※この作品はR-18です。

ぼくがビッチになったワケ   作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!

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第二章 ヒーローは間に合わない。
黒岩 智4


 智の父親は、家事の殆どをこなすけれど、唯一料理だけは作ることがない。

 

「今さらやし、な……」

 

 苦く笑う智に、悠希は首を振って見せる。

 

「怖がるのは、トモらしくない」

「う……」

 

 ただの一言、謝ればよい。

 父は、きっと許す……いや、そうじゃなく、父は智のことを恨んではいない。むしろ罪悪感すら持っているだろう。

 何でも積極的にこなす智の父が、唯一料理を苦手にしているのはそのためだ。

 

「……どう言うたらええか、分からん」

「ん……」

 

 悠希は少し考えて、それから言った。

 

「ちゃんと目を合わせて、一緒にご飯作ろうって言ったら、あとは何とかなると思う」

「……なん、それ。よう分からん」

 

◇◇

◇◇

 

 ある日の夕方。

 なんとなく思い立ち、智は父の前に立った。

 

「あんな、お父……」

 

 仕事を終え、少し疲れた表情の父の前に立つ。

 

「おう、なんぞ?」

 

 微笑を浮かべた父が優しく見つめ返して来る。二人は、確かに家族なのだ。

 智はギクリとして、

 

 ――ちゃんと目を合わせて――

 

 思った。

 

(くそっ、あいつ分かっとったな……!) 

 

 目を逸らそうとして、グッと唇を噛んで堪え忍ぶ。

 

「なぁ、お父……」

 

 鼻の奥が熱くなり、目が何だか潤んだ。

 

「一緒に、ご飯、作ろうや……」

 

 声が掠れる。よく分からないが涙が溢れて来て止まらない。

 智はもう15歳。春からは高校生になる。人前で泣くような年齢じゃない。

 父の前で涙を見せるのはいつ以来だ?

 衣服の袖で目元を拭いながら見つめ返すと、父は男臭い笑みを口元に浮かべ、鼻の頭を真っ赤にしていた。

 言った。

 

「おう、ええよ……」

「……!」

 

 瞬間、智の涙腺は決壊した。

 

「……お父、ごめん、堪忍なぁ……」

「なんのことや……」

 

 突然のことで伝わらないだろう、などと思い込んでいたが、そんなことはなかった。

 智の思いは伝わったし、父は思いを汲んでくれた。

 緊張から解放され、安堵して智が笑うと、父もまた笑った。

 

(分かっとったんやな……)

 

 智は泣きながら、ぷっと噴き出した。

 父もつられて噴き出した。

 

「なんなんや、今、おまえのお父がやな……」

 

「あはは、ええんよ……ええんよ……」

 

「そやな、もうええな……」

 

 父が、しんみりと言って場を締めた。

 

 そのあとは快活に笑った。

 

 二人は確かに家族だった。

 

 以降の親子関係は円満だ。二人は上手くやっている。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 春休みになった。

 卒業式の告白以来、悠希とは会ってない。それが、智には何とも落ち着かない。

 あれで良かった。ああでもしないと、二人の関係は前に進まない。

 智はどうしようもなく女で、悠希は男だ。それを突き付けなければ行けなかった。

 

 でも、暇になるとこう思う。

 

 面倒なケジメなど忘れてしまって、繋いだこの手を離さずいたら……。

 仲のいい二人は笑い合って、春休みも退屈せずに居られただろう。

 一緒に買い物に行って、ご飯を作って、映画館に行ったり、カラオケに行ったりなんかもいい。

 想像するだけで、だらしなく頬が弛む。

 智はにやにや笑って考える。

 カラオケボックスでも、悠希の家でも何処でもいい。二人きりになってしまえばこっちのものだ。

 悠希には負い目がある。

 はっきりとではないだろうが、智がやっていたことを分かっていた節がある。きっと、何をしても抵抗しないだろう。身体に触れられても、困った顔をするだけで逃げ出すようなことはしない。

 もし、抵抗されても問題ない。智にはあの動画がある。あられもない姿を収めたフォトも膨大な量所持している。悠希は手も足も出せない。言いなりに出来――

 

「ああ、もう……!」

 

 そこまで考えて、智は頭を抱えて唸った。

 

 智は、自分がどうしようもない女だということを知っている。

 繋いだこの手を離さず居れば、いつまでも進展しない関係に嫌気が差した智は、いつか禁忌を犯してしまう。必ず悠希を壊してしまう。

 

