが完璧すぎる。
そんな政宗に惹かれるのは当然なんだけど。でも、それはきっと錯覚。
私はすっと目を伏せ、食事に集中した。
そんな私の様子を政宗が訝しげに思っているとは知らず…。
食事を終えると私は食器を片付け、お茶を淹れると借りてきたDVDをデッキに入れた。興味津々の政宗に、この機械を通して、寸劇がテレビの画面で見られることを説明した。湯飲みを持って、ソファベッドに二人で座る。
ソファの形のときは、丁度ラブソファ程度の大きさになる。政宗と二人並んで座ると少し窮屈で、密着して座らなければならない。それが妙にくすぐったい気持ちにさせる。
しかも、これから見るのはアメリカの恋愛映画。わざわざ彼氏でもない男と見るものでもなかったけれど、何故か不意にどうしても見たくなってしまったから。それは、きっと政宗と過ごしたせい。心の中が、甘く疼いて、恋愛映画を見てほんわかしたい気分。
でも、政宗と見るのは少し気恥ずかしかった。私はそれを隠すように、クッションを抱き締め、ソファにもたれかかった。政宗がさり気なく肩に腕を回し、私を抱き寄せる。まるで、政宗と付き合っているような感覚に陥ってしまう。
でも、私は、今はそれについて考えるだけの余裕も気力もなく、政宗に身体を預け、DVDを再生した。
これは初老の男女の恋愛を描いた映画だ。
普通の恋愛映画の主人公は若者だから、一風変わっていて、ずっと見たかったのだ。本当は、アメリカで彼氏と見るつもりだった。
コミカルなタッチでストーリーは進んでいく。
主人公の男性は中年の独身で、自分よりも二周り以上も年下の美女としか付き合わないというポリシーを持っている。
ある日、恋人の母が所有するビーチハウスに恋人と出かけると、恋人の母と鉢合わせしてしまう。
恋人の母は、離婚歴がある有名な劇作家。彼女がこの映画のヒロインだ。
若い恋人との逢瀬を目撃されて居心地の悪い思いをして帰ろうとすると、男は突然心臓発作を起こし、病院に運ばれる。離婚歴のあるヒロインは、このようなタイプの男が大嫌いだが、医師の指示で仕方がなく男性の面倒を見ることになる。
しかし、やがて二人は打ち解け、ヒロインは心に抱える悩みを男に相談して癒されていく。
二人は一度は結ばれるが、男性の安静期間が終わると、彼は去っていってしまう。男性に未練のあるヒロインは、彼が若い女性とデートしているところを目撃して、ショックを受ける。そして、彼に詰め寄るが、彼からもう終わったことだと告げられてしまう。しかし、失意の彼女を見て、男性もまた胸の痛みに襲われる。
心臓発作だと思い込み、すぐに病院に行くが、心臓には異常が全く見られない。ストレス性のものだと診断される。
やがて、紆余曲折を経て、彼はヒロインを愛していることに気付く。しかし、その時すでに彼女には新しい恋人がいて、彼はほろ苦い失恋を経験する。
一方ヒロインは新しい恋人と充実した時間を過ごすようになる。しかし、ヒロインの新しい恋人は、彼女もまたいまだ彼のことを愛しているということを悟り、彼女の背中を押してやる。そして、二人はやっと結ばれるというのがこの映画の結末だった。
これでもかというほどに、笑いを詰め込みながら、一方で、切ない恋愛模様を描いている映画に私は夢中になった。政宗は、アメリカの開けっぴろげな性描写に少なからず驚いたようだが、ところどころ声を立てて笑っていた。
「異世界の寸劇って過激だな。まあ、面白かったぜ。それにしても、たかが恋愛で、あんなに泣いたり、心臓発作みたいに胸が痛くなるなんて俺には信じられねぇな」
映画を見終わった政宗が、呟いた。
「恋はね、痛くて辛いから…」
政宗は、言葉を探すように沈黙し、やがて私に尋ねた。
「あんたは本気の恋をしたことがあるのか?」
「…あるよ…」
心がずきりと痛む。また思い出して、泣きたい気持ちになって涙を堪えた。きっと私の顔は醜く歪んでいる。
「そうか」
そう呟いた政宗の表情は少し寂しげだった。
寂しげなのは恋をしたことがないことが寂しいから?
私には、政宗が何故寂しそうなのかわからなかった。
私達は順番にシャワーを浴びると、ソファをベッドの形に引き伸ばした。
政宗の布団を奥の部屋に敷こうとすると、政宗が「暑いから嫌だ」と言う。仕方がないので、昨日と同様、同じベッドで二人で寝ることにした。一応、セミダブルサイズなので、二人で寝てもそれほど窮屈ではない。
二人ともハーフパンツとTシャツの姿でベッドに横になり、とりとめもない話をした。
時折政宗が私を抱き寄せる。その温もりがひどく私を安心させた。勿論ときめきも感じたのだけれど、人肌の温もりの心地良さの方がはるかに凌駕した。
ゲームのキャラだけど、紛れもなく血が通っている温かさだ。
政宗とこのままずっと一緒にいたい…。
それは叶わぬ願いだけれど、せめて、政宗が帰るその日まで、この温もりをずっと感じていたかった。やがて、心地良さにまかせて、私は煙草を吸うこともなく、政宗の腕の中で眠りに落ちて行った。
すうすうと寝息を立てている遙を俺はじっと見下ろした。遙の浮かべた辛そうな笑みを思い出す。きっと前の男を想って浮かべたその表情。痛みを堪えるようなその表情は、見ていて痛ましかったけれど、同時にとても美しかった。
恋をすると女は綺麗になると言う。それほどまでに愛していたのか?
