ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
――おい、オメー……なんもねーのか……?
――何が、ですか?
「ちっ、なんでもねーよ」
「それより、新城センパイ。ちゃんと寝てますか?」
「だから、オメーは何もねーのかって――――」
◇◇
――アタシは、毎晩、夢で見るんだ。
◇◇
夢の中のアタシは、前に見た夢よりも、ずっと年食った女になってた。
母ちゃんみたいに、ちょっと下っ腹辺りの肉付きが気になる。毎日の忙しさにかまけて、色々と『女』をサボってる。それが駄目なんて言わないけど、そんな『アタシ』は見ていて悲しい。叫びたくなるぐらいには。
そこでのアタシは、俗に言う教育ママになっていて、アホの真二にそっくりな息子にガミガミ言ってた。
ちゃんと勉強しろって。頭悪い癖に。その悪い頭で、毎日毎日ユキの事考えてる。
――なんで、ユキは帰って来なかったんだろう。
――あの日、アタシはなんでユキに捨てられたんだろう。
アタシは狂ってた。
誰もそうとは思ってなかったけど、アタシにだけは分かった。
アタシは狂ってた。
狂った頭で、子供に勉強しろって言ってた。
ユキみたいになれって言ってた。
◇◇
「……
「カオル、オメーちゃんと寝てっか? 目の下が紫色になってるぞ?」
心配そうなアオイが肩に手を置いて、アタシは強い破壊衝動に襲われた。
「アタシに触るんじゃねえよ」
――ユキが見つからない。
「赤瀬と神木は捕まんねーのか? 連絡あったら、ソッコー顔出せって」
無茶苦茶にしてやるから。
「葉桐は? あいつも怪しいよな。今まで放っといたけど、アタシが間違ってた」
瞳子が羨ましそうに言った。
「新城センパイ……悠希さんだけになっちゃったんですね……」
「はぁ? オメー何言ってんだ?」
ユキが居なくなって、アタシが頭おかしくなるのは当然だろ?
◇◇
四日前に会った深山楓とかいう眼鏡の女は、アタシに無茶苦茶怒ってた。
何だかよく分かんないけど、アタシがユキを駄目にしたとかなんとか。こんなフツーっぽい女が顔真っ赤にして怒鳴るもんだから、アタシはちょっと吃驚した。
「……えっと、ゴメン。オメー、深山だっけ? 初対面だったよな。夜遅いから、帰った方がいい」
煽った訳じゃないけど、アタシがそう言うと深山の顔は赤から青になった。何か言ってたけど、早口でよく聞こえなかった。
「新城センパイ、スゴいですね……」
瞳子が感心したみたいに言ってニヤついてたけど、アタシにはさっぱり理由が分からない。分かるのは、こんなフツーっぽい女に、アタシみたいなヤンキーが絡んじゃいけないって事だけだ。ユキもいい顔しないと思う。
秋月蛍は、こいつはこいつで無茶苦茶顔色が悪かった。
なんと言うか覇気がない。頬は窶れていて、とても疲れているように見える。今のこいつなら、少しは話せるかもなんて思ったぐらいだ。
「お前の事は今すぐに殺してやりたいが、それは後でいい」
勘違いだった。アタシは酷くがっかりして言った。
「……オメー、まだそんな事言って。余裕かましてんのか?」
ちょっと前から、実はそうなんじゃないかと思ってたけど――
「馬鹿じゃねーの?」
「……」
秋月の視線が露骨に泳いだ。
こいつはもう、アタシの敵じゃなかった。
「瞳子、アレはオメーがなんとかしろや」
ぞろぞろと女子剣道部の二年の連中がいたけど、秋月はこれを無視していて、纏めるつもりがないのは一目で分かった。
今の二年はゴミだ。
集まらなきゃ何も出来ない。けど、つるむと行動に際限がなくなる。数を頼みに悪乗りする傾向がある。これは今に限った事じゃなくて、アタシら三年には暗黙の了解だ。ワルもマトモも、今の二年は半端で使いものにならない。