「……そんなん、私は認めん……」

 

 呟いた決意の言葉は、いつかの智より、ずっと弱々しい響きだった。

 

 黒岩智は、自分がどうしようもない女だということを知っていた。だから悠希から離れる必要があった。卒業式の告白はあれで良かった。自ら身を引いて間違ってない。

 智は力なく呟いた。

 

「硝子の器……」

 

 今の悠希は余りに脆い。智を容れれば壊れてしまう。

 別に悠希を壊したい訳じゃない。ただ、智は受け入れられたい。愛したいし、愛されたい。――思いっきり。

 きっちり過去を乗り越え、しっかりとした強さを身に付けたとき。

 

「私は、それからや……」

 

 今は、悠希の成長を待つ。

 

◇◇

 

 ダラダラと長い春休みが続く。

 人気者の黒岩智は消え、今の智に春休みを一緒に過ごす友人は居ない。

 自室のベッドに寝転がり、この日も智は溜め息一つ。

 

「……御影、何やっとんやろう……」

 

 2月、3月の受験期間はいつも二人でいた。受験する高校にも、バスで一緒に行った。

 何をするにも二人は一緒。

 智には居心地の良すぎる時間だった。

 

「……」

 

 時折見せる、屈託のない笑顔が好きだ。物怖じせず、ハキハキとした物言いもよい。

 可愛らしい外見とは裏腹に、意外とブラックユーモアがあるところも気に入っている。

 多少、潔癖のきらいがあり、身だしなみに気を使うところも清潔感があってよい。

 

(電話、してみようかぁ……)

 

 今なら、まだ悠希は受け入れるだろう。そしてまた、お互いに気遣いを絶やさぬ優しい日常に戻る。

 一緒に高校に通い、休みは一緒に勉強したり、遊んだり。

 高校に入ったら、また剣道部に入ろう。

 自分が頼み込めば、悠希は必ず断らない。剣道部のマネージャーになって貰おう。勿論、智の専属として。そうすればつまらない虫を弾くことも容易い。稽古にも身が入る。

 切っ掛けはもう作ったのだから、関係は時間を掛けてゆっくり進めて行けばいい。

 きっと自然な形で二人の関係は進展するだろう。

 

「……なんや、ええことばっかりやん……」

 

 にやっと笑い、智は携帯電話を手に取った。そこで――

 

「ああ、もう、アカンて……!」

 

 ここに至り、智は自分のどうしようもない性分を理解している。

 智には、溺愛の困った性分がある。きっと悠希を溺愛するだろう。何もかも見えなくなり、必要以上に構い、庇い、助け……必ず、悠希の成長の妨げになる。

 それも、いかがわしいことをしないで、というキツい制限付きでのことだ。

 

 智は携帯電話を手に取ったまま、途方に暮れた。

 ブラックアウトした画面をじっと見つめる。

 

「今は、待つんよ……」

 

 それがベストの判断。

 少なくともそう思ったから判断を下した。行動もした。

 それでもどうしようもない女の智は、悠希の存在を求めてしまう。

 気付くと携帯を操作して、フォルダを開いていた。

 

「…………」

 

 小さな画面の中で、制服姿の悠希が笑っている。

 

 智は俄に湧き出した生唾を飲み下し、唇を軽く舐めて湿らせた。

 フリック。

 次の画像は勉強中のものだ。

 悠希は難しい表情でシャープペンシルを口元に当てて考え込んでいる。

 智しか知らない普段の御影悠希を収めたもの。

 フリック。

 次の画像は、智が悠希の肩を抱き、二人揃って撮ったもの。

 これを撮るのは度胸がいった。

 半分ふざけた振りをして、内心、心臓が張り裂けるほど緊張しながら撮った渾身の一枚。

 智は、にやにやと笑った。

 フリック。

 

 ……

 …………

 ………………

 ……………………

 …………………………

 

◇◇

 

 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

 

 智は上半身の肉付きがいいタイプだ。

 小さい頃から剣道をやっていたお陰で肩回りの筋肉が発達している。……そのせいで怒り肩に見えてしまうのが悩みのタネだ。

 身長は172㎝。女性としては恵まれた部類に入る。胸のサイズもそれなりに恵まれていて、それはちょっぴり自慢に思っている。

 全体的に、スタイルはいい方だと思う。

 智は漠然と考えながら、寝巻き替わりにしているトレーナーの下履きに右手を差し入れ、忙しなく指先を動かしている。

 頭の中は霞掛かったようにボヤけていて夢心地。粘着質な水音を遠くに聞きながら、鼻に掛かった声を上げた。

 

