ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
細く、暗い通路を行く。
尖った声のユキナと情けないシオリが泣き声で言い争っていて、それも遠くなって行く。
……ユキナには不注意な所がある。ここにいるのも、本来はあっちゃ行けない事で、色々と言い聞かせる必要がある。
そんな事を考えながら階段を上がると、通路にまた等間隔でケミカルライトが落ちていて、ぼくは少しだけ笑った。
絶対に見つけてほしいもの。そうじゃなきゃ困る。男たちのそんな心境が透けて見えて、皮肉な笑いが込み上げる。
カナメは、どうするんだろう。
彼女の悪と能力は、とっくにぼくの想像を越えていて、その行動も理解を越えている。
暗い通路の奥。
開きっぱなしになっていて、僅かに明かりが漏れだす客室から、何かを叩く鈍い音が響いて聞こえた。歩み寄り、そっと室内を覗き込むと……
「ワタシに、恥をかかせるんじゃないよ」
ぼんやりとした明かりの中、抑揚のない声で言って、カナメが双子の片割れを思い切り蹴り上げた。
「ぅあっ!」
短い悲鳴を上げ、身体を折って咳き込む双子は余程カナメに反抗したんだろう。頭髪は引っ張り回されたように乱れ、身体のあちこちに踏みつけられたような靴の跡が付いている。
少し時間を置きすぎた。
「――カナメっ!」
慌てて室内に駆け込んだぼくは、そのままの勢いで、カナメの腰にしがみついた。
「ちょっと待って! カナメ、どうしたの!? 何をそんなに怒っているの!」
抱き着いたぼくを柔らかく受け止め、一息着いたカナメの怒りが少し弱まる気配がした。
「あ、ああ、ユキくんか。あんまり不細工なんで、帰ったかと思ったよ……」
「分かった。分かったから……」
身体を引き寄せ、双子から隠すように抱き締めても、カナメは逆らわず、ぼくの胸にすとんと収まった。
「この子たちは、カナメにとって大切な子たちだよね? 矛盾しているよ。落ち着いて。落ち着くんだ」
カナメはきつく目を閉じ、分かっていると言わんばかりに何度も頷いた。
「……ケッ!」
ふと、燃えるような視線を感じて顔を上げると、憎悪に満ちた目でカナメを睨み付ける双子と目が合った。
「……あんだよ。あたしらが突っ込まれてる間、でけえクリチンポ舐めてもらったんだろ!? 良かったな!」
「キモいキモい! テメーが何者か忘れてんじゃねーよ!!」
双子の罵倒は鋭い悪意になって、カナメの一番の弱味を切り付けている。
「……っ!」
眦を釣り上げ、それでも耐える激発寸前のカナメの耳を塞ぐように、ぼくは必死になってカナメを抱き締めた。
「双子は黙れ!」
「双子じゃねーよ! アンタもあたしら馬鹿にして、安く見てんのかよ!!」
仲違い。それも、うんと深刻なやつ。カナメは間に合わなかったんだと思った。
無理もない。
双子は両方の乳首にピアスを着けている。好きでやったように思えないから、男たちがやったことだろう。殴られては居ないけど、二人から漂う臭気は青臭い精液のそれだ。お腹にはニイミの内股に有ったのと同じ『正』のマークが数えきれないぐらい描かれている。徹底的に、汚された……。
◇◇
どうしようもないことが起こってしまった場合、人にできることは少ない。
あのひとの言葉。
それでも、自分にできる事を探しなさい。精一杯やりなさい。
それでも、届かないことが殆どだけれども。
もしかしたら、神さまが聞いていてくれるかもしれないから。
◇◇
――ホント、笑っちゃう。
◇◇
双子は、どうしてぼくを呼んだんだろう。
「馬鹿になんかしてない。してないから……」
ぼくにできる事なんてない。
「嘘つけ! テメーに関わって、この有り様だよ!」
必死になって反発する双子は、ぼろぼろに泣いていた。
「なんで、すぐ来ないんだよ!」
カナメの事だろうか。ぼくの方は、ユキナとヤってましたなんて口が裂けても言えない。黙ったままでいるしかない。でも――
「――――っ!?」
ぼくが正面から見つめると、憎悪に燃える双子の目に僅かな動揺と狼狽の色が浮かんだ。
「……?」
「そ、その傷は…………」
双子の目は、ぼくの額に釘付けだった。
「ああ、これ。これはあのときの……」
まだ、間に合うのだろうか。ぼくにできる事は、どうしようもなく少なくて。気の利いた言葉なんて見付からなくて。
双子は見る見る内に消沈し、無力感に苛まれる人のように俯いた。
「ちくしょう……」
僅かな動揺。小さな呻き。
ぼくはそれを見逃さず、双子に歩み寄る。すかさず、開いた心の隙間に入ってしまう。ぼろぼろに傷付いた双子を抱き寄せる。
「……遅れて、ごめんなさい……」
「――!」
瞬間、双子の瞳が炎を巻き上げて燃え上がったように思った。二人の伸ばした手が、ぼくの着ていたカーディガンを捻り上げ、弾け飛んだボタンが床に転がる。
