ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
夏休みに入る前の事だ。
いつものように声を掛け、適当な事を言って連れ出したのは学校の食堂。
可愛い人が小さく頷いた。
「……いつものやつ」
「――ぶふっ、すみません。『いいこ』ですね」
自動販売機で紙コップのジュースを二人分買って、それからテーブルを挟む形で御影くんと向き合って、椅子に腰掛ける。
ほんの少し前まで、この役割は秋月さんのものだっけど、今は私、深山楓のものだ。
――御影くんは私が買いました。もう貴女には存在の一筋すら渡しません。
手にした乳飲料をちびちび飲みながら、御影くんが上目遣いに私を見つめている。
「なんでしょう。私の顔に、何か付いていますか?」
「……笑ってる」
私は足を組み、お行儀悪くテーブルの上に肘を着いた姿勢で御影くんを見つめ返す。
「いけませんか?」
「そんな事はないけど……」
あなたは私から逃げなくて、私はあなたから逃げない。
あの日、あなたは私を嫌いだとは言いませんでした。
私はただ、抱き締めたい。
赦して下さいと謝罪させて欲しいのです。
そんなつもりじゃなかったと、言い訳させて欲しいのです。
――あなたは、私を嫌いだとは言いませんでした。
◇◇
稽古と呼ぶのも烏滸がましい
背中に付いた無数の痣も、今はうっすらと僅かにその痕跡を残すのみ。痛みはない。
状況は刻一刻変化する。
インターハイを間近に控えたその日、剣道部の顧問から電話があった。
『あー、深山? ちょっと言いづらいんだけどさ、今、うちの学校大変なんだよ』
何でも薬物絡みの犯罪があり、うちの学校の生徒が結構な数逮捕されたらしい。それを受け、当面学校側はインターハイを含めた公的な行事への参加を自粛するという説明を受けた。
『もう、黒岩には連絡済みなんだけどさ。ケイにはこれからなんだ。何かある?』
「……何か?」
少しの沈黙を挟み、顧問が疲れたように溜め息を吐き出した。
『……ごめんな。こんな形で引退って事になって……もし俺に出来る事があるなら、最大限便宜はかるから……』
――それならば。
私は嗤う。虎には虎のやり方がある。
「……最後の試合を。部内だけのもので構いません。最後の試合がしたいです」
私は、やられっぱなしでいるほど、お目出度くない。そして――
「本気で行きます」
もう遠慮はしない。いつか渡したものを返してもらう。それ以上にして返してもらう。
虎には虎のやり方。
何もかも、力で奪う。こんなに分かりやすい方法はない。みっともなく言い訳するのも、涙を飲んで諦めるのも、私らしくない。
◇◇
その翌日、学校で開かれた緊急の全校集会で、事件のあらましの説明が行われた。
夏休みという事もあり、羽目を外したのだろう。薬物の過剰摂取が原因で死者が出た。その生徒の名前は公表されなかったが、誰かは大体察しが付いた。
集会が終わり、私のクラスはその話題で持ちきりだった。死んだのは――
皆川優樹菜か霧島沙織。
二人とも私のクラスメイトで、共に素行は良くない。今日は二人とも学校を休んでいるが、死人は登校できないのだから、どちらが死んだかは近いうちにはっきりする。
クラスの男子生徒たちが、死んだのは皆川さんか霧島さんかのどちらで賭けをやっていた。二人とも死んでいるという可能性もあるけれど……
死んだとすれば、皆川さんだろう。
彼女は、生きていく上で最低限必要な危機感が欠けている。
担任は、テレビ局や新聞記者が取材に来るかも知れないが、応じないでほしいと言っていた。これは、あくまでも願望であると付け加えたのが印象的だった。
私は興味なし。
隣のクラスに在籍している黒岩さんは欠席で、この件に関しては私より興味なさそうだ。秋月さんも欠席。御影くんの座席も空席だった。
御影くんに会いたい。
会って、見苦しいと思われてもいいから言い訳したい。それから抱き締めて、仲直りしたい。
それから……それから、私はどうすればいいんだろう。
あの動画の事を考えると、ずきずきと頭が痛む。御影くんは、黒岩さんとも秋月さんとも居るべきじゃない。
分かるのはそれだけだった。
◇◇
昼過ぎに帰宅して――
受験生のすることは殆ど毎日変わりがない。寝ても覚めても勉強、勉強、勉強……。空いた時間には御影くんの事を考える。
小さい。可愛い。弱い。健気。真面目。強気。口が悪い。性格が悪い。いやらしい。いやらしい。いやらしい。私はいつだって振り回されている。
毎日の課題に疲れ、ふとした御影くんの性格をノートに箇条書きしてみると、悪い所ばかりが目につくのは気のせいだろうか……。
――この、小銭女。
小銭女ってなんだ。私はちょっと腹が立ってきた。
……深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない。
面と向かって言われると、言葉に詰まる。溜め息が漏れ、ノートに視線を落とすと、健気と可愛いの箇所を強調するように幾つも丸で囲ってあった。
――あは! 早い早い!!