「……う、ん……ふ……」

 

 男勝りの自分でも、こんな女らしい声が出るのだな。智はぼんやりと考えながらやはり指先の動きを早める。

 包皮の上からクリトリスを擦り、膣口をなぞる。

 ぴちゃっ、と水の跳ねる音がして、智は肩を震わせた。

 

「……んっっ!」

 

 頬を紅くして、未だ興奮冷めやらぬ智は粘つく液体を指先で弄びながら、震える息を吐き出した。

 スマホはあの動画を垂れ流しにしていて、音声が耳に入って来る。

 

 ――Joy to the world, the Lord is come――

 

 粘る液体を弄ぶ智の色素の薄い瞳に、じわっと涙の粒が盛り上がった。

 

 ――Let earth receive her King; ――

 

 今はもう聞き慣れてしまったソプラノボイスが神の到来を祝福し、智の意識はこの日も天に押し上げられる。

 

 ――Let every heart prepare Him room, ――

 

「……最低……」

 

 でも歌を聞くとどうしようもなく腰の奥がむずむずしてしまう。

 

 ――And heaven and nature sing, ――

 

 ――And heaven and nature sing, ――

 

 行為が終わると、智は死にたくなるほどの自己嫌悪に襲われる。

 

「……私、変態やん……」

 

 でもこれが一番強く悠希を思い出させる。

 

 ――And heaven, and heaven, and nature sing.――

 

 悠希と会わないようにしたのは、失敗だった。

 顔を見ない日が一日、また一日と重なる度に心の中の醜い怪物が成長する。

 最初は自死したくなるほどの自己嫌悪にも慣れ、動画を見ながらの自慰にも抵抗がなくなって来た。

 

 悠希の為に会わない。それは間違ってない。でも、自分の為には離れるべきじゃなかった。

 

 ――失敗した。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 春休みは馬鹿みたいに長かった。悠希に逢えない二週間は気が遠くなるほど長かった。

 結局、電話は掛けてない。

 春休み中はオナニーばかりして暮らした。回数は70を超えた辺りで数えるのを止めた。

 それでも死にたくなるほどの自己嫌悪は一分子も減らない。始めるときはいいが、行為が終わると死にたくなる。

 

 たった二週間ほどで、智は4kg体重が減って、意図せぬダイエットに成功した。

 

 頑張った。

 それはもう、耐えた。

 

 電話は掛けなかった。

 

(……もう、ええやんな……)

 

 これ以上は、頭がおかしくなる。

 思い違いしていた。

 智は、どうにかなってしまうほど、悠希のことが好きだったのだ。

 

 でも、こうも思う。

 失敗したけれど、考えは間違ってない。今の悠希にとって、どうしようもない女の黒岩智は邪魔にしかならない。

 賭けをしよう。

 同じクラスに編入されたなら、それはもう運命だ。待たない。待てない。

 違うクラスに振り分けられてしまったなら――

 

 桜の花びら舞い散る新学期。

 ほんのちょっぴりツいてない智の初恋は、やっぱり神さまに嫌われていて。

 

 クラスの振り分けを発表する大きな模造紙。以前いた四国地方では、とりのこ用紙と呼んでいたそれに、智と悠希の名前は別々に記載されている。

 

 同じクラスになれなかった。

 

「…………」

 

 クラス分けは余程の理由がない限りは入学時の一回だけ。これも運命。

 周囲は新しく始まった学校生活に胸を躍らせた生徒たちが、ちょっとはにかんだ様子で挨拶を交わしたり、早くも遊ぶ約束を取り付けたりしている。

 

「……」

 

 智は、呆然としてその場に立ち尽くした。

 

 取り合えず剣道部に入ろう。思い切り竹刀を振り回して、気に入らない上級生を滅多打ちにして、インターハイに出よう。優勝して目立てば、嫌でも悠希の目に入る。それから――

 

「……?」

 

 剣呑な妄想に浸る智だったが、制服の袖を引く微かな感触に違和感を覚え、背後に振り返った。

 

「ぁ……」

 

