※この作品はR-18です。

ぼくがビッチになったワケ   作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!

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Heart breaker

 それなりに厳しい環境で育った。

 八歳のとき、母は仕事一辺倒の父に見切りを付け、若い男と駆け落ち同然に出て行った。

 黒岩英雄。

 父は悪い人間ではない。母が居なくなっても、愚痴一つ溢さず娘の智を育てた。

 母から譲り受けた色の薄い瞳は、智にはちょっとしたコンプレックスだ。日射しに弱い事もそうだが、父や自分を捨てた女のものだと思うと鏡を見るのが憂鬱だった。

 

 十五歳になるまでは、関西圏を中心に点々として過ごした。

 誰かと知り合い、仲良くなった頃には別れる。そんな事の繰り返し。付き合いは広く浅く。各所を点々とするうちに染み着いた、たった一つの冴えたやり方。

 腰が座り、落ち着く間もなく運命が訪れる。

 ――御影悠希。

 十八歳になった今は、色々と考える。もっと他のやり方があったのではないか。例えば、そう。難しく考えず、ずっと側に付いていれば良かったのでは……

 

 三年ぶりの再会は胸が躍ったが不安もあった。想像が膨らみ、期待過剰になっている気がした。

 

 そんな不安は、体格に恵まれた二人組の男に囲まれる悠希の姿を見たとき、一瞬で吹き飛んだ。

 

 培った技術で場を治め、傷付いた悠希を拐った。躊躇いは微塵もなかった。現実はいつだって過酷で、智が思っている以上のものを突き付ける。

 また間に合わなかった。

 それはいつだって智の指先を掠めるように零れ落ちる。

 涙は尽きることなく溢れる。

 

「……とも、ぼくの、ヒーロー……」

 

 そう呼んでもらえるのなら。

 

 二人には出会う訳がある。

 

 運命という名の預言者のメッセージ。

 

「ぼく……ともと、離れたくない……」

 

「……」

 

「とも……ずっと、一緒にいて……もう、一人にしないで……」

 

◇◇

 

「ええよぅ、なんでもしてあげる……」

 

◇◇

 

 三年間、離れていた時間があった。現実はいつだって想像以上のものを突き付ける。

 

 智は自分で思っていた以上に期待されていて、何よりも愛されていた。

 

 ――失敗した。

 

 ずっと離れず、側にいてしゃぶり尽くせばよかった。

 智は想像以上に悠希を愛していて、悠希には智が想像する以上に智の居場所があったのだ。

 

◇◇

 

 外は雨降り。

 街の中心にある雑居ビルの屋上。さらさらと降る雨の音を聞きながら、後輩の川村美里が呟いた。

 

「また、寝ちゃいましたね」

 

「……無理ないわ。殴られたり、誰か死んでみたり。そんなやくざな生活送って、疲れん方がどうかしとる。そういう風にもできとらん。無茶苦茶無理しとる」

 

 三年ぶりに再会して、智は心身共に成長したが、悠希は小さくなった。

 

「……衰弱しています」

 

「分かっとる」

 

 ここまでだ。ここが悠希の限界だ。現実はいつだって過酷で、智の想像する以上のものを突き付ける。

 

「……本当は、吐き気がするぐらい女が嫌いなんよ……」

 

 得意と嗜好とは一致しない。悠希のそれは顕著な事例だ。

 

「母親が原因ですね……」

 

 女性そのものに、忌避すべき母親の姿を見ている。その美里の見立ては智の思うそれと一致している。

 

「特別な女はおらん」

 

 ――自分以外。

 思い上がっているのではなく、智にはその自負がある。

 時間だ。時間が欲しい。時間さえあれば、智は全ての空白を埋める自信がある。悠希の虚無を塗り潰す自信がある。

 

「深山は……」

 

「あの乳牛だけは死んでも近付けるな……!」

 

 深山楓は特別だ。……正確には、特別な存在になろうとしている。

 それは、いらない。悠希には既に智という特別な存在がいる。二人目は必要ない。

 

