※この作品はR-18です。

ぼくがビッチになったワケ   作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!

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黒岩 智9

 言ってはいけない言葉がある。

 

 

 ――私がいないと、何にも出来ない癖に!

 

 

 蛍が本気でそう考えていたなら、悠希との距離がこんなに近くなることはなかっただろう。

 この言葉が弾みで出たものだということは分かる。

 

 ――悠希は、傷付いた表情だった――

 

 最初から最後まで、ただ成り行きを見守るだけだった智の口元に、緩い微笑みが浮かんで消える。思った。

 

 傷付いた表情も、堪らなく可愛い。

 滅茶苦茶にしたい程度には。

 

 稽古中だったが、蛍は全てを放り出し、駆け出した悠希を追って行った。

 

(青春やなぁ……)

 

 のんびりと受け止める智は、他人事のようにそう思った。

 

 蛍は謝るのだろう。そして悠希は謝罪を容れる。これまでに築き上げて来たものがそうさせる。

 だが奥深く入り込んだ澱(おり)は消えず、時間を掛けて全身に回る。

 

 悠希と蛍の関係は、智にとって理想的な関係だった。

 

 この年の夏が終わり、緩やかに何かが変わって行く。緩慢に、しかし確実に終わりに向かっている。

 

 智は、苛立ちを感じることもなければ、焦ることもないようになっていた。

 

「……御影くんのことは、残念でしたね」

 

 寂しげな秋風が吹き付ける頃、ポツリと深山楓が述懐した。

 

「……そやな」

 

 剣道部の顧問から、副主将任命の打診があったのはこの頃だ。

 

「やっぱり、黒岩はそういうの興味ないか……」

 

 既に主将に任命されている秋月蛍の下に着く気は微塵もない。

 

「副は深山でええやろ」

「うん……でも、黒岩より一枚劣るかな……」

 

 興味の湧かない話だった。

 

 顧問には時々、呼び出され、指導室で意見を聞かれることがある。

 真面目で強いが何処かで一線を引いており、部内の力関係や立場に執着しない智には、色々と話しやすいようだった。

 

「わかった。深山に言ってみるわ」

 

 それから、智はお茶を勧められ、改まって顧問に言われた。

 

「――御影、県内の大学希望してるみたい。第二志望は何処だったっけ……ええと……」

 

 言いながら顧問は鞄をごそごそ漁り、ファイルに纏めた資料を智に突き出した。

 

「お、サンキュな。先生」

 

 渡されたファイルには、現在の悠希の偏差値や進路志望、直近の実力考査の結果が書かれている。

 

「……御影の学力なら、第一志望楽勝だと思う」

 

「……そか」

 

 教員だけが閲覧可能の秘密資料に当たり前のように視線を落としながら、智はフムフムと頷いた。

 

「県内の大学なら、先生色々パイプ持ってるから、何処でも推薦できるよ」

「うん……」

 

 悠希の個人的な秘密資料に一通り目を通し、深く考え込む様子の智に、顧問は続ける。

 

「黒岩が大人で、先生、助かったよ」

「うん……」

 

 余りにも癖が強すぎる部員を纏める為に、顧問が持ち掛けた『大人の関係』。

 

「御影と上手く行くこと、祈ってるから」

 

 智は眉間に皺を寄せ、ファイルを軽く叩いた。

 

「第三志望から後が書いとらん。分からんのん?」

「ああ、それなら……金銭的な問題みたい。公立の大学で、自宅から通えるとこ狙ってる。来年になれば、その辺りもハッキリすると思う」

「そか……」

「御影の進学は、本人の意志っていうより、お父さんの強い希望みたいだ」

 

 思考に耽るあまり俯きがちだった視線を上げ、智は顧問と向き合った。

 

「本人の実際の希望は?」

「就職」

 

 智は落ち着きなく視線をさ迷わせ、足を組むと腕組みの姿勢になった。

 

「そ、そんなに苦しいんか?」

 

 智の言葉に、今度は顧問が思わしげに黙り込む。

 暫くの沈黙を挟んで、言った。

 

「……この前、進路相談あったろ? ほら、三者面談のやつ」

「うんうん。学校であったやつやな」

 

 ぐっと身を乗り出し、智は続きを促す。

 

「あんとき、御影と親父さんが言い合いになって……」

「やりおうたんか?」

 

 頭を抱える智に、顧問は頷いて見せた。

 

「御影、ボロボロに泣きながら就職するって叫んで、それでも親父さん、頑として聞かねえのな。絶対、進学しろって譲らないの」

 

