ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
24時間営業が取り柄なだけの冴えない夜のファミレスでのこと。
葉桐要が言った。
「おさわり1000円、エッチ2000円」
「あん?」
よく分からない、というように首を傾げ、赤瀬岬は怪訝な表情になった。
「マジ……?」
こちらは驚いたように目を見張り、神木栞は飲みかけたオレンジジュースのコップを静かにテーブルに置いた。
要は疲れたように首を振った。
「本当(ガチ)」
「……」
その応えに、栞は忙しなく視線を左右に泳がせ、軽く唇を噛み締めた。
要が続ける。
「3年は、ちょっと口固い」
「……なんで?」
「御影くんと居るようになって、カオルさん、大分丸くなったろ? 以前は野郎相手でも見境なしなとこあったし。関わりたくないってのがあるのが一つ」
要はプラスチックのマドラーでアイスコーヒーをかき混ぜながら。
「カオルさんが御影くんに本気なのは見てたらすぐ分かることだし、単純にあの二人を見守りたいってのもあるみたいだね」
そこまでは黙って話を聞いていた岬が、手の甲でテーブルを叩いた。
「……2000ってのは?」
「決めたカオルさんに聞きなよ」
突き放すような要の言い様に、岬は両手でテーブルを叩いて席を立った。
「……!」
口に出しては何も言わないが、新城馨の価格設定は岬にはすこぶる気に障ったようだ。眦がつり上がり、口元がワナワナと震えている。
気持ちはよく分かる。
しかし、要は席を指して煙るような半目で岬を嗜める。
「ワタシからも二人に聞きたいことがあるんだけど」
「……何」
激しく舌打ちして再び椅子に腰掛けた岬ではなく、こちらは動揺冷めやらぬ様子の栞が応える。
「葛城」
要は言った。
「アイツ、『買って』んだろ?」
その言葉に、岬と栞は互いに顔を見合わせ、異口同音に答えた。
「はぁ!?」
要は口を閉ざして考える。
葛城瞳子が御影悠希を『買って』いる。二人の様子からして、それは青天の霹靂のようだ。そういうやり方に方向転換した、というのであれば、それはそれで構わない、というのが要の考えだったのだが宛が外れた。
岬がキリキリと歯を食い縛っている。
「瞳子……!」
憤慨する岬だが、栞は口を噤んでいる。
気持ちはよく分かる。
要は考える。
御影悠希の破格。葛城瞳子の行動で均衡が崩れた。神木栞は『買いたい』のだ。だから、赤瀬岬のように怒れない。
要は深い溜め息を吐き出した。
「赤瀬は落ち着きな」
「……!」
大きく鼻を鳴らした岬は、忌々しそうに髪の毛をかき回す。
「……それは、あたしらも知らなかったわ。カオルさんに相談してカタ着けさせ――」
「……そうじゃなくて」
やはり、要は疲れたように首を振る。
何度も何度も首を振る。
「……二人……っていうか、あんたたちが『そういう方針』なら、ワタシはそれでも良かったんだ。ただ、乗り遅れるのは嫌だし……」
「……どういうつもりで言ってんだ?」
葉桐要は何時にも況して冷静だった。
一拍の間を置いて。
「……御影くんのこと、調べたんだ。ちょっと、ね……」
そして要は語り出す。
「御影くん、元はここらのモンじゃない。転校して来たんだよ。
それ以前のことは分からない。だから、分かったことだけだけど……」
「……」
その辺りは、おそらく馨が詳しい。曰く、『べらべら喋っていいことじゃない』。
栞と岬はそこが知りたい。話の腰を折ることはせず、黙って頷くことで話の続きを促す。
要は元気が無さそうに頷く。
「二人も動画(アレ)は見たろ? 酷い虐待受けてたみたいだ。んで……中学生くらいの時から、殆ど見た目変わってない……」
そこまで言って、いや、と要は首を振る。
何度も何度も首を振る。
「……小学生の頃の卒アル見たんだけど、全然変わってない……」
「……」
「御影くん、ずっとあのままなんだよ。変わんないんだ」
要の目は潤んでいた。そこには血の通う『人間』の葉桐要がいた。
言った。
「多分、取り返しがつかないような、凄く残酷なことがあったんだ」
「……」
「ワタシは、そういう人間にちょっかい掛けるのは違うと思うんだよ」
気紛れでない葉桐要の『こだわり』が強く警告するのだ。
御影悠希はまだ子供だ。
