ぼくがビッチになったワケ 作:ピジョン@アスクラピアの子一巻発売中!
夏の空にかかる太陽が中空に差し掛かった頃、私は漸く目を覚ました。
テーブルの上には倒れ込んだ墓石のようにビールの空缶が転がっている。
何もない部屋だが、そればかりはしこたま買い込んである。昨夜は悠希との経緯を思い、それに喜び、それに憤り、それに悲しみ、痛飲したのを記憶の端に覚えている。
「……」
身体を起こし、ぼんやりと時計に視線を向けると、時計の針は午前11時を差そうとしていた。
(昨夜は……)
ああ――。
と、私は悩ましく溜め息を吐く。
昨夜は、悠希と一緒にいたのだ。想像していた形とは随分違ったが、それでも二人の関係は袋小路から出たように思う。
間違ってない。
私は、己の中の『最適解』を信じる。
今はこれでいい。己に言い聞かせるように念じ、さてと立ち上がったところで軽い目眩を感じ、私は二、三歩たたらを踏む。
昨夜は少し飲み過ぎた。嬉しいのが半分、悲しいのと苛立たしいのが半分。面倒なことは酒で流した。
週末にはインターハイが始まる。チャンバラごっこは、それでおしまいだ。あまり時間がないが、大学からは柔道でオリンピックを目指してみようかと思っている。
悠希は……
私は一つ頷いた。
「連れて行こう。うん、それ以外には考えられない」
東京の大学に行くつもりだが、べつに地元の大学に入っても構わない。どちらにしても二十歳までいられない。その後はアメリカかイギリスの大学に行くことになる。それなりに大変な道筋だが、悠希の支えがあれば問題は見当たらない。父は高齢だが、あと10年くらいは保つだろう。
ちろりと下げた視線の先にはスマホが転がっている。さしあたって――
「婿殿の機嫌でもとっておくかな」
悠希に電話するのは『奥の部屋』での一件以来のことになる。
発信履歴から悠希の番号を検索する私だったが、不意にその視線がスクリーンを凝視して止まる。
「……誰の電話番号だ?」
かけたのは夜遅く。悠希が帰って暫くして、その頃は飲み過ぎて正体がなくなっていた時間帯だ。
ベッドの下の収納が開いたままになっていて、高校に入学してすぐ書いたクラスメイトの自己紹介の寄せ書きや緊急連絡先のプリントが丸めて転がしてある。
嫌な予感がした。
身に覚えはないが、昨夜の私は、確かに電話をかけたのだ。
――誰に?
わからない……。
己の酒量は弁えているつもりだが、昨夜は色々ありすぎた。
悠希の過去を知り、結ばれた。その後、秘密の匂いを嗅ぎ付けた悠希は怒り、私の部屋を去った。
いつもそうだ。上手く行きそうになると、何処からか邪魔が入る。
昨夜の悠希とはとてもいい雰囲気だった。自分の上で必死に腰を振っているのは健気に思ったし、アレを舐めるとすぐ降参したのも可愛らしかった。
葛城のことは、即座に売ってしまえば良かった。そうすれば、悠希は帰らずに泊まって行ったかもしれない。
私は存外、口の固い己のことを疎んだ。
(まあいい)
もう終わったことだ。考えても仕方ない。酔っ払った自分が何処の誰に電話をかけたかも同じこと。調べればすぐ分かるだろうが、それを知っても仕方ない。もう終わったことだ。
そう開き直った私は、迷わず悠希の番号をタップした。
呼び出しを告げるメロディを聞いている間、私は意外な程の胸の高まりと緊張に、何度も息を飲み込んだ。
――悠希が出た!
一瞬で頭が白くなり、ちょっとしたパニックに陥った。
とにかく、喋れ!
