ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
鬼ごっこ 1
むかつく……
バレーボールを辞めてからはいつも。
身体の奥にどろどろとした熔岩が燻っていて、それが今にも溢れ出しそうだった。
◇◇
◇◇
◇◇
午後は雨降り。
この日のカオルは授業をさぼり、『奥の部屋』で雨の唄を聞いている。
頭の中は霞が掛かったようになっていて、いつもは陰気に聞こえる雨の音ですら心地いい。
「……」
悠希はパンツ一枚で正座して、カオルの傷だらけの膝をさすっている。
御影悠希と関係を持ってから、二週間が経過しようとしている。
最初は落ち着かなかったこの関係にも慣れてきた。情事のあとの心地いい気だるさに身を任せ、ゆっくりと雨の唄を聞いている。
悠希はカオルの膝に興味があるようで、後戯の後は決まって膝の傷を撫でる。
「……」
癒される。
悠希は何も言わないし、カオルも何も言わない。
ひたすら優しい沈黙が続いていて、その中に心地いい雨の唄が流れ続ける。
悠希とのセックスは気持ちいい。
カオルはもう、どっぷりと首までハマっていて抜けられそうにない。抜けるつもりもない。
僅かに残る情事の匂いが鼻腔を擽る。
カオルは未だに全裸のままでいて、あまりにも心地いい午後のひとときに微睡みはじめる。
雨の唄が続いている。
悠希は飽きないのか、まだ膝をさすっている。
身体の奥深くで流れる熔岩は、今はもう微熱を残すだけになっている。
終わったのだ。
バレーボール選手としての自分は、確かに終わったのだ。
この午後の一幕には、納得出来ず未だ燻り続けるカオルに、それをはっきりと認識させるだけのゆとりと残酷さと優しさが、確かにあった。
「……」
涙は出ない。悲しんだり悔やんだりするより、先ず怒りが胸を衝くタイプだ。
でも今は――
激しかった怒りは優しい時の流れの中、悠希に慰撫されて埋没して行く。
消える、というのとは違う。バレーボールはカオルの青春そのもので、カオルはそれに費やした時間や努力を否定したくない。
カオルは納得していた。
それは、もう過ぎ去ったことと、落ち着いて理解していた。
悠希がカオルの膝を、ぽん、と軽く叩いて言った。
「もう、痛くないみたいだね……」
「……ああ」
事後はナーバスになっている場合があるから、優しくしろと言ってある。それを抜きにして、御影悠希という少年は、元来優しく出来ている。
『痛み』に敏感なのだ。
カオルは一つ大きな欠伸をして、それから煙草に火を点けた。
「……」
悠希は黙っていて、カオルのすることを見つめている。
その口元に、僅かな微笑みが浮いていることを確認し、カオルも口元を緩ませる。
死ぬほど落ち着く。
最早、安寧とすら呼んでいいほどだった。
◇◇
◇◇
◇◇
夏の盛り。
真夜中の午前3時を過ぎても、悠希は見つからない。
街中を車で流しながら、カオルは12本目の煙草に火を点けた。
むかつく……
悠希を見失って、胸中の焦りと苛立ちはいや増すばかりだ。
携帯の着信ががなり立てるように車中に鳴り響き、カオルは激しく舌打ちした。
発信者は一々確認しない。
この鬼ごっこを手伝って貰っている後輩か友達だろう。
だが――
『…………』
始め、そいつは無言だった。
「もしもし?」
カオルは強い苛立ちから来る皺を眉間に刻み、紫煙を一気に吐き出した。
そいつが、言った。
『 べ ろ べ ろ ば あ ! ! 』
カオルは、ぎょっとして携帯のスクリーンを覗き込んだ。
スクリーンには番号だけが表示されていて、発信者の名前は表示されていない。
『だ~れだ!?』
少し嗄れているが、特徴的なハスキーボイス。
決して忘れやしない。
「秋月……!」
血を吐くように呻いたカオルの眉が一瞬でつり上がる。
「何の用だ、このズベ公が……! ぶち殺すぞ!!」
『あはははははははは!!』
携帯電話の向こう。
秋月蛍は、狂ったように笑いに噎せる。嬉しそうに言った。
『焦ってるな』
「……!!」
口を噤むカオルの脳裡に、様々な思惑が錯綜する。
悠希は、秋月蛍と一緒にいる。一緒にはいない。どっちだ!?
『悠希と寝たよ~?』
馬鹿にするような間延びした声に、カオルは脳みそまで沸騰しそうになった。
「それがどうした! 一度ヤったくらいで調子に乗ってんじゃねーよ!!」
『……驚かないんだな?』
狂喜と狂気の中に、冷血の洞察力。秋月蛍は油断ならない。
『悠希が言ったのか!? ああ、うん、隠さないのは素直に嬉しい!!』
「……」
悠希は何処だ? こちらからは聞けない。それがカオルの口を重くしている。
蛍が言った。
『すまない、悠希に代わってくれないか?』
「死ね」
短く言って、カオルは通話を切った。
――悠希は、秋月蛍と一緒にはいない!
それが分かっただけで、カオルは目の前が明るくなったような気がした。
しかし、そうすれば何処に……
そんなことを考えながら、秋月蛍の番号を着信拒否に設定する。二度と聞きたくない声だ。蛍との決着は近いうちに必ず着けるとして、今は悠希だ。
カオルは路肩に停車して、暫く考える。
悠希に居場所を尋ねることはしたくない。必ず見つけ出して、必ず抱き締める。全て受け止める。
大魔王は陥落寸前。
カオルは王手を掛けている。その自覚があった。
見付け出せず、悠希の家で落ち合うとしたら、それはカオルの負けだ。意地になっているのではない。試された以上、応えるのは当然のことだ。
また携帯が鳴った。
――如月 葵――
今度は発信者を確認してから出る。
『カオル? ウチだ。お前が言ってたのとそっくりなチャリ見付けたから写メって送る。御影のか確認してくれ』
「分かった」
ややあって、携帯に送信されて来た画像を見てカオルは片方の眉を上げる。
――見つけた。
そう確信したのも束の間。再びアオイから着信があった。
カオルは、何故か嫌な予感がして唇を軽く舐めた。出る。
『……御影のチャリか?』
「ああ、間違いない。今、何処だ? 急行すっから」
『…………』
「アオイ? どした?」
一拍の間を置いて、アオイは苦々しい口調で言った。
『……あそこのカラオケボックスの近くだけど、ヤバそうな感じだ……』
「え?」
『今、救急車とパトが来てるわ……』
「…………」
カオルは、底無しの暗闇に転がり落ちる自らを連想して、口が利けなくなった。
悠希が居なくなる。
そんなことは、考えたこともなかったのだった。