ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
虎退治1
御影くんは、小さな身体を震わせて怯えていた。
「ごめんなさい、すぐなくのやめますから……ゆるしてください……」
「ああ、嘘です嘘です……私は何もしません、しませんから……!」
――逃げないで下さいよ! あなたは、なんで私から逃げるんですか!! 新城馨とは別れなさい!!
『出ていきなさいッ!!』
叫んでいるのは、いつかの私だった。
『御影くんは、苦しんで苦しんで……貴女は、責めて責めて、あんなに打ち据えて……こんなに小さい!……こんなに小さい身体で頑張っているのに!』
困惑、羞恥、哀しみ、怒り、羨望、嫉妬。幾つもの複雑な感情が入り乱れる『後悔』の表情を浮かべ、口元を震わせているのは私。蛍じゃない。
御影くんは這いつくばるようにして蹲っている。
私には分からないけれど、その行為には意味があるようだった。
出鱈目に縫い付けた痕のあるお腹は肉が凹凸に歪んでいてピンク色の筋が入っていた。まともな治療を受けたとは思えない。御影くんは母親に虐待されたと言っていたけど、これは母親のすることじゃない。正に悪鬼の所業だ。
人間が人間らしく居られない状況ほど腹立たしいことなんてない。
治らぬ瑕疵。消えない烙印。
おそらく、黒岩さんはこれを知っていて、だからこそ見守ることに努めた。不用意に近付くことを避けた。
賢い。痛切に、そう思う。
『おまえには此処にいる資格がない! 資格がない者は出ていきなさいッ!!』
目の前で小箱は閉じられ、幾重にも厳重な封が為された。
御影くんは弱々しく首を振って拒絶する。
深山楓は触れない約束。
◇◇
その翌日、学校で稽古中の黒岩さんを呼び出した。
「ご苦労様です」
夏休み中、体育館は開放されている為、剣道部の活動は部員に一任されている。
奔放な蛍とマイペースな私に代わって、この日は黒岩さんが稽古を仕切っていた。
「ああ、副か。蛍ならまだ来とらん。昨日まではヤケクソやったけど、今日になって落ち着いたみたいやな」
「……そうですか」
気のない返事をして、私は力なく笑った。
なんのことはない。私も秋月さんと何ら変わるところがない。暴力に訴えることこそなかったけれど、それは秋月さんの犯した失敗を見ていたからに過ぎない。
黒岩さんは下級生部員に自主トレを言い渡した後、改めて私に向き直った。
「で、どしたん? なんか言いたいことありそうやけど……」
「……はい。ちょっと、二人きりになれませんか……?」
「……」
黒岩さんは応えず、眉根を寄せて訝しむように私を見詰めた。その顔に書いてある。
――用件はここで言え。
黒岩さんは相手が誰であろうとも、訳の分からない呼び出しには決して応じない。
「……御影くんのことで、ちょっと……」
「――!」
黒岩さんは険しい表情で頷いた。
◇◇
黒岩さんに促されてやって来たのは、剣道部の顧問がよく使う体育教官指導室だった。
ここでは主に運動部の部員に対する指導や相談が行われる。黒岩さんが鍵を持っている理由は不明けど、邪魔を入れずに二人きりになるには適しているし、内密な相談をする場所としても優れている。
狭い室内には教員用の机が幾つかと応接用のソファとテーブルがあった。
黒岩さんは慣れた様子で窓を閉めきってしまうと、エアコンのスイッチを入れてからソファに腰掛けた。
「……なんかあったん?」
「はい……」
私はテーブルを挟んで黒岩さんの正面に腰掛け、深い溜め息を吐き出した。
遠くで蝉の鳴いている。
室内に冷房が行き届くのを待って、私はここまでの経緯を説明した。
先ず、御影くんが売春をやっているのは間違いないということ。
御影くんは恐ろしく真面目に売春をやっていて、逢い引きの場所や避妊方法を確立させていること。