もう何日も降り続ける雨の中、膝を着いて項垂れる黒岩智は、こいつも酷いツラだった。
アタシは傘を差し出して、同じように膝を着いて、黒岩のその酷いツラを真正面から覗き込んだ。
「……大丈夫か?」
黒岩は視線を上げただけで、否定も肯定もしなかった。
「手伝うのはいい。見つけたら連絡もしてやる。でも、会わせない」
「……」
黒岩は黙って頷いた。
「もし、オメーが先に見つけたら、ユキはアタシに渡してもらう。分かるな?」
「……」
黒岩は黙って頷いた。
一目で分かった。こいつはもう、終わったって。取り返しが付かない事が起こった事を理解している。もう、争う理由はなかった。
「なあ、ユキって……肉も好きだけど、漬物とかそういうのも結構好きだよな?」
なんとなくそう言うと、黒岩は表情をくしゃくしゃにして笑った。
「風邪、引くなよな……」
この日、黒岩に掛けた最後の言葉がこれだった。
それから、アタシは寝る暇も惜しんでユキを探してる。
ユキの親父さんからは、見つけたらとにかく優しくしてやって欲しいって話があった。
勿論、アタシは一も二もなく了承した。それで、落ち着いてからでいいから会わせてくれって。
……多分だけど、秋月にも同じ話が行ってると思う。大人ってそういうもんだ。手段は多い方がいい。そろそろアタシも分かってきた。
二日目になって、ゴミの葉桐と赤瀬と神木。あの三人と連絡が取れなくなった。
「……まさか、悠希さんと一緒なんでしょうか……」
そう言って、瞳子はぎりぎりと歯を噛み鳴らした。
間違いなくそうだ。そうじゃなきゃ、あいつらがアタシを避ける事に説明がつかない。赤瀬と神木が後先考えず、ユキと一緒の『今』を選択したのは意外だったけど。
「……なぁ、瞳子。あいつらって、そんなにユキの事好きなの? だとしたらなんで? いつから?」
「へっ?」
アタシの質問に、瞳子は目を丸くしていた。
「アタシが居ない時、何度かオメーらにユキ任せた事があったよな? その時か? ひょっとして、あいつらもうユキとヤってんのか?」
頭がおかしくなりそうだった。
「ふざけんなよ。木の棒でも突っ込んでりゃいいじゃねーか」
アタシはこれ以上ないぐらいの破壊衝動に襲われて、瞳子の襟首を捻り上げた。
「オメーらにユキは勿体なさすぎんだよ。ゴミが寄って集って舐めやがって」
「――カオルッ、やめろ!!」
気が付くと、アタシは瞳子をタコ殴りにしていた。
アオイはアタシに背負われるみたいにして羽交い締めしていて――それでも止められなかった。
「クソ力出しやがって……!」
そう吐き捨てたアオイの頬にも殴られたような痕がある。
「…………」
瞳子はボコボコになった顔で、それでも何も言わず、上目遣いにアタシを見つめるだけだった。
絡むような目付き。
卑屈に這いつくばって、それでもまだ諦めてない。何もしないけど、アタシに食い下がるのは止めない。
……ムカつく。
ユキが見つからない。
アタシは寝る間も惜しんで探しているのに。
ユキの居ない世界は天井に穴が開いちまったみたいで、ずっと雨降りが続いている。ユキを早く見つけなきゃ、このまま世界は洪水になって押し流されちまうんだと思った。
朝も昼も関係なく街を流していると、ぼろぼろになった黒岩やカミソリみたいな鋭い目付きの女……剣道部の川村とかいうのをよく見掛けた。
黒岩はずっと寝てないみたいで、服も別れた時と同じだった。一度、一緒に探すか? って声かけてみたけど、それは効率が悪いからって断られた。