……絶対に復讐してやる。
そんな決意を固めた時、スマホが鳴った。発信者は――
――川村 美里――
女子剣道部の副主将として、一応部員全員の携帯電話番号は登録してある。だが、意外過ぎる発信者の名前を目の当たりにして、私は暫し考え込んだ。
「……」
コツコツ、とペン先でノートを叩きながら、鳴り続けるスマホを見つめる。
去年の新入部員。ぶっちぎりでセンスがなかったが、一年経った今は成長株一位。……それでも大した事はないけれど。
通話に出る。
『……深山。偽善者の乳だけ女。お前にだけは頼りたくなかったけど、今はそんな事も言っていられない』
清々しいまでの敵意に、私は思わず笑ってしまいそうになった。
「先日はお世話になりました」
川村さんを含めた二年生部員との『話し合い』は、顧問が段取りを付けてくれる。竹刀を使った激しいものになるだろう。
そして私の勝利は動かない。
「何か用ですか?」
川村さんは激しく舌打ちして、それから言った。
『御影先輩が行方不明になった。怪我をしていて……精神的にも不安定だ。まともな状態じゃない。今は一人でも多くの人手が欲しい。秋月と新城は来るそうだ。お前は来るか』
「……は? 御影くん、怪我したんですか? なんで? 精神的に不安定……!?」
図書館での御影くんの姿を思い出して、背筋が粟立つような感じがした。
「あ、あの状態の御影くんを、一人にしたんですか?」
『……っ、思い当たる所があるなら話は早い。この雨の中を裸足で、右も左も分からないような状態で町に放り出された。携帯も財布も持ってない。私も方々手を尽くして探しているが見付からない』
「……なっ、なっ、ど、どうしてそんな事に……」
電話の向こうで、川村さんが歯を食い縛る音が聞こえた。
『……それは黒岩に聞け。お前が来る頃にはあの女も駆け付けるだろう。場所は学校近く……マラソンコースの神社の境内だ』
吐き捨てるように言って、川村さんは通話を切った。
頭の中がぐるぐる回る。通話が終わっても、私はスマホを握り締めたまま、暫く動く事ができずにいた。
◇◇
上は白いノースリーブのカットソー。下は水色のロングスカートを履いて。
ここ数日の雨で少し冷える。長袖のシャツを羽織り、玄関口に行ったところで母に呼び止められた。
「楓、何処に行くの?」
時計の針は午後十一時を越えていて、もう高校生が出歩いていい時間じゃない。のんびりと尋ねる母には正直に言った。
「実は揉めてます。男の子絡みで、引く気は一切ありません」
先日、怪我をして帰った時も平然としていた母だ。この時もあっけらかんとして言った。
「あらあら、ほどほどにね。お父さんには黙っておくわ」
私の性格は、きっと母に似たんだろうと思う。
強情で負けず嫌い。目的がある時は寄り道しない。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。その男の子に会いたいわ」
「ええ、近いうちに必ず。可愛いから腰抜かしますよ」
無理をして得たものにこそ、価値がある。
笑顔の母に見送られ、私は家を後にした。
◇◇
雨の夜更けを歩く。
竹刀はすぐ抜けるようにレインコートの下に隠した。
「剣呑剣呑」
