ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
――ワシに迷惑だけは掛けるな。
ぼくを見ると、いつも険しい表情をしていたお祖父さんの言葉。なんだってそんな憎まれ口ばかりを叩くんだろう。ずっとそう思っていたけど、疑問が解けた。
――偽者のお父が、そんなに大事か?
ぼくは、父さんの子供じゃなかった。お祖父さんが憎まれ口を叩くのも納得の理由だ。
◇◇
――淫売が……!
――お前はあの淫売の息子だよ! あたしの子じゃない!!
――さっさと死んじまえ!
◇◇
思い出した過去は朧気。ぼやける世界の中で、父さんが懐かしむように微笑んでいる。
「……不思議な女(ひと)だったよ」
ぼくの本当のお母さん。
「ものすごく綺麗な人で、身体が弱くてね……」
ぼくを産んですぐ、死んでしまった。
「……病気だったんだ。生まれつき、身体が弱くてね。それでも頑張って悠くんを産んでくれた」
生まれた時の体重は2350グラム。少し小さかったぼくは、保育器の中に三週間ほど入っていた。
――嘘だ。
その時、ぼくの握り拳はお父さんの親指ほどの大きさだったらしい。
――全部、嘘だ!
◇◇
『おかしい思わんかったんか? 君とお父、全然似とらんやろ。ハハ、知らなんだんか?』
◇◇
視界に血の赤いカーテンが掛かっている。
怖いおじさんが目を見開き、肩で荒い息を吐き出した。血塗れになった手で顔を拭い、怯えを含んだ目でぼくを見下ろしている。
「……す、すまん。いや、ワシ、こんなつもりやなかった……」
「……」
その声がやけに遠い。まるで別世界のことのようだ。
「御影君、しっかりせえ。すまん、本当にすまん……」
「……」
どうでもよかった。
「……嘘やろ……これ、ワシがやったんか……智にどう説明せえ言うんや……」
おじさんはぶるりと震え、それからハッとしたように腕時計を見た。
「……嘘やろが……御影君、おい……しっかり……」
ぼくは何も考えられずにいて、ぼんやりと右上を見つめていた。
おじさんは腕時計とぼくを何度も見比べて、それから慌てたようにYシャツの袖でぼくの顔を拭った。
白いシャツが血に染まった。
「御影君……御影く、ん……?」
おじさんが目の前でパチパチと指を鳴らしたけど、ぼくはずっと右上を見つめていた。
「…………」
一歩引き下がり、壁に背中を押し付けたおじさんの唇は少し震えている。
ぼくは言った。
「おじさん、だれ……?」
「……」
「……おうちにかえりたい」
がくがくと震えるように頷いたおじさんは、立ち上がろうとするぼくに手を貸してくれた。
「おでこ、いたい……」
額だけじゃない。全身が酷く痛かった。ぽろぽろと涙が流れ落ち、ぼくは泣き声を上げた。
「ごめんなさい。もうわるいことしません、たたかないでください……」
「…………」
おじさんは物凄い量の汗をかいていて、何度も何度も唾を飲み込んだ。
◇◇
大きなビルから出た。
おじさんは、ずっとびくびくしていて汗が止まらないみたいだったけど、ぼくを殴る事はしなかった。
外は雨が降っていて、おじさんは狭い路地の方を指差した。
「……ええか、あっちに真っ直ぐ行くんや。行き止まりを右に曲がったら……って、右って分かるか?」
「…………」
ぼくが首を横に振ると、おじさんは何度も唇を舐め、汗を袖で拭いながら、震える息を吐き出した。
「……お箸持つ方や。そっちに行ったら、いっぱい人がおる大きい道に出るけん、助けてって言うんや」
「……うん」
ぼくは涙が止まらなくて、怖いおじさんの言った事に何度も頷いた。
「……なるべく優しそうな人に言うんや。女の人がええ」
「……うん、わかった……」
おじさんに見送られ、ぼくは狭い路地を真っ直ぐ行き止まりまで歩いた。