川村ってやつは、いつも三人以上の集団で動いていて、瞳子は会う度に因縁付けられるって愚痴ってた。
一応、深山ってやつにも連絡したけど、鬱陶しいから掛けて来るなってすげー怒られた。
「えっと、ゴメン。喧嘩したい訳じゃないんだ。その、オメー……いや深山さんも――」
フツーのやつ相手にイキるのはダサいから『さん』付けで呼んだんだけど、深山はそれが気に入らなかったみたいで、口から超音波を出してアタシを非難した。
ヒステリックなキンキン声。
アタシとは住む世界が違うから、こいつの言ってる事はいつも半分も聞き取れない。
しょうがないから放っといたら、それはそれで気に入らないみたいで向こうから電話を掛けて来る。
こいつは何がしたいんだろう。
アタシはそんな風に考えるようになった。
「えっと……オメーって、ユキと寝たの?」
そうなんだったら、コイツがユキに拘る理由が理解できる。でも、すげー長い沈黙の後に、消え入りそうな声で一言だけこう言った。
『……………………いえ……』
アタシは、益々この女の事が分からなくなった。
「そっか。じゃあ友だちか何かか?」
『は、はい……い、いえ……どうでしょう……分かりません……き、嫌われているかも……』
「そっかあ……」
アタシにとって、深山楓は『よく分からない女』だった。そして、コイツも黒岩と同じように一人で動いている。こっちから電話したら怒る癖に、何だかんだと定期連絡を欠かさないのはコイツだけだ。
電話でもはっきり分かる。すっげえ真面目。一番苦手なタイプ。でも敵じゃないから、何だか少し話しやすい。
「アタシ、今度ビーチバレーの大会に出ようかと思うんだ」
『そうですか。いいことだと思います』
「だろ? ユキがカッコいいとこ見せろって言って、なんかその気になったんだ」
眠ると酷い悪夢を見る。でも、気を抜いちまうとウトウトする。アタシは眠気覚ましも兼ねて、しょっちゅう電話を掛けて来るこの『よく分からない女』相手に話し込むようになった。
動きがあったのは四日目。
この日の晩も深山から電話があった。
『皆川さんに会いました』
最初は超音波で話してた深山も、四日目になると随分落ち着いて話すようになっていた。
「へぇ……アイツ、事情聴取終わったんだ……ふーん……」
『…………新城さん、寝てます?』
「ああ、時々うつらうつらする」
『ちゃんと寝た方がいいですよ。いざというとき、まともな判断が出来なくなります』
「……そっか……そうだな……」
この日の晩はアオイも居なくて、運転中ウトウトして危ない時もあった。
『事故なんて、洒落になりませんよ?』
ふと脳裏に過ったのは、ユキと別れてすぐ吹き飛んだあの赤いスポーツカーの事だ。
ブルッたアタシはコンビニの駐車場に入って停車した。
「オメーの言う通りだ。少し……ああ、少しだけ休むわ……」
例えば――
定期連絡を欠かさなかった深山楓の電話が、これで最後だと知っていれば。
例えば――
アホの皆川が偶然ユキと会ったなんて知っていれば。
仮定の話は言い出せばキリがない。でも、頭の回らないアタシは、深山の言う通り少し休むべきだなんて考えていて。
窓を空かすと、雨の匂いに混じって、微かに焼けたアスファルトの匂いがした。
――夏の匂い。
アタシの、高校最後の夏は……
煙草に火を点けると、紫の煙が雨の匂いに混じって消えて行く。
仰け反るようにして伸びをすると、背中にシートが張り付くような気がして気持ちよかった。
ああ……あの日も雨だった。
ヤリ部屋でユキと二人きり。
まだまだユキはアタシに慣れてくれなくて。
でもHの後はすげー優しくて。アタシが本格的にユキに溺れるようになったあの日…………
――カオル、少し寝る?