いや、それは過去のことではない。きっと今でも遙は…。心の奥が何故かきりきりと痛んだ。
何故だ?何故心がこんなにも騒ぐ? 何故こんなに胸が苦しい?
遙は俺の腕の中で安心しきった表情を浮かべて眠っている。俺はそっと遙の頬に触れた。何故か胸の奥が甘く疼く。
俺は、今朝の出来事を思い出した。安心しきった表情で身を委ねる女が腕の中にいて、手を出さない男なんていない。俺も今までの女にしてきたように、戯れに頬や耳元に口付けた。それ以上手を出さなかったのは、傷付いている遙をそれ以上傷付けることはしたくなかったから。
その時遙が浮かべた表情を、俺は忘れる事が出来ない。目を閉じたまま遙は嬉しそうに口許を綻ばせ、幸せそうに笑うと、「Good morning」と囁きながら俺にキスをした。胸が締め付けられるくらい、綺麗で幸せそうな表情だった。
その瞬間、どうしようもないくらい遙の笑顔に惹かれてしまって、俺も遙のキスに応えた。あの時感じた胸を焦がすような気持ちは一体何だったのだろう。
情欲とは違う。今まで感じたことのない衝動だった。
目を覚ました遙は己の失態に気付き、後悔と恐れと羞恥の入り混じった表情を浮かべた。それ以来、もう遙があんな風に綺麗に愛しげに俺に笑いかけることはなかった。
それも当然だ。あの微笑みは俺に向けられたものではなかったから。前の男に向けられた微笑みだったから。俺は何故かその事実に酷く嫉妬した。
遙が小十郎を褒めた時も、小十郎が妬ましくなった。
俺は、遙の眼中にはないのか?いつか遙が俺だけを見つめてくれたら、またあんな風に笑いかけてくれるのか…?
遙にまたあんな風に微笑みかけて欲しくて、今日一日しつこいくらいに遙に触れ、冗談のように軽く頬にキスをしていた。
遙に俺を見つめて欲しかったんだ…。
遙は嬉しそうに笑うのに、どこか遠い目をしていた。
そうじゃねぇ。もっと俺だけを見て、俺だけを感じて、その心を開いて欲しいんだ。
俺だけに…。
子供じみた独占欲だ。今まで誰かにこんなに執着したことはなかった。
出会って間もないのに、俺は遙が気になって仕方がない。もう一度、あの時のように微笑んで欲しいんだ。その綺麗な瞳に俺だけを映して。
こんなにも女の心が欲しくなったのは、母上相手だけだったかも知れない。決して俺を振り向いてくれなかった母上。
遙も振り向いてくれないのではないかと思うと心がひやりとする。拒絶されるのが怖い。遙に拒絶されたら酷く傷付きそうな気がした。
出会って間もない俺にこんなに親切な遙。疑うことを知らないような、穢れなき女。こんな女は初めてだった。
俺を奥州筆頭と知って尚、妙に遠慮するわけでもなく野心を抱くわけでもなく、その優しさで包み込むように傍にいさせてくれる。
「遙…」
俺はそっと名前を呼ぶと、もう一度その柔らかな頬に触れた。また胸の奥が甘く疼く。たまらず俺は身体を少し起こして、そっと遙のすべらかな頬に軽くキスを落とした。頬の柔らかな弾力が、温かさが心地よくて、心がふわりと温かくなって苦しいくらいにときめく。
何故口付けるだけでこんなにも胸がドキドキするんだ?
何故、遙を想うだけで、胸が痛く苦しくなったり、温かくなったりするんだ?
まるでさっき観た映画みてぇじゃねぇか。俺は…。遙に恋をしてるのか?
恋って一体何なんだ?
今まで誰かに恋をしたことのない俺には、自分の感じている想いが一体何なのか分からなかった。それに、恋や愛なんて俺には必要ないと思っていた。
俺の役目は伊達に相応しい世継ぎをもうけること。女なんてそれ以上でもそれ以下でもない。恋なんてものに縛られるなんて御免だった。恋は無様なものだと思っていた。
でも、こうして遙に触れると想いが溢れ出す。
守ってやりたい。傷付いたその心を俺が癒してやりたい。そして、いつか俺に優しく慈しむような微笑を向けて欲しい。
これが恋なのかまだ分からない。でも、先程まで憔悴しきったような辛そうな表情を浮かべていた遙がこうして安心しきったように俺の腕の中で眠っているのが嬉しくて、何故か俺まで幸せな気分になって、俺は遙を抱き寄せた。
こうして遙の温もりをずっと腕に抱き締めていたい。このままずっと……。
遙の柔らかくて華奢な身体が腕にすっぽりと収まっているのが心地良くて、俺は遙の首筋に顔を埋めて、安らかな眠りへと落ちていった。