ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
黄昏時に降り始めた雨が、アスファルトの道を濡らしている。
真夜中過ぎて、繁華街の路地裏。要は独り、雨に濡れながら歩いていた。
依子と愛実は連れていかれた。
責任を取ることができない要の代わりに、今頃二人は死ぬより辛い思いをしているだろう。二人に責任を取らせるのはこれが二回目になるが、悔しさや罪悪感に慣れることはない。況して、あの二人とは一蓮托生。乗るも反るも三人揃ってと決めている仲だ。
アーケードの商店街と繁華街を結ぶスクランブル交差点の中央で足を止めた要は、虚ろな表情で雨の夜空を見上げた。
街明かりを受け、煌めく粒となって降り注ぐ雨が美しい。
自ら消え入りたくなるほどの無力感を減じることはできないが。
小さい身体で踏ん張り、涙と血に塗れながらも葛城瞳子を守りきった御影悠希の姿を思い出すと、要の胸は軋んだ。
「……御影くん、あれは……そんなつもりじゃなかったんだ……」
知れば知るほど御影悠希は『買い』の物件だった。依子も愛実も彼なら、と賛成してくれた。その程度には悠希の背負った過去は凄惨で重たいものだった。
慣れず、媚びず、無垢で直向き。そして儚く、あまりに脆い。三人で囲い込んでしまおうという結論に達するのに大した時間は必要なかった。
取り返しの付かない過去を背負う悠希なら、要たちを受け入れるだろう。そんな打算が執着に変わる。
要は憎かった。
生物学上の女だというだけで、悠希に無条件に受け入れられている瞳子が憎かった。
瞳子だけじゃない。神木栞、赤瀬岬、新城馨、秋月蛍。悠希とはベクトルが違うが、女という女は全て嫌いだ。依子と愛実以外の女は信用できない。
不意に、ポケットのスマホが震えて着信を告げる。発信者は――
――赤瀬 岬――
ふとショッピングウインドウの窓ガラスに写る自身が目に入り、要は一瞬動きを止めて視線を送る。
「…………」
黒いアイライナーが涙と雨で流れ、頬に黒い筋を作っている。要の感性では『醜い』。自嘲の笑みを浮かべながら、電話に出る。
『……葉桐、今、何処だ?』
低く尖った声は、その要件が瞳子や栞と同じものである事を示している。
『……何やってんだよ……』
「何って、ヨシカワ探してんだよ。神木がアイツのまんこ吹き飛ばしたせいで使えねえって捨てられたはいいけど、行方が分からなくなってる」
そう言って、要は眉間に皺を寄せた。
なんて会話だ。悠希には死んでも聞かせたくない。
「これ、ちょっとした事件だって分かってる?」
スマホの向こうで、岬は小さく鼻を鳴らした。
『あぁ、もっと苛めてやるんだったって後悔してるよ』
「……」
『テメーは、やってることが半端なんだよ。ビビってんのか?』
変身。変貌。そう説明していいものか分からないが、或いは成長と呼べるもの。暫く前の岬なら怖じ気付いていただろう。切っ掛けは――
『……瞳子んとこに、御影さんから連絡あった』
それは神木栞からも聞いているから、今さら要が驚くこともない。嘲笑って言った。
「マヌケ」
栞の話では、悠希はそう言って岬と栞の二人を許したそうだ。
嫌になるほど笑える話だ。
栞と岬の二人を巻き込んだのは保険だ。いざというときは、男連中に、この二人を突き出してやるつもりだった。依子と愛実じゃない。
あの瞬間、小さい身体を省みず捨て身で前に出た悠希が抱き込んだのは瞳子だけじゃない。栞と岬の二人も取り込まれた。要の下には二度と戻らないだろう。
……ごめんねぇ、トウコ。ぼく、弱いんだ……
だからと言って、身を呈して庇うヤツがあるか。半端者の葛城瞳子に、そこまでの情けを掛けるヤツがあるか。
――胸が焦げ付く程度には、嫉けた。
これを破格の値段で抱き込んだカオルの罪は如何ばかりか。
誰もが狂う。
岬が低い声で言った。
『テメー、ぶっ殺してやるからよ』
要はこれを受けて立つ。
「あんた程度が? やってみな」
◇◇