「ああ……何かあったら、すぐ起こして………」
世界はアタシとユキの二人きりになって、優しい雨の音だけが聞こえる。空かした窓から焼けたアスファルトの匂いが入ってきて…………
急速に視界が狭まって来て、アタシはぼやける目を擦る。
――おやすみなさい、カオル。
「うん……」
ユキは何時間も膝枕してくれて、少しも嫌そうな顔をしない。
「ああ…………」
アタシは溜め息を吐き出して――眠りの世界に落ちる。
悪夢の世界に落ちる。
◇◇
この日見た夢の中で、オバサンになっていたアタシは、かぶり付きでテレビを見ていた。
「母ちゃん、好きだなあ」
なんて言ったのは、アホの真二にクリソツな子供だった。
オバサンのアタシは応えず、ぱりぱり煎餅を齧りながら、瞬きすらせず狂った目付きでテレビを見ている。
やがてテレビの液晶画面に、左手が鉤爪の海賊が現れた。
「むう……お宝はどこだ!?」
右目に眼帯。頭に
「お、母ちゃんの好きなYUKIだ。こいつって、母ちゃんと同じ歳だって本当か?」
「ホントだよ。母ちゃん、若い頃YUKIと付き合ってたんだ」
「かっ、また始まったよ。YUKIが母ちゃんみたいな下膨れ相手にする訳ないだろー」
「……」
狂ったアタシは、狂った目付きでテレビの中のユキを見つめていた。
アタシがオバサンになっても、テレビの中のユキは何一つ変わってなくて、ずっとあの頃のまま。
切なくて、儚くて、激しくて。
気紛れで残酷な天使。アタシを支配した大魔王のままでいる。
アタシは変わってしまった。
つまんない男と結婚して、アタシによく似た頭の悪い子供を産んで、地獄みたいな仮初めの幸せに埋もれて――狂いだしてる。
これは夢だ。分かっているんだ。アタシはもう嫌になって目を覚まそうと思った。
「母ちゃん、なにやってんだよ。自分のほっぺなんかつねってさ」
「…………」
お、おかしいな……。
目が覚めない。夢が終わらない。テレビの中のYUKIが叫んだ。
「やろうども、お宝はあの島だ! 行くぞ!!」
「ちょ、ちょっと待って。い、今アタシも行くし、き、きき着替えるし……!」
ヤバい。このままじゃユキに置いてかれる。
アタシは狂った頭でタンスを漁った。でも中にはあの頃の服は一枚もない。高いばっかでダサいオバサンパンツと色気のないブラ。毛玉の付いたボロいジャージとか、そんなもんしか入ってない。
必死になってタンスを漁っていると、奥から体操服の上下が出て来て、狂ったアタシは慌ててそれに着替えた。
「……」
胸のゼッケンに『Ⅲ―B 新城』って描いてある。短パンは腿の辺りがパツパツだった。
「アッハ! 母ちゃんがまた狂った!!」
頭のおかしいアタシを指差して、ムカつくガキが笑っていた。
ふざけんなよ。コイツ誰だ?
アタシは『あの子』がいい。ユキとアタシを足して2で割ったようなあの子が、奇跡的な融合を果たしたあの子がいいんだ。あの子だけがアタシの子供だ。
それ以外はいらない……!
アタシは手元にあったガラス製のゴツい灰皿を手に取った。
「こ、こんなはずじゃ……アタシの運命……アタシの人生……」
本当のアタシは、まだバレーボールをやっていて、膝だって治って……!
アタシは、何度もゴツい灰皿を振り落とした。
何度も何度も何度も。
「クソ、終われよ! こんな夢、冗談じゃない!!」
何度も何度も何度もアタシは灰皿を振り落とし、返り血と悲鳴に塗れながら、ゲタゲタ笑った。
「こんな事が現実の訳がない!」
テレビの中のYUKIは笑っている。
「だから終われよ! 終われ!!」
こうして、アタシは目を覚ますんだ。
その瞬間は今。
ほら、ほら、ほら――!
そして終わらない悪夢の中で、狂ったアタシは悲鳴を上げた。