ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
殴られるのは慣れている。
虐げられる事にも、薬がない事にも、休めない事にも慣れている。朦朧とする意識の中で、カナメが泣きながらぼくの身体を揺さぶっている。
「……うるさい。寝られないから、静かにして……」
「――御影くん!」
泣きじゃくるカナメは畳の上に大量の薬をぶちまけていて、それを全部飲むように言ったけど、ぼくは首を振った。
「……ロキソニン。あと強い解熱剤があればそれを……」
ロキソニンには鎮痛の他、副作用として眠気を感じるという働きがある。もう少し寝やすくなるだろう。
「……ぼくは大丈夫。病院には行かないよ……」
「――駄目だッ! 御影くん死んじゃう!」
カナメは大袈裟うるさい。
この程度の事がなんだ。病院に行けば、あの人に迷惑を掛けるかもしれない。その方がよっぽど嫌だ。それに……
別にいいじゃない。ぼくが死んだって……
あぁ、でも……カオルには、もう一度逢いたいな……
熱にぼやける頭で、カオルの事を考える。
カオルなら、ぼくと一緒に逃げてくれる。あの人の手が届かない、うんと遠い場所まで、ぼくを連れて逃げてくれる。
「……カナメはパンツくらい履きな。少し垂れてる」
動き回ったせいだろう。カナメのそこは出血して、内腿まで血が垂れ落ちている。
「……水持ってきて。それと、何かつまむものを……」
この状況は、まだマシな方だ。手酷くやられたけど、この程度じゃぼくは死なない。お腹に何か入れて眠っていれば何とかなる。そうすれば身体が思い出す。生き残る方法を思い出す。
まだ、負けてやらない。
寝汗でベトつく身体をカナメに拭かせていると、騒音のようなバイクのエンジン音がして、それから家のガラス戸を叩く音が聞こえた。
僅かに開いた窓の外から、雨混じりの風が吹き込んでくる。
「……誰か呼んだ?」
カナメが人を呼んだ事には驚いたけど、この雨の中、やって来た人物には興味がある。
高熱の為か身体の節々が強く痛む。でも、汗を拭いてもらって気分は大分落ち着いた。
ぐいと袖で涙を拭いて、カナメは慌てて玄関に来客の迎えに行った。
ややあって――
「……御影さん!」
全身びしょ濡れの、赤瀬岬と神木栞。
二人とも物凄い大荷物を持っていて、それを投げ出すとベッドの横に膝を着いてぼくを見つめる。
「……やあ、二人か。色々持って来てくれたみたいだね……」
ぼくの言葉に強く頷いたのは赤瀬岬。頷く度に、濡れた髪から雨の雫が落ちて行く。そばかすが浮いていて、ちょっと頭が足りなそうに見えるこの娘は、ピアノやギターなんかの特技がある。『部室』では、よく『いいこ』を貰った。
「……カオルは?」
その言葉に首を振ったのは、神木栞。
「カオルさんと瞳子には、言ってません」
「……そう」
この二人の顔を見たとき、そんな予感はした。ぼくは驚かなかった。
全身が酷く痛み、高熱で頭がふらつく。そして赤瀬と神木は、カナメの方を一切見ない。このままじゃやばい。二人はぼくを心配する傍ら、カナメに強い怒りを抱いている。
……赤瀬岬と神木栞。
仲がいいのは結構だけど、カナメと二対一の対立を生むこの図式。面倒増やしやがって……!
「言っておくけど……喧嘩は、許さないよ……」
疲れに息が途切れる。苛立ちと共に吐き出したぼくの言葉はか細かった。
「――!」
瞬間、ぞわっと赤瀬の髪が逆立ったように見えた。
「……大丈夫、今はしません。でも、葉桐に任せるつもりもないです」
立ち上がろうとした赤瀬の肩に手を置き、淡々と決意だけを言う神木は落ち着いた表情。
赤と黒の二人。
激情と冷静。扱いづらい組み合わせ。赤瀬には行動力があり、神木には判断力がある。
頭を振って、ぼくは気を強く持つ。
ビビったカナメのせいで、やばい状況。この二人は引き離した方がいい。どちらか一方ならカナメが上回る。とりあえずヤバそうなのは……赤瀬。
赤瀬はぼくを見て泣きそうになったり、カナメを見て怒りに眦を釣り上げたりと忙しない。
不意に、神木に押し倒された。
「……これでも看護師志望です」
カナメが呼ぶ訳だ。ベッドに転がると、意識が闇に吸い込まれそうな気がした。
「岬、ボーッとしないで氷嚢の準備して。葉桐は………………」
意識が遠のく。身体がぼくの意思を裏切って休息を求め、頑なにベッドに張り付く。
神木がてきぱきと指示を飛ばし、カナメと赤瀬が慌てて動き出すのが見えた。
「御影さんは……見る度に、ボロボロになっていくね……」
息が触れ合う程の距離で、神木が悲しそうに言った。
「……変なのに付き合うから、こうなるんですよ……」
