ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
第100話
貧血を起こしたぼくは、シオリの胸に顔を埋め、屋外で荒れ狂う風の音を遠くに聞いている。
「……ユキさん、落ち着いて下さい。暴れないで、深呼吸して……そう……」
ぼくは小さく頷き、目を閉じたまま深呼吸を繰り返した。
目が回る。心臓の鼓動がいやに近くに聞こえる。額に冷たい汗が浮かび、頬を伝って落ちていく。シオリは、ずっとぼくを抱いていてくれて、落ち着くまで背中を擦っていてくれた。
「……シオリ……双子は……」
「う、嘘です。ごめんなさい。あの一年生二人の事なんて、私は知りません……」
それこそ嘘だ。上目遣いに見つめると、シオリはこれ以上ないぐらい眦を下げ、心配そうにぼくの目を見つめ返して来る。
「ご、ごめんなさい。もう絶対に喧嘩しませんから、今夜はこのまま寝ちゃいましょう」
「……」
疲れに霞む視線を逸らすと、ぼくに打たれた左の頬を擦り、俯いているカナメの姿が見えた。
「……三人の中で、シオリが一番まともだと思う……」
「………………」
シオリは目尻を下げ、今にも泣きそうな顔になった。
「……シオリは煙草を吸わないし、いい匂いがするんだ。キスも上手いし、優しいし……」
「……」
苦しそうな溜め息を漏らし、強くぼくを抱き締めるシオリが掠れた声で呻いた。
「……もぅ、降参……降参……本当、ごめんなさい……何でもしますから、許して……」
先ほど見せた鬼の剣幕も何処へやら、シオリは泣きそうな顔で口を閉ざしてしまった。
「……」
ぼくに叩かれた事なんて、カナメには取るに足らない出来事の筈だ。怒り出すかとも思ったけど、意外とショックだったようだ。ぼんやりと言った。
「……叩いた」
目を閉じ、ひたすら回復に努めるぼくに、カナメは改めて不思議そうに言った。
「……ユキくん、
本当に理解出来ないといった感じのカナメの調子に、ぼくはまたカッとなった。
シオリの抱擁を振りほどき、立ち上がった。
「……お前は」
湧き上がる怒りで目眩を捩じ伏せ、ぼくは目に力を入れてカナメを睨み付ける。
ここへ来て四日経つ。双子が『差し出された』とするなら、既に四日以上経過していると思うべきだ。
ぼくは休んでいる場合じゃない。
「カナメ、双子は何処にいるんだ」
「……え?」
訝しむように首を傾げるカナメは、言ってる事の意味が理解出来ないようだった。
「今から連れ戻しに行く。シオリは手伝え」
「は、はい」
ここら辺がシオリの良いところだ。強情なところもあるけど、根っこの部分はとても女性的で補助体質。彼女は、ぼくの主導権を妨げるような事はしない。
「ミサキは……あの子は馬鹿だから置いて行く。足手まといはいらない」
ミサキは面が割れている。軽率な彼女を連れて行く訳にはいかない。同様にシオリも面が割れている。手伝わせるにしても、何処かで置いて行く事になるだろう。決定的な場面では、ぼくかカナメのどちらかが動く事になる。
ぼくは、一歩カナメに詰め寄った。
「百万円」
「……え?」
「お前と遊んでやった値段だよ。タダだとでも思った?」
活動の資金がいる。オケラじゃ何もできやしない。気が進まないけど、最悪、シオリとミサキに借りなきゃいけない。
「ビタ一文負けないから、耳揃えて払いな。それとも、踏み倒してみる?」
「……」
カナメは、今にも泣きそうな顔で笑った。
悪党が一人前に傷付いたフリをしている。ぼくは何も思わなかった。むしろ強い怒りが込み上げ、更に一歩詰め寄り、カナメの膝を踏みつけた。
「今は、あるだけで構わないから、財布出しな」
「…………」
俯いたまま、カナメは答えない。ここで出すお金が、ぼくと彼女の関係の値段になる。
「シオリ、ぼくの服、持ってきて。ミサキは呼んじゃ駄目だよ」
「は、はい……」
腰が抜けていたのか、シオリが這うようにして部屋を出て行ってしまうと、辺りは妙に静かになった。
「……って……こと……できる訳ないし……」
カナメが口の中で何やら言っている。その煮え切らない様子に苛立ったぼくは、ぐりぐりとカナメの膝を踏みにじった。
「……の、ことどう思う……?」
「聞こえないね。ハッキリ喋りなよ」
「ワタシのこと、どう思ってる?」
鼻で嘲笑って、ぼくは言った。
「ヤクネタ」
カナメはトラブルばかり持ち込む。
しかし、ぼくも口が悪くなった。カオルやトウコの真似だけど、二人が知れば悲しむと思う。
カナメが弱々しい声で呟いた。
「……ユキくんには、皆、そうだよね。カオルさんも葛城も、神木や赤瀬だって……」
だから、皆と同じだとでも言うつもりだろうか。
「お前ほどじゃない」
葉桐要は
「双子の居場所が分かる? 連れ戻しに行く。お前も来るんだ」
ぼくはそんなに甘くない。カナメには責任を取らせる。ここから、彼女には全てを賭けてもらう。
◇◇
やがて雨が降る。
七分丈のズボンに上は大きいロングTシャツを着て。着替えはシオリに手伝って貰う。両方、智から借りたままになっているもの。洗っているけど、所々薄く血痕があって、なんだか煤けて見える。