 そこにいたのは、目元を赤くして、今にも泣き出しそうな悠希だった。

 

「……!」

 

 仰天して目を剥いた智は固まった。

 心臓が、ばくんと大きく一つ鳴った。

 この二週間は智も堪えたが、それは悠希も同じだったのだろう。それが手に取るように解った。

 

 悠希は目に涙を溜めていて、何か言って欲しそうに見つめて来る。

 

「あ……!」

 

 今、声を掛けたら悠希は駄目になる。自分も益々おかしくなる。分かっていた。だから離れた。

 でも、もうそれはいい。

 二人とも駄目でいい。何処までも一緒なら、他に何もいらない。

 

(でも……!)

 

 目に涙を溜め、こちらの反応を伺う悠希は、らしくない。

 強気で横着で、それでいて真っ直ぐな悠希らしくない。

 ――いいじゃん。

 今なら、何の苦労もなく悠希は手に入る。

 でも――

 智の頭に過ったのは、長過ぎる春休みで飽きるほど繰り返した行為のこと。

 

 死にたくなるほどの、自己嫌悪。

 

「……」

 

 見て、いられなかった。

 智は悠希から目を逸らし、言葉もなく俯いた。

 

(こんなときに……!)

 

 悠希の、ぱっちりとした瞳が瞬きして、頬に一筋の涙が伝った。

 黙り込む智の様子は拒絶にしか見えないだろう。

 

 ぐい、と袖で目元を拭って、悠希は一目散に駆け出した。

 

「ははっ……」

 

 智は笑った。

 どうしようもなく焦がれていたはずなのに、自ら遠ざけた。そのことが可笑しくて堪らず、声を上げて笑った。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 予定通り、剣道部に入った智に、印象的な出会いが二度あった。

 

 一人目は、眼鏡に三つ編み。少し野暮ったい印象的の深山楓。

 楓は、とにかくマイペース。絶対に無理をしない。彼女の中で、練習に取り組む時間は決まっていて、時計の針が午後6時半を指すと帰ってしまう。

 勿論、即行で上級生に目を付けられた。

 しかし、地稽古で反目していた上級生三人を汗一つかかずに打ち倒した。

 四人目と打ち合った際、相手は禁じ手とされている突き技を使ったが、楓は即座に反応し、これを逆に突き技で仕留めた。

 顔色一つ変わらなかった。

 

 後の先を取る腕前も恐ろしいが、相手方の反則に即座に反応して迷いなく禁じ手で返す性根も恐ろしい。悶絶する相手を見ても顔色一つ変えない。

 智も人のことはとやかく言えないが、それでもゾッとした。

 

(なんや、こいつ。メチャクチャ怖い女やな……)

 

 以降、深山楓は上級生たちに空気扱いされている。

 

 二人目は秋月蛍。

 身長は180㎝を超えている。無口、無表情。

 顧問はとにかく彼女を特別扱いしている。何かと目をかけ、稽古中は絶対に目を離さない。そのお陰で楓のように上級生に絡まれずにいる。

 A級特待生。

 智が真偽を尋ねると笑って首を振ったが嘘だ。

 いつも自然体。

 自分のことは喋らない。秘密主義。

 そして――怪物。

 何気なく見せる身のこなしや歩方。剣道だけじゃなく、他の武道にも精通している。

 何より『雰囲気』がある。

 言葉にするのは難しいが、身に纏うもの。黒岩智と共通するもの。

 蛍は、こっそりと智に話し掛けて来た。

 

「深山がいなかったら、三分くらいで全員殺せるな?」

 

「……」

 

「なんだ、驚いた顔して。黒岩だってそれくらい出来るだろ?」

 

「……知らん。そんなん考えたこともない」

 

 智は思い切り渋面になった。個人の性分として、暴力を好んだことは一度もない。

 ――合わない。

 何処まで本気で言っているかは解らないが、相手を殺せるかどうかで測ったことは一度もない。――殺してやりたいと思ったことはあるにしても。

 その価値観は共有できない。

 智にとって、秋月蛍は得体の知れない怪物だった。

 蛍が言った。

 

「私と深山と黒岩と、三人いれば団体も行けるな。これからの三年間、よろしくな」

 

「…………わかった。ええよ」

 

 智は用心深く答えた。

 秋月蛍のことは理解できないが、進んで敵に回すこともない。このときはそう思った。

 ――そう思ったのだ。

 

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