ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
それから、ぼくはミサトにお説教される羽目になった。
「荒んだ生活だったのは理解できます。でも、とても自然な感じで誘っているように見えました」
ミサトは、ぼくのパン屋のお姉さんに対する態度が気に入らないみたいだった。垂れ下がった前髪で視線こそ見えないものの、小言を繰り返す口元にありありと不満の色が浮かんでいる。
「黒岩先輩を困らせないで下さい。私が何故ここにいるか、その意味が分かります?」
お説教は沢山だ。
「……さあ」
ぼくが仏頂面で首を傾げて見せると、眉をハの字にして困り顔になったのは智だった。
「智が食べてる苺のサンドイッチが欲しい」
「あ、うん。ええよ」
「このコーヒー、苦くて美味しくないから智のジュースと交換して」
「んもう……しょうがないなぁ」
智は溺愛過保護の性分。口では渋りながらも、甘えると嬉しそうにしている。
そんなぼくらのやり取りを横目に、ミサトは険しい表情で首を振った。
「御影先輩は我儘ばかり言わないで下さい。黒岩先輩も当たり前みたいに受け入れないで下さい」
「ミサトが今食べてるメロンパン半分食べたい」
「え? ああ、いいですよ」
ミサトは嬉しそうに言って、それから頭を抱えて唸った。
「……うぅ、黒岩先輩……これは……」
智も思うところがあるのか、頭痛が止まない人のように、肘を着いた姿勢で額を抑え、目を閉じている。
「……こういう小さい我儘がな、可愛らしいもんやし、自然なんよ……聞いてもバチ当たらんとか思うし……」
ぼくらは小部屋のイートインスペースでお食事中。お姉さんのオススメは、どのパンもすごく美味しい。体調は優れないけれど、食欲があるのはいいことだ。この分だと回復は早い。
智とミサトは難しい表情で何やら思い悩み、その傍らでぼくは三つ目のパンをやっつけた。
ジュースを一口飲み、人心地着いてから言った。
「智、一度家に帰ろうかと思うんだ」
「……なんで?」
智は艶のない笑顔。その顔に、絶対に帰さないって描いてある。
「携帯のバッテリーが切れそう。下着の替えもないし、ずっと智の部屋にいるわけにも行かないよ」
智は何度か頷き、隣のミサトに視線を送った。
「下着なら自分が買って来ました。携帯のバッテリーは近くの販売店で充電コードを買いましょう」
ミサトまで巻き込んで、どうやら智は本気でぼくを離すつもりがないみたい。
「今は黒岩先輩と一緒に居て、身体を休めて下さい。お願いします」
「…………」
多分、ぼくはミサトの勧めを受け入れるべきなんだと思う。考えなければならないことは山ほどあるけど、上手く纏める自信がない。微熱のせいか、少しポーッとするときがある。
ミサトが心配そうに言った。
「……少し痩せたように見えます。今の体重、何㎏ぐらいですか?」
一昨日、ラブホテルに行ったとき、体重計に乗ったのを思い出して答える。
「確かに、ちょっと減ったかも。三八㎏ぐらいだった」
そこで、ミサトは撃たれたようにビクッと震えた。
「さ、さんじゅう、はち? 一八歳の男子、が……」
「ウソ……私……」
智は苦しそうに心臓の辺りを押さえ付け、強く唇を噛み締めた。
少し前までは四一㎏だった。体重が四十㎏を割るのは中学生の時以来だから、それを勘案すると、ぼくの体調は最悪に近いのかもしれない。そもそも、体力のある方じゃない。特に夏休みに入ってからは、色々あった。
「や、休んで下さい。お願いしますから……」
ミサトが泣き出しそうな掠れ声で言って、その隣で同意を示すように智も頷く。
大袈裟だって切り捨てたいけど、そう言ってしまえるほど、今のぼくは元気じゃない。ああ――
ぼくは天を仰いで嘆息した。
それでなくても上がっていた智の警戒度がミサトのチクリで更に上がり、ぼく自身の不調がそれに拍車を掛けて終了のお知らせ。
席を立ち上がり、智が言った。
「川村、すぐ帰るで」
「はい」
二人の優先順位はぼくが一番。それは嬉しいけど、暫くの間、ぼくが逃げ出すことは難しそうだった。
◇◇
ベーカリーカフェを出て、智の部屋がある雑居ビルまでは時間にして五分ほどの距離。
短い道のりだったけど、ミサトは凄く警戒していて、ひっきりなしに辺りを見回す。少し遅れる形で後に続くぼくは傘を差した智に肩を抱かれ、何だか警護された要人になったような気がした。
カードキーと暗証番号のダフルロックを外し、ビル内のエントランスに入ったところで智は漸く落ち着いたのか、大きく深呼吸した。驚いたのは、隠れ家ともいえるこの雑居ビルにミサトを招き入れたこと。
賭けてもいいけど、ミサトが髪をアップにしていれば、色々話は変わっていたと思う。
ミサトは傘を畳みながらエントランスを見回し、感心したように呟いた。
「……すごい。ここが……確かにここなら……」
ぼくの首筋に手の甲を当て、サッと全身を確認して、智は心配そうに言った。
「大丈夫? 濡れとらん? 疲れたなぁ、部屋でお昼寝しようか」
子供扱いは嫌だけど、智が大真面目なことは経験上分かっていたので、ぼくは頷いて見せる。
「うん。夜、何か食べたいものある? 何でもええよ?」
「おっきいエビ」
「分かった。用意しとくけん、よう寝や?」
駄目だ。今の智には冗談が通用しない。少し目が潤んでいて、ミサトの存在すら忘れてぼくだけを見つめている。ブラックタイガーじゃ済まない。伊勢海老でも買ってきそうなぐらい深刻な表情だ。
腰を折り、唇を寄せて来て――
「黒岩先輩……!」
尖った声で名を呼ばれ、智は不愉快そうに顔を上げた。
「……なんや? ただキスしようとしただけやろ」
「はい。そういうことをさせないように自分を呼んだのは黒岩先輩です」
この言葉で、ミサトが呼ばれた訳が少し理解できた。今の智の理性の形がミサトになる。
「……そやったな」
一歩距離を詰めたミサトが、智には見えない角度でぼくの小指を握った。
「御影先輩は、黒岩先輩と一緒に居て下さい」
「……」
ミサトの考えが読めない。
多分だけど……彼女は、ぼくが望めば大抵のことはしてくれると思う。いざとなれば、智じゃなくて、ぼくの言うことを聞くと思う。その彼女が、智と一括りにしてまで、ぼくをここに縛り付けようとする意味が分からない。
少し考え込んでいると、真面目ぶってミサトが言った。
「休んで下さい。今は、それがベストです」
「……そう」
ぼくは頷いた。何を置いても、先ずは休め、というのがミサトの考えのようだ。今のぼくはその程度には草臥れて見えている。
まいったな……。
智もミサトも感情的にならず、理性的に考えて、ぼくを休ませようとしているだけだ。二人を嫌いになれない。ここから逃げ出すことばかりを考えている自分が嫌になる。
(カオル……)
ここに留まる時間が長くなって行くほど、ぼくは駄目になって行くような気がした。