「…………つっ」
胸元の傷が露になる。古傷。ぼくにとっては昔のこと。消えない傷。消せない
ここまで。
ぼくを睨み付ける双子の表情が、くしゃくしゃと苦しそうに歪み、瞳に新しい涙が溢れた。
「……もう、終わったから……」
優しい言葉は、智やミサトに教わったものを使った。
「それはもう、終わったんだ……」
「――!」
双子は震えていた。ぼくの胸元に、消えない傷に顔を押し付けるようにして、最後の悲鳴を上げた。
「……ぅぁ…………」
「ごめんね……」
ぼくが改めて抱き寄せると、双子は火が点いたように泣いた。生まれたばかりの赤ん坊のように泣いた。
間に合ったんだろうか。
ぼくは、自分にできる事を探すけど。
「……」
結局は沈黙を選んでしまう。
大きなお腹の妊婦さんから、赤ん坊を取り上げる助産婦さんのように。
この夜、ぼくは闇の中から双子を取り上げた。
――君は魔性じゃ、御影君。
力が、上がった状態のぼく。
◇◇
生まれたての双子は、その瞳にぼくだけを映していた。
カナメは室内から出て行き、僅かに開いたままの出入口の向こうで煙草に火を点けた。
おまかせ。そういう事だろう。
床には新しい洗面器が転がっていて、辺りは水浸しになっていた。
きっとカナメが用意したものだろう。近くに二リットルサイズのミネラルウォーターのペットボトルが三本転がっている。
「……」
ぼくは黙って洗面器を引き寄せ、その中にミネラルウォーターを満たした。布巾かタオルがあるはずだけど、何故か見当たらなかったので、代わりにぼくが着ていたシャツを水に浸した。
「……ちょっと冷たいけど、ごめんね……」
ぼくに身体を拭かれている間、双子は動かずにじっとしていた。
乳首に付いたピアスを取ったときも、お腹の『正』の字を拭き取る間も、大人しくしていた。
新しい絆ができる。
多分、ぼくが思っている以上に強固で厄介な代物。
性器は二人とも陰毛を剃られてしまっていて、乾いた男たちの精液で酷く臭った。その性器を拭き取る間も、双子は大人しくしていた。
「ええと、ナナとエルだっけ……」
ぼくは、どうしても二人の名前が思い出せず、思い切って訪ねると、ぷっと吹き出した。
「マナ……愛実です」
「ヨリだよ……依子」
ナナエルでいいじゃない、と思ったけど、口に出してはこう言った。
「全然違ったね、ごめん。ぼく、名前覚えるの苦手なんだ」
「……そうみたいですね。これからは、覚えて下さい……」
マナの方がそう言って、ぼくは小さく頷いた。
マナヨリ。ナナエルじゃない。力の一号と技の二号でもない。そんな事を考えるぼくを、ヨリが睨み付けて来た。
「……しょうもないこと考えてるでしょう?」
「なんで分かったの……?」
驚いて尋ね返すと、双子はまた吹き出して笑った。
時々、カナメに考えを読まれる事と関係があるのかもしれない。
「えっと、二人の服は……?」
「……」
双子は黙って首を振った。ここにはない。全裸で解放されたようだ。
「シオリを呼んでいい?」
嫌そうに眉間に皺を寄せた表情で、マナの方が首を振った。
「神木さんですか? あの人、嫌いです」
「えっと、それじゃユキナは……」
ぼくが言い終わる前に、今度はヨリが首を振って言った。
「誰です、そいつ。御影さんが居るのは聞きましたけど、他にも誰か居るんですか?」
そこでぼくはユキナの事を説明した。
ここに来る前にディスカウントショップに寄った事。そこで皆川優樹菜っていうぼくと同じ歳の女の子と合流した事。
「……皆川って、アホの?」
「あり得ないです。パスで」
そんな双子に答えたのは扉の外の声だ。
「聞こえてるぞ、コラ!」
ユキナはもう来ていて、扉の外にいたようだ。
ぼくが慌てて扉を閉めると、双子はまた吹き出した。
でも困った……。
これでもぼくは男で、今の双子の対応は正直にいって手に余る。
カナメが嫌われたのは分かる。双子は失望している。きっと、求めるものが多かったんだろう。でも、シオリを嫌がる理由が分からない。
「……葛城さんとか、神木さんも赤瀬さんも、二年の人は、ちょっと……」
つるむと何でもやってしまう。そう言ったユキナの言葉を思い出して、ぼくは複雑な心境になった。
実は、ぼくも同じ事を感じている。集まると何をするか分からない。これはぼくの知っている今の二年生の女の子全員に言える事だ。
集団意識。つるむと気が大きくなる。
これに言及したのは去年のシュウだ。
連帯感には二種類あって、いいものと悪いものがある。思い出したのはミサトのこと。剣道部の二年生の女の子たちのこと。
つるむと何でもやってしまう。
シュウには天才的な閃きがあって、何気なく言ったことが本質を捉えている事が珍しくない。
あのとき、シュウはなんて言った?
