ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
トウコたちと別れ、智と一緒に総合病院にやって来たぼくは、先ず外科で診療を受けた後、皮膚科で治療を受けることになった。
斜線を引くように額の左から眉間に続く切り傷を見て、智はずっと爪を噛んでいた。
傷の大きさは五センチほど。『縫う』ことには、ぼくよりも智の方が断固とした拒否反応を示した。
ぼくも智も、てっきり『縫う』ものだと思っていたけれど、医師の説明では、顔の傷の場合、糸傷が残る縫合という処置は極力避けるという方針らしい。
「とも。ぼく、なんだかとってもねむいんだ……」
「……ええよ。私が、ずっと付いとるけん、よう寝や?」
「うん……」
「おやすみ」
眠気に意識が途切れる際、手のひらで口元を覆うようにして泣き崩れる智の姿が見えた。
…………………………
……………………
………………
…………
……
◇◇
目が覚めたとき、既に傷口の処置は終わっていた。
ぼくは処置室にある固いマットレスのベッドで眠っていて、目を開けると、椅子に座っている智と目が合った。
「あっ、起きた? おでこ、触ったらあかんよ? それな、人口皮膚に変わるシートなんやて」
優しく言う智だけど、少し泣いたのか鼻の頭が赤かった。
「…………」
少し寝たお陰で意識はハッキリしている。額の感覚が少し鈍い気がしたけど、特に問題はない。
身体を起こして、壁に貼り付けてある大きな姿見に映ったぼくと視線を合わせる。
額に入った傷は半透明のテープが貼ってあり、眉間を抜け目元まで続く赤い線になっていた。少し痕になって残るかもしれない。
傷は男の勲章。
父さんなら、きっとそう言うだろう。女の子を庇って付いた傷なら、尚更。でも、この顛末をどう説明したものか考えると頭が痛い。
「智、助けてくれて、ありがとうね」
「え? あ、うん。そんなん、ええのに」
ポケットから財布を取り出して、智に突き出した。
「な、なん?」
「お金。保険証も入ってるから、それで精算してきて」
小さく頷いて、智は漸く笑った。
「横着なん変わらんな……。ええよ、待っとってや?」
智は何度も振り返り、名残惜しそうに処置室から出て行った。
そこから先は猛ダッシュ。
ポケットから携帯電話を取り出して、先ずはトウコに電話する。
ワンコール途切れる前に――
『悠希さんっ!』
ワンコール途切れる前に電話に出たトウコは、のっけからテンションマックスの状態で叫んだ。
『悠希さん悠希さん悠希さんっ! 今何処ですか!? 酷いことされてませんか!?』
「…………」
耳が爆発したかと思った。
思わず眉間に力が入り、額に鈍い痛みが走る。
一度、深呼吸してから言った。
「……トウコは落ち着く。はい、深く息を吸って」
『はいっ! はいいっ!!』
興奮して、何度も返事を繰り返すトウコは、ちょっとおかしくて、ぼくは笑ってしまいそうだった。
「あんまり時間ないから、こっちの用件だけ言うよ?」
『……! はい……』
この一件は、色々とぼくの予測を超えている。
ハギリがあの男たちを連れてきたこともそうだけど、このタイミングで智が現れたことも、全てがイレギュラーの連続で構成されている。
はっきりしているのは、智が、絶対にぼくと離れるつもりがないということだけ。
トウコも薄々察しているのか、声色に漂う雰囲気は真剣だった。
「ぼくは酷いこともされてないし安心して。トウコはいい子にして待ってて。智には近付かないこと、いい?」
『……はい』
納得してないという固い声。だから怖い。また余計なことをする前に警告しておかないといけない。
「トウコは大丈夫?」
『――!』
撃たれたような沈黙があって、電話の受話口から熱い溜め息が洩れた。
『……はぃ……ぁりがとぅござぃました……』
トウコは嗚咽を繰り返し、しゃくりあげながら、なんとかそれだけ口にした。
湿っぽいのは嫌い。
ぼくは言った。
「赤瀬と神木に、マヌケって言っておいて」
瞬間、トウコは噴き出した。
赤瀬も神木も終始納得していない表情だった。きっと二人は付いてきただけで、ハギリのしたことは予想外のことだったんだと思う。だから、二人は敵じゃない。
「でも、二人に、ありがとうって」
何度も咳き込み、笑いに上擦った声で応える。
『はい、伝えておきます』
続いて次の案件。
「ハギリのことだけど……」
一拍の間を置いて、声のトーンを落としてトウコが応える。
『……はい、どうしましょう』
「そうだね……」
トウコは行動力が有り余っているタイプ。だから、ぼくは宿題を出すことにした。
言った。
「ハギリはボコボコにしといて」
『――はいっ!!』
トウコは嬉しそうだった。
ほどほどにね、と内心で付け加えるけど、今のトウコが止まるとも思えないし、敢えてこうすることで行動を限定する。
まあ、殺しはしないだろう。
ハギリのことは、全く気に掛からない訳じゃないけれど、ぼくはお人好しの善人じゃないし、この傷のお礼はしっかりする。
BYE-BYE、ハギリ。
お前の顔は、もう見たくない。
電話を切る。
続いてカオルに電話しようとしたところで――
ぼくは固まった。
今の状態を、カオルにどう説明したものだろう。
きっとカオルは取り乱し、とんでもない暴走を開始するような気がする。それだけは避けて通りたい。
携帯を手にしたまま、刻々と時間ばかりが過ぎて行く。
智が帰ってくれば、カオルに連絡できる機会は少ないと思う。
今、カオルになんと伝えるべきか。
時間がない。今、この瞬間にも、智が帰ってくるかもしれない。ぼくは思い悩み……
――ぼくを信じて――
結局、その一言だけをメールで送信した。