ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
真夜中過ぎ、葛城 瞳子(トウコ)の携帯がけたたましく鳴り響いた。
寝ぼけ眼を擦り、携帯に手を伸ばす瞳子の耳に、その着信音は悲鳴のように聞こえた。
出る。
『ゴラッ! トウコ!! おめー、そこにユキがいるだろ! いるって言え!!』
寝起きに大音量の一喝を受け、瞳子は、一瞬頭が爆発したかと思った。
『テメー、ボコボコにしてやるからよ!! 今すぐアタシんとこツラ出せ!』
「……」
瞳子は携帯を暫し突き放し、ずきずきと痛む眉間を揉みほぐした。
『……! …………!!』
携帯の向こうで、新城 馨(カオル)が怒鳴り散らしている。
だが、怒っているというより何だか焦って聞こえる。声は泣き出しそうに悲痛の色合いを帯びている。
「……」
どうやら、悠希との関係がバレたようだ。
それはいい。
いずれケリを着けるつもりだったし、いつまでも隠し通せるものでもない。悠希を手に入れるつもりなら、絶対に避けて通れない道だ。
やれやれ、と瞳子は頭を振った。携帯を引き寄せる。
「それでなんか用ですか?」
『テメ、この……!』
圧し殺した声。
立場が逆なら、瞳子も同じように激昂しただろう。だから気持ちは分かる。
馨が言った。
『……幾つか質問する。正直に答えろ……!』
「はい」
瞳子は悠希が好きだ。でも、この恋が横恋慕であることは理解している。
馨から悠希を奪ってやりたい。そういう意味では馨を憎んでいるが、それ以外の部分では何もない。素直に頷いた。
『ユキとヤったか?』
悠希さえ絡まなければ、仲のいい先輩と後輩の間柄でいられたのだろう。
「はい、ヤってます」
瞳子は迷わず肯定した。
馨は恐いが、その暴力に怯える段階はとうの昔に過ぎている。むしろ、これでこそこそしないで済むと思えば、清々するくらいだった。
――沈黙。
通話口から、痛いくらいの沈黙が漏れ出している。
『……テメー、ユキに手ぇ出したら、殺すって言ったよな……』
「はい、自分が先に手を出しました。だから、悠希さんは悪くありません」
やれるものならやってみろ。多少のことでこの想いが消せるものか。
だが、こうなったことで、度胸の固まりのような瞳子に大きな懸念が生じている。
「自分はどうでもいいです。でも、悠希さんだけは殴らないで下さい。お願いします」
『……っ!!』
この瞳子の寛恕の要求に、馨は何故か驚き、絶句した。
「あの人は、たくさん、たくさん傷付いてます。お願いします……」
『……って……』
馨の声色に弱気が覗いている。そして悠希のことに関する限り、瞳子も弱気だ。
沈黙。
今度の沈黙は、激しい怒りを感じさせるものではなく、困惑の気配が漂っている。
先に沈黙を破ったのは馨だ。言った。
『……アタシがユキをどうかしちまうように見えるんかよ』
「はい」
秋月蛍にやったように挑発するでもなく、瞳子は冷静に請け合った。
「新城センパイはそういう人です」
『……』
馨は否定しなかった。
自分が傷付くことより、瞳子はそれが恐ろしい。自ら否定できない狂暴性を持つ新城馨が恐ろしい。
「どうしようもなくなったら、悠希さんからは離れて下さい」
『……』
瞳子も馨も弱味は同じ。万が一にも傷付けたくないものがある。その一点に於いて、二人の利害はこれ以上ないくらい一致している。
『……ユキがいなくなった。今、一緒に居るか?』
「いえ、自分ならウチで寝てましたけど……何かあったんですか?」
『……』
馨は再び沈黙を選び、考え込む様子だった。
言った。
『テメーは許せねぇ……。でも、今は見逃してやる。黒岩のことが終わってからだ』
「はい」
瞳子は馨の弱腰を正確に読み取った。
意外に思うと同時に、少し悲しくなった。馨は悠希との関係を壊してしまう可能性を承知の上で瞳子を認めた。その程度には悠希を大事に想っている。それがよく理解できた。