私自身、色々と問い質したが粗が見当たらないのが恐ろしかった。料金の設定は良心的であるし、校内でするなら、もしもの場合の逃走経路も確保してある。御影くんのあの容姿と用心深い性質なら、時間を追ってこれを利用しようとする生徒は増えるだろう。
話を聞いていた黒岩さんは途中何度も舌打ちを繰り返し、苦虫を噛み潰したように顰めっ面で頻りに髪を掻き回していた。
「そこまで? ……なんもそこまで真面目にやらんでええやろ……」
黒岩さんは半泣きだった。
「ホント……大概にせえや……」
このままでは悲惨な未来しか思い浮かばない。さしあたっての利用者は、剣道部の二年生女子と言ったところだろうか。
黒岩さんは嘆息した。
「……そやな。アイツらはヤバい。揃って御影のこと食いもんにしよるやろう」
何せ主将の秋月さんが『利用』を推奨している。今のところ御影くんは剣道部を避けているから何も起こっていないけど、これからもそうとは限らない。
私は自身の知りうる情報の全てを話した。
経済的な事情が理由の行動であること。
「そっか……そんなことやろ思たけど、やっぱり……」
既に新城馨以外にも関係している生徒がいるらしいこと。
黒岩さんは頭を抱えた。
「やろなぁ。まぁ、あの手のタマが売るんやったら、ほっとかんヤツもおるやろな……」
そこは少し諦めている様子に、私は意外に思った。
「怒らないんですか?」
「……誰に? 御影にか? やり方考えてからせな、無茶苦茶んなるで」
御影くんは身体こそ小さいけれどプライドが高い。それは私も身に滲みている。生半可なやり方では反発させるだけだ。
「夏休み中で良かった。とりあえず、二年には蛍に釘指させるとして……後は私が話してみよか……」
不意に、私は妙な胸騒ぎを覚えた。
黒岩さんが未だ御影くんに一方ならぬ想いを寄せているとして、ここに至るまで、何故、口を閉ざしていたのか。少し引っ掛かる。
「電話は……ヤバそうやな。警戒しとるやろうし、直接会うてから……お父の方から攻めて……いかん……網張るか……」
何やら黒岩さんは呟いて思考を張り巡らせている。
その様子を見ながら、私は細く長い息を吐き出した。
覚悟を決めた。
「秋月さんが、御影くんを竹刀で叩きました」
「…………なんやと?」
刹那、空気が変わった。
「あの愚図、最近、おかしい思いよったら、御影のことどつきよったんか……!」
お遊びでない本物の殺意を身に纏い、本気の黒岩智が、いた。
色の薄い瞳に、めらめらと激しい怒りの焔が燃え上がる。
「つっ……!」
はっと息を飲む私の前で、黒岩さんが、ゆらっと立ち上がった。
低く、押し出すように言った。
「楓……オマエ、それ黙って見とったんか……!」
私は――
こくり、と頷いた。
「御影くんは泣きながら赦しを乞うていました。
『ごめんなさいごめんなさいお母さんもうしません二度とつまみ食いしません泣きません大きな声も出しません許してくださいこの通りです』
そう言って、無心に謝っていました」
目頭が熱くなり、自然と涙が溢れる。
「――私は止めませんでした」
胸の奥で、いつかの御影くんが言った。
『……深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない』
私は胸の内で答える。
(そんなにいい女じゃないんですよぅ……)
これが私なりのけじめ。
御影くんが笑う。
――さよなら、小銭女。
次から次に、熱い涙が溢れ出して頬を濡らした。
御影くんは泣きながら赦しを乞うていた。私に赦しを乞うていた。私と秋月さんとの間には差なんてない。
深山楓は虎だ。虎なんだ。
「――私は止めませんでした」
そう言った瞬間、黒岩さんの顔色が変わった。
「なんやと……!?」
「……」
虚偽の報告だが、これでいい。黒岩さんは絶対に私を赦さない。それでいい。
黒岩さんが叫んだ。
「なんで! 楓、お前はなんで止めん!!」
黒岩さんの色の薄い瞳から溢れ出した涙が頬を伝う。
「御影、また狂うたんか……。そこまでして謝っとんのに、お前も蛍も何も思わんのか……?」