 秋月蛍は、とっくの昔に終わっている。規定路線。彼女は間違った道を選んだ。

 

 ミサトが厳しく言った。

 

「……これに値段を付けたヤツは、終わってますね……」

 

 新城馨は……本気で厄介だ。

 彼女は誰とも違う。『最初の女』。悠希はこの『女』を熟知していて、それが智には許せそうにない。

 

「頭に来るやろ? 肌重ねたら、その分遠退くとか……クソ……殺してやりたいわ……」

 

 ……新城馨にだけは、別のルールが適用されているのではないか。最初の女にだけは、別のルールが適用されているのではないか。御影悠希にとって黒岩智は特別な存在だが、新城馨は別の意味に於いて、既に特別な存在になっているのではないか。

 

「……好きな人とはしない?」

 

 気になる悠希の女性関係については、智もその考え方が一番しっくり来る。だが――

 

「そんなん認められるか」

 

 御影悠希は、新城馨を熟知している。関係が深ければ深いほど、身も心もその支配に染めれば染めるほど――

 新城馨は、特別な存在になる。

 智は、そういう強敵に正面から立ち向かいたいとは思わない。敗けが許されない局面で勝負を挑むのは、余程の自信家か、余程の馬鹿に限られる。智はそのどちらでもない。

 勝つべくして勝つ。そうでなければ意味がない。考えはある。

 

 

 ……うちの息子は、もう一生分の不幸味わったあとなんだよ。なんで、そっとしておいてくれないんだ……!

 

 

 きっと……何よりも深い思い遣りだけが、全てに終焉を与えるのだろうと思う。

 

 今も昔も、御影悠希が疑わない愛は一つだけだ。

 

 そこに疑問の余地はない。

 

◇◇

 

 その日の晩は店屋物になった。

 悠希が目覚めれば何か調理するつもりでいたが、その気配がない。智は悠希から離れるつもりは塵一つなかったし、美里も同様だった。

 

「……お腹空きました。がっつり食べたいです……」

 

「……やな」

 

 智も美里も、どっぷり肩まで体育会系だ。お互い健啖家ぶりには自信がある。

 

「御影先輩が起きる前に済ませたいです……」

 

 智も美里も健啖で、その気になれば悠希の倍は平気で食べる。だが、その姿は見せたくない。複雑な乙女の心理があった。

 

「うん、それやったらエエとこある。この雑居ビルに入っとる会社と仲良くしとる食堂あって、出前もやってくれるし、三割引きやん」

 

 その三十分後にはテーブルの上に並んだ中華料理を片っ端からやっつける智と美里の姿があった。

 

「……御影先輩、起きませんね」

 

「うん。まあ、一応昼食は食べとるし、問題ないやろう。なんやったら後で買いに行ってもええし――」

 

 そこまで智が言ったところで、テーブルの端に置いてあった悠希の携帯電話のスクリーンが点灯した。

 マナーモードに設定している為、着信音はなく、バイブも切ってある。画面に表示された発信者の名前は――

 

 ――ダブリ――

 

「はん? だれや、コイツ」

 

「……って、電源切ってなかったんですね」

 

「当たり前やん。悠ちゃんのお父からやったらどうするん」

 

 智はぞんざいな調子で言い放ち、通話ボタンを押した。

 

「はーい、もしもしもしもし? こちら御影悠希くんの携帯電話ですが、どちらさんでしょうか?」

 

 もう、これ以上の女は必要ない。智は少し殺気立っていた。電話の向こうは……

 

『お、おう。す、すみません。あの、クラスメイトの国崎竜也ですけど、悠希くんに代わって頂けますか?』

 

 男だった。しかも相手は、あの伝説のダブり『国崎竜也』だ。智は激しく視線を泳がせ、しかめっ面で弁解した。

 

「うわっちゃ! こちらこそ、すみません! えと、悠ちゃん体調崩してしもうて、要件やったら私が聞きます!」

 

『はい。その前に、貴方のお名前をお伺いさせてもらってよろしいでしょうか?』

 

「……はい。えと、黒岩です。黒岩智」

 

 頷きながら、智は苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せた。

 一つだけ年上。しかし何もかも違う。噂には聞いていたが電話の対応一つ取っても、確かに違う。

 

『…………』

 

 一瞬の沈黙。

 智は、目の前に、ずらっと並んだワイルドカードを連想した。

 ――苦手だ!

