ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
人には身に纏う空気がある。ユキナの場合、お気楽で何処かしら人の緊張を解く気安さのようなもの。
「知り合いなんで、大丈夫でーす」
ユキナの間の抜けた笑顔と言葉に、納得出来なそうにしながらも野次馬連中が消えていく。ぼくやシオリなんかには出来ない事。天性の資質と呼べるもの。
「……痩せたね……」
鈍いつや消しの黒髪を揺らして、ユキナがぼくの顔を覗き込んで来る。
「あたしも色々あったけど……ユッキーはもっと大変だったみたいだね……」
ユキナが被せた帽子を目深に被り直し、ぼくは視線を伏せた。
「ただいま、ユッキー」
「……おかえり、ユキナ」
戻ってくるなんて思ってなかったけど、どうやら、ぼくは、ユキナを真剣に信用しなきゃいけないようだ。
◇◇
店舗奥のイートインスペースに移動して、ぼくらは適当な場所に陣取って腰掛けた。
ユキナはお気に入りのぬいぐるみでも持ち歩くみたいにぼくを抱いていて離さない。
「……大変だったね。こんなんじゃ、褒めてくれなんて言えないじゃん……」
「ユキナは……いつ取り調べが終わったの?」
ぼくの問いに、ユキナは下唇を突き出して考えるようだった。
「三日……いや、もう四日前になるのかな?」
「そう……」
ちょうどカナメに匿ってもらい始めたタイミングだ。ぼくに何度も電話したけど、全然繋がらなかったから心配したようだ。さすがに暫くは家から出られなかったみたいで、今日は宛もなくぼくを探していたらしい。
「この天気じゃん? ぶらつくのも限界あるし、とりあえず時間潰してたんだよね」
そんな事を言いながら、ユキナは大人ぶってぼくの頭を撫でて来る。
「それより、ユッキーの事聞かせて」
ユキナは眉をひそめてぼくの額の傷を見つめている。
ぼくは……
◇◇
話を混乱させないよう、要点だけをかいつまんで説明した。
二人組の男に殴られた事。額の傷はその時負ったもので、カナメや瞳子の事は言わなかったけど、智の事は正直に言った。
「……って、黒岩智? 同じ中学校? スマホ狩りの黒岩と?」
「ユキナは智の事を知ってるの? スマホ狩りってなに?」
ユキナは難しい表情で首を振った。
「知ってるって言っても話した事なんかないし、あいつ、無茶苦茶ヤバいやつじゃん」
「そうなの……?」
「理由は知らないけど、中学のとき黒岩がスマホ狩ってたのは聞いた事ある。なんでも……」
そこまで言って、ユキナは急に黙り込んだ。
「ユキナ……?」
そのユキナの視線を追うと、ぼくの背後に立っていたシオリが目を逸らした。
「と、とにかく分かった。んじゃ、ユッキーは黒岩と一緒だったんだ」
「……うん、まあ……」
複雑な気分になり、歯切れの悪い返事をするぼくに、ユキナがエグく言った。
「ヤった?」
ぼくは呆れて盛大に溜め息を吐き出した。
「……ヤったよ。何度も何度もね。問題ある?」
「ユッキー、やるじゃん。あの黒岩をヒイヒイ言わせたんだ」
「……」
パッパラパー子は伊達じゃない。この低レベルな会話に、ぼくは強い目眩と頭痛を覚えた。
「どったの、ユッキー?」
ユキナは飽きもせず、じっとぼくを見つめている。
「……ユキナは、気にならないの?」
「別に? ユッキーは今ここに居るし、そういうことでしょ?」
確かにそうだ。ぼくはもう、とっくの昔に智を捨てている。今はもう、何も思わない。
僅か数日前の事だ。それがもう、忘却の彼方の出来事。少しおかしくなって来て、ぼくは笑った。
「………まぁ、そうだね。それより、ユキナは出て来て大丈夫なの?」
そこでユキナは、両手で大きなバッテンを作った。
「ダメ。朝には帰らなきゃ不味い」
「無茶するねえ」
ぼくはクスクス笑って、現状の説明はやめた。父さんとの会話や黒岩英雄との経緯は話さない。
「一つ言っていい? ユキナ、その髪すごくダサい。なんとかならなかったの?」
この質問は弱い所を突いたようだ。ユキナはぼくから帽子を取り上げ、自分で被り直して顔を逸らした。
「あたしが選んだんじゃない。親父に無理矢理染め直されたんだ。しょうがないじゃん」
「それにしたって、もっと自然な色があるよ。黒過ぎて却って不自然に見える」
「母ちゃんの白髪染めだよ。っとに、最悪」