「……」
言い訳は全て卑劣だ。私に反論するつもりはない。それは赦されない。
「楓、お前は御影が憎いんか……?」
黒岩さんは口元を抑え、込み上げる嗚咽に耐えている。
「なぁ、何か言えやぁ……」
黒岩さんはこの期に及んで私の言い分を聞くつもりのようだ。そんな彼女だからこそ、裁かれたい。私を罰する権利がある。
「……」
私は黙っていた。
「何で……御影、もう傷だらけやん……あれ、治らんのんよ……」
黒岩さんは肩を丸め、込み上げる嗚咽を飲み込んで涙を流し続ける。彼女は個人の性分として暴力を好まない。必要なときに必要な分だけ。
「申し訳ありません……」
自然とその言葉が口を衝いた。胸に有ったのは落胆と失意。黒岩さんにとって、私は罰するに値しない存在なのだ。そう思うと、殴られるより余程堪えた。
黒岩さんが言った。
「お前と蛍のことは絶対に赦さん……!」
「はい……」
「楽しかったか? 人間が本気でおかしなるん見て、面白かったか?」
「…………」
断罪の言葉はナイフのように私の胸に突き刺さる。でも血は流れない。それなら涙を流すよりない。私は虎だ。虎は御影くんの傍にいるべきではない。それがどうしようもなく、悲しかった。
黒岩さんは何度も深呼吸を繰り返し、努めて冷静でいようとしているけど、口元が少し震えている。
「……御影、祈ったか?」
「祈る……?」
私が首を傾げて見せると、黒岩さんは大きく鼻を鳴らして首を振った。
「分からんのならええ。お前に教えるようなことなんかあるかい」
「……はい」
「もう御影には近付くな。ええな?」
「…………はい」
俯き、視線を下げた先のテーブルをじっと見つめて考えたのは御影くんのことだ。
――そういえば私、御影くんが笑ったところを見たことない。
虎の私に相応しい自業自得の結末だ。自嘲の笑みが込み上げる。
――終わった。終わったんだ。
そう思うと、急速に視界が滲み、木製のテーブルに新しい涙の花が咲いた。
「あんたに期待した私が間違っとった」
冷たく言って、黒岩さんは席を立った。私を見下す眼から涙は消えていて、そこにはもう何の感情も窺えない。少し乱れた胴着の襟を直し、居住まいを正すと軽蔑したように言った。
「それで、お前は御影にどうしたん? 買うたんか?」
「……」
この質問に驚きはない。私が彼女の立場なら同じことを聞くし、やはり私を赦さない。
もう終わったことだ。私は首を振って答える。
「いえ、私には売ってくれませんでした」
――深山楓は、ぼくみたいなヤツが傷付けていい女じゃない。
さようなら、可愛いひと。これ以上は卑怯未練。ここが引き際。これ以上は汚いだけ。私は顔を上げる。そこには――
「…………」
眦を釣り上げ、瞋恚の炎に燃えた瞳で私を睨み付ける黒岩智が居た。
空気が変わる。
激しい怒りの炎に魂まで焼き尽くされそうな気がして、私はごくりと息を飲み込んだ。
「どういうことや。説明せえ」
静かに。しかし奥底に激情の発露。何が彼女の気に障ったのか分からない。
「あ、う……何度も、その……お金を渡したんですけど……御影くんは、受け取ってくれなくて――」
困惑しながら、何とかそこまで言ったところで、黒岩さんが黙って腕を振り上げた。
そして――
「どつき回すより、余計悪いわッ!!」
振り落とした勢いそのままに、私の頭を引っ掴み、思い切りテーブルに叩き付けた。
激しい衝撃音と同時に、一瞬意識が途切れた。
「ボケがッ! お前、御影に何したんじゃ!!」
分からない。黒岩さんが先の問答より余程怒っていることは分かるけれど、御影くんが『売らなかった』という事実に怒る理由が分からない。
「う……」
ぐねぐねと視界が歪む。脳震盪を起こした。テーブルに頭を押し付けられたままでいる私の三つ編みの髪を持ち上げ、黒岩さんが私と視線を揃えて言った。
「ええやろう。ボロボロにしたるわ」
揺れた意識の中で、私は薄く笑って見せた。