 曰く、伝説のダブり。元ボクシング部の超エース。何でも英語ペラペラで、腕っぷしは勿論だが頭も抜群に切れるらしい。短いやり取りだったが、人伝に聞いたそれが虚飾でもなんでもないことを覚り、智は反射的に電話を切ってしまいたい衝動に駈られた。

 

 十分後――。

 国崎竜也との通話を終え、しかめっ面で頭が痛そうに眉間を揉む智の姿があった。

 

「……黒岩先輩、どうかしたんですか?」

 

「……国崎竜也や。同じクラスなんは知っとったけど、まさか悠ちゃんと友達やとは思わんかったわ……」

 

「……国崎? 何処かで聞いた事があるような……」

 

 規格外だ。美里も名前ぐらいは何処かで耳にしていても不思議ではない。

 智は疲れたように首を振った。

 

「……悠ちゃんが家に帰ってないって、学校にバレとるわ……」

 

「え!?」

 

「遠回しにやけど、めちゃ釘刺された気分やん……」

 

 担任の坂本敏江が悠希の自宅に連絡したようだ。国崎竜也は、はっきりと言わなかったが、悠希の行方は学校でも取り沙汰されていると思うべきだった。

 

「……明日、緊急の全校集会やと……おそらく皆川関係やろ……」

 

 国崎竜也が言明した事は何一つない。だが、関係者なら背景が分かる話ぶり。

 

「蛍と新城にも連絡行っとるで、これ……」

 

「ヤバそうですね。確認します」

 

 そう。美里が神妙な表情で言うそれを、国崎竜也は知らせたのだ。

 

 美里が事実確認の為、スマホを持って部屋から出て行き、智は深く考え込んだ。

 

 現在、御影悠希は行方不明ということになっていて、担任の坂本敏江がその行方を追っている。この情報が御影総太郎に知れるのは時間の問題だろう。智には止められない。

 

「……」

 

 悠希は眠っている。

 

 どうする?

 

 何処まで、御影総太郎の手に委ねる!?

 

 悠希がしていることを思えば避けたい手段だが、そろそろ高校生には手に負えない問題になってきた。

 思考を重ねるが結論は出ない。ある程度の情報を御影総太郎に回す。それは既に考えていた事だ。だが、匙加減を間違えると悲惨な状況になる。悠希の反応も想像出来ない。

 そこまで考えたところで、険しい表情の美里が帰って来た。

 

「……事実です。明日、緊急で全校集会があるみたいで、剣道部……学校全体の大きな問題に発展しています。おそらく……」

 

 剣道部はインターハイを辞退する事になる。それはいい。予想出来た事だ。

 そこでまた携帯電話に着信があった。今度は智のスマホだ。

 

「……顧問や。出るで」

 

 静かに頷く美里の前で、智はスマホを耳に押し当てた。

 

「はい、黒岩です。なんや、センセ」

 

『あ、黒岩? 御影と居る?』

 

 端(はな)から核心を突いた質問に辟易しながらも、智は頷いた。

 

「……おるよ」

 

『そっか。上手く行ってる?』

 

「ん、勿論やん。迷惑掛けとるみたいで、ごめんな……」

 

『あ、いいんだ。黒岩がここで嘘言うようだったら心配したけど、そうじゃなかったから安心したよ』

 

「……」

 

 大人は食わせものだ。ここで、もし誤魔化せばどうなったか。智は内心舌打ちしたい思いだった。

 