ユキナとの会話は深刻にならない所がいい。ぼくは何も考えずに減らず口を叩き、久し振りに笑った気がする。
「……」
シオリは薄い笑みを浮かべ、突っつき合うぼくとユキナを見つめている。
唐突に――
「――で、ユッキーと一緒に居たオマエは誰なんだ?」
ユキナは笑顔のまま、場の空気を一気に氷点下まで下げた。
「……っ」
不意を突かれ、シオリはキョロキョロと視線を泳がせる。
「……オマエ、何処かで見たな……新城が連れて――あ痛っ!」
ぼくはユキナの髪を引っ張った。
「シオリには世話になったんだ。そういう口利かない」
ここ数日、体調を崩していて、その間はシオリが中心になって看護してくれた事。ついでにミサキやカナメの事も説明した。
「……カナメって、葉桐要? 二年の?」
「そう。知り合い?」
「……いや、沙織が……」
そこまで言って、ユキナは難しい表情で考え込んだ。
「……アイツ、すっげーワルだぜ?」
「知ってる。カナメはお客さんなんだ」
「って、そっちか……」
ユキナは呆れたように髪をかき回し、悲しそうに目尻を下げた。
「ちなみに、幾らで売ったの?」
「百万円」
「…………」
ぼくの答えにユキナが固まり、それを見たシオリが吹き出した。折よく――
「……帰って来ないんで心配したって――皆川さんじゃないスか」
車で待っていたのだろう。少し苛ついた感じのカナメが現れた。
「い、いらっしゃいませ~」
ユキナが引きつった表情で言って、ぼくは大いに笑った。
◇◇
ユキナの膝に座らされたぼくを見て、カナメは片方の眉を持ち上げた。
「ご無沙汰してます。霧島さんの事は気の毒でした。それで……皆川さん、取り調べはどうだったんですか?」
上手く隠しているけど、ユキナの登場にカナメが気を悪くした事が、なんとなく分かった。ほんの少し、口調に刺々しさを感じる。
「別に。警察に取り調べ受けるのは初めてじゃないし、ただ……」
そこでユキナは、背後から抱き締めたぼくの腰を引き付け、だるそうに肩に顎をのせた。
「……帰るとき、『逃げないな?』って念押されたのが少し印象的だったかな……」
取り調べの内容について、ユキナは疲れたように語った。
「何度も同じ事訊かれて、答える。食い違いがあればそこを詳しく、しつこく訊かれる。何度も、何度も、何度も……」
「霧島さんは……」
「あいつが死んだのはクスリのせいさ。なんで救急車呼ばなかったんだって、そこは厳しくやられた。なんかホゴセキニンシャイキチシとか難しい事言ってたな……」
「……大丈夫なんスか、それ……」
カナメが眉をひそめて言って、ユキナは首を振って見せた。
「……学校、クビになるかもしんない」
「ウソ。それ本当?」
ぼくが驚いて問い質すと、ユキナは何処か面映ゆそうなユルい笑みを浮かべて頷いた。
「気になる? あたしの事、心配?」
「当たり前じゃん。何を言ってんのさ」
「……」
ユキナは、ぼくの首筋に顔を押し付けて唸った。
「……くぅっ、たまらん。連れて帰ろう……」
「なんで、そうなるのさ」
ぼくの耳元で、小さく囁くように言った。
「顔を傷付けられる方が、ずっと辛いよ……」
「……」
「すげーパコりたい。ちょっち濡れてるけど、我慢するね……」
「んん、擽ったい」
悩ましい吐息を吹き掛けて呟くユキナの対応に困っていると、眉間に深い皺を寄せたカナメが分厚い封筒を突き付けて来た。
「はい。取り敢えず三十入ってます。ワタシも入り用なんで、今はそれで勘弁して下さい」
「……?」
カナメが差し出した封筒の中身を確認すると、三十万円もの大金が入っていた。
「残りはまた今度」
シオリとユキナが、ぴゅうと唇を尖らせ、カナメは平然として言った。
「ケジメは着けるよ。ユキくんも、それ受け取る以上はワタシを蔑ろにしないでほしいね」
実際に、三十万円もの大金は触れるのも見るのも始めてだった。
「…………」
夏休みに入る前のぼくなら、素直に喜んだと思うけど、何も感じない。多分、ぼくの中にあった何かが摩り切れてしまったんだと思う。
心の中で冷たい何かが首をもたげ、ペロリと唇を軽く舐め上げる。
上目遣いにカナメを見上げ、ぼくは心からの笑みを浮かべた。
「またのご利用、お待ちしておりますね?」
「……っ」
ぼくを見つめるカナメの表情に、面食らったような困惑の色が浮かぶ。
ごうごうと吹き荒ぶ風と降り止まぬ雨の中、ぼくの中で目を覚ましたものは…………