ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
ぼくがボクになる。
ミカゲ ユウキという名の、怪物になる。
強くてかっこいいシュウへの憧れも、優しいカオルへの甘えも全て踏みつける。
携帯電話の向こうから、皆川の嗚咽に震える声が聞こえて来る。
『奴隷でも何でもする……! するからぁ、だずげでぇ……』
皆川の『よくない』知り合い全員が避けて通った案件。
ぼくは、ボクになる。
これから、少しだけ危険を犯して皆川を助けに行く。
「皆川、今、何処にいるの?」
少しだけ、立場を不味くして、皆川を助けに行く。
『前に会ったカラオケボックス! 早く、早く……!』
「慌てないで」
ここで焦って飛び出すほど、ボクは馬鹿じゃない。幾つか確認しておくことがある。
「言っとくけど、ボク、弱いよ?」
ボクの身長は正確に言えば147cm 。体重は41kg 。左手は痛めてしまっていて、握力は12キロほどしかない。運動能力で言えば、皆川の方が随分上だと思う。実力行使の状態では殆ど役に立たない。居ない方がいいくらいだ。
『そんなんじゃない! 違うからぁ!!』
焦る皆川は無視。
「そこに何人いるの?」
『あたし入れて二人だけ! 早く早く、もう……!』
皆川の返答に淀みはなかった。嘘は吐かれていないように思う。
場所は前のカラオケボックス。皆川の他に、あと一人。暴力沙汰じゃない……。
「OK、今から行く」
◇◇
結局、ぼくはぼくの中のボクのことを勘違いしていた。
ぼくの中の『ボク』を、強くて残酷な怪物だと買い被っていた。ソイツが厄介な問題を片付けてくれると思い違いしていた。
このときのぼくは酷く混乱していて、皆川を何とかしてしまうことで、他の何かに生まれ変われるように、勘違いしていた。
……皆川は本物のパッパラパーで、ぼくは行くべきじゃなかったんだ。
◇◇
早足で歩く。
時刻は深夜の12時を回っている。幼い見てくれのボクは補導される危険がある。
駅の駐輪場で自転車に乗ってからは大通りを避け、この前、トウコが使った狭い路地を行く。
赤や青のネオンが煌めく街を抜けて行く。
夜の街は、昼とは別の顔をしていて、何だか蠱惑的。けばけばしく飾り立てた女の人や、一癖も二癖もありそうな陰のある男たち。それらの視線を躱して目的地に急ぐ。
国道から少し離れたカラオケボックスに着いた。
トウコ曰く、危険な場所。
悪たれどもの吹き溜まり。
辺りは閑散としていて、稼働しているキャンピングカーは5台だけ。
何故か、背筋がビリビリした。
よくない予感がする。
でも、ぼくはカオルに追われていて、何処かに進まなきゃならない。
敷地外の路地に自転車を乗り捨て、皆川が居る筈の11号車に急いだ。
扉が僅かに開いていて、室内から蛍光灯の明かりが洩れ出している。
耳を澄ます。
「さ……! しっかり……」
皆川の声。
さっき携帯で話したときのまま、逼迫した様子。歌ってはいない。呼吸が荒れていて、泣いているのか、鼻を啜る音も聞こえる。
扉を開けた。
「皆川……?」
暗い夜道を来たせいか、蛍光灯の光が目に滲みた。同時に鼻を衝いた異臭に、うっと退けぞる。
(この匂いは……)
「――御影!?」
気配を敏感に察知した皆川が狭い室内を駆けて来て、ぼくに抱き付いた。
「御影、御影、御影、御影!」
皆川はボロボロに泣いていて、抱き締めたぼくの額に沢山のキスの雨を降らせた。
石鹸の匂い。
皆川は、ちゃんと家に帰ったのだろう。腰に手を回しながら、そんなことを考える。