『……今、学校全体が物々しいんだよ。詳細は言えないけど、剣道部はインターハイを辞退する事になりそうだ』

 

「……うん、細かい事は知らんけど、聞いとる。大変やな」

 

『ああ……結構やられたよ。剣道部の顧問としてより、今は生活指導の教員として忙しい。夏休み明けは荒れそうだ……』

 

 そこで、また一瞬の沈黙があった。国崎竜也が使ったものと同種の沈黙。思わせ振りなもの。

 

『……先生の要件はそれだけだ。これから秋月と深山にも連絡するけど、何か伝える事ある?』

 

 ――生活指導の教員として忙しい。

 

「……いや、ない……」

 

 御影悠希の行方について、事件性がないのであれば、それでいい。余計な事は言わないから、問題はそっちで解決しろ、という解釈も出来る。

 

「……ふぅ」

 

 通話を終え、智は大きな溜め息を吐き出した。

 

「……黒岩先輩。これから、どうしますか?」

 

「そやな……」

 

 智は眠っている悠希を見つめ、小さく頷いた。

 

「アンタは学校行って情報収集。悠ちゃんは……お休みやん」

 

 動かず。智の出した結論はそれだ。帰省中の御影総太郎が帰って来たとき。

 

「黒岩先輩は、どうするんですか?」

 

「私もお休み。悠ちゃんとゆっくりするわ」

 

「……」

 

 美里の視線が厳しいものになった。……一人占めか、とその顔に描いてあって、智は笑い出しそうになった。

 

「……さて、お風呂入って寝よっと……」

 

「……」

 

「あ、言っとくけど、悠ちゃん汚い女めちゃ嫌いやで。アンタ、今日も部活行ったんやろ?」

 

 川村美里には、まだ利用価値がある。今の悠希は不安定で目を離せない。ほんの僅かに足らない隙間を埋めるのが美里の存在だ。

 

「……私も一緒に入ります……」

 

「やめてや。女同士で気色悪い。アンタもそんなん御免やろう?」

 

 智は笑った。

 二番手を目指すのはいい。共闘するのもいいだろう。だが、馴れ合うつもりは一切ない。仲良くするつもりも一切ない。

 

 

「アンタ、気持ち悪いんよ」

 

 

 美里も笑った。

 

「別々に行動すれば、エロ岩先輩がまた暴走するんじゃないかって不安だっただけですよ」

 

 ぴりぴりとした空気が立ち込める。

 

 

「私だって、すごく気持ち悪い」

 

 

 残るのも、選ばれるのも一人でいい。今は足並みを揃えているだけだ。

 

◇◇

 

「御影先輩を、レイプしないで下さいね」

 

 翌早朝、川村美里は笑顔で言って、雑居ビルを後にした。

 

「ほな、さいなら」

 

 これが今生の別れでも構わない。智が見せる笑顔にはその手の清々しさがあった。

 

「さて、youちゃん」

 

 邪魔者が消え、笑顔の智が早速やったことは、何かと不足しがちな成分の摂取だった。

 

 ベッドで寝息を立てる悠希に馬乗りになり、首筋に顔を埋めて胸一杯に深呼吸する。

 

 甘い匂い。密着する事でしか嗅ぎ取る事が出来ない僅かな体臭を吸い込み、智は酩酊した。この部屋に悠希を招き入れ、毎日欠かした事のない日課だ。

 悠希の眠りは深い。なかなか起きないのは承知でやっている。掠れた声で囁いた。

 

「……私、アホになりそう……」

 

 ――智はアホじゃない。

 

「……いやん、アホやねんて……」

 

 想い焦がれた相手が自室にいて、自分のベッドで眠っている。どうにかならない方がどうかしている。

 

 小さくて、この上なく愛らしい。しかも自分をヒーローだと言って崇拝している。

 

「……相思相愛やん……」

 

 止まらなくなる。大浴場での一件を経て、智の愛情は加熱する一方だ。

 

 とも……ずっと、一緒にいて……もう、一人にしないで……

 