「…………」
考えが纏まらない。思考は千々に乱れ、意識の束が一つ一つ解れて消えて行く。
……これからどうしよう。
乱れた意識と傷付いた身体でぼくは考える。とりあえず……
「……ユキって呼んで……」
――2000円でヤらせろよ。
とりあえず、カオルが造った『ユキ』になろう。
御影悠希は、もうやめだ。
◇◇
高熱は三日に渡って続いた。
神木が言うに、敗血症の一歩手前の症状……らしい。何度も病院に行くように言われたけど、ぼくは頑なに首を振り続けた。
最悪の三日間。
体重が35㎏を割り、髪が少し抜けた。カナメたち三人は、最初の内ギスギスしていがみ合っていたけど、その内ぼくしか見ないようになった。
――君は魔性じゃ、御影君。
黒岩英雄の言葉。
――興味持ったが最後、釘付けや。誰も目を逸らせんようになる。
「ゆ、ユキさん。熱いですから、ふぅふぅしますね……?」
赤瀬……ミサキは思っていたよりもずっと泣き虫で、ぼくに付いている間はいつも泣いていた。食事は彼女の担当で、熱いお粥を吐息で冷まし、時間を掛けて食べさせてくれた。お願いすると歌も唄ってくれる。ギターがないのをとても残念がっていた。
「ユキさん、ユキさん……」
ミサキは、ぼくの事を壊れ物みたいに扱って酷く恐れていた。最悪の三日間で余すところなく全身を見られたけど、彼女だけはぼくの身体を拭く事を嫌がった。
◇◇
シオリはぼくの体調管理。小まめに熱を計り、几帳面にメモを取っていた。意識が朦朧としている時は彼女が口移しで薬を飲ませてくれた。
「葉桐、あんたは指一本、ユキさんに触るんじゃない」
そんなシオリは、優しいけどとても嫉妬深い。汗で汚れた身体を拭いてくれる時、ミサキとカナメの二人は完全シャットアウト。
「ユキさん、葉桐はクソ女です。絶対に信用しないで下さい」
ぼくを独占する気満々だったカナメが気に入らないようで、シオリはいつもそれを愚痴っていた。
「……葉桐とは、どんな関係ですか?」
「カナメ? お客さんだよ」
「……」
シオリは肩を竦め、どうしようもないヤツを見るように、ジトッとした目を向けて来る。
「ちなみに……幾らで売ったんですか?」
「百万円」
そう答えると、シオリは目を剥いて固まった。
「世の中、そんなに甘くないよね」
助けられたとか、寝たからとか、そんな安っぽい理由で誤魔化されるぼくじゃない。
シオリは、ぷっと吹き出した。
「アハッ、そうですね。それでいいんです」
ぼくの答えは合ってたみたいで、それからのシオリは上機嫌になった。
◇◇
カナメはぼくの治療担当。というより、執念深いシオリがこの役割を強制した。
化膿しかけた額の傷を消毒して、薬を塗ってガーゼを当て包帯を巻く。
「……責任、取りますんで……」
そんな事を言うカナメは、おふざけ抜き。いつだって真顔だった。ぼくはタイミングを見て、百万円しっかり請求してやろうと思った。
呉越同舟。
三人はローテーションを組んでぼくの面倒を見ていた。でも、ぼくの体調が上向き出した三日目になると、調子を取り戻したカナメは苛々と文句を言うようになった。
「……メス猫が……!」
泣きを入れたのは何処のどいつだ。でも、この悪態は彼女らしい。悪巧みするのも面白そうだったので、そのままにしておいた。
四日目になり、まだ雨が止まない。カナメが言うに台風が来るらしく、暫く雨降りが続くようだ。
ぼくは何も考えないようになっていた。
今もまだ、ぼくの姿を求めて街を駆けずり回っているだろう女の子たちの事も、この四日間連絡を取ってないあの人の事も、どうでもよかった。
沈み、荒れ出した空を見ているととても落ち着く。湿った空気はいつだってぼくに安寧をくれた。
体調が上向いて必要がなくなっても、相変わらずミサキは食事の世話を止めないし、今日こそ入浴だと言い出したシオリはやる気だった。カナメがぼくの傷を見る度に消沈するのも変わらず。
何もかも、どうだっていい。
カナメが暗い目で沈み込むようになった事も、ミサキとシオリが何かの順番を巡ってくじ引きしていた事も、本当にどうでもよかった。
ぼくは何かを忘れていて、それが思いの外ショックを与える事を知らずにいる。
カナメに付きっきりだった『双子』は何処に行った?
没個性の二人組。カナメの付録くらいにしか思ってなかったこの二人の現状を耳にするのはもう少し後のことだ。
ぼくに休んでいる暇なんて、なかったんだ。
神さまはいつだって残酷な結末を突き付ける。ぼくはそんな神さまが大嫌いで、いつだって喧嘩を売るんだ。
嵐の予感を感じさせる鈍色の空を見上げ、ぼくは一時の安寧に沈んでいた。