ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
四国、九州、大阪、主に関西圏を中心にあちこち飛び回った転勤族の父が、ついに出世した。
飛ばされる側から、飛ばす側になったのだ。
「黒岩智です。ヨロシクお願いします!!」
中学校3年の新学期。
智は満面の笑みを浮かべて、頭を下げる。
これが最後の転入の挨拶。とびきり愛想よく、にっこり笑って媚を売る。
教室のクラスメイトを見回す。
長い付き合いになるだろう。ひょっとしたら、ここに終生の友人がいるかも。或いは、生涯を共にする伴侶すらいるかもしれない。
各地を転々として、別れを宿命付けられた出会いは終わったのだ。
◇◇
独特な口調と、ざっくばらんな性格が受け入れられ、智がクラスメイトに馴染むのに、さほど時間はかからなかった。
御影悠希を気にかけるようになったのは、5月半ばも過ぎた頃のこと。
その日は、お弁当。なんでも季節外れの台風が原因で、食材を運ぶトラックが交通事故を起こしたのだとか。
智は適当にコンビニでパンでも買って。
御影悠希は、教室の隅っこにある自分の席で弁当を食べていた。
中身を覗いたのはなんとなく。
悠希のお弁当は、見るからに不細工な出来具合だった。
おかずは何やら、ごちゃごちゃとしてとりとめがなく、形は不揃い。彩りは悪く、やぼったい印象。
「…………」
思わず、智は足を止めた。
黒岩智は父子家庭だ。
母親は、幼い智を置いて若い男と逃げた。以降、父と二人三脚でやって来た。
その父が作った弁当に、そっくりだった。それが智の足を止めた。
「……」
当時の智は幼く、母が突然居なくなった現状を理解出来なかった。
それでも父は苦心して、遠足を控えた智の為に手作り弁当を持たせてくれた。
よくある話。
智は不細工な弁当で大恥をかき、父を散々なじった後、一口も食べなかった弁当を投げ捨てた。
そのときの父の、涙を浮かべて俯いた表情が、ずっと忘れられずにいる。
その涙の意味が分かるくらいには、成長しているのがこの頃の智。
素直に謝ることすら出来ない、15歳の黒岩智。
クラスメイトがクスクスと笑い、小声で悠希の弁当を馬鹿にしている。
沸々と怒りが込み上げた。
――なんがおかしいんじゃ……!
しかし、口に出しては何も言わない。
多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる。各地を転々とするうちに身に付いた処世術。黒岩智の冴えたやり方。
悠希は平然として、ご飯粒一つ残さず平らげた。
涙が出そうだった。
いつかの智も、こうあるべきだったのに。
智の父は料理を作らない。
家ではいつも店屋物。家庭の味など無縁の代物。
それ以来、なんとなく。
智は、悠希を気にかけるようになった。
いつも教室の隅にいて、あまり動かず、黙って自分のことをやっている生徒。
それが、御影悠希という少年の印象。
時折、女子生徒に呼び出されて告白される。
好意を持つのは、決まって胸の大きい、母性本能の強そうなタイプ。
悠希の小さい身体とあどけない風貌がそういう女の子の恋心を擽るのだろう。
「よく分からない」
もしくは。
「興味ない」
それが悠希の返答。
智が見る限り、悠希に好意的な女子生徒の殆どは特殊な属性持ち――所謂ショタコンとおぼしい。見た目に強い拘りを持つ彼女らの告白は、断るのが吉。
安心する智がいた。
見てくれだけで、可愛いげのない小動物。そういう評判があった。
何しろ、この小動物はハッキリとものを言う。告白を断っても付きまとう女子には極めて厳しかった。
「ウザい」
ときには、
「キモい」
平然といい放つ。
ざっくばらんな性格で、明け透けにものを言う智と通じるものがある。痛快だった。
「御影、父子家庭なん? 私もそうなんよ」
この一言で悠希は、いとも簡単に胸襟を開いた。
悠希は、ぱっと笑む。
「そうなんだ。黒岩さん、よろしくね」
あどけない子供の笑顔。
可愛らしく、無垢。無条件の親愛がそこにあった。