 智は大声で叫びたい気持ちだった。

 アイツも、お前も、そんな事を言ってもらえたか? 黒岩智だけがそれを可能にしたのだ。

 

 溢れだした粘液が内股を伝い、智はごそごそとシーツの中に潜り込む。

 ぺニスは世にも不思議な器官だ。舌を這わせ、徐(おもむろ)に口に含むと硬度と体積を増す。股間に触れると、膣口はとろとろに煮崩れて柔らかくなっていた。

 

「……勃ったけん、挿れるけど、ええやんな……?」

 

 黒岩智は、他の有象無象とは違う。回数を重ねても遠退いたりはしない。

 

 身体を起こし、固くなったペニスを膣に挿入すると、智は一辺に幸せな気持ちになった。

 

 ハマるだろうな、という思いは以前からあった。ただ、得られた快感が想像を遥かに超えていた。乳首はツンと上に向き、膣口からはみ出した陰唇は膨れ上がり、白濁した愛液でペニスを濡らしている。

 

「……ふぅぅぅぅぅ♡」

 

 身体の奥底から制御出来ない情動が込み上げ、智は震える息を吐き出した。

 

「……たまるか。こんなん、たまるかぁ♡」

 

 何度でもイケる。終わっても虚しい気持ちにならない。死にたくなるほどの自己嫌悪とも無縁でいられる。

 

 ――Joy to the World――

 

 歌は聞こえない。灼熱の情動が身体を焼いている。悠希がしたように下腹の部分を押し込んでみたが、上手くいかない。それがもどかしくて、智は擦り付けるようにして腰を振った。

 ちょっと違う。でも……

 

「ぁ……ぃきそぅ……」

 

 充分イケる。これでいい。あまりにも強い快楽は自制心を破壊する。今は深い交わりが欲しいだけ。

 そう自己弁護して、智は一心不乱に腰を振った。粘つく水音が大きくなる。無意識の内に湧き出した涎が口元に伝う。膣の奥深い場所が、小さく引き攣るように痙攣した。

 

「あは♡」

 

 一度辿り着いてしまえば、もう止まらない。完全崩壊の合図。乱れ狂う刹那の予感。

 

「ん……」

 

 さすがに寝苦しさを感じたのか、呻いた悠希が身動ぎしてタイミングが微妙にズレる。合わせたポイントが僅かにブレる。瞬間――ペニスの先端が、ごりっと智の奥深くを削った。

 

「――――ぁ」

 

 膣でペニスが一際大きくなったような気がした。限界まて挿入っていると思っていた所に、更に追撃を受けた。

 

「……それ、禁止って……」

 

 目の前が白く弾け、智の理性は崩壊した。膣肉が激しく蠕動してペニスを締め付ける。新しい愛液が溢れ、ぐちゃっと卑猥な音を立てた。続けざまに――

 

「ひっ♡ あっ♡ ちょっ……♡」

 

 二度、三度とエクスタシーに達する。一昨日は四三回までは数えた。

 

 ――たまるか!

 

 こんなに気持ちいい事が、やめられる訳がない。内心でそう吐き捨て、智は快楽に屈服した。

 

◇◇

 

 眠っている悠希相手に、たっぷり一時間は楽しんだ後、バスルームで冷水のシャワーを浴びる智はウルフカットの頭髪をかき混ぜた。

 

「あー、もう!」

 

 身体の火照りが取れない。盛りの付いた犬でもあるまいし、水を浴びるのは苦肉の策だ。腰に力が入らない。幾ら水を浴びても、子宮の辺りに妙な熱っぽさが残ったままだ。

 このままじゃ、完全にアホになる。

 智は力なく呻いた。

 

「……セックスって……」

 

 自分なら制御出来ると信じていたが、最近は自信がない。一週間もしない内にこれなのだから、来週は完全に考えが変わっているだろう。

 眠っていたのだから、身体を動かしたのは無意識下での事だろう。

 ……房事に天性の才。

 そもそも洞察力があり、勤勉なタイプだ。安く投げ売りしている内に身に付いたもの。

 智は激しく舌打ちした。

 