「……」

 

 訥々と語る顧問の前で、智は頻りに足を組み替えて唸った。

 悠希が就職するとなると、智の計画にも大きな変更が出る。

 ほんのちょっぴりだけ、就職してしまえば後は自由だから、適当な言葉でたぶらかして連れ出してしまえたら、などと考える。

 

「……先生さ、仕事柄、色んな親子見るよ」

 

「うん? なんやいきなり」

 

 神妙な面持ちで言う顧問の変化を感じ取り、智も、こちらはやや面倒臭そうに向き直る。

 

「生徒指導なんてやってるとさ、ホント、色んな親子見るんだ。うんざりするようなのもあったし、苦笑いしか出ないような親子関係もあった」

 

「……」

 

「あそこの親子ってさ。お互いのことが大事で、だからやり合うんだぜ? 矛盾してるよな」

 

「……」

 

「まだ小さいけど、先生も息子がいるよ」

 

「……」

 

「やりきれなくてさぁ……」

 

 天上を見上げ、少し掠れた声で言う顧問は、鼻の頭を赤くしている。

 言った。

 

「御影のことに関する限り、黒岩はイカれてるよ」

 

「ちっ……」

 

 その言い様に、智は軽く舌打ちすることで応えた。

 それでも悪びれず、顧問は続ける。

 

「色々と便宜するって言った先生に頼んだの、御影のことに関して知りうる情報だもんな。オカシイよ。普通の女子高生がすることじゃない」

 

(今日は、やけに噛みつくの……)

 

 ただのサラリーマンだとばかり思っていた顧問は何か言いたいことがあるようだ。

 

「……」

 

 智は反論せず、黙って顧問の肩から上の辺りを見つめる。

 自らも小さい息子を持つと言った男が言った。

 

「あの親子は、幸せになっていい。まともに恋愛やってるケイじゃ駄目だ。いくらワシュウさんの力があっても、あの親子を救うことは出来ないよ」

 

「……」

 

「でも――イカれてる黒岩なら、きっとおかしな力でなんとかする。きっとあの親子を幸せにする」

 

 断言。

 

「……」

 

 智は微笑っている。

 

「ケイが御影連れて来てさ。先生、黒岩は絶対暴発すると思ったけど、そうはならなかった。でもそれは――」

 

 智は、自分がとうにイカれていることを知っている。だからこそ、このおかしな力を真っ直ぐ道に乗せる必要がある。

 悠希から距離を取っているのはその為だ。決して蛍の邪魔をしなかったのもその為だ。

 

「先生、黒岩のこと応援してるから……」

 

 ここまで何もせずにいた智だからこそ、この道が開けた。

 

 正々堂々の横恋慕。

 

 智は静かに笑みを返すだけだ。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 主将に秋月蛍。副主将に深山楓を据えて、女子剣道部は新たに発足することになった。

 楓が言う。

 

「あと一年、よろしくお願いします」

「ええよ」

 

 深山楓は、良い方向に変化した。決して無理せず、個々の実力を見て指導する先輩としての姿が下級生の強い信頼に繋がっている。顧問は何も言わないが、A特の蛍がいなければ剣女の主将を務めたのは楓だったかもしれない。

 

 秋月蛍は何も変わらず。泰然自若とした様子。

 

「来年は選抜を取るぞ、黒岩」

「了解」

 

 経験、実力、共に整う来年になればそれも夢じゃない。有段者三人が牽引する剣道女子部は期待されている。

 

「蛍、マネはもう戻らんのん?」

 

 この智の言葉に、蛍は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 三年生が引退し、女子剣道部は総勢21名。その内、15名を一年が締めている。

 

「なあ、分かっとると思うけど、あんたも主将やん。強いだけじゃいかん」

「わ、分かっている!」

「ホントか? あれ、先輩もイカンけど、あんたもイカンで。ちゃんと謝ったんか?」

「……」

 

 蛍は端整な顔をくしゃりと歪め、複雑な表情になった。

 

「……勿論、謝った」

「ならええ」

 

 でも、悠希は戻らなかった。

 それで良し。

 それが好し。

 瑕(キズ)が入ったなら、なおよし。

 

◇◇

 

 日常で見かける悠希は、憂鬱な表情を見せるようになっていた。

 秋月蛍は空回り。

 体育祭では誘いを突っぱねられ、その後の修学旅行では行動こそ同じくしたものの、悠希は何処かつまらなそうにしていて、酷く退屈そうだった。

 

