※この作品はR-18です。

ぼくがビッチになったワケ   作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!

123 / 166
第79話

 部屋に帰ると、ミサトが持っていた大きな手提げ鞄から、ぼくの為に買ってきたというパジャマを取り出した。

 

「これを着て下さい」

 

 どうやら智の指示で買ってきたもののようだ。手にとって見ると、襟に付いたタグにKIDSと描かれてあり、微妙な気持ちになった。

 

「……くひっ」

 

 気持ち悪い引き笑いが聞こえ、顔を上げると、ミサトがやっぱり口元を歪めて笑っている。

 

「甚平とどっちにするか悩みましたが、今回はそれで」

 

 更によく見ると、パジャマにはやたら目付きの悪いウサギがプリントされている。

 

「これは……」

 

 むっ、と動きを止めたぼくに説明するように、ミサトが呟いた。

 

「悪兎のペロリくんです」

 

「……ふざけてる?」

 

「まさか」

 

 とんでもない、と首を振るミサトの横で、智が満足そうに微笑んだ。

 

「ああ、ペロリくん買って来てくれたんやな。可愛いやろ? 私の好きなキャラクターでな、その兎、めっちゃ邪悪なんよ」

 

「…………」

 

 そっと目を逸らすミサトの両肩は、笑いを堪えるように小さく震えている。

 ムカついて、ぼくは言った。

 

「ミサト、いいこ買ってこい」

 

 馬鹿にされて黙っているほど、御影先輩は甘くない。睨み付けてやると、ミサトは少し焦ったように智に視線を向けたけど、智は素知らぬ体で付け加えた。

 

「おっきいエビも頼むわ」

 

「…………はい」

 

 ミサトが悲しそうに頷き、智はおかしそうに笑っていた。

 

◇◇

 

 ミサトが行ってしまうと、室内は、ぼくと智の二人きりになった。

 

「後で写真撮ってええ?」

 

 智の趣味が変わっていることはよく分かった。

 ぼくは邪悪な兎がプリントされたKIDSサイズのパジャマを着る羽目になり、智はご機嫌。

 

「…………」

 

 隠れ家兼要塞。ここに居る限り、外敵の存在はなく、無用な争いも避けられる。そこにぼくを招き入れ、変わった趣味のパジャマを着せ、智が浮かべる笑みは穏やかだ。

 

「もう寝る? それともテレビ見る? DVDもあるし、ネットもできるで?」

 

 ぼくをベッドに座らせ、その正面で膝を着いた姿勢の智は、少し首を傾げて御用聞きの態勢。優しそうに微笑む顔に、我儘を言って下さいと書いてある。

 カオルもぼくの我儘は何でも聞いてくれたけど、智の場合は、ずっと積極的。

 

「何でも言うてや?」

 

「智は……」

 

 ぼくが言えば、智は何でもやる。笑えと言えば笑うだろうし、泣けと言えば泣く。悪いことをしろと言えば、躊躇いなくやる。

 これは凄くよくない。

 断る口を持たない相手に、制限なく我儘を言うことはできない。それくらい、ぼくにも分かる。ミサトを行かせたのは失敗だったかもしれない。

 

 ……智には、カオルにはない危険を感じる。

 

 それが何か分からない。

 確かめるには無茶をするしかない。でもおそらく……智は、その無茶に耐えられない。カオルほど我慢強くない、もう待てない。溺愛過保護の性分は、肌を重ねる度に加速しているように思える。これが裏返るとき、ぼくはきっと、最悪の形で債権の回収に遭うことになる。

 

 ――悠くん、本気の『好き』って、凄く怖いよ。

 

 父さんの言葉を思い出し、ぼくは少し考え込む。

 

 智の『好き』は、多分よくない形。自身もそれをよく理解していて、だからこそミサトを呼んだ。

 そして――

 

「智……」

 

 ミサトが呼ばれたことには、もう一つ意味がある。

 

「ぼく、時間が欲しいんだ」

 

「え……時間? 好きなだけおってええよ?」

 

「そうじゃなくて……」

 

 ぼくは首を振った。

 

「この夏の終わりまで、待ってほしい。そうしたら――」

 

「…………そうしたら?」

 

 瞬時に笑みを消した智は、恐ろしいぐらい無表情になってぼくの顔を覗き込む。

 

 ――ぼくは、信用されてない。

 

