ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
「人は自分以外の誰かに、何処までも残酷になれるものなんだよ」
そう言って、初老の男性は泣いた。
「黒岩さんは、うちの息子を庇ってくれたんでしょう? あなたは悪くないよ」
「……」
「……酷いもんだったよ、実際。
私が駆け付けたとき、息子は素っ裸で庭に転がってたよ……ごみくずみたいにさぁ……」
そう言って、悠希の父は激しい嗚咽を洩らした。
「身体中、傷だらけで……縫合した痕も出鱈目でさぁ……自分で縫ったんだろって、医者も泣いてたよ……」
「……」
「8才の子供がさぁ……私はやりきれないよ……」
黒岩智は、クラスの人気者。
今日、この瞬間まで。
「脳が萎縮してしまってねぇ……長期に及んだ強いストレスが原因だって……」
血を吐くように。
「……でも成長期だったから奇跡的に回復して……してくれて……」
絞り出すように。
「うちの息子、小さいだろ? あれ以上、成長する可能性は低いってさ……」
言って、父親は咽び泣く。
泣いて泣いて、また泣いて。
それでも足らずにまた泣いて。
「……うちの息子は、もう一生分の不幸味わったあとなんだよ。なんで、そっとしておいてくれないんだ……!」
「……」
……
…………
………………
……………………
…………………………
◇◇
◇◇
黒岩智は、中学校最後の夏休みの殆どを郊外の病院で過ごした。
17人の男女をモップで滅多打ちにして、その殆どを病院送りにした智だったが、事件は公にならなかった。
受験前の子供を抱えた保護者が、この一件を大事にすることを嫌ったというのが一つ。悠希の父が和解の条件の一つとして、智の寛恕を要求したことも大きかった。
ことなかれ主義の教師連中も右に倣えで落ち着き、この事件は収束した。
病院での悠希は、いつもぼんやりとしている。それ以外には時折、歌ったり、とりとめのないお話をしたり。
「とも、なにかおはなしして……」
「ええよ。なんのお話ししようかぁ……」
「どこかいたいの……?」
「目にゴミが入っただけやん。なんもない、なんもないんよ……」
そう言って、胸を突き上げる嗚咽に耐えきれず、喋れなくなることが何度もあった。
智の15年の人生で、こんなにも他者を思いやったことはない。
「リンゴ剥いたろうか? なぁ、なんかいいや? 頼むけん、黙っとらんと、なんか言うてや、なぁ……?」
それでも、悠希は歌う。
夏の病院で季節外れのクリスマスキャロルが響くとき。
「Joy to the world, the Lord is come!」
「やめぇや、なぁ……頼むけん……!」
「Let earth receive her King;
Let every heart prepare Him room, 」
少年の未成熟なソプラノが、無慈悲に終わりなく響く。
「もうええ……それはもうええけん……」
悠希の歌は、智には止められない。
「And heaven and nature sing, 」
智は泣いた。
「And heaven and nature sing, 」
悠希の父は、歌っている期間が段々と長くなっていると言っていた。
今は自分が止めることができるが、そのうち止められなくなるかもしれないとも。
「And heaven, and heaven, and nature sing.」
歌が止まらなくなったとき、御影悠希という少年の自我は永遠に損なわれる。
いつの日か、見も知らぬ神とかいうやつが、あまりにも報われないこの少年を連れて行ってしまう。
「いかん、それだけはいかん。そんなんは私が許さん。絶対に許さん……!」
いつ頃からか、智は抑えきれない激情の存在を自覚するようになった。
胸に咲いた、儚い一輪の花を守りたい。それだけ。それだけで、なんでもできる気がした。
夏も終わりに近付き、悠希は漸く復調した。
「あんがとね、トモ。一緒に居てくれて」
「ええよ。そんなんは、なんでもない」
悠希が復調に至る様子は、固く閉じた蕾が花開く様を想起させ、一見、奇跡的な光景に映る。だが、人の心はモノではない。いつか取り返しの付かないことになるのではないか。
智はそれを強く恐れた。
「……薬、飲みたくない……」
「そうやな、私もあれは好かん。ボーっとしとる御影は心臓に悪いし……捨てよか……?」
二人、示し合わせたように笑った。
「……でも、本当に悪いときは……」
「そのときは飲む」
「なら、ええよ」
智の保護欲は溺愛に通じるものがあった。そして、悠希に殆ど無制限に甘い自分を自覚しながらも、智自身それを由とした。
報われないなら、他ならぬ己が報いればよい。
好意が決意に変わる。ちょっと行き過ぎていたけれど。それが智の愛のかたち。
「昨夜、ちょっと冷えたな? 風邪引いとらんか? 夏やけんて油断したらいかんよ?」
「うん」
「売店まで? ちょっと車椅子持って来るけん待ちや?」
「……うん」
「外はいかん。陽射しが強すぎる。日焼けはなめたらいかんよ? 火照って夜寝られんようになる」
「…………うん」
保護欲をそそる見た目とは裏腹に、独立心旺盛な少年には向かないかたち。
「トモは優しいね。学校では一番大事なお友だち」
プロの入れ知恵。
「……そうかぁ? へへ、なんか照れる……」
勘違い。
◇◇
◇◇
剣道を嗜むため、髪型は短めに揃えることが多い。眉は濃い目で、堂々とした意思の存在を感じさせる。
ぱっちりと開いた瞳は母方の遺伝で色素が薄く、日光に弱いため、日中の屋外ではいつも眉間に皺を寄せている。
黒岩智という少女。
新学期が始まり、人気者の黒岩智はもういない。
保護対象から片時も離れず、鋭い眼差しで周囲を牽制する。鞄の中に二本の特殊警棒を所持しており、人気者が打って変わってクラスメイトの恐怖の対象。クラスの凡そ半数をぶちのめしたことを鑑みれば当然のことだった。
そして智の方でも、数に任せて体格の劣る悠希を虐げたクラスメイトに対しての不信感と侮蔑の念を隠さない。屋内にもかかわらず、眉間には険しい皺が寄っている。
多数に阿(おもね)り、少数を切り捨てる冴えた黒岩智は、とうの昔に死んでいた。
新しく生まれ変わった智は、悠希を溺愛した。
時折、鬱陶しそうにしたものの、悠希にとって智の印象は悪くない。父子家庭の境遇は相容れるものがあり、寧ろとても良い。プロの入れ知恵も良い方向に働き、過剰な拒否反応を見せることはなかった。
「御影、今日も家まで送るけん。一緒に帰ろな?」
「ん、あんがと」
二人は上手く行っていた。
◇◇
ある日のこと。
授業の合間、束の間の休み時間の出来事。
神の到来を祝福するボーイソプラノの歌声が、智の耳を衝いた。
僅かに聞こえる歌声に耳を澄ませ、瞳の動きだけで周囲を索敵する。
悠希はまだ気が付いていない。
少し離れた場所に集まった複数人が、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて悠希の方にチラチラと視線を送っている。
聞こえた。
――おい、もうちょっとボリューム上げろ。聞こえてないぞ。
人は自分以外の誰かに、何処までも残酷になれる。
抑えきれない激情が智の胸を灼く。
『動画』の存在を知った最初の瞬間だった。