 文化祭を終えた辺りから、蛍は素行に粗を見せるようになった。

 相変わらず強いが、時折、稽古をサボるようになり、ふんわりと煙草の匂いをさせる時もある。

 蛍の様子は、致命傷を受け、徐々に死に行く猛獣を連想させた。

 

 強いだけでは駄目。

 

 その蛍だが、時折、剣呑な視線を一方に向けることがある。その先には――

 

 新城 馨。

 

 身長185㎝。蛍より僅かに高い身長のせいで、恐ろしく目立って見える。

 こちらも蛍と同じく目付きが悪く、獰猛な視線を辺りに振り撒いている。元はバレーボール部のホープだったようだが、膝の怪我が原因で退部せざるを得なくなったらしい。

 今は素行が荒れている。

 着崩した制服。脱色して傷んだ茶色い髪の毛。時代遅れの長めのスカートを引きずって。そして、ところ構わず唾を吐く。

 

(ヤンキーか……)

 

 智には、一分子も興味を持てない相手だった。

 

(つまらん)

 

 時は巡り、冬が終わり、春がやって来て。

 その春。

 秋月蛍は、自ら宣言した通り、選抜大会を制した。

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 高校三年生の春になっても、蛍はしぶとく悠希との関係を持続させている。

 この頃になると悠希は何時も上の空で、まともに蛍の相手をしなくなっていた。

 

「な、なあ、御影、少し待ってくれ。昼食くらい一緒に――」

 

 悠希は蛍をチラリと一瞥して、この時は余程、鬱陶しかったのかこう言った。

 

「ウザい。今は話し掛けないで」

 

 蛍は、ちょっと涙目になっていた。

 

 もう少し。

 もう少しで、時が満ちる。

 

 色の薄い智の瞳には、蛍の焦りの色が強く映る。

 よく分からない『力』を持っている蛍だが、悠希をもて余しているのがよく分かる。

 いっそ、卑怯な真似でもしてみたらどうだ? 強すぎる秋月家の力を使えばいい。

 その時は全てが逆転する。

 真正面から、悠希と二人で叩き潰してやる。

 

 

 ――インターハイ? 好きにしていいよ。もう選抜取ったし。先生、本気の黒岩と今のケイ、どっちが強いか気になる。

 

 ――深山? ああ、真面目だね。ちゃんと副主将してるけど、それがどうかした?

 

 

 そして――

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 時は梅雨時に差し掛かり、この日も智は、剣道部の顧問に呼び出しを受け、体育教官指導室にいる。

 

 顧問との関係は有益で、いつも智の知らない情報を得られることができる。

 智は手元の資料に目を落とし、ゆっくりと首を左右に振った。

 

「……」

 

 顧問も険しい表情で口を噤み、視線を逸らしている。

 

 黙って俯く智の瞳に、じわっと涙の粒が浮かんだ。

 

 御影父子の間に、血縁関係はない。

 

 世界は無常なのだ。

 

 墓場まで持って行かねばならない秘密が出来る。だが、こうして知っておくことで、悠希の大切な欠片を一つ拾うことが出来たような気がする。

 しみじみと顧問が言った。

 

「ちゃんと血が通ってても、親子らしくないヤツらだっているってのにな……」

 

 『大人』は、いつだって子供の先を行く。この情報も、大人だからこそ知ることが出来た情報の一つ。

 

「黒岩。先生が思ってること、言っていいか?」

 

 智は黙って頷いた。

 顧問も真剣な面持ちで頷き返す。

 

「御影、多分だけど……お父さんとのこと知らない……」

 

「……」

 

 智は黙って頷いた。

 

「黒岩のやり方に意見する訳じゃないけど、ちょっと不安なんだ」

「……」

「御影って、エキセントリックなとこあるじゃん」

 

 それは知っている。

 悠希は、少し他人とはズレたところがある。幼い頃の過酷な環境が原因だろうが、人見知りする癖に他人の顔色を伺うのが上手い。観察眼があるともいえるが、深山楓辺りに言わせれば『歪んでいる』。本人は普通にしているつもりなのだろうが、『歪んでいる』。

 

「先生、上手く言えないんだけどさ……このままだと、大変なことになるんじゃないかって……」

 

「……」

 

 高校三年生、また一つ年齢を重ね、18歳になった智はこの意見を受け入れる。

 軽視してはならない大人の最大の長所は『経験』だ。こればかりは、逆立ちしても引っくり返ることはない。

 

「今の御影から目を放さない方がいい」

 