 張り詰めた空気が流れる。不穏。でも、話すのは早い方がいい。これ以上『あい』が加速すると、智は何も聞かなくなる。

 

「そうしたら、どうなるん?」

 

 輝きの消えた眼は深い木の洞(うろ)のように見える。底なしの深淵を思わせるこの『あい』は重すぎる。

 ぼくは、真っ直ぐ、その深淵と向き合う。

 

「ぼく、智のものになるよ」

 

「…………!」

 

 智は目を見開き――ごくり、と息を飲み込んだ。

 

 ――game over――

 

 最悪の債権回収者。三年前、ぼくが築いた負債は大きすぎる。彼女には、ぼくを受け取る資格がある。

 

「何人か、お別れを言いたい人がいるんだ」

 

「……そう、なんや……」

 

 『ぼく』という弱点を突かれ、へにょっと智の目尻が下がった。

 

「ああ……うん……でもな、私、すごい心配なんよ……」

 

 智はぼくの手を取り、いとおしそうに何度も口付けしたあと、涙で潤んだ瞳で見つめ返してくる。

 

「酷いことされるん違うか? そんなん、私は我慢できん。私も一緒に――」

 

「駄目」

 

 この夏の終わりに、決着を。

 それは、ぼくにしか出来ないことで、何が起ころうと、ぼくだけが負う責任。

 

「……ぼく、いっぱいいっぱい、悪いことしたんだ」

 

 トウコは泣くだろう。

 

「みんな、すごく良くしてくれて……」

 

 シュウは怒り狂うだろう。

 

「だから、ちゃんとサヨナラしなくちゃ……」

 

 カオルは……

 カオルの『あい』は……

 

 智とのことは関係ない。カオルとぼくは違い過ぎる。この夏、ぼくらの道は交錯しただけだ。一瞬重なって、後は遠ざかって行く。

 

 カオルにカオルを返して、それでおしまい。

 

 智の『あい』は強すぎる。彼女を納得させる方法は、これ以外に思い付かない。

 

「うん……うん……みんなサヨナラするん……分かった。でも……」

 

 ぼくの膝にすがり付き、納得したように何度も頷く智は、嬉しそうに微笑みながらも、眉を寄せてちょっと複雑な表情。

 

「父さんとの電話、聞いてたよね?」

 

 もう、お金を稼ぐ必要はない。目尻を下げた智は頷き、潤みっぱなしの瞳は、ぼくだけを映し続けている。

 

「なぁ……やっぱり心配や……遠くから見守るだけでええ。口出しせんけん、連れてってや……」

 

「智は……」

 

 過剰な『あい』でぼくをがんじがらめにしようとしている。その『あい』は不信感と表裏一体。ここから出て行ってしまえば、ぼくは二度と戻らないと疑っている。

 

 ミサトを呼んだもう一つの理由は、単に監視の目を増やしたかっただけ。

 ぼくは強く首を振った。

 最悪、ここで父さんの帰りを待つことになるかもしれない。智の『あい』は強すぎる。

 

「…………」

 

 ぼくは俯き、口を閉ざした。

 ここから出て、カオルやトウコに会いに行きたいけど、やり方を間違えれば大変なことになる。

 智が、ぼくを抱えるようにして隣に腰かけた。

 

「そんな難しい表情で考え込まんとってや……」

 

「…………」

 

 駄目だ。ぼく、だんだん弱気になってる……。

 黒岩智は特別な女性だ。そういうことに鈍いぼくでも、彼女の『あい』が本物だってよく分かる。優しくて、重苦しいそれが積み重なるとぼくは弱くなる。更に困ったことに――

 

 ぼくは、決して智が嫌いじゃない。

 

 肩を抱かれると何だか安心してしまう。煙草臭くない唇も好きだし、つんと突き出た自己主張の激しいおっぱいも好きだ。

 

 ぼくは智の胸に寄り掛かって、深い溜め息を吐き出した。

 

 考えれば考えるほど、甘く深い落とし穴に嵌まって行きそうだ。

 ぼくは静かに目を閉じる。

 難しいことは後で考えよう。ちょっと休みたい。耳を澄ますと、しとしとと降り注ぐ雨の音が聞こえる。身体から力が抜けて行く。肩越しに感じる智の体温が心地いい。今は――

 

 少しだけ、眠ろう……。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。