「葉桐、別の服ない? このままじゃ……」
シオリが険しい表情で言って、それにカナメが難しい表情で頷く。
「……さすがにこれは不味いね。どこから見ても家出少年だ」
実際、今のぼくは誰の目から見ても草臥れて映るんだろう。否定できない。
「葉桐、ユキさんの履き物ある?」
「なんでもいいよ。そんな事より急ごう」
「だから、駄目ですって……聞きましたよ? なんか、パン屋のオバサンに連れて行かれそうになってたって……」
「パン屋のおばさん?」
黒岩英雄に殴られ、カナメに保護されてここに来るまでの間の事は記憶が曖昧だ。よく分からない。
「自覚して下さい。賭けてもいいですけど、そんな格好してたら、あっという間にどうにかされちゃいますよ?」
ぼくの着替えの間、シオリは、ずっとそわそわしていた。
「クッソ、ろくな服がない。女もの着せる訳にも行かないし……」
「なんでもいいよ」
「良くないですから!」
シオリは妙に強情だった。この格好じゃ、あっという間にぼくが拐われてしまうと信じて疑わない。カナメもそれを疑わず、家中の古着を引っ張り出して考え込んでいた。
三十分ほどして、結局、ぼくの着衣は定まらず、街に降りてから新しい衣服を買い求めるということで決着した。
「……まあいい。それじゃ、車呼ぶよ」
カナメは、気が変わらないか何度も聞き直して来たけど、変わらないぼくの様子に遂に諦め、疲れたように溜め息を吐き出した後、何処かに電話を掛けた。
カナメには独自のコネクションがある。勿論、全うなものじゃないけど、この場合は役に立つ。
「……ああ、ワタシ。一台回して――いや、一晩借りたい。運転はワタシがする。……うん、うん……軽自動車でいいよ……」
とりあえず車を手配して、それに乗ってぼくたちは街に降りる事になった。
「……カナメ、車の運転できるの?」
「まあ、軽自動車でオートマですから……」
「簡単なの? ぼくが運転したい」
この言葉に、カナメとシオリは固まった。
二人は、まじまじとぼくを見つめ、困ったものを見るように眉間に皺を寄せ、異口同音に言った。
「「面白い冗談ですね」」
「……」
この中じゃ、ぼくが一番年上だし、どうせ皆免許なんて持ってないんだから、誰が運転したって同じだと思っての提案だったんだけど、二人には受け入れられなかった。
カナメは、打たれた頬を擦りながら、時折、ぼくの顔色を窺っている。怖がるというより、興味津々という感じ。
険しい表情のシオリは、ぼくを庇うように、ずっと肩を抱いていた。
◇◇
更に三十分ほどして、日付が変わりそうになった頃、カナメのスマホが鳴って車がやって来た。
外は雨混じりの強い風が吹いていて、ぼくはやって来た時と同様に、カナメに背負われて家を後にした。
狭い山道を行く。
ミサキは置いてきた。この後、する事を考えると、それが一番いい。横殴りの雨の中、傘を持ったシオリが、ぼくを背負うカナメに寄り添うという格好。
五分ほど山道を降り、通りに出た所で、路肩に停まった軽自動車のウインカーが点滅しているのが見えた。
「……あれだ」
カナメには独自のコネがある。そのコネで用意した軽自動車は、所々ボディがへこみ、塗装も何だか滲んでいて、大分傷んで見えた。
シオリが幾分悲しそうに言った。
「うわっ、ボロ……」
「……嫌なんだったら、アンタは残りな!」
怒ったカナメが突っ込んだ。
ぼくは後部座席に突っ込まれ、その後を追ってシオリも後部座席に乗り込む。カナメが運転席に乗り込んだときには、ぼくらは全員濡れ鼠だった。
「とりあえず、街に降りるよ」
持ってきたタオルで甲斐甲斐しくぼくの濡れた身体を拭くシオリを一瞥して、カナメがバックミラー越しに視線を送って来る。
これから24時間営業のディスカウントストアに行って、ぼくの衣服やその他の雑貨を購入する。
そこで打ち合わせ。
双子の居場所を確認して、連れ戻す。言葉にすればそれだけの事だけど、成り行きによっては非常な危険を伴う。
カナメが言った。
「この車、明日には廃車の予定なんで無茶がききますけど、車検は切れてるし、警察に捕まったら厄介です。急ぎましょう」
「……」
眉間に皺を寄せ、シオリは嫌悪感を隠さない。
「お前、どういうコネだ?」
高校生のする事じゃない。そんなカナメの行動の限界は、ぼくが考えるよりずっと上に設定されている。シオリが嫌がる訳も分かる。
カナメは鼻を鳴らした。
「別に。廃車寸前の軽自動車を一日貸して三万。ボロい話さ」
「そんな事言ってんじゃねーよ」
そう。お金を用意するより、『そういうこと』が出来る人間関係を構築する方が難しい。『普通』じゃとても無理な事だ。
シオリの感性は全く正しい。カナメに隙を見せる訳にはいかない。彼女の『悪』は、ぼくなんかの手に負えない。
それを改めて認識して、ぼくは短く言った。
「街に戻ろう」
窓の外では風が荒れ狂い、生い茂った草木がざわついている。
今夜は、長い夜になりそうだった。