ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
家で父さんに朝食を出したあと、図書館に向かった。
受験勉強は日頃の積み重ねが大事。
昨日は、カオルと遊んでいい気分転換になった。
何事もメリハリが大事。今日は、しっかり勉強する。
そしてやはり――
図書館の正面玄関に、深山楓が立っている。
少しウンザリして、ぼくは溜め息を吐き出した。
深山は今日も制服姿。大きなスポーツバッグを持って、肩に竹刀の入った袋を掛けている。
この日はすぐ見つかった。
深山は眉間に皺を寄せた険しい表情で、駐輪場にいるぼくの元へ歩み寄って来る。
「おはようございます」
「おはようさん」
深山はずれた眼鏡を直し、じっとぼくの瞳を覗き込んだ。
「……何かありました?」
また詮索が始まった。
「ちょっと気分が優れないだけだよ。大丈夫」
深山が手を伸ばして、甲の部分をぼくの首筋に当てた。
「……熱はないですね」
「……」
いつもこうだと疲れてしまう。このお節介な女を振り切るには、どうしたらいいんだろう。
ぼくは少し考え、言った。
「……少しお話ししようか」
「はい、喜んで」
深山は、にっこり笑った。
◇◇
開館してすぐ、ぼくらは連れ立ってカフェテリアに移動した。
開館直後ということもあり、売店はまだ閉まっている。他にも人影はない。
日光を避けた窓際の席に着き、ぼくは、ほうと溜め息を吐く。
「疲れてるんですか?」
と言う深山は無視。
エントランスで買ったコーヒーを二つ挟み、ぼくと深山は向かい合う。
「また着信拒否しましたね」
ぼくは言った。
「うるさい、黙れ」
「……」
深山は穏やかに笑みを浮かべているけれど、口元が少し引きつっている。
「よく聞きなよ、小銭女。おまえの詮索にはウンザリなんだ。ぼくには構うな」
一息に言って、ぼくは千円札を一枚、深山に押しやった。
「……何ですか、これ」
「ヒデヨさんだよ。受験生の癖に、そんなことも知らないの?」
「そういうことを言っているんじゃありません」
「ちっ……」
舌打ちして、ぼくは首を振った。喧嘩することは何の解決にもならない。
「……ごめん。今のは、ぼくが悪かった」
深山は少し驚いて、それから微笑んだ。
「いえ、分かるならいいです」
ぼくは、ゆっくりコーヒーを飲みながら気分を落ち着ける。
深山に感情的な言い分は通用しない。しかし、それは裏を返してしまえば道理に弱いという事実に繋がる。
つまり説得可能。
更に少し考えて、言った。
「ぼくは、深山と遊ぶつもりはないんだ」
深山は少し呆然として、首を傾げた。
「……えっ、と……」
「始めに言ったと思うけど……深山は、そういう女じゃないでしょ?」
「す、すみません。よく分かりません」
戸惑う深山に、ぼくは首を振って見せる。
「……深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない」
これは本音。
最初のコンタクトを違えた時点で、ぼくらに接点はない。
深山は、ぼーっとぼくの顔をみつめている。
「えっ、と……それは……」
「本気だよ? どうしても、ぼくを嫌ってくれないみたいだから……」
ヤるつもりなら、この前出来た。
「ぼくのことを気に掛けてくれるのはいいけど、それの延長線上で関係を持つのはよくないよ」
「…………」
深山は……なんだろう。微笑んでいる。
「……なに? ぼくに何か付いてる?」
「いえ、続きをして下さい」
深山は笑みを浮かべたままでテーブルに肘を着き、手の上に顎を乗せた。
「……とにかく、お金はいらない。受け取れないよ」
「はい」
深山は元々下がった眦を更に下げ、目の動きだけでぼくを追っている。
「な、なに? なんで……」
何だかよく分からないけど、ぼくは頬が熱くなった。
深山が言った。
「……私を口説いているんですよね?」
「……え?」
「とても気分がいいです。こんなのは初めて……」
「……」
深山の頬も、うっすらと赤く染まっている。
「……あなたの言い分だと、私という女は特別で傷付けたくない。お金で関係を持ちたくない、そういうことですよね?」
「あ、う……ん」
どうしよう……。