――一年生『だけ』しか居ない場所に、一人で行かないでほしい。
今の『二年生』の事だ。
「……」
難しく考えていると、ヨリの方が大人ぶって頭を撫でたので、ぼくは少しイラッとした。
「なにすんのさ」
「いや、思ったより真剣に聞いてくれて嬉しかったのと、ちょっと可愛かったから……」
次は、ぼくの目潰しが火を噴く。内心でそう誓い、ぼくは頷いた。
「……分かったよ。でも、ぼくが一人で何でもは出来ない。それは分かるね」
現実的な話だ。ぼくは秘密道具が入っているポケットを持った未来の猫型ロボットとは違う。双子の服がポンと出てくる訳じゃない。
「……それは、まあ……」
渋々頷く双子を横目に立ち上がり、ぼくは扉から通路に出た。
「ユッキー!」
等と言って、ぼくに抱き着こうとしたユキナには目潰しをお見舞いしておく。
「うわ、危なっ」
ひらりと身をかわしたユキナだけで、通路にカナメとシオリの姿は見えない。
「二人は?」
「葉桐なら正面に車回すって出てった。神木は吉川のとこに行ってる」
「……そう。何か預かってない?」
「あぁ……はい」
そう言ってユキナが差し出して来たのは、大きな買い物袋二つの大荷物だった。中にはジュースや衣服や消毒薬、痛み止めなんかの内服薬も入っている。
袋の中身を確認していると、ユキナがすり寄るようにしてぼくの腕に抱き着く。
耳元で、囁くような小声で言った。
「……ねえ、あたし、飽きちゃった。もう逃げようよ」
「…………」
そこでぼくは手を止め、少し考えた。
逃げる、っていうのはすごくユキナらしい提案だ。飽きた、という理由は論外だけど、ここでカナメと別れるというのは悪くない提案だ。
――葉桐要はヤクネタだ。
これ以上、関係したくない。そのカナメが用意した軽自動車に八人も乗れる訳がない。後部のトランクに二人を押し込んだとしても六人が限界だ。だとしたら最低二人が別行動を取る必要がある。
「OK。それじゃユキナ、ずらかるよ」
「good☆」
ユキナはパチンと手を叩き、両方の手の人差し指でぼくを差し、笑顔でウインクした。
ムカつく仕草だった。
それはともかく、時間的にも日の出が近い。ユキナは朝6時迄に帰さなきゃならないから、ここで油を売ってる時間もない。
「忘れ物ない? あったら大変だよ? ぼくは取りになんて戻らないからね」
「ないない。葉桐に言われた通り余計なもん触ってないし、扉も触ってない」
双子には悪いけど、時間は有限だ。そして、決めてしまえば話は早い。
「それじゃユキナ。正面エントランスに行って待ってて。そこにぼくのレインコートも置いてあるから」
「正面エントランスって、それどこ?」
「ユキナがいやらしい汁まみれにしたところ」
それだけ言い残し、ぼくはまた双子がいる室内に戻った。
◇◇
室内に戻ったぼくが、ここから別行動で帰る事を告げると、双子は物凄く渋い表情になった。
「八人も乗れないのは分かりますけど……」
吉川もニイミも危ない事を考えると、優先順位の問題でぼくとユキナがあぶれるのは必然だった。
「やったことないけど、ぼくが運転してもいいなら――」
「「それはパスで」」
ノータイムの拒絶にムッとしたぼくを見て、双子は可笑しそうに笑っていた。
袋から取り出した衣服を双子に渡す。二人が着替えている間、ぼくはせっせと周囲のゴミを回収した。
カナメが用意したのは、無地で安物のスウェットだった。黒一色。ぼくは益々双子の見分けが付かなくなった。
無論、実際の二人は双子じゃない。身長はヨリの方が高いし髪だって長い、マナはぼくより少し背が高い程度でおかっぱ頭。でも若干色を抜いた茶色い髪は同じで、同じ服を着ていると、どっちがどっちだか分からなくなる。もう、力の一号と技の二号でいいなんて考えてしまう。
スポーツドリンクのペットボトルを差し出すと、二人とも喉が渇いていたのか、一気に全部飲み干してしまった。
ぐいっと袖で口元を拭い、ヨリが言った。
「学校が始まってからでいいんで、三人で会えます?」
「それはいいけど……」
そんな先の事は分からない。ぼくは空手形を切って話を受け流した。
