※この作品はR-18です。

ぼくがビッチになったワケ   作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!

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嵐が来る

 ……夢。夢を見ている。

 その日の夢の中で、アタシは少し歳食った女になっていた。

 草臥れた顔に安っぽい化粧。荒れた肌。仕事がない日はジャージを着てパチンコに行く。

 ……またかよ。

 今日はどんな悪夢を見るんだろう。

 

 葵はピカピカした笑顔。夢の中でもコイツと友達で居られた事は嬉しいけど、少し気に障る。

 

「ウチの先輩が……」

 

 恋愛なんてものと殆ど無縁の葵だけど、好きな男はいる。名前は忘れちまったけど、中学生の時の先輩で、何でも出来る完璧超人。葵は忘れられないみたいで、ずっと一人でいる。割と一途な所は嫌いじゃない。アタシの親友。

 

「先輩と二人で暮らすんだ」

 

「……よかったな」

 

 アタシは草臥れた声で言って、ぼんやりと窓の外に視線を飛ばす。

 雨が降っていた。

 その雨の中、全身びしょ濡れの瞳子がやって来た。

 

「カオルさん、た、助けて下さい……」

 

「あ、どうした?」

 

 瞳子は髪が伸びて大分女らしくなっていたけど、蓮っ葉な感じは抜けてない。歳だけ食って、中身は変わらず。

 その瞳子が半べそで言った。

 

「結婚させられそうなんです。冗談じゃない!」

 

 瞳子の家は結構な金持ちだ。アタシと違って、元々は育ちがいいコイツには有りそうな話だ。

 

「……あんな家、出て行ってやりますよ!」

 

「んで、アタシに匿えって話か?」

 

 それこそ冗談じゃない。何でアタシがこんなヤツを……

 

「そんな事、どうでもいいや。それより、ユキが何処にいるか分かんねえか?」

 

 つまらない夢なら面白くすればいい。ユキが居れば、アタシはこんなクソ溜めでも好きになれる自信がある。

 

「カオル、お前……」

 

 葵が眉を寄せ、可哀想なものを見るようにアタシを見つめる。

 瞳子が泣きそうな顔で言った。

 

 

「……何言ってるんです。悠希さん、帰って来なかったじゃないですか……」

 

 

 あの夏の日に、突然居なくなって、それきり――

 

◇◇

 

 ユキが黒岩に連れて行かれて、三日経った。

 

「調子が出て来たわ」

 

 雨降りの公園。水が滴る前髪をかき上げ、アタシは軽く伸びをして右手を振り落とす。

 力の入れ具合は五分。

 ボールは真っ直ぐ飛んで瞳子の顔面にぶち当たった。

 

「何やってんだよ。鈍臭えな」

 

 顔を狙うと警告はした。アタシの感性だと、反応できない瞳子が悪い。

 

「カオル、飛ぶなよ。膝がズレる感じがしたらソッコー終わりだかんな」

 

「分かってる。加減してるっつの」

 

 葵がトスを上げ、アタシが打つ。試合中は、原則アタシがレシーブするつもりだけど、コンビを組む瞳子が黙って突っ立っていていい訳じゃない。

 レシーブの練習。ムカつくのは、瞳子が弱音を吐かずに食い付いて来る事だ。

 

「……すみません。もう一度……」

 

 瞳子は腰だめの姿勢になり、真っ直ぐアタシを見つめ返して来る。鼻血が出てて、ちょっと笑える。

 やってるのはスポーツだからアタシは止めない。瞳子は元々根性ないし、所詮付け焼き刃なのはどうしようもないにしても、もう少し叩き直す必要がある。

 

「目を閉じるんじゃねー、よ……っと!」

 

 今度は六割程度の力で打った。雨の中、雨粒の抵抗でスパイクの威力は減る。ラッキーなヤツ。

 

 ボールは真っ直ぐ飛んで、やっぱり瞳子の顔面にぶち当たった。

 

 ヤバい。メチャウケる。やってるのはスポーツだけど、アタシの中の狂暴な部分が喜んでる。

 ――瞳子が潰れても構わない。

 雨の中でも血飛沫が舞うのが見え、思わずアタシは口元を釣り上げる。

 

 もう三日もヤってない。ここ数ヶ月でこんなに不自由したことはなかった。特に夏休みになってからは殆ど毎日ヤりまくりだった。断られる事も珍しくなかったけど、強くねだればユキは何とかしてくれた。

 不在感。

 アタシって女は留守にされてる。――溜まってる。

 

 不意に、瞳子はいつユキと関係を持ったんだろうって考える。そういえば……入り浸りになってるから一度家に帰るように言われた事があった。あのとき、多分……

 

