ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
第77話
人って、変わるものなんだ。
「御影先輩を、どこに連れて行くつもりだ!!」
来店するなり声を荒げ、パン屋のお姉さんに詰め寄るカワムラは厳しい表情だった。でも、ぼくを見た一瞬だけは表情を緩める。
カワムラの登場に、パン屋のお姉さんはあたふたと慌てた表情。きっと、間女ってこんな感じ。
「あ、あれ? 一人じゃなかったんだ……」
「そういうことだから、離せ」
そう言って、上目遣いに睨み付けてやると、パン屋のお姉さんは漸くぼくの左手を離した。
「御影先輩、こっちです」
超警戒中のカワムラに引き寄せられ、ぼくはまたパンを一つ床に落としてしまった。
「お姉さん、落としたパンのお金は払わないよ」
「あ、うん……」
意気消沈のお姉さんは、名残惜しそうにぼくを見つめ、それからカワムラに向き直った。
「えっと、彼女さん?」
「そうだ!!」
何の迷いもなく、カワムラが事実を捏造したけど、今はその方が良さそうなので、ぼくもそれに乗っかることにした。
「ミサト」
「yes!」
名前を呼ぶと、川村美里は超速反応でぼくに微笑み掛けた。
ぼくも微笑む。
以前の彼女は剣道部内で浮いていて、半ば苛められていたようなものだったんだけど、今の様子を見る限り、そういう感じには見えない。
背筋をピンと伸ばし、長い髪はちゃんと纏められている。昔のようなオドオドした感じは抜けていて、詰まりがちだった滑舌も今は明瞭だ。昔の彼女には不名誉な渾名があったんだけど、そう呼んでしまったら失礼だ。
一人前の女の子として扱うことにした。
「ミサト、パン奢って」
「喜んで!」
そう言って親指を突き立てるミサトは、満面の笑顔だった。
◇◇
お姉さんには大人の意地みたいなものがあったみたいで、ぼくらのパン代はタダになった。
「うん、迷惑料だね。ケチケチせずにジュース代も奢れよ」
「くっ……」
額に青筋を浮かべながらも、お姉さんは笑顔でジュースも奢ってくれた。
ぼくって、とっても経済的。
「ありがとう、お姉さん」
にっこりスマイルで微笑み掛けると、お姉さんは何だか力が抜けてしまったのか、疲れたように笑った。
「割引券も付けとくから、また来なよ」
そう言って、お姉さんはミサトに胡散臭そうなものを見るような視線を送った。
流石、大人。もう嘘がバレそうだ。ぼくらの関係を疑っているみたい。
同時に、お昼休みのサラリーマンが複数来店して、お姉さんは忌々しそうに舌打ちした。
「じゃあね、お姉さん」
ぼくはパン屋のお姉さんに、とびきり悪そうなウインクをしておいてから、会計のレジを後にした。
そして――
ぼくは、再会の言葉を口にする。
「あんがとね。助かった」
「はい……」
「ミサトって、呼んでいい?」
ミサトは頬を赤くして、じっとぼくを見つめていたけれど、その言葉には満面の笑顔で頷いた。
「はい、幾らでも」
「久し振りだねえ、本当に……」
ぼくが剣道部を去って、一年経った。ミサトは成長の形跡著しく、一人前の女の子になって、ここにいる。
「綺麗になったね。すごく大人っぽい」
ノースリーブのシャツに紺のロングスカート。清潔感のある白いスニーカーも、彼女にはよく似合ってる。
「……」
ミサトは言葉もなく、少し照れたように頬を染めて頷いた。
……こんな形で、この娘に会いたくなかったなあ……
智が何も知らない娘を呼ぶとも思えないし、ミサトはぼくの事情の全てを知っていると思うべきだろう。
ぼくは恥ずかしくなって、ミサトの視線から逃げるように俯いた。
「……黒岩先輩から聞いてます」
「うん……」
「葛城にやられたんですか……?」
「いや……トウコと知り合い?」
「ただのクラスメイトです。それ以外には何もありません」
顔を上げると、ミサトは瞬きもせずにぼくの額を見つめていた。