「最初の女、か……」

 

 自分でそう仕向けたのなら、腹の底からマグマのように沸き返るこの苛立ちとも無縁でいられたのだろうか。

 

 ……ムカつく。

 

 生きている限り、この苛立ちから解放される事はない。

 智が抱いた怒りは深刻だった。

 

◇◇

 

 部屋に戻ると、着信を告げるランプが点灯しているのが目に入った。

 

 ――黒岩 英雄――

 

 父からの着信は三十分以上も前。真っ最中の事。行為に夢中で全く気が付かなかった。口をへの字に曲げた智は、慌てて折り返しの電話を掛けた。

 父が通話に出るなり、智は言った。

 

「なんや、お父」

 

『……おう、いきなりやのう。挨拶するとかないんか』

 

 少し声が逆立っている。そこに僅かな苛立ちを感じ取り、智は軽く唇を舐めた。

 

「……おはよう。どしたん?」

 

『――って、お前、今日緊急の全校集会やないんか?』

 

「いや……興味ないけん、先生に電話して済ませたんやけど……一応受験生やしな……」

 

『……そうか』

 

 沈黙。そして嫌な予感がする。国崎竜也も、剣道部の顧問も、思わせ振りな沈黙を使う。

 幾通りもの解釈がある沈黙。それが智には煩わしく感じる。

 

『……今日、これから三人でメシでもどうや?』

 

「三人? 彼女さんか? これからって急やな……」

 

『いつやったら急やないねん』

 

 明確に、苛立っている。はっきりとそう感じた智の内心にじわりと湧き上がるもの。

 

 ……なんや、コイツ。

 

「私、そういうん邪魔するほど野暮でもないんやけどな……」

 

 疑心。相手が父でなかったら、智がこの誘いに乗ることはなかっただろう。

 

『今、近くにおるんよ。部屋まで迎えに行ってええか?』

 

「……」

 

 悠希はよく眠っている。少し……いや、一、二時間ほど留守にするだけなら大丈夫だろう。

 時計の針は十一時を指そうとしている。美里はあと一時間もすれば帰って来る。実際、悠希が一人にしてしまう時間は一時間もない。

 

「分かった。ええよ。こっちから行くわ、場所教えてや」

 

 セキュリティレベルの高いこの一室。そもそも住居用ですらない。不意の来訪者があったとして、この部屋まで辿り着けるとは思えない。――その来訪者の中に、自分の『父』が含まれるとは露ほども考えない。

 

 通話を終え、手早く着替えを済ませた智は暫く考え込んだ。

 嫌な予感がする。

 ほんの僅か目を離した隙に、悠希は消えてしまう。そんな胸騒ぎ。不安。或いは、不信感と呼べるもの。

 智は鼻を鳴らして自嘲した。

 

 その程度のものなら、いっそ壊れてしまえ。

 

 でもどうしようもなく不安だったから――

 

 タブレット端末の動画をONにして、その場を後にした。

 

◇◇

 

 屋外は相変わらずの雨模様。天気予報を信じるなら、太平洋側から熱帯低気圧が接近しているらしい。

 さらさらとした雨を傘で弾きながら智が大通りに出た所で、軽自動車がパッシングして合図を送って来た。

 

 このとき、智が傘を差していなければ、殆ど入れ違いの形ですれ違った父、黒岩英雄の姿に気付いて引き返していただろう。

 

 軽自動車の方に見覚えはないが、フロントガラス越しに見えるドライバーには見覚えがあり、智は大きく手を振って合図を返した。

 

「あーっ、斎藤さん! こっちこっち!」

 