「……ルッ!」

 

「あ?」

 

「――カオルッ、やめろ!!」

 

 気が付くと、葵に背中から羽交い締めにされていた。

 

「……あ」

 

 目の前に怯えた瞳子の顔がある。アタシは右の拳を固く握り、左手で瞳子の襟首を持ち上げていた。いつの間に……

 

「……悪い。少し休憩にするか……」

 

 強くなってきた雨の中、アタシは右手で顔を拭った。

 どうかしてる。

 ユキが居ないアタシは、どうかしてるんだ。

 

◇◇

 

「カオル、ちゃんと寝てるか?」

 

 ユキが居なくなってから悪い夢ばかり見るもんで、寝付きは最悪だ。アタシは留守にされてる。何をしていても落ち着かない。

 

「目の下に隈が出来てんぞ。悪いことは言わないから、少し休んだ方がいい」

 

「……マジかよ」

 

 ほんの数日留守にされただけで、アタシは以前の自分に戻ったような気がした。

 鏡を見ると、やたら目付きの悪いヤンキー女と目が合った。薄く隈が張った目元は少し窪んでいて、肌も荒れ、髪も何だかパサついている。

 

「……」

 

 アタシは衝動的に瞳子を蹴飛ばしたくなった。

 

 ――カオル? ぼくのカオル? 何を怒っているの?

 

 こういうとき、ユキが居ればそんなヤケクソを許す訳がない。

 アタシは小さく舌打ちした。

 

「……白けた。今日はやめだ。帰るぞ」

 

 雨で濡れた髪を乾かしたい。ユキは神経質で、こういうスキンケアをサボると機嫌を悪くする。

 実際、二人のときは色々やってもらえた。眉を整えたり、睫毛を揃えたり。入浴後のヘアケアは当たり前でブローは欠かさなかった。元々勤勉なユキは色々調べて、色々アタシにやった。

 アタシはガサツな女で、そういう事に全然興味なかったけど、日に日に良くなる自分のルックスを見て悪い気はしない。小さいユキがアタシの為に何かするのも気分が良かった。

 ……すごく良かった。

 早く以前の生活に戻りたい。一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、身体を洗いっこして、お互いに髪を乾かし合ったり、並んで歯を磨いたり。その後はセックスして、寝るまでは色んな事を話して……

 

 ……ユキが居なきゃダメだ……

 

「瞳子、悪かったな……。家(うち)で風呂入ってけ、その後で送ってやるから」

 

「……はい。ありがとうございます……」

 

 しかめっ面の瞳子は、指で鼻血を拭っている。

 

「なあ、瞳子。お前、ユキと風呂入ったことあるか?」

 

「……はい。一度だけですけど……」

 

 用心深く答えた瞳子は、上目遣いでアタシの顔色を窺っている。

 

「細い指でクチュクチュ奥まで洗ってくれんだ。コレが無茶苦茶気持ち良くてよ」

 

「は、はい……」

 

「風呂で小便漏らして、ぶっ倒れたこともあるよ」

 

「…………」

 

 見る見るうちに瞳子の眦がつり上がり、アタシは少し幸せな気分になった。

 

「……自慢、ですか?」

 

 それ以外に何がある。嘲笑うアタシを見て、葵が呆れたように溜め息を吐き出した。

 

「カオル、小便漏らした事は自慢にならねえよ。葛城も真に受けんな」

 

「……」

 

 瞳子は不満むき出しでアタシを睨み付けて来る。気分爽快だった。

 

 帰りの道中は暇潰しに瞳子を煽って遊んだ。

 

「……んで、抱き締めると甘い匂いがするんだ。ユキは滅茶苦茶寝付きよくて、中々起きないからヤりたい放題」

 

「カオル……やめろって言ってるだろ……?」

 

「ゆっくりすんのがいいんだ。……したら、すぐ大きくなって――」

 

「悠希さん、自分が一番いいって言ってくれましたから」

 

「あ″?」

 

 車を路肩に停め、アタシと瞳子は睨み合った。

 

「悠希さん、新城先輩はユルいって言ってましたよ? 太平洋だって」

 

「なっ! ゆ、ユキが、そんな事言う訳がねーだろ!!」

 

 瞳子がニヤリと笑った。

 

「はい、嘘です。でも焦りましたよね? 言われた事があるんですね?」

 

 ――殺す!!