そののんびりとした呟きを、降り頻る雨の音が拐って消えていく。
フードを目深に被り、夜の道を行く。目的地が見えてきて、広い神社の境内に黒い乗用車が二台停まっているのが見えた。
二台の乗用車は向かい合うようにして停車していて、交錯するヘッドライトの先に――
黒岩さんが傘も差さず、膝を着いた姿勢で俯いていた。
状況が今一つ飲み込めない。
更に近付くと、雨の中、傘を差した秋月さんが黒岩さんを見下すように立っている。
「……不細工なヤツだ。これが終わったら、学校を辞めろ。お前の顔は見たくない」
「…………分かった」
雨の中、ずっとそうしていたのだろう。ずぶ濡れになった黒岩さんが力なく頷いた。
視線を乗用車の方に向けると、踞った姿勢でスマホを見ている新城馨がいて、その横で雨から庇うように傘を掲げている葛城瞳子の姿があった。
「……深山、遅いぞ」
低い声で呟いたのは川村美里。背後に七人。いずれも女子剣道部二年生の部員。
反応したのは葛城瞳子だ。
「……深山?」
雨の中振り返り、私の姿を見付けた葛城瞳子の顔が怒りに歪んだ。
「……なんで、お前が来るんだよ」
「私が呼んだ。葛城、お前より役に立ちそうだ」
馬鹿にしたように川村さんが言って、背後の七人が小さく声を上げて嘲笑った。
新城馨が立ち上がり、煙草を咥えると、そばかすの女の子がライターの火を近付けた。
「……連絡付かないのは、藍沢以外には葉桐だったな。二人一組で動け。瞳子とC作。赤瀬と神木。アタシは葵と動く」
新城馨も大勢引き連れてこの場に臨んでいる。全員、名前も知らない。
紫の煙を吐き出した新城馨の鋭い視線が私を射抜いた。
「……誰だ、テメー」
低く呟いた新城馨に、葛城瞳子が何やら耳打ちしている。
「時間が惜しい。私は行く。定期連絡はいらん。勝手にやらせてもらう」
それだけ言って、秋月さんは私を見ることすらせず、車に乗り込んだ。
「御影先輩が心配だ。私たちも行こう」
別れ際、ちらりとこちらを一瞥した川村さんは嘲笑っていた。この場に私を呼んだ事が、彼女としては最大限の譲歩だったのだろう。後は勝手にやれという訳だ。
秋月さんに続いて川村さんが去り、新城馨が気まずそうに頬を掻いた。
「……え、っと……ユキの客か? 悪かったな。幾ら払った? アタシが返すわ」
「…………」
馬鹿にしてる。
私はぐんと胸を張り、嫌悪を込めた視線で新城馨を睨み付けた。
胸がざわつく。
彼女の存在が御影くんを駄目にしている。彼女の優しさが御影くんを駄目にしている。彼女さえ居なければ。彼女さえ居なければ……!
人の運命は複雑な迷路に似て、時に出口を見失う。だが、答えを見誤ってはいけない。
激情の赴くままに、私は叫んだ。
「新城馨! お前と一緒にするなッ!!」
人が真剣に愛を語るとき、綺麗事ばかりでは居られない。優しいばかりが愛じゃない。時に茨の道を進む覚悟が必要で――
「優しさで全て誤魔化すんじゃないッ!!」
優しすぎる愛は依存性の強い麻薬に似ている。私のそれは、そんなに甘く出来てない。時に残酷で、時にエゴイスティックな感情。
ただ、抱き締めさせて下さい。
ただ、側に居させて欲しいのです。
あの日――あなたは、私を嫌いだとは言いませんでした。
だからもう一度、私は小箱の中身に手を伸ばす。