この魔法の効果は一度きり。同じ境遇の智だからこそ知っていた。
御影悠希は父親が大事。智にはそれがよく分かる。
父の日のプレゼントにそれとなくアドバイスしたところ、食い付きは抜群だった。
料理の話題にも興味津々。
悠希が必要なものは予め知っている。智がもう持っているそれを小出しにすればいいだけのチョロい相手。
「黒岩さん、菜の花の白和え、作ったよ!」
「トモでええよ。お父、喜んだ?」
「うん、ありがとう!!」
悠希の世話を焼くのは、以前の自分を見るようで楽しかった。信頼されるのも悪くない。
「トモ、トモ……!」
「聞いとるよ。落ち着きや?」
この可愛いげのない小動物が、自分にだけ笑いかけるのだと思うと、不思議な優越感があった。
回りばかりを見ているトモは気付かなかった。どうすれば、この少年を喜ばせることが出来るか。そればかりを考えている自分に気付かなかった。
智の言葉使いには訛りがある。足して、ざっくばらんな性格が受けて、女子だけでなく男子とも仲がいい。
「御影、体育の時も一人だけジャージやん。何でなん?」
「ああ、それなぁ……」
それは悠希と同じ小学校を卒業した男子生徒の話。
この日、智を含めた複数名の生徒たちの間で、悠希の想像を絶する過去が取り沙汰された。
「そんなん、ウソやん……」
その言葉は、願望だった。
語られた過去が事実なら、悠希と智は、似ているようでいて、まるで違う世界の生き物ということになる。
「信じん……そんなことは、あったらいかん……」
打ちのめされたような思いで、智はその場を後にした。
黒岩智は人気者。
この日までは。
その日、智は廊下で雑談中のところを複数の生徒たちに呼び止められ、自らの教室に帰ることになった。
横引きの扉を開け放ち、智が見たもの――
全裸に衣服を剥かれ、うずくまり、傷だらけの身体を抱えるようにして震える一人の少年。
「おー、黒岩。来たか」
「……?」
全ての音が遠くなる。
唐突に起こった出来事は、一瞬で智の思考力を破壊した。
ぽかんと大口を開け放つ智の口元に、つっと涎が伝う。
誰かが言った。
――本当だったろ?
智は――
頭の奥で、ぶんぶんと虫が飛ぶような音を聞いた。目の前が赤くなる。何も考えられない。ぶんぶんと飛び回る虫が煩い。何も聞こえない。
――すげー、ケン〇ロウみてーだ。
嘲笑。
悠希は歌いはじめた。
「Joy to the world, the Lord is come……」
――なんか歌ってるぞ?
智は呆然と立ち尽くし――
「And heaven and nature sing, 」
――季節外れのクリスマスキャロル。
「And heaven and nature sing, 」
――神を賛美する歌声は。
「And heaven, and heaven, and nature sing.」
――永遠に続く呪詛のはじまり。
悠希は歌い続ける。
智は悟った。
傷つけられ、踏みにじられて漸く悟った。
「オマエら……!」
目の前が赤くなる。何もかもを赫怒の炎が焼き尽くす。
「オマエら、みんな死ねやあっ!!」
黒岩智は人気者。
この日までは。
智は、恋だったと気付いたのだ。
ただ、ほんのちょっと、気付くのが遅れただけ。ただ、ほんのちょっと、ほんのちょっと永遠に、遅れただけ。
多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる。各地を転々とするうちに身に付いた処世術。
そんなものは、形振り構わず投げ捨てた。
「死ね! 死ねや!! クソがっ! クソがっ!!」
このとき既に剣道初段。掃除用具を突っ込んだロッカーからモップを引っ張り出し、我を忘れて暴れ狂った。
「御影、しっかりせえ! しっかりせんか!!」
冴えた黒岩智の、ちょっと遅れた初恋は――
「オマエら、絶対に許さん! 寄って集って何やっとんじゃ!!」
――ほんのちょっとだけ、神様に嫌われて。
「歌うんやめ! やめやぁ……!
なぁ……頼むけん……」
何処まで行っても終わらない、クリスマスキャロルに流されて消えて行く。