吉河瑞希が見付からない。
猛烈に嫌な予感がする。要が吉河の姿を求めて夜の街をさ迷うのはその為だ。これ以上のミスを犯す訳には行かない。これ以上、迷惑を掛ける訳には行かない。これ以上、嫌われる訳には行かない。
黒い涙を流す要は夜の街を宛もなく流離(さすら)う。
愚か者には似合いの有り様だ。
だが、こうも思う。
申し開きの機会が欲しい。せめて、事情を聞いて欲しい。全てを知った上で、それから罪を問うというのなら、要は黙って受け入れる。
問題は、その機会があるか。
黒岩智は曲者だ。腕が立ち、勘も働く。男二人を瞬く間に捩じ伏せた手腕もさることながら、要の存在をほぼ正確に見抜いた上で無理せず、悠希を連れ去るのみに留めた。
強さに慢心せず、洞察力があり、判断力も優れる黒岩智は、要が知っているどのマヌケとも違う。全くの勘だが、彼女を出し抜くのは不可能に近い気がする。
「こりゃ、終わってるかもね……」
要は誰に言うともなく呟き、雨に濡れ、ぺったりと額に張り付いた髪をかきあげた。
普段の要なら、悠希のことは撤退案件だ。無理なものに手を伸ばしてもしょうがないと考える。取り返しの付かない傷を負った相手に、ちょっかいを掛けるのはよくないと考える。
だが、もう違う。今の要は、万が一が起こった時の事を真剣に考える。チャンスに恵まれた時の事を考える。
全て捨てて行かないのは、ウソだ。
そう思ってしまったから。
やがて夜が明け、昼近くなってもモノトーンの空は涙を流し続け、要の胸の内同様、鉛色に曇ったままだった。
その日、低価格と味が評判のベーカリーカフェで会った従業員の女には心底ムカついた。
「ちょ、キミ、どうしたのさ」
煤けた要の身なりに同情して声を掛けて来たまではいい。
「イケメンが台無しになってるよ?」
葉桐要は女だ。誰が何と言おうと、本人がメンズファッションを気に入っていようとも。
「ワタシは女だよ。オバサン」
「おっ、おば……」
年齢のことは、自らの容姿に自信を持てなくなった妙齢の女にとっては禁句だ。『女』の要だからこそ、『女』が本気で嫌がる事を知っている。
「おっ、おば、さん? まだピッチピチの二十四才なんですけど!」
「ピッチピチとか、オバサンが言っててウケる。いつの時代の言葉だっての。あ、ほうれい線に効果的なマッサージ教えようか?」
「……」
一際高いコック帽を被った女の顔が引きつる様は見物だった。
その後、薄汚れた身なりを理由に店からつまみ出されることがなかったら、要は指を差して笑っただろう。
男は笑うが、女なら分かる。そういう『やり方』。
「ガチ……?」
容赦なく再び雨空の下に放り出された要は、有り得ないと言わんばかりに吐き捨てた。
「糞ババア!」
月明かりのない晩だけじゃない。背後には気を付けた方がいい。内心でそう毒づく要は、なんとなく交差点を挟んだ通りに視線を向けたところで――
目を剥いて、固まった。
「み、御影くん……?」
しとしとと降り注ぐ雨の中、傘を持った黒岩智に肩を抱かれるようにして、御影悠希がいる。
慌てて電信柱の陰に身を隠し、用心深く二人を観察する要の胸中は張り裂けんばかりに鳴っている。
呟いた。
「スーパー・ラッキー……!」
まだ捨てたもんじゃない。
要に微笑む気紛れな神様がいるようだ。それとも、悠希の方で神に嫌われているのか。
――どっちでもいい。
降り続ける雨が黒い涙の筋を押し流し、口元に三日月のゾッとするような凄絶な笑みが浮かぶ。
もう、万が一じゃない。
こうなった以上、黒岩智は必ず何処かでミスをする。それは最早、必然的な予感になって要の胸に押し寄せた。
葉桐要は何でもアリがモットーだ。そして要は、このチャンスを逃がすようなマヌケじゃない。
葉桐要はストレートだ。レズビアンでもバイセクシャルでもないから、男相手にしか『そういう気持ち』になれない。
要の純粋な女の部分が囁くのだ。
「御影くん。ワタシとも、シてくれるよね……」
時が来れば、抜け目なく拐う。
それだけだ。