 斎藤 みどり。父と交際中の女性で離婚歴があり、一児の母。父とは結婚を前提とした付き合いで、智は全面的にこの交際に賛成している。

 みどりは未だ三十代半ばで、まだまだ出産が可能な年齢だ。彼女と父の間に子供が生まれたなら、智はその子供を全力で祝福するつもりでいる。父、英雄がまだ男盛りとはいえ、やり直すならばこれが最後の機会になるだろう。是が非でも上手く行かせたい。智は笑顔だった

 

 交差点から少し距離がある路肩に停車して、ハザードランプを点灯させる軽自動車の後部座席に乗り込みながら、智は違和感に眉を寄せた。

 

「……あれ、お父は?」

 

 振り返り、智に微笑み掛けたみどりは目尻を下げ、何処か困ったような表情をしている。

 

「英雄さんは、その……先に行って待ってるって……」

 

「……そですか。何か変やんな……」

 

 嫌な胸騒ぎがする。父は、確かに「待っている」と言ったのに。

 

 車は五分ほど走り続け、街の中心からやや離れた大手フランチャイズのレストランの駐車場で停車した。出入り口付近に父の姿は見えない。

 

「……お父、見えんな。店の中におるんやろか……」

 

 極小だった違和感が少し大きくなる。智がルームミラー越しにみどりの目を見つめると、その視線をかわすようにみどりは目を逸らした。

 

「……」

 

 また違和感が強くなる。車なら五分だが、徒歩で帰れば三十分は掛かる距離。走れば十五分というところか。離れているが、離れ過ぎてはいない。微妙な距離。

 時刻は十一時を少し過ぎた。昼前の書き入れ時を間近に控え、俄に混み始めた店内にも父の姿は見えなかった。

 

「あれ? おかしいな……先に座って待ってようか?」

 

 そうぼやいたみどりに促され、店内奥の窓際の席に腰を下ろした智の胸中は、疑心に似た不安で一杯だった。

 

◇◇

 

 十分過ぎ、二十分が経過しても、父はまだ来ない。智は首を振って見せ、腰を浮かせた。

 

「……ごめん、みどりさん。私、帰るわ」

 

「ちょ、ちょっと待って、英雄さんに連絡してみるから……」

 

 そう言われ、再び腰を下ろした智と入れ違いになる形で中座したみどりはそのまま店外に出て行った。

 

 三十分が過ぎ、今度こそ固い決意で席を立った智の前に、英雄を伴ったみどりが帰って来た。

 

「お、お待たせ~」

 

「……」

 

 ガヤガヤと賑わい始めた店内で首を傾げた智は、半目の眼差しで父英雄の肩の上辺りを見つめた。

 

「えらい、遅いな……?」

 

「お、おう。すまん。ちょっと野暮用での。もう注文したか?」

 

 英雄は白いTシャツにスラックス。勤務中、出て来たにしては格好が中途半端な気がしたが、神ならぬ智にその理由が分かる筈がない。

 

「……ちょっと、トイレ行ってくるわ……」

 

 そう言った英雄の顔色は青白く、やたら大汗をかいていた。

 

◇◇

 

 昼食を摂り、時計を確認した時は既に正午を超えていた。

 

「な、なぁ、智。これから三人で遊びに行かんか?」

 

「……いや、帰るわ。お父も勤務中やろ?」

 

 英雄はジーンズ等のラフな格好を好む。勤務以外でスラックスを履いている姿は見たことがない。

 その英雄の大汗は止まっていない。全身ぐしょ濡れで気味が悪いぐらいだ。みどりも引いていて、いつもより心持ち距離を取っている。

 

「あ、いや、今日休みやねん。やけん、な? 行こうや?」

 

「……子供みたいな嘘を言いなや。帰る言うてるやろ」

 

 そう言いながら智は片方の眉を持ち上げ、後ろポケットに突っ込んだスマホを取り出した。

 

 ――川村 美里――

 

 着信を受けたのと殆ど同時にスクリーンをタップして通話に応じる。

 

「もしもし、私や」

 

 開口一番、美里が呻くように言った。

 

 

『黒岩……黒岩ぁ! 今、何処に居る!? 御影先輩を何処にやったぁ!?』

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