 

 アタシはサイドブレーキを引っ張り上げ、後部座席の瞳子の襟首を掴もうと手を伸ばした。

 殆ど同時に、スマホが鳴った。

 

「テメー、後でぶっ殺してやるからよ……」

 

 瞳子に凄んで見せ、それからスマホを確認すると、スクリーンには番号が表示されているものの、名前は表示されていない。

 黒岩の可能性がある。そう思った途端、憂鬱な気分になったけど、アタシはコイツから逃げる訳には行かない。スクリーンをタップする。

 

『……すみません。国崎と申しますが、新城馨さんの携帯電話で間違いないでしょうか?』

 

 ――国崎竜也。

 今年クラスメイトになったダブりだ。ボクシング部の『元』超エース。選抜じゃダントツの優勝。頭も切れて、テストじゃ常に三位以内。クラスじゃ無茶苦茶浮いていて、それでもそんな事は歯牙にも掛けず、座席で平然と文庫本なんか読んでるスカしたヤツ。

 

「国崎? テメーがアタシに何か用かよ」

 

 その瞬間、助手席に座ってた葵の肩がビクッと震えた。

 

『ああ、休み中すまない。御影、そこに居るか?』

 

「……いねえよ。ユキに何か用かよ」

 

『明日、緊急の全校集会が開かれる事になった。それであいつの家に電話したんだけど、誰も出なくてな……聞いてないか?』

 

「さぁ、な……」

 

 国崎と話しているとムカムカする。何でも出来て担任の坂本敏江のお気に入り。クソ教師代表の折笠忍と交際していたとかしないとか。アタシはコイツが大嫌いだった。

 

『御影は、お前と秋月、どっちと付き合ってるんだ?』

 

「……っ! テメーに関係ねーだろ! このダブりが!」

 

 即座に通話を切り、番号を着信拒否に設定して、アタシは瞳子に向き直った。

 

「……テメーは表出ろや。ちょっと教育してやるからよ……!」

 

 大丈夫。加減は分かってる。ちょっと小突くだけ。ユキもきっと分かってくれる。

 そう自分に言い訳するアタシの肩に、葵が手を置いた。

 

「ちょ、待てカオル。国崎って……」

 

「ああ? ただのダブりだよ。事故で一年留年してっから、本当はアタシらの一つ年上だな。惨めな野郎さ」

 

「事故だって!?」

 

 葵の顔色が真っ青になったような気がしたけど、アタシは後部座席の瞳子を睨み続けた。

 葵が震える声で呟いた。

 

「ふ、フルネームは……?」

 

「国崎竜也。タフガイ気取りの勘違い野郎さ」

 

 クラスで噂になる男子生徒といえば国崎かユキの二人だ。全然、タイプが違う。でもこの二人は妙に気が合うみたいで、話しているのはよく見掛けた。

 そこまで考えた所で、アタシは葵にぶん殴られた。

 

「???」

 

 ポタポタと鼻血を流し、キョトンとするアタシを見て、瞳子が思い切り吹き出した。アタシは何で殴られたか分かんなくて、怒りに肩を震わせる葵を見つめた。

 燃えるような目で葵が睨み付けて来る。低い声で言った。

 

「……テメー、ウチの先輩侮辱するんじゃねーよ……」

 

「あ″?」

 

「テメーが股開いてる腐れショタビッチとウチの先輩一緒にすんなって言ったんだ。ブッ飛ばすぞ、テメー」

 

 もうブッ飛ばしてる。アタシは――

 

「テメー、言うに事欠いて腐れショタビッチだと!? 表出ろや!!」

 

「上等だ! やってやる! 白黒付けてやらぁ!!」

 

 お互いに襟首を引き寄せ、額をくっ付けて睨み合うアタシと葵を、瞳子がニヤニヤ笑って見つめていた。

 下っ腹辺りが、むずむずする。

 理屈抜きにして、アタシって女はユキの不在を女の部分で感じてる。

 すげーヤりたい。

 アタシは留守にされている。ユキが居ないアタシは、終わってる……。

 

 車の外に飛び出すと、瞬く間に夏の温い雨が身体を濡らす。アタシはムシャクシャして叫んだ。

 

「あのダブりが、そんなに気になるかよ!」

 

 意外だったのは葵の反応だ。短気なのは分かってたし、すぐにでも突っ掛かって来ると思っていたのが、目尻を下げて急に弱気な表情になった。

 

「せ、先輩、事故ったのか……?」

 

「知るかよ」

 

「ぼ、ボクシングは? 先輩、無茶苦茶頑張ってたじゃないか……」

 

「だから知るかよ」

 

「……ウチが悪かった……」

 

「ああ? テメー、今さら何を……」

 

「……ウチが悪かったよ。この通り……」

 