「なに笑とんじゃ、気色悪い!」
ここにも『虎』がいる。『虎』の黒岩智がいる。
同じ『虎』が相手なら、私が御影くんを諦めなければならない道理なんてない。それが嬉しくて、私は笑っていた。
◇◇
黒岩さんに髪を引っ張られ、体育教官室を出た。女子剣道部が活動する柔剣道場は体育館と隣接している。
視界が揺れ、足が縺れる。私は何度もその場に踞ろうとするけれど、黒岩さんは容赦なくて、へたり込みそうになる私の脇腹に膝をぶつけて先を催促する。引っ張られた髪が、湿った音を立てて千切れた。
黒岩さんが平淡な声で呟いた。
「だらしないの、さっさと歩けや」
私の想像が確かなら、黒岩さんはこういった状況に慣れている。怒っているが、顔色一つ変えず周囲の人影の有無を確認し、速やかに無駄なく、道場の方に向かっている。
好むと好まざるに関わらず、荒事を嗜む。彼女の性質上、その必要があったのだろう。本質がどうであれ、その生きざまは正しく虎の生きざまだ。
物陰を歩み、人目を避けて道場に向かう。
「気に入らん。あんた、御影にいったい何やらかしたん?」
「……ひ、みつです……」
私と彼との間に何があったかなんて、恥ずかしくてちょっと言えない。
「……やっぱりあんた、一筋縄じゃいかんタマやな」
減らず口を叩かれたと思ったのだろう。黒岩さんは口角を釣り上げて笑った。
「ええやろう、ええやろう。最初は皆、そうなんよ。笑いよる」
やはり慣れている。
「あんた、気が付いとるか? さっきからずっと笑とるで?」
御影くんに逢いたい。そのことばかりを考えているからだろう。私は笑っているみたいだった。
唐突に背中を突き飛ばされ、つんのめりながら私が道場に転がり込むと同時に、黒岩さんが大喝した。
「全員集まれッ!!」
その言葉に、筋トレや素振り等の練習に取り組んでいた女子剣道部部員たちの手が止まり、何事かとこちらに視線を向け――固まった。
「聞こえんのか! 集まれッ!!」
「は、はいっ!」
一年生が八人。二年生が一八人。三年生が三人。総勢二九名の大所帯。一年生の数は顧問曰く平年並み。三年生は淘汰され、私と秋月さん、黒岩さんの三人になった。そんな中、二年生の数だけが群を抜いているのは御影くんの影響が大きい。
くらくらして気分が悪い。世界は未だ歪んでいて足元が覚束ない。黒岩さんに突き倒される格好でその場に座り込んだ私に視線を走らせながら、剣女の全員が何事かと駆け寄って来た。何人か見えない顔もあるが、それでも二十人以上は出席している。その部員たちを見渡し、黒岩さんが如何にも機嫌悪そうに言った。
「とりあえず一年は校庭五十周してこいや。二年は残れ」
その言葉に一年生は顔色を青くし、二年生は戸惑って表情を見合わせたが不満の言葉は出ない。
実績、人数、期待値を勘案した結果、男子剣道部の連中は学校外の施設に練習場所を間借りしている。つまり助けは来ない。
「川村!」
川村 美里。両目を覆うように伸びた髪が特徴的で無口な彼女は、陰で『サダコ』なんて呼ばれている。
一年生たちが出て行き、周囲に二年生の部員だけを残すようになってから、川村さんが前に進み出た。
「……黒岩先輩、何でしょう」
川村さんは手を後ろに組み、僅かに足を開いた『休め』の姿勢。数だけは多い二年生の中で、何故か黒岩さんは彼女を贔屓している。
「副……コイツのことや」
冷たい目で私を見下ろす黒岩さんの視線を辿り、こちらに一瞬視線を滑らせた川村さんと目が合った。
「……副主将が、何か……」
「マネのことや。御影マネ。コイツが事情聞きに行くことになっとったんは、お前も知っとろうが」
「……! はい」
黒岩さんが御影くんの名前を出した途端に、川村さんの雰囲気が変わった。彼女だけじゃない。二年生は全員表情を引き締め、黒岩さんに向き直った。
「主将……蛍のヤツ、御影のこと竹刀でどつき回したそうや」
「……!」
川村さんと視線が合う。長く伸びた前髪の間から垣間見えた瞳には力があって、詰問の強い気配を帯びている。