行き止まりをお箸を持つ方向に曲がると大きな道が見えて来て、人がいっぱいいた。
皆、すごく驚いた表情をして近付こうとしたけど、ぼくが肩を竦ませると、皆、ハッとしたように引き下がった。
ぼくを避けて人ごみが割れる。そのまま、雨降りの道を裸足で泣きながら歩いた。
すれ違う人たちは、皆、ぼくを見て足を止めた。
おじさんの言った通り、ぼくはなるべく優しそうな女の人を探した。皆、すごく心配そうにしていて優しそうに見える。誰に声を掛ければいいか分からない。
大通りで車がクラクションを鳴らしたので、吃驚してそちらに視線を向けると、白い服を着たお姉さんが行き交う車と信号を無視して道路を渡って来るのが見えた。その足は真っ直ぐぼくを目指している。
「……ぅぁ……!」
この人にしようって思って、ぼくは声を上げて泣いた。
お姉さんが長い帽子を投げ捨てた。
長い髪が散らばる。雨に濡れるのにも構わず、人ごみを掻き分けて駆け寄って来る。
ぼくは泣きじゃくり、お姉さんも何故か泣いているみたいだった。
「ねえ、何があったのさ! 何で怪我をしているの!?」
お姉さんは叫び、目元を強く擦った。そのまま道路を渡りきった後、ぼくの前までやって来て足を止めた。
「……ひどい……」
苦しそうに言って、お姉さんはぼくを抱き締めて泣き出した。
行き交う人たちがぼくらを見つめている。
「……キミを一人にはしないよ……」
お姉さんは嗚咽を繰り返しながら、ぼくの耳元で何度も何度もそう言った。
このお姉さんは、きっといい人。
その証拠に、心配そうにしていた人たちは納得したように小さく頷き、安心したようにその場を去っていく。
でも――
後ろに物凄く怖い女の子を連れていて、お姉さんはその人に気付いていない。
その女の子は黒い涙を流している。でも真っ赤な唇を三日月の形につり上げて笑っていた。
「……お姉さん、いっぱい知り合いいるんだ。強い人もいるよ。もういいよ。だから泣かない――」
怖い女の子が動いた。
やにわにお姉さんの髪を引っ張ってぼくから引き剥がすと、思い切りガードレールに叩き付けた。
「……なに、オバサン。その人、ワタシの連れなんだよね。馴れ馴れしくしないでくれる?」
「…………」
強く頭を打ったお姉さんは、その場に座り込むようにして動かなくなった。
「見てんじゃねえよッ!!」
怖い女の子が怒鳴り、周囲を睨み付けると、回りの人は皆怯えたように目を逸らした。
黒のダメージパンツ。紫のオフショル。雨でぺったりと寝てしまった髪を掻き上げ、黒い涙の筋を指で拭う。物凄く怖い女の子。
にっこり笑って言った。
「誰にやられました?」
細いつり目の女の子。口元は笑ってるけど、鋭い瞳は全然笑ってない。
「スミマセン。黒岩がヘマする事分かってたのに、遅れちまいました」
その右足は、お姉さんの頭を踏みにじっている。
「……ネジ飛んでますか?」
言ってる事が分からない。
「ワタシの目を見て」
ぼくは息を飲み込んだ。
「ワタシがどう見えます?」
「も、ものすごくこわいおんなのこ……」
「女の子?」
片方の眉を上げ、その怖い女の子は、本当に嬉しそうに笑った。
「OK! 問題なし!」
軽く言って、怖い子はぼくを力強く引き寄せる。ぐい、と腰を引き付け――
「んっ……!」
ぼくに、キスした。
煙草臭い唇。ぼくは何か思い出しそうになる。そのまま口の中にまで舌を割り込ませ、強く吸い上げて来る。唇と舌を貪る荒っぽいキス。
「……ふぅ」
離れ際、ぼくの額を舐め上げた。
「うふ! うふふふふ! 大丈夫、ワタシがネジ填め直して上げるよ!!」
嫌な予感しかしない。
でも、何故かぼくの涙は止まった。
「……きみは……」
「ワタシはカナメさ。葉桐要。カナメって呼んで」
血だらけになった口元を舐め回し、その子は嗤った。
誰とも違う残酷な笑顔。
ぼくは……