「皆川……」
顔を上げて、キスを降らせて来る皆川と唇を合わせた。
理由はなかった。
キスは相変わらず嫌いだけど、今はこうした方がいいと思っただけ。
舌を絡めると、皆川は何かから逃避するかのように、夢中でキスに応えた。
離れる。
「ほら、涙拭いて」
親指の腹で擦るようにして、皆川の涙を拭ってやる。
今は泣き顔だけど、蓮っ葉な化粧で飾らなければ、元がいいだけに美人。瞳は大きくて、形のいい唇は色っぽく見える。
ぼくが少し笑みを浮かべて見せると、皆川もぎこちなく笑みを浮かべて見せた。
「みかげぇ……」
皆川の大きめの瞳から、ポロっと涙が伝う。キスで落ち着いたのか、深い溜め息を吐き出した。
そして、一拍の間を置いて――泣き腫らした目を『それ』に向けた。
「……?」
ゆっくりと皆川の視線を追うと、ソファの陰に女の子の脚が覗いているのが見えた。
ぼくの位置からは角度が悪く、床に寝そべるように投げ出された脚しか見えない。倒れているということだけしか確認できない。
瞬間、ギクッとした。
ヤバい。緊急事態。
「皆川、退いて!」
パッパラパーの皆川優樹菜を押し退けて、室内に駆け込んだ。
そして――
……
…………
………………
……………………
…………………………
◇◇
◇◇
◇◇
ぼくは、開いた口が塞がらず、額から大量の汗を流した。
「……霧島」
霧島沙織。
援交をやってる女の子。皆川とセットの『危険なルート』。ぼくは彼女と知り合いになる予定だった。
皆川が泣きながら、ぼくのシャツを引っ張った。
「気絶してるだけだよね? そうだよね!?」
「……」
霧島沙織は、うっすらと瞳を開けた表情で僅かに微笑んでいる。顔色は青白く、口元から噴き出した泡に血液が混じりピンク色になっていた。
辺りは吐瀉物と糞尿が散乱していて、酷い有り様だ。
霧島沙織はその中で全裸で膣に歌唱マイクを突き立て、大の字になって倒れ込んでいる。
「……」
ぼくは息を飲む。
見る限り、霧島は眠っているようにも休んでいるようにも見えない。青白い顔色から、凡そ生気というものが感じられないのが気にかかる。
死んでいるように見えた。
ソファの上に登り、飛び散った吐瀉物や糞尿を避けて霧島の側に歩み寄る。
胸が上下してない。つまり呼吸していない。やはり投げ出された腕を取って、脈拍を調べる。
「…………」
ぼくは医者じゃない。でも、はっきりと理解した。
霧島沙織は――
疑いの余地なく、死んでいた。
◇◇
◇◇
霧島沙織が死んでいる。
白目を剥き、自ら垂れ流したであろう様々な汚液の中に倒れ伏し、膣に歌唱マイクを突っ込んで、これ以上ないくらい無様に死んでいる。
「……」
畜生だってこんなに無様な死に様は晒さない。本人にとってはさぞ不本意な死であることは間違いない。
僅かに笑み、うっすら開いた霧島の白目が堪らなく不気味だった。
漫画や映画で、主人公が死者の瞳を閉じさせるシーンがあったのを思い出し、ぼくは霧島の瞼に触れる。
「……!」
手のひらに、未だ残る霧島の温もりが伝わって来て、腰が抜けそうになった。
霧島の身体は硬直が始まっているようで、漫画の主人公みたいに上手く行かなかった。
霧島は、頑なに白目で微笑んだままでいる。
「…………」
冷たい汗が止まらない。
そこにあるのは、紛れもない『死』だった。
喉元まで胃液が込み上げ、ぼくは吐きそうになった。
瞬間、思い出したのは父さんのこと。
――俺の息子だ!
――俺の息子なんだぞ!!