 この意見を無視するのは危険と思われた。

 ただ、一つ欲をいうならば、何かの『証』を見せて欲しい。蛍との訣別、精神的な成長、何でもいいが行動に足る理由が欲しい。

 どうして、未だ見守るだけに留めているのか。それを思えば、悩ましい。

 もう少しなのだ。

 蛍は死に体。彼女の恋は、緩やかに『終わり』に向けて進んでいる。これに関しては、悠希と蛍による当人同士の決着が望ましい。

 

(早うフられたらええのに……)

 

 蛍は中々しぶとい。

 悠希の暴言にも、突っ慳貪な態度にも挫けず、踏ん張っている。諦めてない。

 智は俯き、時間をかけて考える。これから、どう動くべきか。

 

 ――本当は、悩んでいる暇なんてないのだけれど。

 

 すでに『大変なこと』が起こっていて、やっぱりツいてない智の恋は、とことん神さまに嫌われている。

 

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 

 何の前触れもなく、秋月蛍が学校を休んだ。

 ちなみに休む前日は稽古をサボった。常ならば、遅れることはあっても、完全に姿を見せないということはない。

 稽古中の楓が言った。

 

「鬼の霍乱。あの人、人間だったんですね」

 

 正しく。

 秋月蛍という女は鋼鉄製だ。

 剣道を含めた数種類の武道を修め、幼い頃からの鍛練で培った身体は正に鋼鉄製。風邪一つひかない。

 見事な八頭身。

 均整の取れた身体は、シャワー室で間近に見たことがあるが、日焼けどころか染み一つない純白の肌。もう少し身長が低く、武断的な性格をしていなければ男子が放っておかなかっただろう。

 

 悠希との間に何かあったのだろうか……。

 漠然と考える智だったが、釈然としない。

 例え悠希にこっぴどくフラれたところで、鋼鉄製の秋月蛍が学校を休むだろうか。

 

(そんな可愛らしいタマやったか……?)

 

 とてもそうは思えない。

 それはまあ落ち込むだろうが、傷心が理由で学校を休むようなか弱い素振りは見せまい。そんな女らしい女なら、とうに悠希は諦めている。だとすれば、蛍に何があった――

 

 いや、悠希に何があったのか。

 

 その悠希は……

 

◇◇

◇◇

 

(なんやの、あれ……)

 

 様子を確かめに教室まで行った智が見たものは、窓際の座席でヤンキーの新城馨にまとわりつかれる悠希の姿だった。

 

 剣道部の用事に託(かこ)つけてよく様子を見に来るが、普段なら座席に着いた悠希の側には蛍が居て、何かと構っている。

 だが、蛍のそのポジションにヤンキーの新城馨が居る。

 耳を澄ますと、ぶっきらぼうに言う馨の声が聞こえた。

 

「……今日、一緒に昼メシ食わねぇ?」

 

「……」

 

 悠希は物憂げな表情で、ぼんやりと馨の顔を見上げた。

 

「……そういう関係じゃない、よね……」

 

 悠希はボソボソと小さい声で話すため、集中しないと聞き取れない。

 

(なんや!? ワケが分からん!!)

 

 ブレザーのポケットに手を突っ込んだ馨が舌打ちする。

 

「……だから、その後……分かるだろ……?」

 

「ああ、そういうこと」

 

 悠希は納得したように頷いた。

 

「放課後じゃダメなの?」

 

 対する馨は、ぽっと頬を染めて目を逸らした。

 

「……その、放課後もだけど……昼休みも……」

 

「分かったから――」

 

 悠希は頷き、それから半目で馨を睨み付けた。

 

「教室でその話はしないで」

 

 ガツン、とぶん殴られたような衝撃を覚え、智はふらつく足取りでその場を後にした。

 

 目が回る。

 

 全然、意味が分からない。分かりたくない。しかし『そういうこと』なら、蛍の失調に納得が行く。

 

 ――新城馨。

 

 青天の霹靂。意外。秋月蛍よりも。何もかもが違う。想像の外。無警戒。

 意味不明。だが……

 

(そういうことなんか、蛍)

 

 馨と悠希の間に、決定的な何かがあった。『そういうこと』だ。

 

◇◇

◇◇

 

 学校を休んでいた蛍が登校したのは、それから二日経ってからのことだった。

 

 色白の肌は病的な迄に青白く、目元には、うっすらと隈が浮いている。奥二重の瞳は険しくひそめられていて、下ろした髪は少し乱れていた。

 

「蛍、どしたん? メチャ顔色悪いで。そんなに具合悪いんか?」

 