闇の中、一瞬、ヨリを見たマナが強く頷いたのが見えた。
「……皆川さんは、気を付けた方がいいと思います……」
「分かった」
やはり、ユキナは危ない立場なようだ。ぼくは殊更確認する事はせず、深く頷く事でマナに返事を返した。
三人で部屋を出た。
何故か双子は、左右に別れてぼくの両手を握っている。二人とも、ぼくより背が高いから、こうしていると連れられているのはぼくみたいに思ってしまう。
「ちっさい……」
「……すべすべ」
双子は案外元気なようで、二人で何か喋っている。
エントランスホールでは、ホテルの薄汚れたシーツを被った吉川がソファに座り、床には気を失ったままのニイミが、やはりホテルのシーツを身体に巻き付けて転がっていた。
そのニイミの脈を計っていたシオリが、ぼくを見つけると、パッと笑みを浮かべて顔を上げた。
「あ、ユキさん!」
瞬間、左右の双子がビクッと震え、隠れるようにぼくの背後に回った。
「……ニイミはどう?」
ぼくが用心深く尋ねると、シオリは何でもない事のように笑顔のままでこう言った。
「死んでません」
「…………そう」
双子が嫌がる訳が、なんとなく分かった気がした。
びしょ濡れのカナメは暗がりにいて、こちらは煙草を吸っている。少し離れて、レインコートを二つ持ったユキナ。
「……来たか」
カナメが双子を見る目は冷たかった。
「……ここにはマナとヨリが残ります。後で迎えに来るんで、ワタシたちは帰りましょう」
ぼくは、ここでもカナメを勘違いしていたことを覚った。
双子は、カナメが触れられたくない傷に触れた。触れてしまった。もう後戻りできない。
「カナメ。ぼくとユキナは別行動で帰るから、双子を先に――」
「駄目です」
ぴしゃりと言って、カナメは短くなった煙草を吐き捨てた。
「ユキくん、ワタシらを切るつもりだろう。駄目だ駄目だ。そんな事は認められないね」
「……」
シオリは納得しているのか答えない。取り込まれたと見るべきだろう。
「さっき……はっきり分かった。ワタシは、ユキくんが必要なんだ」
「…………」
ぼくを見つめるカナメの瞳は、淀んだ明かりの中、黒い炎で燃えているように見えた。
「とりあえず、アンタだ。他の事は後で考える」
ぼくは……
「お断りだね。ユキナと帰るって決めたんだ」
そう言って、べえっと舌を突き出して見せた。
「…………」
しいん、として妙な沈黙が流れた。暫くして――
「ぶふっ!」
と空気を読まないユキナが吹き出して、釣られたように双子も笑った。
「…………」
カナメは口をへの字に曲げ、毒気を抜かれたのか、やれやれと首を振った。
「ちっ……分かりましたよ。ここは泣いときましょう。携帯の番号渡しときますんで、いつでも電話して下さい。神木、テメーもそれで納得しろ」
カナメは馬鹿じゃない。落ち着いてしまえば合理的な判断ができる。
双子が笑った。それが大きい。二人の笑顔を見て、カナメは馬鹿馬鹿しく思ってしまった。それがなんとなく分かった。
「…………下まで送ろうか?」
外は未だ嵐が荒れ狂っている。それは魅力的な提案だったけど、ぼくは断る。
「こっちは、なんとかするよ」
「そうですか。ワタシも忙しくなりそうだし、そうしてくれると助かります」
カナメは言って、指で弾くようにしてタグが付いたキーホルダーを投げ付けて来た。
「また、会いましょう」
カナメは馬鹿じゃない。少し考えれば、今、こうする事が最善の一つだと理解できる。
受け取ったキーホルダーのタグには携帯の番号が刻まれている。すぐ準備できるものじゃないから、近いうちにぼくを解放するつもりだったんだろう。
片道切符。
行き先は、葉桐要。連絡すれば二度と帰してもらえない。それをしっかり理解して、ぼくは笑って見せた。
「……ありがと。大事にするね……」
失くさないように、ベルトのループに引っ掛けるぼくを見て、カナメは、くしゃりと自分の髪をかき混ぜた。
「しょうがないさ……惚れた弱味だよ。ったく……」
葉桐要は一本芯が通ったクズだ。彼女は
努めて、弱者に寛容。
本当におかしな事だけど、ぼくは彼女を信用していた。