ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
第15話
夏の暑い日のことだ。
ぼくは、家の庭で土下座の姿勢で固まったまま。母さんの考案した奴隷のポーズを取っている。
泣いて泣いて、また泣いて。それでも足りずにまた泣いて。
「ごめんなあ、ごめんなあ悠くん。父さん、間抜けでさぁ……馬鹿みたいに遅れちゃってさあ……」
人は、他の誰かの為に、どれだけの量の涙を流せるのだろう。
「悠くんがこんなに苦労してたのに、父さん、会社のみんなとお酒飲みに行ったり、ご飯食べに行ったりしてたよ。間抜けだよなあ……間抜けだよなあ……」
この人以上に、ぼくの為に涙を流した人を知らない。
「父さん、これからはもっと頑張るから……無茶苦茶、がむしゃらに頑張るから……それでも悠くんの百万分の一にもならないけど……! それでも頑張るから……!」
流れた涙の価値に――
「悠くん、ごめんなあ……!」
どの程度の恩で報いればいいのだろう――。
◇◇
◇◇
その日のカオルは挙動不審だった。
小脇に大きなスポーツバッグを抱え、視線を右に左に泳がせている。
まぁ、いつか来るだろうと思っていたけど、『お泊まりしたい』の合図。ご飯を食べて、エッチして、お風呂に入ってそれでサヨナラっていうのの先に進みたいようだ。
絶対にぼくに無理強いしないカオルは、ただ、こうしたいってサインを出すだけ。今まで待っていてくれたことを考えれば、無視する訳にいかない。いつかあると思っていたし、覚悟はもう出来ている。
言った。
「お泊まり、する……?」
「……!」
カオルは、ぐっと握った拳を後ろに引いた。
「――っしゃあッ! っしゃあッ!!」
「うふふ、カオルは大げさだね」
夏休みの初日は、こんな感じで。
ぼくの家に、カオルが初のお泊まりをすることになった。
二人で相談して、今日はカレーに決めた。調理は主にカオル担当。ぼくはお米を洗って、炊飯器に仕掛けた。
食事の準備中も、カオルはご機嫌で鼻歌混じりに野菜を切っている。
「最強! 最強!! 最強!!!」
なんのおまじないだろう。とにかく、カオルは絶好調だ。
ちなみに、カオルの家事の腕前はぼくと同じくらい。何でも二人で一緒にやる。
食事中もカオルの上機嫌は続き、ニコニコとカレーを頬張っている。
「ユキは上品に食べるよな~。家の奴らはホンとに小汚なくてよう」
「カオルのお兄さん?」
「兄貴と弟の二人だな。無駄にうるさいし、臭いし、汚ないし、口悪いし。アイツら、ユキの爪の垢でも飲めばいいんだよ」
そう言えば、ぼくはカオルのことを全然知らない。
「今度は、ぼくがカオルの家に行ってもいいかな?」
「――!」
カオルの顔色が変わった。
「――ダメだッ! あの馬鹿二人はルールを破るからダメだッ!!」
カオルは、とにかく『ルール』を大事にしている。
具体的なことは分からないけど、それが、ぼくに関係するものであるということだけは分かる。
「そう……カオルは、優しいね……」
そこまで言ったとき。
古くさいブザーのインターホンが鳴って、来客の到来を告げた。
ぼくとカオルは、お互い顔を見合わせた。
「珍しいね。誰だろ……」
「ウソ、マジ? ヤバそう? アタシ隠れた方がいい?」
カオルは何故かテンパった。キョロキョロと忙しなく目を動かし、頻りに髪を撫で回した。
ぼくは呆れて溜め息を吐く。
「カオルのその大きな身体で何処に隠れるのさ」
「で、でも、ユキの父さんだったら、アタシ……!」
「その時は父さんに紹介するから」
「ナンですと!?」
カオルは、くわっと目を見開いて固まった。
ちょっと面白い顔だった。
「待ってて。多分、父さんじゃないと思うし。行って来るね」
面白い顔のカオルを居間に残して、玄関に向かう。
またインターホンが鳴った。
「はーい、今出まーす」
間延びした声で答えながら、玄関のドアを開けた。
そこに、窶れた顔の、シュウが立っていた。
◇◇
◇◇
「シュウ……?」
肩の開いたトップスに、デニムジーンズのシュウが、いた。
顔色がやけに青白く、目元にびっしりと紫の隈が浮かび上がっている。
ドクン! と心臓が跳ねて、ぼくは息を飲み込んだ。
「あ……」
シュウは、一瞬、身を引いて、泣き出しそうな表情になった。
ぼくは――
「うわああああああああああああああああああああ!!」
力の限り、叫びを上げた。
「うわああああああああああああああああああああ!!」
「ちょ、待って――」
シュウが何か言ってる。
「うわああああああああああああああああああああ!!」
木の床を蹴る音がして、ほんの数瞬後にやって来たカオルが、背後からぼくを抱き締めた。
「ユキ!」
心臓が激しく鼓動を鳴らす。ぼくは、何が何だか分からなくなって、必死でカオルに抱き着いた。
シュウが、気の入らない声でポツリと言った。
「あ……新城もいたのか……」
「秋月、テメエ……!」
カオルがぼくを抱き寄せながら、ぎりぎりと歯を鳴らす。
「なあ、どうなってるんだ? 何で、私は何も知らないんだ?」
シュウが何か言ってる。
「どうしてこんなことになったんだ? なあ、御影」
「うわああああああああああああああああああああ!!」
「ユキ! ユキ! しっかりしろっ!!」
カオルが叫んだ。
「なんなんだよ、テメエはよ!! 呼ばれてもねえのに来るんじゃねえ!!」
「ああ、新城。この際、お前でも構わない。どうしてこんなことになったのか、お前が教えてくれないか?」
「うわああああああああああああああああああああ!!」
「なあ、新城。お前は全部知っているんだろう? 卑怯じゃないか、私だけ何も知らないなんて」
「うるせえ! テメエは帰れ!! 無茶するんじゃねえよ!!」
カオルがぼくを強く抱き締める。
苦しそうに言った。
「帰れ、秋月……頼むから……!」
そこに、怒りはなく。
何処か憐憫の気配すら感じる声だった。
沈黙。
シュウが、疲れたように言った。
「そうか……私は、また間違えたんだな……」
失意。絶望。諦観。そんなものが、漂う空気。
「ユキっ! ユキ――――
……
…………
………………
……………………
…………………………
◇◇
◇◇
目を覚ますと、ぼくは畳敷きの居間で横になっていた。
額には濡れタオルが当てられていて、電源が入ったままのテレビは10時からのニュースを垂れ流しにしていた。
視線を横に流すと、カオルが膝を抱えるようにして座り込んでいる。
ぼくが目を覚ましたことに気付いていないようで、ブツブツと何か言っている。
「ルールを守らないからああなったんだアイツは終わったアタシもルールを破ればああなるそれは絶対イヤだ死んでもお断りだユキはアタシがユキはアタシがユキはアタシが」
「カオル……?」
「――ッ!!」
カオルが、ハッとしてぼくに駆け寄って来る。
たちまち琥珀の瞳から涙が溢れ出して頬を濡らす。
ぼくを抱き締めて、カオルは、暫く震えていた。