(あぁ……本気なんだな)
分かっていたことだが、馨との衝突は避けようがない。
悠希を取られる可能性を残してまで瞳子を見逃すことができる新城馨という『女』を、瞳子は許すことができない。
馨の評価をプラス修正して、瞳子は覚悟を新たにする。
そのうち、絶対――
――潰してやる――
◇◇
◇◇
暫くして、夜の街を原付で疾走する瞳子の姿があった。
成り行きの説明は受けた。
馨の焦りと怒りはよく分かった。
悠希の様子がおかしかったことは知っている。
秋月蛍のことに関しては、腹が立たないと言えば嘘になるが、これは瞳子にも責任の一端がある。
秋月蛍は狭量な女だ。
悠希を絶対に許せなかったから罰するしかなかった。
短絡的な行動に走り、結果に困惑するしかなくなった馬鹿女。
それが瞳子の評価。
蛍に答えを与えたのは瞳子だ。自身の正しさを信じて疑わない秋月蛍に仕出かした罪の大きさを突き付けて嘲笑ってやった。
黒岩智を処分する上で、その引け目が役に立つだろうと思ってのことだったが、こんな形で返って来るとは思わなかった。
悠希の過去を知る前の蛍なら、この成り行きはあり得なかっただろう。狭量な蛍に悠希は許せない。
しかし、知ってしまったからこそ、蛍に罪悪感が生じ、その成り行きに至った。
肌を撫でる夜気を切りながら、瞳子は絡み合う因果を感じている。
……あのカラオケボックスで事件があった。
馨は悠希が巻き込まれたのではないかと頻りに気を揉んでいたが、そうじゃない。
瞳子は考える。
悠希はトラブル体質だが鈍感じゃない。何かの事件に巻き込まれた可能性は否定できないが、危険を避ける能力は持っている。
仮に――この事件に巻き込まれたとしたら、今頃は安全な場所に隠れ、危険をやり過ごしている可能性が高い。自転車は近くに放置されていたらしいから、まだ近くに留まっている可能性がある。――と、馨もここまでは考えているだろう。
瞳子はここにもう一つ、忌々しい可能性を加味して考える。
第三者。
馨も瞳子も知らない第三者が存在していた可能性だ。
幸い、瞳子はあのカラオケボックスの周辺に土地勘がある。
自分ならどうするか。
葛城瞳子が『第三者』であるなら、御影悠希を何処へ連れて行くか。何をしたいか。
そして――
◇◇
◇◇
◇◇
明け方ごろ。
「はい。悠希さん、見つけました。
白い髪の女ですね。
ここからは少し距離があるんで、知ってるヤツかどうかはちょっと分かりません。
――分かりました。引き留めます。
一緒の女、ヤっちゃっていいですか?」
通話を切って、瞳子は吐き捨てた。
「誰が待つか。あんたなら待つのかよ……!」
考え得る限り、最低の展開だった。
悠希を事件に巻き込み、あまつさえ一晩中引き回した。その上、事もあろうにラブホテルから出て来る。
「新城センパイ。アンタ、何も分かってないよ」
白い髪の女は馴れ馴れしく悠希の肩を抱いている。それが本当に――
むかつく……。
視線は悠希に釘付けで、風にも当てぬほどの労りようだ。
御影悠希は、瞳子の回りにはいないタイプだ。本来は『誰とでも』そういうことはしない。断言できる。
遠目に見ても分かるくらい、悠希の表情は青ざめていて疲労の色が濃い。
思った。
(その人は、そこらのカス女が振り回していい人じゃない!)
今は身柄を確保して馨に引き渡すつもりだったが、気が変わった。
我慢できない。誰もいない場所に連れて行こう。
悠希には休む場所とゆっくり考える時間が必要で、幸い瞳子にはそれを与えることが可能だ。
せっかく馨を出し抜いたのだ。この機会に、あの深山楓も来れないような場所に連れて行けばいい。
瞳子の胸の中に、どろどろとした黒い炎が渦を巻く。
なりふり構うな。
鬼になれ!
悪魔になれ!
瞳子は嗤った。