ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
図書館から出て、自転車に乗って帰る。
真夏の太陽がジリジリと照り付けた路面から、ゆらゆらと熱気が上っているように見えた。
家までは30分くらい。深山にぶっかけたスポーツドリンクは、ちょっと勿体ないことをした。
携帯がブルブルと震え、メールの着信。確認すると、カオルからのものだった。
――今日、給料日だから、ちゃんと、お金払うよ!
「…………」
ぼくは、自転車に乗ったまま、携帯片手に立ち止り、その場で返信した。
――いらない。
真夏の太陽が照り付けている。路面からの照り返しもあって、暑苦しいことこの上ない。
もう一度、自転車を漕ぎ出そうとしたとき、今度は携帯に着信があった。
時刻は12時半。ちょうどお昼休みというところだろう。
電話に出るなり、言った。
「いらない」
『……っ』
出鼻を挫かれ、携帯の向こうで困惑するカオルの様子が目に浮かんだ。
もう一度、言った。
「いらない」
『だから――』
「いらない」
『……』
遠くに蝉の鳴き声が聞こえる。空には真夏の太陽が燦然と輝いていて、路面に燃えるような陽炎が立っている。
ふと、考えた。
この道は、何処に続いているのだろうか?
「いらないから」
『でも……!』
「しつこい」
それだけ言って、通話を切った。
何処に続いているか分からない道を辿ろうと、ペダルを踏み込もうとしたところで、またカオルから着信があった。
ぼくはまた止まり、鳴り続ける携帯電話を見つめていた。
◇◇
家に帰ると、父さんはまだ眠っていた。
仕事場でも仮眠時間は設けられているけど、大抵の場合、父さんは昼過ぎまで眠り続ける。
なるべく音を立てないよう、静かに台所に向かう。
そうだ。冷やし中華を作ろう。
マナーモードにした携帯はまだ震えていて、カオルからの着信は27回目だった。
レトルトの冷やし中華の袋を二つ取り出して開封する。一袋二人前。ぼくはあまり食べないけど、父さんはそれなりに食べるから問題ない。四人前作って、それを父さんと二人で分けて食べる。
最近のレトルトは便利で、ある程度の具が入っているから楽でいい。それに冷蔵庫にある有り合わせの野菜を加え、タレを掛けたら簡単出来上がり。
結局、父さんは2時過ぎまで寝ていて、それから遅めの昼御飯になった。
「おーっ、悠くん大量に作ったなあ! ちょうどお腹減ったし、父さんメッチャ食べるぞお!!」
ぼくらが呑気にご飯を食べている間も、ポケットの中の携帯はブルブル震えている。
画面を見ると、メールが22件、不在着信は46件に増えていたので、携帯の電源をオフにしておいた。
◇◇
◇◇
父さんが仕事に行って、入れ替わりでカオルがやって来る時間になった。
そして、いつも通り、古くさいブザーのインターホンが鳴る。
ドアを開けると、コンビニの制服を着たままのカオルが、スマホ片手に、ぐしゃぐしゃの泣き顔で立っていた。
嗚咽を押さえ付け、何度もしゃくり上げながら、カオルが言った。
「だっ……だぎづいで、い、いい……!?」
「いいよ」
頷いたカオルが遠慮がちに入って来て、ぼくらは玄関口で抱き合った。
制服を着たままのカオルの身体は物凄く熱くて、大量の汗をかいていた。
「お仕事は?」
「……ばやびきじで……ユギのどうざんがいぐのまっでだ……」
「…………」
カオルは早退して、ぼくの家の前で、父さんが出勤するのを待っていたようだ。
ぼくは言った。
「カオル、ごめんなさい」
カオルはしゃくり上げながらも強く頷いた。
「ゆ、ゆるず……」
それから、ぼくはカオルの服を脱がせ、お風呂場で温めのシャワーを掛けて身体を洗った。
「熱くない?」
「気持ちいぃ……」
その間もカオルは泣いていて、頻りに鼻を啜り上げていた。
目は赤く腫れ上がり、付け睫毛は片方が取れて何処かに行っている。
「次、頭も行くよ? ついでに化粧も落としちゃおうか?」
「ぅん……」
素直に頷くカオルの頭を温めのシャワーで濯ぎ、ついでに顔も洗い流した。
お風呂から出た後で熱を計ると、少し発熱していた。この炎天下の中、泣きながら立ち尽くしていれば、誰だってこうなる。バレーボールで鍛えられたカオルだからこそ、この程度で済んだ。
軽度の熱中症。
その後は、冷やし中華の残りを食べさせた。食欲はあるようなので、問題ないだろう。
カオルの汗まみれの衣服を洗濯した後、ぼくの持っている一番大きなTシャツを着させて(胸がパツパツで少しおかしかった)、パンティはドライヤーで乾かしたものを穿かせた。
全てが一段落したとき、時計の針は午後7時になろうとしていた。
カオルは、ぼくを一切、責めなかった。
まいった。
ぼくは、カオルのこと思い違いしていた。カオルがぼくにハマっているのは知っているけど、これほどまでとは思わなかった。
その内、短気を起こしてぼくを殴り付けるくらいのことはすると思っていた。お金のことも、なし崩しに払わなくなるとも。
身体にタオルケットを巻き付け、横になってこちらを見つめるカオルの目は、まだ潤んでいて、ぼくの言葉を待っている。
重いから。
あなた、そんな女じゃなかったよね。もっとヘラヘラして、適当な感じだったよね。
本気で恋愛してるの?
痛む眉間を揉んだ。
「カオル……お金は、いらないから」
高校最後の夏休みにバイトの給料を巻き上げるほど、ぼくは腐ってない。確かにお金は欲しいけど、時と場合と相手を選ぶくらいの分別はある。
カオルは強情に首を振った。
「駄目だって……そんなことしたら、ユキ、アタシ以外の客探すだろ……?」
これだ。
ぼくを独占したがる癖に、ぼくが新しく客を探すことは止めない。恐らく、これに関係しているのは『ルール』。
ぼくは溜め息を吐き出した。
もう遅いよ、カオル。
葛城からはまだまだ搾り取るつもりだし、向こうだってぼくを離すつもりはない。くいものに出来そうな連中の目星も……少し危険だけど、ないことはない。小銭女は……どうでもいいか。
もっともっと振り回すよ、カオル。これは、おまえが始めたんだから。最後まで、付いて来られる?
ぼくは言った。
「カオル……。高校最後の夏休みだから、それは、カオルが使って」
「でも……!」
尚も食い下がるカオルに向けて、ぼくは首を振って見せる。
そして、とっておきの妥協案を口にする。
「だったら、そのお金で、ぼくを遊びに連れて行って」
「……!」
カオルは仰け反るようにして口を噤んだ。
「いっぱい、誰にも負けないくらい、思い出作ろうって言ったよね……?」
「…………」
俯き、視線を反らすカオルの頬が僅かに緩んだ。
「わかった……」
――ずきん、と胸が痛んだ。
カオルは、にかっと笑った。それは朗らかな太陽の光を連想させて――
「カオルお姉さんに、任せなさい!!」
「うん」
ぼくは笑って――なんだか少し、涙が出そうに、なった。