 なるべく平静を装い、探りを入れる智に、蛍は歪んだ笑みを浮かべて見せた。

 

「……そうか。私は、そんなに具合が悪そうに見えるか?」

 

 その様は、いつも泰然自若として、堂々としている蛍らしくない。

 

「……あの淫売のせいさ」

 

 ここにいない相手を口汚く罵るその様は、武断的な蛍らしくない。

 

「いんばい? は?」

 

 意味が分からず問い直す智に、蛍は、むっつりと首を振って見せた。

 

 その蛍の異常な状態は稽古中も続いた。

 

 胴着に着替えた後、防具を着ける訳でもなく、竹刀を持つ訳でもなく、面タオルを着けたその後は体育館の隅に正座して、じっと此処ではない何処かを見つめている。

 楓が訝しむように言った。

 

「あれは……」

 

 その蛍は、大抵はぼんやりとしていたが、時折、ハッとしたように震えたり、鼻を鳴らして自嘲めいた笑みを浮かべたりしている。

 

 ――ヤバい。

 

 この鋼鉄の女をして、どうにもならない重大な何かがあったのだ。

 

「なあ、副。主将があれじゃイカンやろう……」

 

 智の言葉に、楓は呆れたように息を吐く。

 

「しょうがありませんね……」

 

◇◇

◇◇

◇◇

 

 今後の事は色々と考える。

 例えば、秋月蛍と悠希のこと。

 二人の関係は放っておいても破綻する。しぶとく関係を維持させている蛍だが、首都圏の大学に進学するのは間違いない。どう転んでも、高校卒業を期に二人の関係は終わる。

 同じ大学のキャンパスで、新しい関係を構築する。

 偶然を装って近付くのもいいが、真っ直ぐ想いを告げるのもいい。きっかけは中学時代に作っておいたから、どうとでもなる。どうとでもする。

 だが――

 

 

「御影……一回2000円だそうだ……」

 

「は?」

 

 と、間抜けな調子で聞き直したのは深山楓だ。

 稽古が終わり、帰り支度に慌ただしいロッカールームで、蛍は悔しそうに唇を噛み締め、呟いた。

 

「……旧陸上部の部室……『奥の部屋』……」

 

 その場に居合わせた二年生の一人が、ハッとして言った。

 

「奥の部屋って、ヤリ……」

 

 誰も口にしないが、廃部になった陸上部の部室の奥の部屋がヤリ部屋と呼ばれていることは、この学校の生徒なら大半が知っている。

 

 ――智は、全ての事情を一瞬で理解した。

 

 腰から下の力が抜け、智は、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。

 

 新城馨の『やったこと』は出鱈目だが、それが上手く行くということを、智だけが理解した。

 悠希に詳しいのは、自分一人だけだと思っていた。

 全ての事情を知り、且つ悠希の性格を理解していなければできないことだ。長い時間をかけ、考えたのだろう。

 

 ――新城 馨。

 

 智は呻いた。

 

「嘘やろ……」

 

 その方法は智も考えた。

 だができない。できる訳がない。ドン底まで軽蔑される覚悟がなければ、その方法は選択できない。

 へたり込み、ショックに項垂れる智だが、頭の冷静部分がこの『敵』に大きな警鐘を鳴らすのを自覚している。

 

 ――新城馨は、手強い。

 

 形振り構わず奪りに来た。

 

 蛍が忌々しそうに言った。

 

「あんなヤツとは思わなかったよ……!」

 

 ざわめく周囲の反応を余所に、智は内心で鼻を鳴らした。

 

(この二年、ずっと側に居った癖に、何も知らんのか……何も見とらんのか……)

 

 スケールの大きさに目が眩んでいただけで、蛍は敵じゃない。元からそんな大したタマじゃなかった。だからこそ、黙って見ていられたのだ。

 本当の敵を見誤った。それがどうにも悔やまれる。

 

(蛍、お前は馬鹿やけん、先越されただけじゃ!!)

 

 手段を問わない新城馨の方が余程手強い。賢い。覚悟がある。それだけに質が悪い。そして恐ろしい。

 

(ヤンキー、か……)

 

 通り一辺の屑と見損なっていた結果がこれだった。

 堪え難い怒りが胸を灼く。

 

 『最初の女』を獲られた。

 

(クソが……クソがッ……!!)

 

 そして智は、見ているだけでいるのを、やめた。

 

 

 ――こんなことになると知っていたら、迷わず『アレ』を使っていたのに――

 

 

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