「それでコイツは、その場におったらしいんやけどな……」
黒岩さんが私の背中を蹴った。
「止めんかったそうや」
「……」
川村さんは黒岩さんと向かい合いながらも、私と合わせた視線を逸らさない。
「マネ、泣きながら謝ったらしい。お前、許せるか?」
「…………」
川村さんは応えない。逸らされることのない瞳は、瞬きすら忘れたように私を凝視したままだ。
気が付くと、この場の二年生部員全員が、私に冷たく厳しい視線を向けていた。
◇◇
道場にある二ヶ所の出入口に各二名づつが見張りに付き、残りの部員が円を描くようにして対峙する私と黒岩さんを取り囲んでいるという状況。
川村さんが私の前に竹刀を放り出し、それを見届けた黒岩さんが頷く。
「準備はええか? 防具はいらんやろう。それじゃ――立ち切り、始めるで」
「……いえ」
川村さんが首を振り、私を指差した。
「深山が防具を着けたままです」
「え……?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。私が着ているのは半袖のブラウスに制服のスカートだけだ。防具なんて着けてない。
黒岩さんが噴き出し、手を打って大笑いした。
「本当やん! うっかりしとったで……!」
川村さんが表情を変えないまま歩み寄り、私のブラウスに手を掛け、引き寄せながら耳元で囁いた。
「……買いましたか? マネ、すごくいいって噂です」
どうやら、御影くんの回りには虎しか居ない。自嘲の思いと共に、少し可笑しくなって笑ってしまう。私は川村さんにだけ聞こえるように、そっと囁き返した。
「ええ、最高でしたよ……」
「……!!」
刹那、表情を引きつらせた川村さんの手で私のブラウスは引き裂かれた。ボタンが弾け飛び、床を打つ軽い音が静かな道場内でやけに大きく響いた。
川村さんが金切り声で叫んだ。
「この、雌豚っ!!」
瞬く間にブラウスを剥ぎ取られた後、激昂した彼女の手でスカートまで破り捨てられ、私は床に蹴り倒された。
パンティとブラだけになり、その場に踞った私の耳に、他の部員たちの嘲笑が遠く聞こえた。
視界の揺れが治まり、幾分ましな状態になってきたけれど、まだ早い。打ち合えるような状態じゃない。噴き出した汗が頬を伝って落ちた。私が竹刀を取るのと同時に、黒岩さんが小さく頷いた。
「やれ」
怒りに震える声で短く言って、川村さんが踵を返すのと同時に、強い衝撃が背中に走った。
「――うぐっ!?」
背後から打たれた。
休む間もなく、二度、三度と背後から竹刀が飛んで来る。稽古と呼ぶのも烏滸がましい私刑(リンチ)が始まった。
黒岩さんは壁際に置いてある椅子に腰掛け、その前で休めの姿勢になった川村さんと何か話し込む様子だった。
頭を抱えるようにして踞り、その場で丸くなって全身を緊張させる私を見て、黒岩さんが舌打ちした。
「手加減するな。ソイツ、回復するん待っとるだけや。反省の欠片もないで」
私が取った防御の形は、あのときの御影くんと似たような姿勢だ。そして、二年生たちは上級生である私に対して容赦ない。背中を打ち据える打撃の強さは、その威力が御影くんに対する信頼や好意に比例しているのだと思うと奇妙な感じだった。
あと少し。痛撃を受けながらも、私は順調に回復している。二二回目の衝撃が走ったとき、じわりと暖かい感触が背中に広がった。皮が破れ、出血があったのだろう。一方的な攻勢がやや収まる。
……もう、いいだろうか? そろそろ私の禊は終わっただろうか? 御影くんは、私を赦してくれるだろうか?
私は目の前に転がったままの竹刀を手に取った。
む、と眉間に皺を寄せ、警戒も露に腰を浮かせる黒岩さんの姿が視界の端に映る。
殆ど同時に――
「なんだ、お前たち。そこを退け。今の私は少し苛ついているんだ。……そこを退けと言ったんだ!!」
苛立った秋月さんの怒鳴り声が、はっきりと私の耳に聞こえた。