ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
剣道部での智の評判は悪くない。
稽古が始まる前に、キチンと体育館に集合して他の部員と共に活動開始の準備をする。
先輩にはちゃんと頭を下げる。ジュースを買いに行けと言われれば黙ってその通りにする。蛍と楓の印象が強すぎた為か、それだけやっていれば智が目を付けられることはなかった。
しかし、この日。
膝を着き、敗北のショックに項垂れる楓を静かに見下ろす黒岩智には、誰にも無視できない雰囲気が――『凄味』がある。お飾りでない真剣の凄味があった。
辺りは水を打ったように静かで、屋外で活動している運動部の連中が上げる掛け声だけが遠くに聞こえる。
「……ちっ」
面頬の中で、智は小さく舌打ちした。
(他愛もない……皆、もう別人やん……)
周囲を軽く見回してみるが、誰も視線を合わせない。年上の上級生、蛍以外に興味がなさそうな顧問、一緒に稽古の準備をした他の同級生までもが、怯えたように下を向いている。
(あちゃあ……)
明らかに面倒臭そうな上級生とのいさかいは蛍と楓に任せ、大人しくしているつもりだったのに。敵になるとまでは思わないが、もう『普通』ではいられない。
智は疲れたように溜め息を吐き出して、少し弛んだ胴着の帯を持ち上げた。
「めーん」
この雰囲気を解きほぐそうと、お茶目に楓の面を軽く打ってみる。
「……参りました」
楓が涙ながらに呟き、余計に雰囲気が悪くなった。
(うわ、私、めっちゃKYやんか……)
頭に昇った血が下りてしまうと、智は急に居たたまれない気分になってきた。
楓の鼻っ柱をへし折ったのは単なる憂さ晴らしだったが、代償は高いものになった。
「く、黒岩。ちょっといいか……?」
おずおずと声を掛けて来たのは、蛍にへばりついて存在感のない顧問だった。
顧問をやっているその男性教員は、普段は全校生徒の風紀の取り締まりなんかもやっていて、校内では結構な強面の部類に入るのだが、このときは表情が引きつっていた。
◇◇
智は顧問に連れられて、人気のない体育教官指導室で二人になった。
「先生、最後の面は余計だったと思う……」
「うわ、堪忍な……」
そんなやり取りの後、座席を勧められ、智はそこに腰を下ろした。
顧問は暫く考え込むように唇を舐めていたが、言った。
「黒岩が強いのはケイから聞いてたけど、本当に強かったんだな。でも実績みたいのはない……」
「……お父が転勤族やったから、そんなんとは無縁やってんけど……」
「ああ、それで……」
顧問は納得したように頷いて、それからまた黙り込んだ。
沈黙の時間が続く。
(なんや? むっちゃ居心地悪い……)
智としては、特別悪いことをした覚えはない。楓にしても少し打ち身くらいは負ったかもしれないが、ほぼ無傷と言っていい。謝るのは違う。
やがて、顧問は考えが纏まったのか、単刀直入に言った。
「黒岩。ケイ……秋月とは練習でもやり合うな」
「……」
秋月蛍を潰すな、という訳だ。このあからさまな贔屓には智も不快な気分になった。
「私より、深山に言いや」
「深山?」
先は智が圧倒したが、実際の実力差は余りない、というのが智の見立てだ。楓が慢心せず、冷静に臨んでいたらいい勝負になっただろう。
まあ、絶対に負けはしないけれども。
楓は見た目こそ大人しいが、内面はとてつもなく激しい気性の持ち主だ。いざとなれば禁じ手の使用も躊躇しない性分がそれを物語っている。
「最後の『突き』は見とったやろ? あれ、殺意あったで」
あの突きは以前見たことがあるから対処できただけで、初見ならどうなったか分からない。少なくとも、反撃の余地はなかっただろう。
「……」
智は黙り込み、少し考える。
確たる強さに拘りのない智だからこそ、深山楓の危険性がよく見える。この際――
(潰しとこか……)
「どうした、黒岩? 急に黙り込んで……」
「……あんな、先生。深山は相当危ないで?」
「深山が? あれくらい強かったら、多少調子に乗るのはよくあることだし、それはもう黒岩が――」
「なん言いよんや」
……
…………
………………
……………………
…………………………
◇◇
智は、口を酸っぱくして楓の危険性を説いた。
「――アイツはそれができるんよ」
その間、顧問教員は腕組みして難しい表情だった。
「……確かにそうかも。今はまだ……」
(そんなに蛍が可愛いか? あのデカブツが。惚れとんちゃうか、コイツ……)
ふと、顧問が言った。
「なあ、ケイって剣道始めてまだ2ヶ月くらいなんだけど、いつくらいまで深山は危ないと思う?」
――時間が止まった。
「は?」
顧問がニヤリと笑って頷いた。
「まあ、そうなるよな。驚くよな。でもそういうことなんだよ。A特って、そんな化け物しかいないんだぜ?」
「……2ヶ月?」
稽古では何度か手を合わせたが、身のこなしや打ち込みの強さは有段者の智から見ても申し分ない実力者のものだった。
「ウソやろ……?」
「本当。そんなことでもなきゃ、たかが15の小娘に大の男が――っと、失言……」
「……」
「ケイはいいよ。アイツは頭も悪くない」
……それは分かる。
考えるより先に感情が先走るタイプなら、今頃は楓と二人仲良く転がっていただろう。
――天才。
これまでの人生で、そういったものを見たことはないが、認めるべきなのだろう。
世界は無常である。必ずしも努力が認められるとは限らない理不尽の法則が支配している。
それを知っている智だからこそ、この現状を冷静に飲み込んだ。
「A特って、本当やったんやな……」
今更取り繕っても仕方ない。顧問は頷いた。
「あぁ、そうだ。要するに、ケイは期待されてる。今は大事に行きたいんだよ」
「……」
智は内心、鼻を鳴らした。
楓のように強さを自己顕示欲に発展させるタイプなら、激昂していただろう。
「先生、今はまだケイを潰す訳にいかないんだよ。だから、その……アレだよ! 分かるだろ!?」
(……うるさいの。ちっと黙っとれ……)
目の前で何か語っている顧問は、智の目にはただのサラリーマンに映る。見るべきものは何もない。
「勿論、タダとは言わん。先生、黒岩の為に色々便宜を量るつもりでいるよ!」
「……分かった。けど、この話は深山にもしや」
楓の気勢を殺ぐのに、この話は有効だろう……。
そこまで考え、智は自分を訝しく思った。
(なんや、私……深山のこと意識しとんのか……?)
智にとって、剣道はただの暇潰しに過ぎない。強さにも拘りはない。
だが、何故か楓を潰さねばならないと思ってしまう。蛍よりも、先に潰さねばならないと思ってしまう。
智にとっての最終的な勝利は、悠希の隣に立つことだ。そういう意味では、楓は競争相手ですらない。……胸の大きさは気になるけれど……。
智は小さく息を吐く。
楓は気性の激しいタイプだ。この手のタイプはムラがある。ダメな時はとことんダメだが、そのぶん爆発力は恐ろしい。
――策(て)は打った。
蛍に関しては、目の前のサラリーマンが上手く使えそうだった。