そう思うと理解できる。つまらなそうにしていたと思ったら他愛のないことで笑ったり。無害かと思ったら、とんでもない暴言を吐いてみたり。相手が子供なら、その辺りが出鱈目でも無理はない。
だがそこが問題なのだ。
「……御影くん、必死なんじゃないか?」
善悪の観念に疎い子供のすることだ。保護欲をそそる風貌と悲劇体質がそれに拍車を掛けている。一度でも魅力を感じてしまえば、『売り込み』に抗うのは難しい。
「仮に……御影くんが『買ってください』って言って来たら、二人はどうする?」
「「……つっ!!」」
栞と岬は露骨に動揺して、視線を左右に泳がせた。
要は呆れたように首を振る。
「それ。そこなんだ。その『仮定』が葛城に実際、起こったとして……」
悠希からでなくともよい。例えば二人きりになる機会に恵まれたとして、『お願い』せずにいられるか。
「……二人なら断れる?」
その言葉に神木栞は愕然として真っ青に。赤瀬岬は怒りから頬を紅潮させる。
対照的な二人組だ。ある意味、面白くもある。岬は思ったより純情で、栞はそうでない。
栞は俯いて沈黙を選んだが、岬の方はそうでない。憤慨して言った。
「そういうハギリはどうなんだ? 断れんのか?」
「ワタシ……?」
頭の悪いヤツはこれだから困る。話の流れから理解できないのだろうか。そんなことを考えながら、要ははっきり応える。
「ワタシは断れない。今、御影くんと二人きりになれたら、モーションかけないとも言えない」
「なっ……」
岬は驚き絶句して、しかし一瞬後には眉間に皺を寄せ、険しい表情になった。
「ハッ、なんだよそれ。ハギリは溜まってんのか?」
「ああ、溜まってるね」
要は冷静に請け合った。
「ワタシが求める条件、全部満たしそうな男子は御影くんしかいない」
一つ、馬鹿は駄目。
二つ、ヤンキーも駄目。
三つ、普通も駄目。
四つ、真面目。
五つ、根本的には『善』。
六つ、見た目がよい。
七つ、『秘密』がある。
その明け透けな答えに、栞と岬の目は点になった。
異口同音に言う。
「「あんた、レズじゃなかったんだ……」」
何時も連れている二人の下級生のことを指して言っている。要はガクンと項垂れた。
「……ワタシ、そんな風に見られてたんだね……」
やれやれ、と息を吐いたあと、要は少し自分の『女』について考える。
到底、自分に普通の恋愛が可能だと思えない。葛城瞳子じゃないが、マッチョな考え方をする男は死ねばいいと思っているし、陰のない普通の男には魅力を感じない。レズビアンでもバイセクシャルでもないから、男相手にしか『そういう気持ち』になれない。
……最初は、ちょっと可愛いと思う程度だった。儚そうな容貌と生意気な態度、馬鹿じゃない所がいいと思っていた。ひねくれていて一筋縄じゃ行かなそうな所もいい。
悠希のことを考えると胸がざわめく。
誘惑されたら断れるか。今はもう自信がない。誘われたら断るべきだと思っているが、一方で好きにさせてやりたいと思う自分もいる。
思い出すのは、ちょっと寂しそうに笑う叔父のことだ。
――一人にするべきではなかった――
今では、そんな風に考える。そしてあの、少し老い始めた醜い女の流した黒い涙を、今も忘れられずにいる。
◇◇
この夏、要は忙しい。
赤瀬岬と神木栞の取り込みは進んでいる。悠希を巡る利害の関係だが、夏休みに入ってからの二人は要たちとつるむことが多くなっている。
夏が終われば就職活動も本番。馨は卒業を控え自然な形で消える。その後、強力なリーダーシップを発揮するのは葉桐要をおいてない。これには暗黙の了解のようなものもあり、このまま進めば、岬と栞の二人は自然な成り行きで要の側に属するようになるだろう。
……これで数の上ではほぼ五分。
新城馨と本気で『やりあう』なら、数だけでも上を行った方がいい。というのが要の本音だ。
そこまで考えて、要は否定するように首を振る。
いつの間にか馨と『構える』事が前提になっているが、それは避けて通りたい。
馨が消えれば、その後は大なり小なりトラブルは起こる。要とは馬の合わない葛城瞳子、それと仲のいい佐藤夕子。この辺りとはその後の影響力を巡ってぶつかる。残り一年を気分よく過ごせるかどうかに於いて、要にとって重要な問題だが、おそらく馨はそういうことに興味がない。だから、これまでの要は馨と敵対しない今のポジションを選んだ。
(御影、悠希……)
悠希はどうするだろう。