「おっ、おおお、おはよう! 昨夜は、昨夜は……素晴らしかった!」
電話の向こうの、ソイツが、ブッと噴き出した後で言った。
『な~にが、素晴らしかった、だ。このメスブタが』
「…………」
『テメーの腐った肉穴の具合なんてどうだっていいんだよ。二度と電話すんな』
「…………」
そして――
無惨に通話が切られた。
何が何だかわからない。私は軽く唇を舐め、世界の真理について真剣に考えた。
もう一度、悠希に電話を掛ける。
『なんだ、しつこいぞ。肉穴』
「私は、そんな名前じゃない」
『そうかよ、肉穴』
「……新城、なんでオマエが悠希の電話に出るんだ」
携帯電話の向こう。新城馨は、くつくつと喉の奥で嘲笑っていた。
『秋月、今のテメーは全然怖くねえよ』
「何の話だ……?」
悠希に掛けた電話に新城が出たことには驚いたが、それを上回る粘るような不安を感じ、私は思わず息を飲む。
「そんなことより、悠希に代わってくれないか?」
『ユキは寝てるから駄目だ。すげー疲れてるから明日にしろ。言っとくけど、無茶すんなよ。ヤってもいいけど、また殴ったら今度は絶対に――』
一瞬の間を置いて、言った。
『殺してやる』
「……」
『今のテメーは怖くない。アタシの真似して、アタシの後を追ってくるテメーは全然怖くない』
「――つっ! 私、は……」
『ホントは分かってんだろ?』
「何のことを……」
冷たい携帯電話の向こうに問い直す私の唇は震えていた。
『……今だから言うけどさ。アタシ、オマエのことがすげー怖かったよ』
「……」
『えっ、と……入学してすぐ位だから、二年間と少しか? どんだけ積み重ねた?』
「いったい、何の……」
秋月蛍(わたし)は、この二年間で、いったいどれだけの『好き』を積み重ねたのか。
『アタシはいいんだ。そんなん、何もなかったから』
「だから、何の……」
酷く喉が渇いた気がして、私は掻き毟るように首に手をやった。
『色々あるよな。体育祭、文化祭、修学旅行、アタシはよく知らないけど、剣道部でマネージャーしてたこともあったよな』
「……新城、思い出話は他のヤツとやってくれないか?」
新城は嘲笑った。
『オマエは、それを全部捨てて、ユキを金で買ったんだ』
「――違う!!」
『いいや、違わないね。オマエは掛け換えのない全部を捨てて金で買ったんだ』
「違う違う! 私は何も捨ててない!! 私は、私は――」
新城は、真面目腐って言った。
『ようこそ、コッチの世界へ』
私の中の尤も鋭い部分が囁く。
新城の言うことは――最適解――尤もで、至極正しい。
『アタシの後から、オマエはゆっくり付いて来な』
何も言い返せない私がいた。
◇◇
私は、『初恋』を金で買った。
結局のところ、秋月蛍も新城馨も同じ穴のムジナ。何も違わない。己の中にある最も切実で、最も醜く浅ましい部分を突き付けられたような気がして――
足元に、スクリーン部分が割れ砕けたスマートフォンが転がっている。
一趣、神憑り的な予見能力を持つ『最適解』だが、万能の神通力ではない。
新城は必ず何処かでミスをするだろうが、私がそれ以上のミスを犯せば今度こそ本当に悠希を失うことになる。
悠希に逢いたい。
秋月蛍という乱暴な女は、嫌われていないだろうか?
最適解が示唆したのは、御影悠希という人間を知ることであって、寝ることではない。
壁に収納するタイプのクローゼットを開け放ち、手早く学校の制服に着替えるといつものスポーツバッグと竹刀を背負って部屋を後にした。
時折見せるあどけない表情や仕草が好きだ。
態度も口振りも冷たいが、本当は心優しくできていることを知っている。
怒っていても、決して理性を失わない冷静な所は利用させてもらった。感情に訴えず、道理を諭せば、どんな失態も許してもらえた。――割とチョロいのが堪らなくいい。
悠希に逢いたい。
悠希の為に、今、何をするべきか。何ができるのか。
できることは何だってする。だから――
新城(アイツ)とは違うと言って欲しい。
私は、ポツリと呟いた。
「新城……あんなヤツ、死んだらいいのに……」
この日は快晴だったが、私の心の中は吹き荒ぶ嵐だった。
『オマエは掛け換えのない全部を捨てて金で買ったんだ』
新城の言葉が、棘のように突き刺さっている。
「私は、違う! 違うんだ……!!」
そうだ。違うとも。私と御影の間には積み重ねがある。私は御影が好きで、御影は……御影は…………