深山の言ってる通りなんだけど、それは……
ぼくと深山は見つめ合う。
「……」
相変わらず深山は微笑んだままで、首を傾げて目の動きだけでぼくを追っている。
その瞳は少し潤んでいて。
ぼくは何も言えなくなる。
「……あなたは自分が嫌われてでも、私を遠ざけようとした。合ってますか……?」
「……」
どうしよう……。
「小箱が開いたままになってますよ……?」
「なにそれ……分かんないよ……」
「今、自分がどんな顔をしているか、分かっていますか……?」
どうしよう……すごく、逃げたい……。
深山は、なんというか、いやらしい表情。瞳を濡らして、唇を舐めている。
「あなたの言う通り、お金は引っ込めます。もう一円も払いません。いいですね?」
「う、うん……」
どうしようどうしよう――
「逃げたら、今度は私がラボに引っ張り込みますよ」
「……」
「着信拒否は解いて下さい」
ぼくは必死で首を振った。
深山はやっぱり微笑っていて、その笑顔で、ぼくを追い詰める。
「なんでダメなんですか?」
「ぼ、ぼくは、お金が欲しいんだ……だから、続けて行くつもりで……」
どうしよう……泣きそう……。
深山は足を深く組み、ぐっと伸びをするようにテーブルの上に身を乗り出した。
「言ってることと、やってることが矛盾していますよ。気付いていますか……?」
ぼくは言った。
「カオルに電話したい……」
――ひくっ、と深山の眉が動いた。
「その人があなたをダメにしてるんです」
「家に帰りたい……」
瞬間――
「ダメですッ!!」
深山が叫んだ。
「逃げないで下さいよ! あなたは、なんで私から逃げるんですか!! 新城馨とは別れなさい!!」
「……」
ぽろっと涙が溢れた。
「ご、ごめんなさい……ゆるしてください……」
「……!!」
深山は仰け反るようにして、ぼくから距離を取った。
みるみるうちに青ざめ――
「す、すみません……怒鳴ってしまって……」
ぼくは必死で涙を拭った。
「ごめんなさい、すぐなくのやめますから……ゆるしてください……」
「ああ、嘘です嘘です……私は何もしません、しませんから……!」
どうやら、この女の人は、ぼくを殴らないみたいだ。慌てていて、忙しなく辺りを見回している。
ぼくは言った。
「おなかがいたい……」
「ああ、どうしましょうどうしましょう……何処ですか、何処が痛いんですか……?」
ぼくは服を捲り上げ、その部分を見せた。
女の人は、はっと息を飲み、両手で口元を覆った。
「嘘です……! ああ、神さま……!」
眼鏡の奥の垂れた優しそうな瞳から、ぼろぼろと涙が溢れだす。
ぼくは、ものすごく気分が悪くなって、その場に座り込んでしまう。
「ああ、ああ! 嘘嘘、ごめんなさい……! どうしようどうしよう……近付いてもいいですか!? 触ってもいいですか!?」
ぼくは横に首を振った。
「おとうさん……おとうさん……」
気分が悪い……
女の人は、ものすごく慌てている。
もうちょっと、休んでいても大丈夫そうだ。
ぼくは奴隷のポーズになった。
お母さんとの約束。
休むときは奴隷。
「ああああああああああ!!」
女の人が悲鳴を上げた。
……
…………
………………
……………………
…………………………
◇◇
◇◇
◇◇
昔の夢を見た後は、いつも具合が悪くなる。
そういうとき、父さんは病院に行こうと言う。
病院は大嫌いだ。
薬を飲むと、ぼくは駄目な人間になる。日付の感覚が曖昧になって、何もかもどうでもよくなってしまう。
◇◇
目が覚めると、ぼくは深山の膝枕で横になっていた。
意識は、はっきりしていて、場所はカフェテリア。
広間の端にある長椅子。
「……どれくらい寝てた?」
深山は、ぼろぼろに泣いていたけど、ぼくが呼び掛けるとすぐに返事を返した。
「15分ほどです……。もう、落ち着きましたか?」
ぼくは頷いた。
深山が、震える声で言った。
「……新城さんは、優しいんですか……?」
ぼくは頷いた。
「私より……」
ぼくは頷いた。
深山は一頻り泣いて、それでも足りないのか、肩を嗚咽に震わせている。
疲れた。
なんでこんなことになってしまったのか、それが分からない。
一つだけ分かったのは、ぼくは、深山が苦手だということ。
それだけはよく分かった。