ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
悠希は人間関係に壁を作るタイプだ。可愛らしい印象とは真逆の突っ慳貪な態度を取ることも珍しくない。
でも、固い険を取ってしまうと――
少し微笑んで、こちらの目を見つめて、ゆっくりと話す。その時は決して遮らず、話を最後まで聞いてから自分の意見を言う。絶対に相手の考えを真っ向から切り捨てたり、ダメ出ししたりしない。
悩み事には親身に対応する。無責任に答えを返すのではなく、分からない時は、黙って一緒に考える。
ちょっとした失敗で落ち込んでいるときは笑わせて元気付けてくれる。そういう時、可愛らしい口からは想像も出来ないブラックユーモアが飛び出す。
笑ってしまうと、その後はいつもの黒岩智でいられる。飾らない自分でいられる。
ビビッと来た。
これは、真面目に考えなければならないと思った。
これから共に歩みたい異性として、大切に取り扱わねばならないと思った。
智が考えるに、黒岩智という女は、とことんツいてない。もう少し運が良ければ、この若さで運命を感じることはなかっただろうし、対象に悠希を選んでしまうこともなかっただろう。あまりにも強力なライバル――秋月蛍が出現することもなかっただろう。
その悠希は、今や蛍の後に付いて回り、剣道部のあれこれに説明を受けている。
自分より随分上背のある蛍を見上げ、悠希が言った。
「防具はだいたい分かる。えっと……面に小手、それから胴当て……?」
「胴だね」
答える蛍は、口元に上機嫌の笑みを絶やさない。
「……この、ふんどしの出来損ないみたいなのは?」
力が抜けたのか、かくっ、と膝を折り、蛍は笑う。
「ふんどしじゃないよ。『垂』っていうんだ」
「ふうん……」
蛍は頬を染め、一度咳払いしてから言った。
「御影は男子だからね。慣れないうちは、皆に迷惑をかけてしまうかもしれないから、なるべく私と一緒にいてほしい」
「わかった」
この光景に目眩を覚え、智は額に手を当てたまま、動けなかった。
(なんや、これ……おかしいやろ……)
◇◇
――秋月蛍は、全てを持っていた。
◇◇
日々を重ねるうち、自ら手離したものの貴さが、手に負えないほど大きくなって行く。
智は、悠希のことに関して語る口を持たないようになっていた。
(私は……)
思い出は追憶の彼方。
智の恋は、人知れず散り行こうとしている。
……心の何処かで声がする。
――使え。
切り札を使うのは、ここしかない。
『アレ』は、スマホにも家のパソコンにも取ってある。データを吸出してDVDにも焼いてある。
アレを使えば、今の状況を一瞬で引っくり返すことができる。悠希の心が絶対に手に入ることがなくなるだけ。
心の何処かで声がする。
――それでも、使え。
悪魔に生まれ変わるのだ。
(やかましい!!)
人知れず初恋を終らせようとしている智には、それはあまりにも魅力的な悪魔の囁き。
――もう、使うしかないんだよ!
視界の向こうでは、悠希が蛍の柔軟体操を手伝っている。
蛍はいつになく真剣な表情。その心に一分子の乱れもないことが一目で理解出来る。
でも、本来はその場所にいてもおかしくなかった智の存在には気付かずにいる。
心の底で悪魔が囁く。
――そうでもしなきゃ、思い出にだって残れやしない。
(やかましい……)
内心で力なく呻き、智は唇を噛み締める。
限界が、近かった。
◇◇
◇◇
やられた分は、キッチリやり返す。
それが、黒岩智のたった一つの冴えたやり方。
裏を返せば、自分からは手を出さない。
ここで短慮に走れば、大切な何かを失った後、蛍に徹底的に敗れ去ることになる。
稽古中の悠希は節度を守り、蛍との接近も程々だったことが、なんとか正気を繋ぎ止めたこともあるが、元来、智は冷静で頭を使うタイプだ。
今の蛍に唯一欠けているものは、『仇役』だ。『アレ』を持っている智ほど、間抜けな道化に適した存在はない。それを理解していた。
何もしない。それが現在の良策だった。
この年の夏。
秋月蛍は正しく鬼神の仕上がりだった。
インターハイ個人戦優勝。団体戦優勝。選抜へ向けて大きな弾みをつけた。
視線を背けると発見もある。
「……?」
女子剣道部を支える悠希は大活躍。
中性的な容姿もあり、部内の反発は殆どない。お茶くみに始まり、審判、ビデオ撮影、試合記録、防具や胴着等の備品管理。雑事という雑事の全てを不平一つ言わずこなす。
特に下級生――一年生部員の悠希に対する好感と評価は高い。新たに高校に入り、実力も経験も違う上級生に揉まれて大変な時期だが、一人の脱落者も出すことがなく、夏を乗り切った。
智から見た下級生は、どれも小粒の印象。全員、生き残ったのは悠希の存在に依るところが大きい。平時は後ろに控えていて、大変な状況になると現れて手を貸す。決して恩着せがましいことはせず、嫌がりそうなことはしない。
深山楓が、ポツリと述懐した。
「私たちの時は、半分はいなくなったんですけどね。今年の一年生は恵まれてます」
蛍の本格化に隠れて目立たないが、楓も成長著しい。
智への敗北を経て、心境に大きな変化があったのか、周囲に気配りを見せるようになった。
ここでもやはり、深山楓はマイペース。ゆっくり、しかし着実に。彼女の場合、主に人間性に磨きが掛かった。入学当初の傍若無人振りは鳴りを潜め、実力が一段落ちる他の部員たちとの稽古も程々にこなしている。最後まで練習にも付き合うようになった。
そうなると、おっとりとした緩めの容姿の影響もあり、性根が入れ換わったと上級生の評判も悪くない。
顧問も、楓の変化を評価した。
「深山、変わったなあ。黒岩に負けて、何か得るものがあったのかな……」
「……」
その楓は、時折、悠希に半目の煙るような視線を向けている時がある。
「どした? マネになんか付いとんか?」
「……いえ、ちょっと……」
楓は考え込むように視線を伏せ、言葉を濁した。
「……歪んでます」
「え、何が?」
それは、一足飛びに懐に入りこまれたような。
ずっと遠くにいると思っていた深山楓が、本当は直ぐ真後ろにいるような。
――智は、不快だった。
智以外に誰も知らない悠希の素顔に気付きかけている楓のことが、この上なく不愉快だった。
◇◇
◇◇
「私がいないと、何もできない癖に!!」
インターハイ終了直後、蛍と悠希の関係は破綻した。
大失敗をやらかすことは、分かりきっていた。
思った通り、それ見たことか。口元を覆う智は、大爆笑を抑えるのに必死の思いだった。
智の好きな、御影悠希は人気者。
インターハイが終了する頃には、剣女の愛らしいマスコットとしての地位を確立させていた。
その悠希を連れて来たのは蛍だが、何かと構う様子は上級生のみならず、剣女全員に不評だった。その事をやっかむ声が大きくなり、爆発した形になる。
何もせず、事の成り行きを見つめるだけの智だったが、この結末には清々した。
これで、狂わずにいられる。
同時に、落ち着いてこの一件を鑑みる智は、漸く『答え』の片鱗を垣間見たような気がしている。
――近付き過ぎても駄目。
悠希は本当に厄介な性質をしている。
自分は間違ってない。智は、ほっと安堵の思いだった。
こうも思う。
(やっぱり、私やないといかんな! ええよ、ええよええよ! もうちょっとやん!!)
ここから蛍の転落が始まる。