苛立ちのまま外に飛び出すと、むんと夏の熱気が身体中にへばりつくような感じがした。それは、新城のあの言葉のように私の心に張り付いて離れない。
――ようこそ、コッチの世界へ。
蒸し返すような夏の熱気に晒されて、額から噴き出した汗が頬を伝って地面に落ちる。じっとりと噴き出た汗に下着まで濡れているような気がして、最悪の気分だった。
「なんでこんなことになったんだ……」
苛立ちを吐き捨てながら、駆け足で階段を駆け降り、その足でマンションの地下駐車場に向かう。
私の中の『最適解』は、この状況に対する答をくれない。
やや薄暗い地下駐車場にやって来ると、奥まったスペースに停車してある一台の車がライトを点滅させたあと、音もなく前に進み出た。
秋月家に所属するハイブリッドカー。エンジン音は殆どなく、滑るように進み出たその車の後部座席に乗り込みながら、運転手に向かって言った。
「武田、携帯電話を壊してしまった。一台都合してほしい」
「分かった」
武田が短く応える。車中はエアコンが効いていて、汗が引くのと一緒に苛立ちも引いて行くような気がして、私は小さく息を吐いた。
「学校だ。チャンバラごっこをやる」
行き先を告げると、バックミラーで私の顔色を確認する武田と目が合った。
「なんだ。ジロジロ見るんじゃない」
武田 節子。24歳。秋月家の遠縁にあたる血筋らしいが、私にとってはただの使用人だ。一応、大学は出ているし、護身術も修めているからそれなりの人材ではある。
バックミラーの中の切れ長の瞳が、訝しむように私を窺っている。
「昨夜、すごく可愛い男の子と一緒だったよね。御影くんだった? 寝たとか?」
私は小さく舌打ちした。
「ああ、寝た。父に報告するか?」
「しないよ。聞いただけ」
御影のことは、暇潰しでやっているチャンバラごっことは違う。ミラー越しに睨み付けると、武田は小さく肩を竦めた。
「なんだ、上手くやったんじゃないか。ご執心なのは知ってたけど、その様子だと喧嘩でもしたの?」
「……ちょっとした行き違いがあっただけだ。大したことじゃない」
そう、明日には仲直り。いつものことだ。御影はチョロいし、何とかなる。話せばきっと分かってくれる。シートに背中を預け、視線を躱すのと同時に車が走り出した。
◇◇
学校に向かう。
緩やかに流れる景色を横目に考えるのはこれからのこと。少し考えて、武田に言った。
「武田、仕事用の端末があっただろう。私にくれないか?」
「……くれって、貸すんじゃなく?」
「ああ、壊される可能性がある」
「穏やかじゃないね」
端末を受け取り、私の壊してしまった携帯から取り出したメモリの中身を端末にコピーして、メモリは武田に保管させる。
「バックアップを頼む」
「……へえ、秘密の匂いがするね。御影くん絡み?」
「そう。中身は見るな」
黒岩を問い詰める為には確たる証拠が必要だ。
『成功させても、何の得にもならないけど、あんたはやるでしょ?』
忌々しい葛城の言葉を思い出し、私は頷いた。
……でも少し、ちょっとでいいから見返りのようなものが欲しい。そもそも人というものはタダでは動かない。黒岩は厄介な相手だし、これから冒す危険や労力を考えればタダ働きは詰まらない。この事を説明すれば、御影は何か私に差し出すんじゃないだろうか。勿論、御影は大切な存在だ。必ずしも見返りが必要なんて言わない。しかし……
そこまで考えたところで信号待ちに差し掛かり、武田が言った。
「彼、すごく可愛い。少し痩せたね。前から人形みたいだって思ってたけど、一段と愛らしくなったというか……」
「御影は人形じゃない」
叩けば傷付くし、痕が残る。笑うこともあれば、泣くこともある。快楽を与えれば射精だってする。そっと下腹部に触れると、まだ御影の感触が残っているような気がして笑みが浮かんだ。
「分かってるよ。でも、こう……色気がある。幼さの中にエロティックを感じる」
「……確かに」
父、曰く。武田は私に似ているそうだ。冗談じゃないと思っていたけど、饒舌に御影の事を喋る彼女を見ていると、その評価は間違ってない。
「確かに御影はエロいな。女みたいな顔をしている癖に、脱がせると案外引き締まっていて――」
――年若い牡鹿。未熟だが、強かさも感じる。抱き締めると吸い付くような柔らかさの中に、固く骨張った男らしさもあって……。
「そ、そうなんだ……」
赤信号を見上げたままの武田の喉が物欲しそうにゴクリと鳴った。羨ましがられて悪い気はしない。新城の自慢したい気持ちがよく分かる。
「凄かった」