もし、助けを求められれば葉桐要はどう動くべきか。
要には自信がない。
あの生意気でプライドの高い悠希が自分を頼ってくるとは思えないが、だからこそ、その『もし』が怖い。
その『もし』が起こったとき、葉桐要は『本気』にならずにいられるか。そのとき、葉桐要は新城馨に対抗しうるか。
――そうなったとき、全て捨てていかないのは、ウソだ――
◇◇
7月も終わりに近付き、夜遅く。
場所は郊外の公園。
上流ではダムに繋がる大きな河川。その土手を下り、路面電車が通る橋の下でコンクリートの地べたに、吉河瑞希が全裸になって這いつくばっているという光景を横目に、要は煙草をくわえる。
「葛城サンたち、マジでイっちゃってますけど大丈夫ですか?」
吉河瑞希は全身に煙草の火を押し付けられ(俗に言う根性焼き)、打撲痕に至っては無数に見られる。殴打を繰り返された顔面は最早目も開かないほどで、額を地べたに擦り付け、謝罪の言葉を繰り返している。
それを遠目に。
「あぁ、問題ない」
後輩の差し出してくるライターの火に煙草を近付けながら、要は何でもなさそうに言う。
「でも、あれって、絶対痕に残りますよ? 事件にならないですか?」
「やってるのは葛城たちさ。ワタシは全然問題ない」
紫の煙を吐き出して、要は遠い視線を向ける。
「ごぇんなしゃいっ! ごぇんなしゃいぃ!!」
土下座の姿勢の吉河瑞希が泣きながら謝罪している。
「あの動画、誰が撮ったァ! ああ!? もう一度言ってみろ!!」
這いつくばった姿勢の吉河の後頭部を踏みにじり、瞳子が喚き散らした。
「あっ、あれは中学のとき、御影さんと同じクラスのヤツらが悪のりして撮りましたぁ!」
「――んの、クソが!」
叫んで、赤瀬岬が吉河の顔面を思い切り蹴り飛ばした。
夜の闇にパッと血の飛沫が舞い悲鳴が響き渡るが、折よく通り掛かった電車の通過音に掻き消される。
要はそこから少し距離を取った場所で、二人の後輩に指示する。
「あんたらは手を出すんじゃない。全部、葛城たちにやらせるんだ」
「「はい」」
「神木は?」
「……コンビニに行ったみたいです」
答える後輩二人の顔色は良くない。瞳子が主導して行う壮絶なリンチにかなり引いているみたいだった。
「そ、あんたらはビビってるフリしてな。後は勝手にしてくれるから」
要はちょっと、だるそうにする。
この状況を悠希が喜ぶとは思えない。そんな悠希だからこそ、馨は何でもありで恋愛をやっているのだから。
「んで……あの動画の最後に映ってたの……」
「黒岩智っていう3年らしいですけど、あれ撮ったんじゃないみたいです」
「……じゃ、どういう関係?」
動画の最後に、これ見よがしに映した素顔。しかもそこで切ってある為、その黒岩智が動画を撮らせたように思える。
――ホントウダッタロ?
あれを見れば、黒岩智が無関係であるとは思いづらい。
「カオルさんは?」
「もう葛城さんが報告しましたけど、動きなしです」
「見えないね……」
激情家で考えなしのカオルだが、ここ最近はそうでない。具体的には、御影悠希と一緒に居る新城馨はそうでない。簡単に秋月蛍に手を出さないし、吉河瑞希に追い込みを掛けることもしない。思慮深く、慎重。要にはそう見える。
(何か掴んだ。或いは何かが引っ掛かっている)
要は今も吉河に壮絶な暴行を加える瞳子たちに視線を向けた。
「無抵抗なヤツ相手によくやるね……」
要は漠然と考える。
瞳子は馨になりたいのだろう。しかし、残虐性、思慮深さ、愛情の強さ。全てに於いて瞳子(コピー)が馨(オリジナル)を超えることなどあるわけがない。
葛城瞳子は新城馨の劣悪な模造品だ。
(雑魚は雑魚か……)
御影悠希を手に入れたなら、或いは――
まぁ、有り得ないが。
要がそこまで考えた所で神木栞が帰って来た。
「葉桐、あんたはやらないんだ?」
要は鼻を鳴らした。
「……何買って来た?」
「花火とか、あと爆竹」
「っ……」
少しだけ、ほんの少しだけ、要は鼻白んだ。
栞は薄く嘲笑う。
「あいつのクソまんこ、消毒してやるんだよ」
「……」
「あんたも見たいだろ? 汚い花火」
その言葉に要は唇を軽く舐め、その背後の後輩二人は恐怖して息を飲む。
栞が吐き捨てるように言った。
「葉桐、そこで指くわえて見てな」
何かが、崩れようとしている。
7月の夜のこと。
何かが、終わりを告げようとしていた。