「これから、どうしますか」
「……? 智なら奥のイートインスペースにいるけど……」
「知ってます」
ミサトの強い眼差しに会い、ぼくは思わずハッとした。
今、この瞬間、全てを投げ出して逃げようと言ったら、ミサトは躊躇わずぼくに従う。そう確信させる、強い眼差しだった。
ぼくは首を振った。
「駄目だ」
「……」
ミサトは視線を伏せ、小さく頷いた。
余計なことは言わない。
まだ待つ、と言外に言われたようで、面と向かって好意を告げられた一年前よりずっと響く。
ぼくを待っている娘が、ここにもいた。
負債がまた増える。
◇◇
ミサトと二人、パンを山盛りにしたトレイを持って、奥のイートインスペースに向かう。
途中、小さく咳払いしてミサトは足を止めると、髪を纏めていたゴムを外して、自ら髪をくしゃくしゃにしてしまった。
「…………」
ぼくは、ポカンとしてミサトを見つめる。
人って、変わるものなんだ。
長く伸ばした髪の毛を、だぼっと下げて顔まで隠してしまった彼女は、去年までのぼくが知っている川村美里に逆戻りしてしまった。
前髪をだらりと下げ、視線まで隠した彼女は、井戸の底から這い出た幽霊のようだ。野暮ったくて、ちょっぴりホラー。
納得する思いもある。
ミサトは、こうやって嫉妬深くて独占欲の強い智の油断を誘った訳だ。
「やるね」
ぼくが感心して見せると、ミサトは口元をニチャリと歪めて笑った。
「くふふ……我、八方の構えあり」
ミサトはミサトで準備万端。どの方向からでも掛かってこいと言う訳だ。
思っていたより店内は奥行きがあって、一番奥にある隔離された小部屋のようなスペースで、智はぼくを待っていた。
「お待たせ」
ぼくがそう言うと、智は大分焦れていたみたいで、少し浮き気味だった腰を深く椅子に下ろし、大きな溜め息を吐き出した。
「ああ、やっぱり川村も一緒やったんか……」
「すみません、お待たせしました」
ぺこりと頭を下げたミサトは、軽く足を開いて背中で手を組む『休め』の姿勢。
「ええよ。それより、買ってきてくれたか?」
ミサトは頷いて、それから言った。
「黒岩先輩、少しお耳にお入れしておきたいことが……」
「うん、なん?」
鷹揚に言う智は自然体。このやり取りからだけでも、普段の関係が見て取れる。そんな二人を横目に、ぼくはパンを配分したり、ジュースを配ったり。
ぼくがジュースを一口飲んだところで――
「実は、さっき御影先輩はパン屋の女に拐かされそうになっていました。ちょうど自分が来たんで良かったですが……」
ミサトの有無を言わせぬ報告に、ぼくは飲みかけたジュースを噴き出しそうになった。
「…………」
ついさっき、一人で大丈夫だって見栄を張ったばかりだ。智の視線が激しく痛い。
ミサトは続ける。
「御影先輩は、客観的に見た自分を知った方がいいと思います」
このチクリ屋め! ぼくはジュースのコップを持ったまま、上目遣いにミサトを睨み付けた。
「客観的に見たぼくって、何なのさ」
智がフムフムと理解したように頷いた。
「……小さくて、可愛くて、ちょっぴりエロく見えるな……」
「正に。その、ちょっぴりエロそうに見えるってのが、この場合の大きな問題で――」
甚だ不本意な言われように、ぼくは、かっとなった。遮って言う。
「ぼくはエロくない」
「…………」
智もミサトも、とびきり胡散臭そうなものを見るようにぼくを見る。
「……ジロジロ見るな。やっつけるよ……?」
ぼくが怒って言うと、智は呆れたように首を振った。
「どうやって、やっつけるん?」
「それは勿論――」
そこまで言っておいて、ぼくは次の言葉に詰まった。
ビッチをやるようになって、ぼくは便利な魔法が使えるようになったと思っていたけど、そういうぼくの思い込みみたいなものは、女の子たちにも伝わっているようだ。
「……パン屋の女に、ウインクしてましたよね」
ミサトに駄目を押され、ぼくは頭を抱えた。