昨夜のことを思い出し、正直に言ってしまうと、腰の奥が、じんと暖かくなった。
「へ、へえ……それは、その、ハハ……そうなんだ。御影くんは、そ、そうか……」
信号が青に変わり、それでも武田は反応しない。アクセルを踏むのも忘れて停車したままでいる。バックミラー越しに見えた視線は揺れていて――思わず私は嘲笑ってしまう。
言った。
「御影、一回五万円だそうだ」
「……………………は?」
見ずとも分かる。今の武田の表情は、三ヶ月くらい前に私が浮かべた表情と同じものだろう。
「家庭の事情ってやつさ。今の御影……悠希にはお金が必要なんだ」
後続車が二度クラクションを鳴らし、武田が慌てて車を発進させた。
「昨夜はその事で揉めたんだ。今朝の仏頂面はそういう事だと理解してくれ」
「あ? え?」
不明瞭な返事をする武田は混乱して挙動不審だった。
沈黙。
正直、悠希が私以外の女を抱くのは不愉快だ。あの新城や生意気な葛城と寝ていると思うと虫酸が走る。
武田が平静さを取り戻したのは5分ほど経ってからだ。私の反応を窺って、やはりミラー越しにチラチラと視線を送ってくる。
「それで、武田はどうする?」
「どうするって?」
武田は笑って見せるが、その声は僅かに上擦って聞こえる。
「買わないか?」
「ケイは……いいの?」
いつものように車を走らせる武田は笑っている。本当に嬉しそうな笑顔だ。
「構わない。もう何人か買ってる」
「……へえ」
新城や葛城に任せるくらいなら、武田に任せた方が余程いい。それに一回五万円ならすぐ終わる。
「それで、どうする?」
「――買った」
武田は私に似ている。
父の言葉を思い出し、私は窓の外に視線を映した。
御影悠希は女嫌い。自ら課した試練に耐えられるようならそれでよし。耐えられず、リセットするならそれでよし。どっちに転がっても、私には損のない話だ。
「んふ、んふふふふっ」
学校に向けて車を走らせる武田は、いつになく上機嫌だった。
「お金で話がつくのは手っ取り早くていいね。どういう段取り?」
「知るか。放っておいても、その内やって来る。私の後に交渉しろ。私の後だ。それと――」
一回二千円。その事を思えばかなりの割高だがそれでいい。二十五倍早く終わる。悠希が目標を達成したとき、武田をクビにすれば、すっきり終われる。
私は鼻を鳴らした。
「それと、無理なことはするな。暴力を振るったり、嫌がることを強制したりするのも駄目だ。金もちゃんと払え」
「勿論、そんなことするもんか」
ミラー越しに見る武田は、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべて私を見つめている。
「……まだ何かあるのか?」
「いやね。まさか、ケイがこんな話をしてくるなんて思わないだろ?」
ハンドルを切る手も軽やかに、武田は続ける。
「……で、ケイも買ってるの?」
武田の口から何気なく放たれたその問い掛けは、鋭く私の胸に突き刺さった。
『どんどんユルくなるよ。ほとんど毎日ヤってる。お金もいらないってさ』
一瞬、脳裏に過ったのは新城のあのセリフ。
「……私と悠希は、そういう関係じゃない……」
私の口から漏れたのは、自信のなさそうなか細い声だった。
気を取り直すように、私は強く首を振る。そうだ。
「私たちの間に、金銭のやり取りはない。そんな関係じゃないんだ」
武田は視線を前に戻し、ぴゅうと唇を尖らせた。
「難しそうな男の子に見えたけどね。さすがケイ」
「……」
もう一度鼻を鳴らし、私はこの不毛な会話を打ち切った。
――ムカつく。
私は……秋月蛍という女は特別製だ。何が嬉しくてあの女――新城の真似をしなきゃならない。
『アタシの後から、オマエはゆっくり付いて来な』
ムカつく。
理由はなんでもいい。目に映る全てを叩き壊したい気分だった。
◇◇
校門の前まで送ってもらって、武田と別れた。
僅かに陽炎が立ち上る校庭まで歩いたところで、裸足で走り込みをやっている女子剣道部部員の姿が目に入った。おそらく、黒岩か深山辺りの指示だろう。剣道をやっていると足の裏の皮がごつくなるのは、この裸足での走り込みが原因だ。僅かな間合いを取り合う競技の性質上、『摺り足』での足運びが求められるため、この手の地味な練習は決してなくならない。
「……?」
走り込みをしている部員たちを遠目に見つめ、私はふとした違和感に足を止めた。
一年生しかいない。一年と二年とで練習メニューが違うという可能性もあるが、基本に忠実な黒岩や深山がこの手の基礎訓練を欠かすとは思えない。