 雨の中、葵がアスファルトに膝を着いて、アタシは一編に冷静になった。

 

「うわ、ちょっ、待て! 分かった! 何でも教えるから!!」

 

 これでもアタシと葵は友人だ。クソ恥ずいから言わないけど、一生の親友だって思ってる。

 葵とは喧嘩にならなかった。

 

◇◇

 

 ユキが居なくなって、四日目。

 

「な、なあ、竜也先輩、マジで女いないの?」

 

「……多分」

 

 葵は落ち着きがない。確証のない折笠の噂以外、国崎について知っている事は全部話したけど、それでもしつこく同じ質問を繰り返す。

 

「多分ってなんだよ。御影の事はウチも協力したよな?」

 

「だから携帯電話の番号も住所も教えただろ。当たって砕けりゃいいじゃねーか」

 

「バッカ! それで本当に砕けちまったらどうすんだよ!!」

 

 この日も雨降り。緊急の全校集会とやらに興味ないアタシはお休み。

 

 ……アタシは、おめでたい馬鹿だった。

 

 この全校集会が皆川絡みだとか、ユキの不在が学校にもバレていて坂本が探してるとか、そんな事考えもしなかったんだ。

 アタシはこの日、学校に行くべきだった。行けば後手に回ることはなかった。ゴミの葉桐や赤瀬と神木の裏切りにも対応できたかもしれない。アホの皆川が警察での取り調べが終わって家に帰ってる事も、深山楓とかいう女の事も、アタシは何も知らなかったんだ。

 後手に回った事を知らせて来たのは意外な人物からの電話。

 

『あ、新城さん?』

 

 その声を聞いて、アタシは心臓が止まるかと思った。

 

『……黒岩さんから電話があって、今うちの息子が大変なんだ』

 

 アタシは大パニックになった。

 この人だけは駄目だ。この人の存在の怖さに比べれば、秋月や黒岩なんてチワワ同然の可愛さでしかない。この人だけは駄目なんだ。この人はアタシを終わらせる事が出来る。

 ユキのおやっさんは泣いていた。そしてアタシは、こんなに苦しそうな人の声を聞いた事がない。

 

『私のせいなんだ。私が何も言わなかったから……! 新城さん、お願いだ。そこに息子がいるなら私に代わるように伝えてほしい。どうか……どうか……』

 

 アタシは恐怖に震えて、ブルブル首を振った。

 

「し、知らない! 知らない! ここにユキは居ない!」

 

『うちの息子、ぼろぼろなんだろ……? 殴られて、お金も携帯も持たずに、この雨の中を裸足で出てって……』

 

「だから、知らないって……言ってるだろうが!!」

 

 アタシは大パニックで、無茶苦茶怖くなって通話を切った。

 寒くもないのに歯がガチガチ鳴った。考える余裕なんて微塵もない。会話の内容を振り返る余裕なんてない。やめたつもりの煙草に手を伸ばし、一本咥える。震えが止まらなくて上手く火を点ける事ができない。

 

「クソッ、クソッ!」

 

 オイルの切れたジッポーライターを投げ捨てた。その直後、またスマホが鳴って、アタシは悲鳴を上げそうになった。

 

 ――葛城 瞳子――

 

「……クソッ」

 

 瞳子からの着信に安心するアタシがいる。通話に出る。

 

『……し、新城センパイ? い、今、悠希さんのお父さんから、で、電話がありました……』

 

 無鉄砲の瞳子でも、ユキのおやっさんが本当にヤバい相手だって事だけは分かるようだ。その声は震えていて、頼りなかった。

 

『ゆ、悠希さん、黒岩んとこから居なくなったって……』

 

 動いちゃいけない山が動いた。

 

「ああ……聞いたよ。瞳子、スクランブルだ。アタシは葵に連絡すっから、全員集めろ」

 

 じきに黒岩からも連絡があるだろう。なりふり構ってない。手段を問わず、ユキを探している。手に負えないほどの下手を打った。――マジだ。ブラフじゃない。

 

『わ、分かりました。すぐ呼び出し掛けます。これ……凄くマズいやつですよね?』

 

「ああ、とんでもなくマズい。おそらく……」

 

 ユキのおやっさんにまで連絡するぐらいだ。秋月の事も使うだろう。アタシが黒岩ならそうする。

 

 秋月蛍が来る。間違いなく来る。ユキのおやっさんも追々駆け付ける。二回目の鬼ごっこはフルメンバーの総力戦になる。

 

 夢が現実に近くなったような気がして、アタシは小さく溜息を吐く。

 

 ――ビーチバレーは暫くお預けだ。

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