父さんを悲しませたくない。失望させたくない。そんなことになるくらいなら、舌を噛んで死んだ方がましだ。
この件を騒ぎにする訳にはいかない。吐いてる場合じゃない。
込み上げた吐瀉物を飲み下し、額に浮かんだ粘つく汗を袖で拭った。
深呼吸して、それから言った。
「皆川、逃げるよ」
「……え?」
皆川は泣き腫らした目で、ぼくを見詰め、それから悲惨な死に様を晒し続ける霧島に視線を向けた。
納得できない、そんな表情。
ぼくは言った。
「霧島なら、死んでる」
「……ぇ?」
皆川は絶句して、半目で笑う霧島を見詰めた。
「瞳孔は開いたままだし、脈も止まってる。もう死後硬直が始まってるよ」
「……」
ぼくは霧島の口元を指した。
「心臓マッサージしたでしょ? 肋骨が折れて内臓を傷付けてるみたい」
霧島の口元に付着した泡に血液が混じり、ピンク色になっている。そして僅かに陥没して見える左胸。必死で処置に当たったのだろうけど……
ぼくは首を振った。
お手軽な救命方法のように思われがちな『心臓マッサージ』だが、熟練の救急員でも対象の肋骨を折ることがあるくらいには、心臓マッサージは『難しい』。
『心臓マッサージ』という救命法には結果責任が伴う。この国の法律では、特定の資格を取得した者にしか許可されてない。保健体育の授業では、なるべくやらない方がいいと指導された。
ぼくは医者じゃないから、霧島の死因のはっきりしたことは分からない。目に見える状況から推測しているだけだ。
「……!」
ぼくの言葉に、皆川の肩がブルッと震えた。
「それじゃ沙織は……あたしが……」
「……」
ぼくは答えなかった。
霧島の身に緊急性を伴う事態が起こった。そして皆川の取った処置が決定打になった可能性はある。
皆川の手首を掴んだ。
「逃げるよ」
「……」
皆川は黙って霧島の方を見詰め続ける。見開かれたままの瞳から流れる涙が止まり、徐々に光が消えて行く。やがて――
皆川は、小さく頷いた。
◇◇
◇◇
呆然自失の状態に陥った皆川を車外に連れ出す。
ぼくは犯罪を犯していない。皆川にしても善意の行動であり、最悪の事態になったとしても大きな罪に問われることはない……と思う。
警察に通報するという選択肢もあるが、それはやらない。
騒ぎになれば、ぼくも確実に事情聴取を受ける。そうなれば、罪に問われることはなくても、大学受験に大きな影響を与える可能性がある。
それに、こんなことを父さんに知られたくない。警察に通報するという判断は論外だ。
皆川は酷い様子だ。
衣服は霧島の排泄物で汚れ、何一つ喋ろうとせず、視線はあらぬ方に向いている。
これからどうする?
どうやって、皆川を助ける?
自問自答を繰り返しながら、深呼吸する。
落ち着け。
ぼくは悪いことは何もしていない。ここから去るだけだ。
何処かで落ち着いて、皆川から前後の事情を聞く必要がある。汚れた格好もなんとかしなければならない。
「皆川、移動するよ。落ち着ける場所ない?」
「……」
皆川は俯いて、さっきから瞬き一つしない。
知り合いを手に掛けたかも知れない。その心境は伺い知れない。
ぼくは、なるべく優しく言った。
「皆川、大丈夫だよ。ぼくが助けるからね」
「……」
俯き、下がったままだった皆川の虚ろな視線が、ぼくの方に向いた。
「……みかげぇ……」
表情が、くしゃくしゃと引き歪み、皆川は大粒の涙を流した。
ぼくは力強く頷いて見せた。
「さ、行くよ」
この件に巻き込まれた以上、ぼくと皆川は一蓮托生の関係になった。なってしまった。
OK、やることは何も変わらない。
皆川を掌握して、完全に支配する。この一件を完璧に封殺してしまうには必要なことだ。