うなじに、ピリピリと痺れるような感じがある。私の中の『最適解』が警報を鳴らしている。
何かある。一瞬、引き返すことを考えたが、この身に危険は感じない。私は特別製だ。
――このまま進め。
無人の野を往くが如くだ。そして、黒岩を叩き潰して全てを告白させる。その後、動画(アレ)の始末は武田にやらせればいい。あいつ一人で無理なら、父に頼んでプロを呼べばいい。悠希には……
「……悠希に、逢いたいな……」
悠希のことを思えば、胸が暖かくなる。そうだ。私は悠希を大事に思っているし、昨夜のことは全て私が悪かったと謝罪する。葛城のことは動画の件も含めて全て言ってしまおう。
「主将っ! 秋月先輩!!」
私の姿を認めるや否や、一年生の部員がすっ飛んで来る。
「ああ、分かっている。その前に着替えさせてくれ」
面倒臭い。皆、どうして私と悠希だけにしてくれないんだ。余計なことが多すぎる。黒岩も深山も葛城も新城も――皆、死ねばいいのに。
◇◇
体育館にある控室で着替えを済ませ、隣接された剣道部の道場へ向かう。
道場の入口には、竹刀を持った二年生部員が二人立っていて、私を見ると眉を寄せ、表情を曇らせた。その表情に一瞬だけ垣間見たのは嫌悪。怒りと怯え。構わず歩み寄る。
「退け。踏み潰すぞ」
「……っ」
黒岩と深山以外の部員は全員雑魚だ。束になって掛かってきても、三分くらいで全員殺せる。そして今の私は頗(すこぶ)る気分が悪い。二人も言いたいことがあるようだが、私の剣幕を見て既に腰が引けている。
だが、逃げない。
「なんだ、私に何か言いたいことでもあるのか?」
「……!」
雑魚は雑魚らしく隅の方で震えていればいいのに。それでも強い視線で私を睨み返す二人の雑魚は、全く雑魚らしくない。
「言ってみろ。話くらいは聞いてやる」
二人の二年生部員は怖じ気付き、身を竦ませながらも上目遣いの強い視線を逸らさない。
「黒岩先輩から聞きました。マネ……御影マネのこと、竹刀で叩いたんですよね……!」
「…………ああ」
「マネ、泣いて謝ったって……!」
「………………あぁ」
目の前で怒りに震える二人が凄んだところで全然怖くない。この程度のことで、私と二人の実力差は変わらない。ただ少し、重たい気持ちになっただけだ。目の前の二人が煩わしく思うだけだ。
「だから、なんだ?」
私が謝らなければならないのは悠希であって、目の前の二人じゃない。その思いから見下してやると、きり、と二人が歯を食い縛る音が聞こえた。
「……アンタ、最低だよ」
こんなことはなんでもない。ただ少し重苦しいだけで。ただ少し――ただ少し、私の話も聞いてほしかっただけで。
「憧れてたのに、アンタみたいになりたいって思っていたのに、幻滅したよ……!」
ただ少し、虚しくなっただけだ。
「……言いたいことはそれだけか? あぁ、それと私からもお前たちに言っておかなきゃならないことがある」
そして――この一方的な断罪に、腹が立っただけだ。
「悠希は、お前たちのマネージャーをやってたんじゃない。私の、私だけの為にマネージャーをやっていたんだ。私たちのことを、お前たちがとやかく言う必要はない」
「……!!」
刹那、私と向かって左に立つ二年部員が激発した。一歩退き、僅かに腰を落とすと竹刀の先を上げ、『突き』を放った。狙いは喉。構えも出来てる。ただ、行動を起こす前に一歩下がる動作が致命的なまでに無駄だ。接近しているのだから、竹刀での打突を試みるより素手での組打ちを挑む方がいい。
すかさず竹刀の先を払い除け、私は、ぐいっと一歩詰め寄った。
「甘い!!」
右手に持っていた竹刀の柄を顔面に叩き込み、同時に足を払って蹴り倒す。
「百年早い」
少し離れた場所からこちらを窺う一年生部員にチラリと視線を走らせる。先に手を出したのは向こうだ。
青ざめた表情の一年が頷くのを確認して、残ったもう一人に視線を向ける。
「秋月、お前っ!」
「秋月さん、だ。身の程を弁えろ」
ゴチャゴチャと煩い雑魚の襟首を引っ掴み、昏倒した二年を乗り越え、黒岩と深山がいるだろう道場に入ったところで更に三人の二年生部員が立ち塞がった。
背筋がヒリつくような感覚がした。
雑魚は雑魚らしく引っ込んでいればいいのに、新たに駆け付けた三人の眼にはらしくない力がある。それが、どうしようもなくムカついた。
「なんだ、お前たち。そこを退け。今の私は少し苛ついているんだ。……そこを退けと言ったんだ!!」